本稿は、崎山蒼志『並む踊り』のコラボレーターの一人である長谷川白紙と実施したメールインタビューをもとにした考察である(メールインタビューはこちらより)。さらに5月29日には、長谷川白紙による崎山蒼志“旅の中で”のカバー音源を収録した作品が発表され、リスナーを驚かせた。
崎山蒼志と長谷川白紙とメールを介しておこなった問答の言葉の端々には、両者の音楽に横たわる謎を紐解きうる「何か」を見いだすことができる。まるで川底に眠る宝石のようにきらきらと顔を覗かせている「何か」に手を伸ばすべく、音楽評論家・s.h.i.が二人の音楽家について考えを巡らせた。以下のテキストは、その試みの一部始終である。
崎山蒼志『並む踊り』は、ストリーミングサービスの普及によってもたらされた、ポップミュージックの新局面の象徴でもある
崎山蒼志と長谷川白紙は、2000年代のJ-POPなどが発した「孤独のメッセージ」の素晴らしい結実なのではないか。彼らを見ているとそう感じることがある。
無人島に取り残された人が瓶詰めの手紙を海に流し、絶望に沈んでしまう前に誰か助けてくれないかと願うーーほとんど徒労に終わるかもしれない試みでも、それを受け取り開花させる人は確かに存在し、予想もつかない形で発展させてしまうことさえある。YouTubeや各種ストリーミングサービスが普及するにつれ、こうした例が確実に増えてきたように見えるし、ここ数年はその勢いが世界規模で増し続けている。このような影響関係の連環を生む環境(≒インターネット)の恩恵を、最もよい形で享受してきたのが彼らの音楽なのではないかと思う。
崎山蒼志“ソフト”を聴く(Spotifyを開く)長谷川白紙“山が見える”を聴く(Spotifyを開く)
1月23日のSUPER DOMMUNE企画による長谷川白紙特集『ドミューにに』に出演させていただいたときにも少し話したのだが、他者から影響を受けるのを恐れない音楽家がこのところ増えてきたように感じられる。
2010年代半ばの時点でも、YouTube(2005年サービス開始)やSpotify(2008年サービス開始、日本では2016年9月に上陸)のようなストリーミングサービスを利用して積極的に音楽を探求することが容易になり、多くの音楽リスナーにとって未知の音楽に触れる機会は限りなく開かれたものとなった。そんななか、2020年現在に「他者から影響を受けるのを恐れない音楽家がこのところ増えてきた」というのは個人的な印象の域を出ないものの、他者から影響を受けていることを公言する音楽家の発言を目にする機会は多くなってきているように思われる。
崎山蒼志が作成したプレイリスト「崎山蒼志 Oh…Yes…」を聴く(Spotifyを開く)
その一因と考えられるのが、近年のポップミュージックシーンにおけるコラボレーション型制作体制の定着だろう。2010年代に入ってラップミュージックが世界を席巻したことを受けて、ヒップホップなどでは定番だったプロデューサーの複数起用やフィーチャリングといった手法はメジャーなポップスの領域でも要となり、そうした協同作業のきっかけ作りや事後説明に伴い影響関係が語られることが一般的になってきている(関連記事:荏開津広×渡辺志保 ラップが席巻した10年代を振り返る)。
さらに、2010年代における「トラップ」の大流行はポップミュージックそのものにも影響を及ぼし、ポップミュージックシーンのあらゆるところでその音楽要素が用いられるようになると、ロックバンドやシンガーがラッパーやトラックメイカーと共演するといったジャンル間の交流は、さらに広まり定着することになる。そして今やそのジャンル同士の力関係は逆転した。2019年に発表されたラッパーのPost MaloneがBlack Sabbathのオジー・オズボーンを客演に招いた“Take Me What You Want feat. Ozzy Osbourne & Travis Scott”はそのひとつの象徴であろう。
Post Malone“Take Me What You Want feat. Ozzy Osbourne & Travis Scott”を聴く(Spotifyを開く)
椎名林檎やKOHH、小袋成彬が客演した宇多田ヒカル『Fantôme』(2016年)は、日本のメジャーなポップミュージックシーンにおけるコラボレーション型制作体制を体現するアルバムのひとつだし、椎名林檎『三毒史』(2019年リリース作。宮本浩次、櫻井敦司、向井秀徳、トータス松本ほか、多数のミュージシャンが参加)や星野源『Same Thing』(2019年リリース作。Superorganism、PUMPEE、トム・ミッシュらがフィーチャリング参加)など、こうした傾向を明確に意識したものが次々と生まれている。
