高橋健太郎と鈴木惣一朗に聞く、フィル・スペクターの光と影

高橋健太郎と鈴木惣一朗に聞く、フィル・スペクターの光と影

2021/04/08
インタビュー・テキスト・編集
黒田隆憲

今年1月16日、アメリカの音楽プロデューサーであるフィル・スペクターが、新型コロナウイルスの感染に伴う合併症により、刑務所から移送された先の病院で死亡した。

スペクターといえば、多人数のスタジオ・ミュージシャンを起用し、深いエコーとモノラルミックスによって「ウォール・オブ・サウンド」、要するに音の壁のようなサウンドスケープを生み出し、ブライアン・ウィルソン(The Beach Boys)や大瀧詠一をはじめ、数多くのミュージシャンに多大なる影響を与えたポピュラーミュージック界の最重要人物の1人である。The Beatlesのラストアルバム『Let It Be』をはじめ、ジョン・レノンやジョージ・ハリスンのソロ作にも深く関わり、Ramonesの名盤『End of the Century』のプロデュースを手掛けたことでも知られている。

しかしその一方で、スタジオで発砲したりマスターテープを持ち逃げしたりと奇行も多く、最後は獄中で逝去するなど手放しでは評価できない部分もある。そのため、音楽的には多大なる貢献をしたにも拘らず、訃報が流れてしばらく経った今もその功績について触れているメディアはごく僅かだ。

そこで今回Kompassでは、音楽評論家の高橋健太郎と、World Standardの鈴木惣一朗という、プロデューサーとしての顔を持つ二人の識者にこの状況についてどう思うか率直に話し合ってもらった。また、フィル・スペクターが生み出したウォール・オブ・サウンドとは一体何だったのか、その音楽的な革新性についてはもちろん、ストリーミングサービスが音楽鑑賞の主流となりつつある今、「裏方」から音楽を掘っていくことの楽しさについても聞いた。

ウォール・オブ・サウンドは、スペクターとラリー・レヴィン、そしてゴールドスターという場所が生み出した魔法(高橋)

―お二人が最初にフィル・スペクターを意識したのは、いつどんなタイミングだったんですか?

鈴木:大学生の頃、吉祥寺によく行く中古レコード屋があって、そこでThe Ronettesのベスト盤を見つけたのが最初かな。当時はニューウェイブやレゲエに傾倒していたから、それ以外の音楽を全部シャットアウトしてたんです。要するに、古い音楽を聴かないようにしていた。ところがThe Ronettesの“Be My Baby”を聴いた瞬間、眼から鱗がぼろっと落ちたというか。乾いていた心に水が入るみたいな気持ちになったんですよね。「あ、素晴らしいグループだな」と。

鈴木惣一朗(すずき そういちろう)<br>1959年、浜松生まれ。音楽家。1983年にインストゥルメンタル主体のポップグループ「ワールドスタンダード」を結成。細野晴臣プロデュースでノン・スタンダード・レーベルよりデビュー。「ディスカヴァー・アメリカ3部作」は、デヴィッド・バーンやヴァン・ダイク・パークスからも絶賛される。近年では、程壁(チェン・ビー)、南壽あさ子、ハナレグミ、ビューティフル・ハミングバード、中納良恵、湯川潮音、羊毛とおはな等、多くのアーティストをプロデュース。2013年、直枝政広(カーネーション)とSoggy Cheeriosを結成。執筆活動や書籍も多数。1995年刊行の『モンド・ミュージック』は、ラウンジ・ブームの火付け役となった。細野晴臣との共著に『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(平凡社)『細野晴臣 録音術 ぼくらはこうして音を作ってきた』(DU BOOKS)ビートルズ関係では『マッカートニー・ミュージック~ポール。音楽。そのすべて。』(音楽出版社)他に『耳鳴りに悩んだ音楽家がつくったCDブック』(DU BOOKS)などがある。
鈴木惣一朗(すずき そういちろう)
1959年、浜松生まれ。音楽家。1983年にインストゥルメンタル主体のポップグループ「ワールドスタンダード」を結成。細野晴臣プロデュースでノン・スタンダード・レーベルよりデビュー。「ディスカヴァー・アメリカ3部作」は、デヴィッド・バーンやヴァン・ダイク・パークスからも絶賛される。近年では、程壁(チェン・ビー)、南壽あさ子、ハナレグミ、ビューティフル・ハミングバード、中納良恵、湯川潮音、羊毛とおはな等、多くのアーティストをプロデュース。2013年、直枝政広(カーネーション)とSoggy Cheeriosを結成。執筆活動や書籍も多数。1995年刊行の『モンド・ミュージック』は、ラウンジ・ブームの火付け役となった。細野晴臣との共著に『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(平凡社)『細野晴臣 録音術 ぼくらはこうして音を作ってきた』(DU BOOKS)ビートルズ関係では『マッカートニー・ミュージック~ポール。音楽。そのすべて。』(音楽出版社)他に『耳鳴りに悩んだ音楽家がつくったCDブック』(DU BOOKS)などがある。

