
荏開津広×渡辺志保 ラップが席巻した10年代を振り返る
- インタビュー・テキスト・編集
- 久野剛士(CINRA.NET編集部)
- 撮影:豊島望
1960年代にロックが世界に広がったように、2010年代はラップミュージックが世界を席巻した10年といっていいだろう。事実、アメリカの調査会社による2017年上半期の調査では、ヒップホップが初めてロックの売上を超え、最も売れたジャンルとなった。
そんなヒップホップの変化は、なぜ起きたのか? Kompassでは、世界の音楽シーンに詳しいライター渡辺志保と、多彩なカルチャーに横断的な視点を向ける荏開津広による対談を連載形式で実施。その第1回として、まずはこの10年の流れを総括する。
ラッパーが「ポップスター」「ロックスター」みたいなポジションになってますね。(渡辺)
―今回は連載の第1回目ということで、2010年代のヒップホップシーンを振り返ってもらいます。この10年を象徴するラッパーをまず挙げていただけますでしょうか?
渡辺:もちろん、一概に誰と簡単にはいえないんですけど、すっと出てくるのはトラヴィス・スコット(Travis Scott)ですね。数字的には圧倒的にドレイクなんでしょうけど、自分のアーティスト性を崩さずにセールス数を稼ぐだけでなく、ファッション界でもカリスマ的なモデルとして活動している。そして、結婚こそしていないですが、世界で最も稼ぐ20代の女性であるカイリー・ジェンナーをガールフレンドにして、長女も設けた。
しかも、自分の地元で今年2回目のフェスを開催していて。彼のフェスは、すでに閉園していた地元ヒューストンの遊園地を市と組んで復活させ、開催するなど、地域の活性化にも貢献している。地元への貢献度はドレイクも同じくなんですが、トラヴィスは単に音楽の次元ではなく、複合的に現代のヒップホップ・カルチャーのクールさを体現していると感じますし、ラッパーのロックスター的立ち位置を確立したアーティストなのでは、と思います。
トラヴィス・スコット『ASTROWORLD』(2018年)を聴く(Spotifyを開く)
荏開津:2010年代のヒップホップって、それまでともちろん地続きだなとは思うんですよ。でも、「ラッパー」の意味合いが2000年代くらいまでと全然違うなと思うんですよ。簡単にいうとラッパーの社会的な地位がすごく変わったということです。ラッパーはアメリカ社会を代表するアーティストとして認められている。
渡辺:たしかに、ラッパーが「ポップスター」「ロックスター」みたいなポジションになってますよね。
―そういった大きな変化はなぜ見られたのでしょう?
渡辺:まず、リスナーの母数が圧倒的に大きくなりましたね。それは、ストリーミングサービスの台頭と密接に関わっていて。ラッパー1人で何百億回再生とかを稼ぐようになったのが大きいと思います。
でも、それはいきなり起こったことではなくて。たとえば先ほども名前を出しましたが2000年代にドレイク(Drake)やJ.コール(J.Cole)といったラッパーが登場したときに、無料のミックステープをネット上でダウンロードさせていた文化があるんですよね。そしてSNSが発達してきたから、個人でも自分の曲を宣伝することのできるフォーマットが整ってきた。あとTikTokなどを通して、「この曲でこういう振り付けで踊りましょう」というフォーマットの楽しみ方が、ヒップホップのコミュニティー内では広がりました。
そういった要素が積み重なった中で、2010年代に文明とデバイスの進化に追い風を受けて、ヒップホップが爆発的に数字を稼ぐようになったんです。この追い風は、ほかのどのジャンルよりもヒップホップとの親和性が高かったといえると思います。

渡辺志保(わたなべ しほ)
音楽ライター。広島市出身。主にヒップホップ関連の文筆や歌詞対訳に携わる。これまでにケンドリック・ラマー、A$AP・ロッキー、ニッキー・ミナージュ、ジェイデン・スミスらへのインタヴュー経験も。共著に『ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門」(NHK出版)などがある。block.fm「INSIDE OUT」などをはじめ、ラジオMCとしても活動中。
J.コール『The Come Up』(2009年)を聴く(Spotifyを開く)
―その親和性の高さってどこにあるんでしょう?