宇多田ヒカル『Fantôme』を聴く(Spotifyを開く)椎名林檎『三毒史』を聴く(Spotifyを開く)
星野源『Same Thing』を聴く(Spotifyを開く)
このようなコラボレーションはインターネット上でのディグをきっかけに生じる場合も多く、「星野源が音楽に対して落ち込んでいるときに動画サイトでスーパーオーガニズムのライブ映像を見たことが始まり(参照:『rockinon.com』掲載記事より)」だった楽曲“Same Thing”はその好例と言える。
君島大空や諭吉佳作/men、そして長谷川白紙が参加した崎山蒼志の『並む踊り』(2019年)もインターネット上での交流がきっかけになって生まれたアルバムであり、こういったポップミュージックの在り方が変容しつつある流れのなかの作品だと考えられる。
崎山蒼志『並む踊り』を聴く(Spotifyを開く)
ストリーミングサービス以降のポップミュージックにおいて、ミュージシャンの「ディグ作業」が持つ意味合い
これは以上の話とも少なからず関係すると思われることだが、Appleが運営する音楽ラジオ局Beats 1の番組『blonded RADIO』で音楽ファンを唸らせる選曲を続けるフランク・オーシャンを筆頭に、知識とディグ力に優れたミュージシャンが目立つようになってきている。
インディーロックへの造詣が深く、その方面とR&B~ヒップホップが積極的にコラボレートする流行を先導した感もあるSolangeや、4年ぶりの復活作『Magdalene』(2019年)で余程の音楽マニアも知らないような電子音楽領域の才能をフックアップしたFKA twigs、デヴィッド・リンチも含む多彩な共演陣を配置して緻密なトータルアルバム『Flamagra』(2019年)を構築したFlying Lotus。Grimesをはじめとした、ロック外のアーティストとの共演を押し進めるBring Me The Horizonなど。
Solange『A Seat at Table』(2016年)を聴く(Spotifyを開く)FKA twigs『Magdalene』を聴く(Spotifyを開く)
Flying Lotus『Flamagra』を聴く(Spotifyを開く)
SpotifyでBring Me The Horizonを聴く(Spotifyを開く)
コラボレーションをするためには当然、相手を見つける必要があり、それを探すディグの過程を通して膨大な情報量をインプットし、意図するか否かに関わらず影響を受けていくことになる。崎山蒼志や長谷川白紙もそうしたディグ作業や、それを通して発見した音源の紹介を積極的に行っており、影響を受けることを恐れず、楽しんで勉強を続けているように見受けられる。
崎山蒼志が作成したプレイリスト「好き!5月」を聴く(Spotifyを開く)長谷川白紙“による、んoon”Freeway“カバーを聴く(Spotifyを開く)
このような姿勢は、両名の音楽の唯一無二性をむしろ高めているのではないかと考え、「影響を受ける」「未知の音楽に出会う」ことについて崎山・長谷川両氏に質問したところ、以下のような回答が返ってきた。
崎山:自分の知らない素晴らしい作品に出会うと、感動と共に自分の世界が開けます。そこから影響を受ける怖さは微塵もなくて、むしろ影響を受けたい。
こんなこと自分から言うのもあれですが、自分には一本、誰からも影響を受けない芯があって、それがあるからこそ影響を受けることに恐れがないのかも知れません。その一本の芯以外の部分で音楽をもっともっと刺激的なものにするためには、影響を受けることです。
未知の音楽に出会うために重宝しているメディアはTwitterですかね……あとYouTubeです。
長谷川:ランダムに音楽に出会うことは、自分の音楽の拡張において非常に重要なことだと考えています。わたしに限って言えば、音楽の発展的発想は自分の持っている知識や概念の範疇でしか起きないと思います。わたしの中で起こる偶然的で瞬発的なリンクをより想像もつかないものにするためには、常に音楽の聴取領域を広げ続けるしかないと考えています。
TwitterのTLが今のところ最もよくて、時間があるときはTL上で流れてきた音楽で知らないものは全部聴いています。YouTubeのサジェストもよくて、こちらもとにかく全部聴いていくというのが重要です(現代音楽はYouTubeのサジェストでとてもよくディグできます。なぜでしょうか)。お店でジャケ買いをするのもよくやっています。
両名のこうした積極的な受容姿勢は基本的には各々の資質によるものだろうが、ストリーミング以降と言えるような時代背景も関係していると思われる。