鈴木:そのレコードの表1に、プロデュースをしたのがフィル・スペクターだと大きく書いてあって。もちろん、その前から彼の名前は知っていたけど、どちらかというとThe Beatles周りのフィクサー的な存在というか。音響的なところまでは全然意識していなかったんですよね。で、そのベスト盤を1,000円くらいで買って、「この人のことをもっと知らなきゃ」と思いながら朝まで繰り返し聴いていました。

高橋:僕も大体同じような感じですね。惣一朗さんに比べたら僕は全然ビートルマニアではなくて、どちらかというとアメリカの音楽ばかり聴いていていたのだけど、スペクターのことは「ジョン・レノンやジョージ・ハリスンのソロをプロデュースした人」というふうに認識していました。『Let It Be』(1970年)のプロデューサーだったというのは、後から知ったくらい。でも、やっぱり「スペクターの音」は印象的だから、そういうサウンドを作る人なんだろうな、くらいの印象はありました。

高橋健太郎(たかはし けんたろう)<br>1956年、東京生まれ。音楽評論家、音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニア、音楽配信サイト「ototoy」の創設メンバーでもある。一橋大学在学中から『プレイヤー』誌などに執筆していたが、1982年に訪れたジャマイカのレゲエ・サンスプラッシュを『ミュージック・マガジン』誌でレポートしたのをきっかけに、本格的に音楽評論の仕事を始めた。1991年に最初の評論集となる『音楽の未来に蘇るもの』を発表(2010年に『ポップミュージックのゆくえ』として再刊)。1990年代以後は多くのアーティストとともに音楽制作にも取り組んだ。著書には他に『スタジオの音が聴こえる』(2015年)、2016年に発表したSF音楽小説『ヘッドフォンガール』がある。
高橋健太郎(たかはし けんたろう)
1956年、東京生まれ。音楽評論家、音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニア、音楽配信サイト「ototoy」の創設メンバーでもある。一橋大学在学中から『プレイヤー』誌などに執筆していたが、1982年に訪れたジャマイカのレゲエ・サンスプラッシュを『ミュージック・マガジン』誌でレポートしたのをきっかけに、本格的に音楽評論の仕事を始めた。1991年に最初の評論集となる『音楽の未来に蘇るもの』を発表(2010年に『ポップミュージックのゆくえ』として再刊)。1990年代以後は多くのアーティストとともに音楽制作にも取り組んだ。著書には他に『スタジオの音が聴こえる』(2015年)、2016年に発表したSF音楽小説『ヘッドフォンガール』がある。

高橋:きっと、惣一朗さんが持っているそのThe Ronettesのベスト盤って、1970年代にビクターから出た再発盤でしょう? 

鈴木:(笑)。そうそう、それです。

高橋:僕もそれが出た時に初めてThe Ronettesとか1960年代初期の作品を遡って聴きました。そこでようやく「ウォール・オブ・サウンド」に出会ったという感じかな。

The Ronettes“Be My Baby”を聴く(Spotifyを開く

―フィル・スペクターの代名詞とも言える「ウォール・オブ・サウンド」とは、一体なんだったのでしょう。

鈴木:亡くなった大滝詠一さんをはじめ、たくさんの識者がいるのであくまでも僕の解釈ということにして欲しいのですが(笑)、一言で言えばウォール・オブ・サウンドとは「混沌」ですね。モノラルの音像にエコーをかけているのが特徴というか。1960年代当時すでにステレオもマルチトラックも存在していたし、レコーディングやミックスの技術はどんどん進化していく中、一つのスピーカーから音が「塊」でドーンと出るような、そんなサウンドプロダクションをスペクターは目指していた。それがウォール・オブ・サウンド、音の壁ですよね。