渡辺:まず、バンドミュージックと違うのはラップトップひとつあれば、すべて自分でDIYできる点。現在、売れっ子になったプロデューサーの中にも、最初はMacに入っているアプリのGarageBandを使って曲を作ったという人もいるんです。自分でトラックを作って、レコーディングして、スマホで撮ったMVをSNSでアップし、宣伝する。そうした一連の作業をラッパーたった1人でできるということだと思います。
荏開津:なんでみんなラップなのかな、って私も考えています。そして、それはオバマ政権も無関係ではない、と思っていて。オバマが大統領になったのは、アフリカンアメリカンの人々にとってすごく自信に繋がったと思うんですよ。だからオバマ政権の前後、2000年代に素晴らしいラッパーがどんどん出てきただけじゃなくて、ラップの内容が変わったのはロール・モデルがいたからで、カニエ・ウェストの大統領選出馬表明がその一番大きな表れではないか、と。
あと、志保さんのバンドの話でいうと、「音楽をやる」というのは、誰かにいいたいことがある、夢がある、理想がある、といった切実さがあるじゃないですか。ただ、ロックバンドって多くの学生が「共産主義」にまだ夢を見られていた時代の形態なのかもしれないなと思うんです。最もロックバンドが盛り上がったのは1960年代後半から1970年代半ばくらいまでですよね。それ以降も有名なバンドはたくさん出てきたけど、それまでのバンドとは違う意味合いになったと思うんですよ。

荏開津広(えがいつ ひろし / 右)
執筆/DJ/京都精華大学、東京藝術大学非常勤講師、東京生まれ。東京の黎明期のクラブ、P.PICASSO、MIX、YELLOWなどでDJを、以後主にストリート・カルチャーの領域で国内外にて活動。2010年以後はキュレーション・ワークも手がける。
渡辺:なるほど。そうかもしれないですね。
荏開津:それが21世紀になったときに、まず音楽をやるときに「みんなでやろう」とならずに、志保さんが言ってくれましたが、インターネットで「1人で始める」と。そこから繋がれますよね。オフラインでも人との繋がり方は変わりました。
渡辺:たしかにそうですね。あと、バンドではまず、コピーから始まる場合が多いじゃないですか。ヒップホップやラップでそれはありえないし、「コピーはかっこ悪い」「オリジナルの作品で勝負するのがクール」という美学がありますよね。
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プロフィール
- 荏開津広(えがいつ ひろし)
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執筆 / DJ / 京都精華大学、東京藝術大学非常勤講師、RealTokyoボードメンバー。東京生まれ。東京の黎明期のクラブ、P.PICASSO、MIX、YELLOWなどでDJを、以後主にストリート・カルチャーの領域で国内外にて活動。2010年以後はキュレーション・ワークも手がけ、2013年『SIDECORE 身体/媒体/グラフィティ』より、ポンピドゥー・センター発の実験映像祭オールピスト京都ディレクター、日本初のラップの展覧会『RAP MUSEUM』(市原湖畔美術館、2017年)にて企画協力、神奈川県立劇場で行われたPort Bの『ワーグーナー・プロジェクト』(演出:高山明、音楽監督荏開津広 2017年10月初演)は2019年にヨーロッパ公演を予定。翻訳書『サウンド・アート』(フィルムアート社、2010年)、『ヤーディ』(TWJ、2010年)。オンラインで日本のヒップホップの歴史『東京ブロンクスHIPHOP』連載中。
- 渡辺志保(わたなべ しほ)
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音楽ライター。広島市出身。主にヒップホップ関連の文筆や歌詞対訳に携わる。これまでにケンドリック・ラマー、A$AP・ロッキー、ニッキー・ミナージュ、ジェイデン・スミスらへのインタヴュー経験も。共著に『ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門」(NHK出版)などがある。block.fm「INSIDE OUT」などをはじめ、ラジオMCとしても活動中。