様々なジャンルの間で交流傾向が増していくことにより、異なる文脈を背負う音楽同士の共通項が増え、各々の領域からアクセスしやすい状況が生まれる。ジャンルそのものが接近しあうことによりジャンル越境的に聴く姿勢を育みやすい環境が形作られ、それを行うための具体的な方法も身につきやすくなる。膨大な要素を統合して素晴らしい個性を確立している両名の音楽は、影響を受けても揺らがない芯の強さといった各々の資質だけでなく、1990年代から2000年代にかけて培われたジャンル間の交流傾向とそれを加速させたインターネットがあればこそ生まれたものなのだろう。
今なお無限に増え続ける未知なる音楽に対して。ストリーミング時代における、音楽リスナーとミュージシャン、ミュージシャン同士の距離
『音楽ナタリー』掲載記事「アーティストの音楽履歴書」では、長谷川の現在に至る聴取遍歴が具体的に語られていて非常に興味深い(参照:『音楽ナタリー』掲載記事より)。そこで「初めて買ったCD」として言及され、今でも折に触れて愛着が語られるサカナクションは、以上のような姿勢の確立に重要な役割を果たしたのではないかと思われる。
サカナクション『シンシロ』(2009年)を聴く(Spotifyを開く)長谷川白紙によるサカナクション“セントレイ”のカバーを聴く(Spotifyを開く)
サカナクションは、「オーバーグラウンドの中のアンダーグラウンドというのが、自分たちの立ち位置だと思っています」(参照:『美術手帖』掲載インタビューより)と言うように、ある種の入り口となって後進に音楽を紹介する役割を意識的に担ってきたバンドでもある。昨年6月に『rockinon.com』に掲載されたインタビューでは以下のようにも語っている。
僕らにはバンドとしての大義が結成時からあって。美しくて難しい音楽を音楽にさほど興味ない健全な若者たちにどう通訳するかっていうことをコンセプトに音楽を作ってきたんです。それがいつのまにか大きくなったことでうやむやになってたんですね。そのうやむやになっていることに対して自分たちで悩んで苦しんできたから、ちゃんとゴールというか、入り口があって出口があってっていう、それを作るっていうのが『NF』を立ち上げた大きな理由で。それを始めたことで、今回のアルバムの芯というか核ができたなと思いますサカナクション『834.194』(2019年)を聴く(Spotifyを開く)
『rockinon.com』掲載記事「サカナクション・山口一郎、約6年ぶりの新作アルバム『834.194』までの長い物語を語る」より(外部サイトを開く)
昨年の『SUMMER SONIC』の深夜企画としてコラボレーション開催された『NF in MIDNIGHT SONIC』はそうした姿勢を具現化したものと言える。この企画については、中心人物の山口一郎がTOKYO FMのレギュラー番組で以下のようにコメントしている。
聴いたことがないミュージシャンがいっぱいいると思う。でも、聴いたことがないミュージシャンを調べて聴いてみる、という機会ってなかなかないじゃない。そのライブを観るってもっとないと思うんですよ。(中略)そういうことを繰り返していく中で、自分が知らなかったことを知っていけたので。それを経験してもらいたいなと思って、今回そういうラインナップにしました。
『エキサイトニュース』掲載記事「サカナクション山口一郎が語る『NF in MIDNIGHT SONIC』心構え」より(外部リンクを開く)
この『NF in MIDNIGHT SONIC』を体験した筆者の目から見て、現状、サカナクションの啓蒙的試みは大きな規模で成功しているとは言い難い。事実、『NF in MIDNIGHT SONIC』はThe Cinematic Orchestra、Floating Points、テイラー・マクファーリン、Washed Outといった海外アクトの出演がほぼ完売後に発表されたこともあり、1万数千人に及ぶ観客の90%以上がサカナクションなどの国内アクトに集中・殺到していた。
先掲の「美しくて難しい音楽を音楽にさほど興味ない健全な若者たちにどう通訳するかっていうことをコンセプトに音楽作ってきた」「うやむやになっていることに対して自分たちで悩んで苦しんできた」という発言は、これまでの活動を通じての試行錯誤やそこに伴う葛藤を反映したものと読める。こういった困難な状況においても、サカナクションはより広い層のリスナーに対するアプローチを、瓶詰めの手紙を海に流すがごとく繰り返してきた。
J-POPや邦楽ロックを主に聴いている層のために聴きやすい要素(歌メロやコード進行における歌謡性など)を残しながら、それを入口に、今なお無限に増え続ける未知なる音楽に興味を持たせるのは簡単なことではないが、「孤独のメッセージ」を受け取り開花させる人は少数ながら確かに存在する。そして、そのメッセージを予想もつかない形で発展させてしまうことさえある。