高橋:そういう意味でスペクターは、当時のテクノロジーに対する「反逆者」。それと、スペクターって我々のイメージだと例えばThe Beatlesのメンバーよりもうんと年上じゃないですか。でも実際はスペクターが1939年生まれで(1940年という説も)、ジョン・レノンは1940年、ブライアン・ウィルソン(The Beach Boys)は1942年に生まれています。せいぜい2、3歳しか変わらないんですよ。なのにスペクターって、「オールディーズの人」という感覚ありませんか? 10歳くらい離れている感じがしてしまう。

―確かに。

高橋:でも、1941年生まれのポール・サイモンや、1942年生まれのキャロル・キングとそんなに変わらない。「一人レトロ志向」だったわけですよ。昔のオールディーズの時代の人だから「あの音」だったのではなくて、レトロ志向だったから「あの音」を追求していた。現代はみんながレトロ志向で、アナログ・レコードを聴いたりビンテージの楽器を集めたりしているけど、科学がどんどん進歩し人類は月まで行ってしまうような、そういう時代に一人だけレトロをやっていたのがフィル・スペクターの面白いところかなと思いますね。

―そのレトロ志向が、当時の同世代のミュージシャンにとっては非常に新鮮だったと。

高橋:初めてウォール・オブ・サウンドを聴いたブライアン・ウィルソンは、「これはもう、曲自体がひとつの巨大な楽器だ」と衝撃を受けるわけですよね。「この、渾然一体となったサウンドはなんだ!?」「どうやって作るんだ?」と。当時The Beach Boysが使っていたキャピトルタワーの豪華なスタジオへ行くのをやめて、スペクターが使っていた狭いゴールドスター・スタジオへ行くようになるわけです。「あそこじゃないと、あの音は作れない!」って。

The Beach Boys『Pet Sounds』を聴く(Spotifyを開く

鈴木:狭い録音ブースで、大勢のミュージシャンが一斉に音を鳴らして。当時のレコーディングの様子が写真で残っていますけど、楽器配置もランダムなんですよね。

高橋:なにせベーシストを三人呼んで、同時に演奏させたりしていましたからね(笑)。僕もスペクターサウンドを再現しようと思って、1つのマイクで五人いっぺんにギターのストロークを録ってみようと思ってやったら、全然うまくいかない(笑)。きっと惣一朗さんも経験あると思うんだけど。

鈴木:ありますあります(笑)。

高橋:あれは、ゴールドスタースタジオで、楽器をこう並べてこうマイクを立てると……みたいなことを、エンジニアのラリー・レヴィンが全部把握していたんでしょうね。ウォール・オブ・サウンドは、スペクターとラリー・レヴィン、そしてゴールドスターという場所が生み出した魔法だと思います。

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プロフィール

鈴木惣一朗(すずき そういちろう)

1959年、浜松生まれ。音楽家。83年にインストゥルメンタル主体のポップグループ“ワールドスタンダード”を結成。細野晴臣プロデュースでノン・スタンダード・レーベルよりデビュー。「ディスカヴァー・アメリカ3部作」は、デヴィッド・バーンやヴァン・ダイク・パークスからも絶賛される。近年では、程壁(チェン・ビー)、南壽あさ子、ハナレグミ、ビューティフル・ハミングバード、中納良恵、湯川潮音、羊毛とおはな等、多くのアーティストをプロデュース。2013年、直枝政広(カーネーション)とSoggy Cheeriosを結成。執筆活動や書籍も多数。95年刊行の『モンド・ミュージック』は、ラウンジ・ブームの火付け役となった。細野晴臣との共著に『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(平凡社)『細野晴臣 録音術 ぼくらはこうして音を作ってきた』(DU BOOKS)ビートルズ関係では『マッカートニー・ミュージック~ポール。音楽。そのすべて。』(音楽出版社)他に『耳鳴りに悩んだ音楽家がつくったCDブック』(DU BOOKS)などがある。

高橋健太郎(たかはし けんたろう)

1956年、東京生まれ。音楽評論家、音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニア、音楽配信サイト「ototoy」の創設メンバーでもある。一橋大学在学中から『プレイヤー』誌などに執筆していたが、1982年に訪れたジャマイカのレゲエ・サンスプラッシュを『ミュージック・マガジン』誌でレポートしたのをきっかけに、本格的に音楽評論の仕事を始めた。1991年に最初の評論集となる『音楽の未来に蘇るもの』を発表(2010年に『ポップミュージックのゆくえ』として再刊)。1990年代以後は多くのアーティストとともに音楽制作にも取り組んだ。著書には他に『スタジオの音が聴こえる』(2015年)、2016年に発表したSF音楽小説『ヘッドフォンガール』がある。

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