近年の国内シーンの活況は、突然変異的に現れた天才たちが偶然成し遂げたものではない。先達の奮闘が実を結んだからこそのものでもある
長谷川の“あなただけ”が、『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日)の1月19日放映回「売れっ子プロデューサーが選ぶ年間ベスト」で2位(蔦谷好位置)と4位(mabanua)に選ばれた。
“あなただけ”は、1990~2000年代的なJ-POPの薫りがほとんどしない、1960年代モード寄りジャズと現代音楽を混ぜてボカロ風味のあるビッグバンドジャズ形態に変換したようなスタイルの楽曲だ。にもかかわらず、この番組をきっかけに知ったJ-POPファンや邦楽ロックファンの多くを即座に魅了している様子がSNS上で見られた。このことからも、既存の歌謡曲的なものから距離があったとしても親しみやすさとインパクトがあれば聴き手の嗜好を問わず訴求力を発揮できるのだと考えられる。
長谷川白紙“あなただけ”を聴く(Spotifyを開く)
アメリカの音楽シーンの新陳代謝の激しさも、先述のようなミュージシャンたちが革新性と聴きやすさを両立する作品を生み出そうと意識し、競いあっているからこそ生じるのだろうし、近年の日本のシーンの充実を見ると同様な状況が生まれつつあるように感じられる。しかし、それは突然変異的に現れた天才たちが偶然成し遂げたことではなく、サカナクションを筆頭に、1990年代からジャンル間の交流傾向を促してきたDragon Ashやm-flo、あるいはASIAN KUNG-FU GENERATION(音楽フェス『NANO-MUGEN FES.』の主催、フロントマン・後藤正文による作品賞『Apple Vinegar Award』主宰などを通して国外国内を問わず優れたアーティストの紹介に務めている)のような先達の地道な活動があって初めて可能になったことと言えるのではないか。
先掲『アーティストの音楽履歴書』では、長谷川が山口一郎のインタビューを読んでエレクトロニカに興味を持ち、サカナクションを通してAOKI takamasaやミニマルテクノを知ったのち、ネットで「エレクトロニカ おすすめ」などと検索してrei harakamiやAphex Twin、YMOなどを熱心に聴くようになった経緯が語られている。
AOKI takamasa『Silicom』(2001年)を聴く(Spotifyを開く)rei harakami『[lust]』(2005年)を聴く(Spotifyを開く)
Aphex Twin『Richard D. James Album』を聴く(Spotifyを開く)
Yellow Magic Orchestra『BGM』(1981年)を聴く(Spotifyを開く)
『ドミューにに』のライブで、rei harakamiによるサカナクション“ネイティブダンサー”のリミックス(“ネイティブダンサー (rei harakami へっぽこre-arrange)”)で締めるtomadのDJから、長谷川による同曲カバーに繋げた展開は以上のような文脈を完璧に踏まえているし、そうやって系統的にディグしていく姿勢はサカナクションの活動に触れたからこそ得られたものでもあるだろう。
長谷川白紙“キュー”を聴く(Spotifyを開く)
崎山がよく聴いていたと公言するNUMBER GIRLやBUCK-TICK、比較的近い領域でシーンの先頭に立ち続けるceroやTHE NOVEMBERSのようなバンドも、他者の音楽作品を積極的に紹介し後進に影響を与え続けている。このように、ゆるやかなおすすめを通した波及効果がある種の教育システムとなり次代に繋がっている面は確実にあり、崎山や長谷川の豊かで新しいポップミュージックはそうした礎があったからこそ生まれたのだと考えられる。
崎山蒼志“夏至”を聴く(Spotifyを開く)崎山蒼志“そこには”を聴く(Spotifyを開く)
先述の『NF in MIDNIGHT SONIC』などを見ると、サカナクションや星野源、米津玄師といったアーティストたちが今に至るまで地道に続けてきた搦め手的な音楽的啓蒙は、まだまだ広い成果を生んでいるとは言い難い。それこそ無人島から瓶詰めの手紙を海に流し返事を待つような、孤独のメッセージを繰り返しているような状況が続いていた。
しかし、そうした活動は他者から影響を受けるのを恐れない姿勢を持つミュージシャンを育て、近年のポップミュージックにおけるコラボレーション型制作体制の定着とあいまって、シーンの土壌を豊かにすることに確実に貢献している。異なるジャンルを当たり前のように横断するかれらの音楽は、それに見合った展開の多さと速度を備え、1曲のなかで様々な文脈を横断し、その接続面で生じる「歪み」をも活かしながら独特の形を成していく。
このような音楽に接して育つ後の世代はさらに拡張された感覚を身につけるはずだし、先行する世代も新たな発想を得る機会が多くなるだろう。SNSやストリーミングサービスが発達した現在のポップミュージックはこのように「ネットワークを形成する音楽」でもあり、その源流には1990年代から2000年代にかけて培われ一般化したジャンル間の交流傾向がある。崎山蒼志や長谷川白紙はこうした流れの上に萌芽した才能の代表格であり(本メディアの既出特集記事に登場した、君島大空や諭吉佳作/menもそう)、これからもさらに素晴らしい実りをもたらしてくれるに違いない。
崎山蒼志“潜水(with 君島大空)”を聴く(Spotifyを開く)崎山蒼志“むげん・(with 諭吉佳作/men)”を聴く(Spotifyを開く)
自身の音楽の成り立ちに極めて自覚的な長谷川と、奇跡的なまでに無意識的な崎山。二人からのコメントをもとに紐解く
先述のとおり、崎山蒼志と長谷川白紙の音楽は膨大な要素を消化吸収し素晴らしい個性を確立するという在り方の点では共通している。しかし、そうした要素の再構築の仕方、いうなればブラックボックスの使い方はかなり異なっていると思われる。
たとえば、崎山の音楽はギターを激しくかき鳴らしていることもあってサウンドの面でも歪みが多いが、長谷川の音楽はロック / ギター出身でないこともあってかサウンド的な歪みは少なく、しかしその一方で不協和音の多用やリズム構成など楽曲構造の面で歪みを担保しているような印象もある。そうしたことを念頭に置き、自作曲を構成するにあたりどのような意識を持っているかということを質問した結果、二人の回答は以下のとおり対照的なものとなった。
長谷川:(歪みは)非常に重要です。歪んでいるところがあるから整然としている部分も認識できるのであり、音楽の根源的な「緊張と弛緩」という概念も含め、「歪み」は非常に広大な範囲の音楽にアクセスできる軸だと思います。自作に関して言うのであれば、異なるものを無理に接着したり融合させたりするときの歪みこそが、わたしの音楽を進行させる最も強い力のひとつだと考えています。
長谷川白紙“砂漠で”を聴く(Spotifyを開く)
崎山:(曲構成について問われて)意識的ではないです。比較的無意識な状態でバーっと浮かんだものを纏めたらそうなったという感じなので……。
崎山蒼志“国”を聴く(Spotifyを開く)
長谷川が繰り返し自己言及する作曲様式に、既存の音楽形式を意識的に引用して接続し、その落差や歪さを重要な表現力にするというものがある。『MUSICA』2019年7月号掲載インタビューでは、その様式が以下のように説明されている。
たとえば現代音楽からいろんな要素を持ってきて、それを並べると、ただの現代音楽になるんですよね。あるいは、いろんな地方のジャズから要素を抜き出してきて並べると、やっぱりジャズになる。ただ、そういった様式を唯一横断できるのがポップスなんですよね。つまり歌が入ってるというのは私にとって凄く大きいことなんじゃないかなとは思うんですよ。歌って本当に強力な接着剤だと思うんです。歌があるだけで、かなり強引にあらゆるジャンルの要素全部を接着できるんですよね。
『MUSICA』2019年7月号掲載インタビューより(外部サイトを開く)
同記事ではそうした作曲様式が、金継ぎ(割れた茶碗を漆で継ぎ合わせ金で装飾する修復方法)に喩えられている。異なる形式を強引に接着し、その接着面をどうデザインするかを考えることが制作の基本姿勢となっていて、歌はそのための接着剤として重要な機能を果たす。長谷川はこうした関係性を明確に言語化した上で駆使しており、その音楽の成り立ちは極めて意識的なのだと言える。
長谷川白紙“草木”を聴く(Spotifyを開く)
これに対し、崎山の作曲はだいぶ無意識的なのだという。君島大空との対談記事では、こうした作曲の仕方について以下のようなやりとりがなされている。
崎山:僕も、曲を書いてそのままって感じなんです。本当はもっとまとまっていて、ちゃんと構築された曲を作りたいなって思うんですけど(笑)、そうならないんですよ。絶対に、そういうふうに作れない。 君島:でも、崎山くんの音楽には、走り書きがそのまま歌になっているような、まとまっていないからこその魅力がありますよね。だから、言葉の力が強靭なんだと思う。考えて構築された美しさではない、「出てきてしまった」がゆえのもの。それが結果としてめちゃくちゃ複雑怪奇で、そして人間的な言葉になっている。 「崎山蒼志と君島大空、2人の謎を相互に解体。しかし謎は謎のまま」より(記事を読む)崎山蒼志“塔と海”を聴く(Spotifyを開く)
様式の再統合というようなことはあまり考えていない、どちらかといえば無意識的な制作方式を崎山は採っていて、それだからこそ豊かな音楽要素が未分割な形で映えるようにもなっている。本企画の質問に対する以下の回答は二人の在り方の共通点と相違点(ともに異なる形式を縦横無尽に接続しているが、それを意識的に行っている度合いはかなり異なる)をとてもよく表している。
崎山:全体的な音楽の印象としては、僕の音楽は荒く歪んでいるイメージがありますが、長谷川さんの音楽は滑らかに歪んでいるイメージがあります。
長谷川:崎山さんの存在は端的に奇跡的だと思います。ギターと歌というシンプルなスタイルのなかに到底シンプルではないいろいろな様式の破片が散りばめられているようで、その接続は本当に本当に見事です。音楽的なものも含め非常に多くの情報に迅速に、等価にアクセスできるようになったこの時代において、楽器と歌のみでデータベースとその統合を感じさせるようなアーティストは稀有だと考えています。
長谷川白紙“悪魔”を聴く(Spotifyを開く)
ここで興味深いのが、長谷川が「その接続は本当に本当に見事です」と言うように、崎山の音楽は本人の弁に反してかなり緻密に構築されていることである。対照的な意味合いの言葉を並べて複雑なニュアンスを生む歌詞や、その展開がコード進行をはじめとした音楽面での構成と密接に関係しているなど、諸々の要素の間には無意識的にやっているとはとても思えないくらい美しい連関がある。
たとえば、長谷川もライブのレパートリーとし弾き語りカバー集『夢の骨が襲いかかる!』にも収録した“旅の中で”は、後半の<なんだろうか / 行先はわからないままで / あの人の顔が浮かんだり>で停滞するコード進行がその後の<でも次の方向へ向かってるのはたしかだ>を経て動き出すようになっており、歌詞における物語展開が音楽の流れと軌を一にする構成が楽曲の表現力を深めている。
長谷川白紙による、崎山蒼志“旅の中で”のカバーを聴く(Spotifyを開く)崎山蒼志“旅の中で”を聴く(Spotifyを開く)
この曲ではボサノバにも通じるリリカルで浮遊感のある音進行が軸になっているが、崎山が激しくかき鳴らすギターがそこに強烈な圧を加え、ハードコアパンクにも通じる身体性を生み出している。これは崎山が好きだというアート・リンゼイに通じる配合であり、長谷川のいう「楽器と歌のみでデータベースとその統合を感じさせる」在り方をとてもよく表している。
崎山の楽曲はいずれもこうした複雑な構造を各々異なる形で成立させていて、“国”終盤の<ねぇ君の話はなに>におけるアメリカのフォークとゴスペルが混ざり合ったポストロックのような音進行(ジム・オルークやGastr Del Solに通じる)が一般的な日本のフォークに近いフレーズに違和感なく繋がる展開や、ミナス音楽と日本のフォークがモザイク状に交錯するような“踊り”のサビにおける<毒を持ち成長する><やさしい>といった言葉の対比など、異なる文脈を軽やかに接続する例は枚挙に暇がない。
崎山蒼志“踊り”を聴く(Spotifyを開く)
崎山自身は無意識的にやっているようだが、そこから生まれる音楽にはかなり明晰な論理展開があり、走り書きだが整っている、達人の筆法のような作品になっている。崎山と長谷川の音楽の相性がいい理由はこんなところにもあるのではないかと思う。
共作曲“感丘”が混沌としているのにポップな理由。特異なリズム構成、読解困難な歌詞について考察する
以上のような二人の資質が合わさって生まれた“感丘”(作詞:崎山、作曲・編曲:長谷川)は、双方のレパートリーのなかでも特に混沌とした構造を持つ楽曲になっている。
『ドミューにに』で司会を担当した姫乃たまは、“いつくしい日々”の楽曲提供を受けた際に長谷川から著しく入念なインタビューを受けたとのことで、マインドマップ作成を交えた取材はほとんどカウンセリングのようなものだったらしいが、それに類する前準備は“感丘”でも異なる形で行われていたようだ。崎山の単独公演(昨年11月10日、神田明神ホール)にゲスト出演した長谷川はMCで「いろんなソフトに崎山の声のデータをぶちこんで徹底的に分析した」と言っており、“感丘”はその声の音響特性や得意(または微妙に不得意)な音域に合わせて構築していると考えられる。
半音進行でふらふら漂う和声進行にはどことなくブラジル音楽の薫りが感じられるが、これは崎山が先述のようにアート・リンゼイやSonic Youth、King Kruleなどを好み、それらを経由してブラジル音楽的な和声感覚を自身の楽曲に導入していることが少なからず意識されているようにも思われる。
崎山が作成したプレイリスト「20202.0317」にはKing Kruleの楽曲も選ばれている。プレイリストを聴く(Spotifyを開く)
加えて言えば、そもそも長谷川自身の音楽でもブラジル音楽的な要素が多用されている(Letieres Leite & Orkestra Rumpilezzに通じるアレンジの“フュー・スタディP”、アントニオ・ロウレイロに通じる和声進行の“横顔 S”や“它会消失”、他にも“草木”“怖いところ”など多数)。
Letieres Leite & Orkestra Rumpilezz『A Saga da Travessia』(2016年)を聴く(Spotifyを開く)アントニオ・ロウレイロ『Só』(2018年)を聴く(Spotifyを開く)
『ドミューにに』の楽屋裏で質問したところ、ブラジル音楽は彼が最初に接した音楽ジャンルであり、友人の結婚式に楽曲を提供する際にはブラジル現地の友人の監修を受けて「2歳の子供が話しているように聞こえる」ようなポルトガル語の歌詞を書いたこともあるという。
“感丘”はこうしたブラジル音楽嗜好が両者の音楽性の接着剤として用いられ生まれた、金継ぎ作品なのだとみることもできるし、その上でブラジル音楽そのものには決してならない素晴らしい個性を確立してしまった楽曲なのだと思われる。
崎山蒼志“感丘(with 長谷川白紙)”を聴く(Spotifyを開く)
なお、特異なリズム構成についていうと、3拍子というか3連と7連の間で揺れる感じになっているようにも思われるが、正確なところはよくわからない。
たとえば、Aメロ裏の鍵盤の刻みについて考えてみたい。
① 3連符(1小節を3倍数で分割)で考える:3+4+3+2=7+5=12
② 7連符(1小節を7倍数で分割)で考える:1.7×7=1.7×4+1.7×3=6.8+5.1=11.9≒12
上記のうちどちらかといえば、①のように数えることができるが、その①の7+5のうち7の終わりが少し短くなって5の入りが少し早くなれば、6.9+5.1のようになり、②とほぼ同様に聴こえてしまうわけで、生演奏ならではの微細な揺れが捉えられた音源を聴くぶんにはどちらにもとれてしまう。
また、ところによっては、「鍵盤が①」で「ボーカルが②」という組み合わせになっている場合もあるかもしれない。こうしたリズム処理にもブラジル音楽ならではの、「3連符と4連符が溶けてどっちつかずになり両者の間で宙吊りになっている」ような感覚が反映されていると考えられなくもない。解き明かしようのない謎に満ちたどこまでも興味深い音楽である。
以上を踏まえた上で凄いのが、とんでもなく混沌とした形状なのに底抜けに親しみやすく、理屈抜きに楽しい感じが前面に出ていること。これは“感丘”に限らず長谷川白紙の楽曲すべてに言える話で、『関ジャム』1月19日放映回における蔦谷好位置のコメントはそうした特性をとてもよく言い当てている。
不協和音、変拍子、独特な音色運びなど、こういったアブストラクトな要素を持った音楽は内向的になりがちですが、長谷川白紙の音楽は彼の脳内から広がっていく景色を見ているように外へ外へと眩い光を放っているように感じます。 『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日)1月19日放映回「売れっ子プロデューサーが選ぶ年間ベスト」より長谷川白紙『エアにに』を聴く(Spotifyを開く) / 参考記事:「長谷川白紙の楽曲を解剖 『リズム』『響き』『声』の3点から分析」を読む(リンクを開く)
妥当な自信と才気が伴う一方で、非常に謙虚な人柄がそのまま出ている音楽だと思うし、そうした在り方が間口の広さやポップさに繋がっている面も少なからずあるのだろう。本企画の質問に対する長谷川の回答はそうした人柄をよく示している。
長谷川:(いたずら心やエンタテインメント精神のようなものを明確に意識しているかと問われて)わたしは——意外だと言われることが多いのですが——おそらく本質的には人を楽しませることが非常に好きなタイプなのだと思います。ただ音楽やTwitterにおいてもそうかと言われると難しく、わたしが自作においてポップスの感覚やある種のエンターテインメント性を取り入れるのは、そうした方がより多くの、より複雑な要素を取り込めるからという理由に他なりません。
Twitterも最低限の分別は弁えられるようになってきましたが、依然言いたいことを言っているだけなので、わたしの音楽やツイートにわたしの本質的なエンターテインメント精神が表れているかと言われれば、それは当たらずも遠からずくらいなのかなと思います。いたずら心はいつでも何においてもめちゃくちゃあります。わたしは21歳になっても未だに自分がいたずら好きの子どもであり続けていることに驚愕しています。
そして、“感丘”では長谷川の上記のような人柄に加え、作詞担当の崎山の資質も非常に重要な役割を果たしている。本企画の質問に対する以下の回答は実に象徴的なものである。
長谷川:崎山さんの詞は、見るという行為自体をメタに捉えていると考えています。それは個人的に共感を覚える点でもありながら、崎山さんの作品の中でも特に卓越した精度で行われている点です。物事の記述とその感想というある種のテンプレートから身体的に自然に逸脱しているのが、いつ見ても鮮やかだなあと思います。
崎山:(「遍く行為の中から、作曲に最も近いものを選ぶとしたら何ですか?」という長谷川の質問に対し)観察。
この曲の<隠れ方 見て 確かめて><未来の私が見ている>といった歌詞はそうしたメタ視点や観察力の存在をよく示しているし、そうした資質があるからこそ崎山の素朴で強靭な歌声はあれほど不思議な深みを湛えたものになっているのだろう。
以上のような両者の資質が滑らかに金継ぎされた“感丘”はまことに得難く素晴らしい楽曲なのだと思う。
以上、崎山蒼志と長谷川白紙の音楽について簡単に触れてきた。君島大空や諭吉佳作/menについても言えることだが、かれらはみな作編曲力や演奏表現力だけでなく作詞・言語表現力も尋常でなく優れており、影響を受けることを恐れない姿勢を通して卓越した基礎力を高め続けている。
若いからすごいのではなく、すごい人間がたまたま若かっただけ。これからも様々な試行錯誤を通して素晴らしい音楽を生み出し続けていただけるのだろうし、リアルタイムでその様子を追うことができるのをありがたく思います。
- リリース情報
-
- 崎山蒼志
『並む踊り』(CD+DVD) -
2019年10月30日(水)発売
価格:3,000円(税込)
SLRL-10046[CD]
1. 踊り
2. 潜水(with 君島大空)
3. むげん・(with 諭吉佳作/men)
4. 柔らかな心地
5. 感丘(with 長谷川白紙)
6. 夢模様、体になって
7. 烈走
8. 泡みたく輝いて
9. Video of Travel[DVD]
1. ドキュメント「崎山蒼志 LIVE 2019 とおとうみの国」
2. 「国」ミュージックビデオ
- 長谷川白紙
『エアにに』(CD) -
2019年11月13日(水)発売
価格:2,530円(税込)
MMCD200321. あなただけ
2. o(__*)
3. 怖いところ
4. 砂漠で
5. 風邪山羊
6. 蕊のパーティ
7. 悪魔
8. いつくしい日々
9. 山が見える
10. ニュートラル
- 長谷川白紙
『夢の骨が襲いかかる!』 -
2020年5月29日(金)配信
1. Freeway
2. 旅の中で
3. LOVEずっきゅん
4. 光のロック
5. セントレイ
6. シー・チェンジ
7. ホール・ニュー・ワールド
- 崎山蒼志
- プロフィール
-
- 崎山蒼志 (さきやま そうし)
-
2002年生まれ静岡県浜松市在住。母親が聞いていたバンドの影響もあり、4歳でギターを弾き、小6で作曲を始める。2018年5月9日にAbemaTV『日村がゆく』の高校生フォークソングGPに出演。独自の世界観が広がる歌詞と楽曲、また当時15歳とは思えないギタープレイでまたたく間にSNSで話題になる。2018年7月18日に「夏至」と「五月雨」を急きょ配信リリース。その2か月後に新曲「神経」の追加配信、また前述3曲を収録したCDシングルをライヴ会場、オンラインストアにて販売。12月5日には1stアルバム『いつかみた国』をリリース、併せて地元浜松からスタートする全国5公演の単独ツアーも発表し、即日全公演完売となった。2019年3月15日にはフジテレビ連続ドラマ『平成物語』の主題歌「泡みたく輝いて」と明治「R-1」CM楽曲「烈走」を配信リリース。10月30日に2ndアルバム『並む踊り』をリリースした。
- 長谷川白紙 (はせがわ はくし)
-
1998年生まれ、音楽家。2016年頃よりSoundCloudなどで作品を公開し、17年11月インターネット上でフリーEP作品『アイフォーン・シックス・プラス』、18年12月10代最後に初CD作品『草木萌動』、19年11月に1st AL『エアにに』をリリース。知的好奇心に深く作用するエクスペリメンタルな音楽性ながら、ポップ・ミュージックの肉感にも直結した衝撃的なそのサウンドは、新たな時代の幕開けをも感じさせるものに。20年5月歌と鍵盤演奏のみで構成された弾き語りカバー集「夢の骨が襲いかかる!」を発表。