映画『バビロン』とその音楽にとって「正しさ」より大事だったのは?高橋健太郎が時代考証を踏まえ語る

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映画『ラ・ラ・ランド』で『第89回アカデミー賞』6部門受賞となったデイミアン・チャゼル監督の最新作『バビロン』が、今年2月より公開され話題となっている。物語の舞台は「ゴールデンエイジ」とも呼ばれた1920年代のハリウッド黎明期。サイレント映画からトーキー映画へと移り変わる時代、映画業界で夢を叶えようとする男女の出会いと別れを主軸としつつ、さまざまな登場人物の人生が交差する壮大な群像劇だ。

豪華絢爛な1920年代ファッションや、毎晩繰り広げられる猥雑なパーティー、スケールの大きな映画撮影など見せ場を過剰なまでに盛り込みながら、産業化していくハリウッドが取りこぼした狂乱を「これでもか」といわんばかりに見せつける。なかでもチャゼル作品の常連ジャスティン・ハーウィッツが手がける音楽は、ジャズやラテン、オペラに電子音楽など異ジャンルどうしの頻繁な接触のなかで、カオティックかつエネルギッシュに進化していった当時のアンダーグラウンドなサウンドを「スーパーリアリズム」的な表現で鳴らし観客を圧倒する。

もともとはジャズミュージシャン志望だったチャゼル監督の、音楽に対する「屈折した愛情」が本作『バビロン』ではどのように昇華されているのか。アメリカのルーツミュージックに精通する音楽評論家・高橋健太郎に解説してもらった。

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『元になった俳優やエピソードを上手く再現しているけど、音楽に関しては時代考証が結構でたらめなんです』

─高橋さんは『バビロン』をご覧になって、率直にどんな感想をお持ちになりました?

高橋:3時間以上とかなり長尺ですが、長さをまったく感じませんでした。デイミアン・チャゼル監督らしい、ものすごく詰め込まれた作品で、語り部となるマニー・トレス(ディエゴ・カルバ)の目を通したストーリーという点では一本筋が通っていますが、とにかくたくさんのエピソードが交錯しているし、その一つひとつが1本の映画になるような密度の濃さだから、とにかくぐちゃぐちゃといえばぐちゃぐちゃ(笑)。

『バビロン』予告編

─暴力や性描写も含め、かなり過激な内容が巷では賛否両論ありますね。例えばオープニングもそうですが、サイレント映画のカオティックな撮影シーンやガラガラヘビとの対決シーン、物語後半に登場するアンダーグラウンドなカジノのシーンなど、とにかくてんこ盛り。

高橋:もちろん綿密なリサーチはしているのだろうけど、決して「リアルな映画」ではないんですよね。「スーパーリアリズム」というか、ある意味マンガっぽいところもある。毒の部分というか、ケレン味を含めて楽しむ作品だと思います。あと面白かったのは、序盤ではとにかく物量で圧倒させるのだけど、物語が進むにつれてだんだん寂しくなっていく。

考えてみれば、『ラ・ラ・ランド』もそういう映画でしたよね。「ミュージカル」がコンセプトでしたが、とにかくオープニングがもっとも豪華じゃないですか。大渋滞しているフリーウェイで突然フラッシュモブが起きるのですが、どんどんダンサーが増えていき、しまいには1キロくらい先にいるダンサーも一緒に踊るっていう。冒頭にものすごくお金をかけているのは今回も一緒。いきなり象を登場させたり「そこまでやるか?」と思いました。

『ラ・ラ・ランド』予告編

─今作は、1920年代終わりの短い期間に起きていたハリウッドの狂乱にスポットを当てています。

高橋:サイレント映画からトーキーへと移り変わる1920年代の終わりに時代は一変する。映画ではそんなに細かく描かれていませんが、1930年代に起きた世界大恐慌の影響も計り知れず、黎明期のハリウッドという、やがて崩れ去っていく世界を描いている。

音楽も映画もそうですが、テクノロジーの変化で世界はここまで変わるのだなと再認識させられましたね。自分も音楽業界に40年以上いるので実感するんですよ。同じ楽曲制作でも昔やっていたことと、今やっていることはまるで違うし。そういう移り変わりのなかで、いろんな人々の人生が大きく変わっていく。

─人によっては大成功を収めたり、人によってはそのまま消えていったり。

高橋:トーキーになって、サイレント時代の俳優が没落していったり、逆に「ミュージシャン」の存在感が大きくなったり。そのあたりは町山智浩さんによる解説などを読んでも分かるように、チャゼル監督は相当リサーチしています。実際、元になった俳優やエピソードを上手く再現しているなと思いました。ところが、音楽に関しては時代考証が結構でたらめなんですよ。

─例えばそれは?

高橋:冒頭、スタジオの重役ドン・ウォラック(ジェフ・ガーリン)が主催したホームパーティーで、中国系の歌手レディ・フェイ・ジュー(リー・ジュン・リー)が歌うシーン。

あんなに騒々しい場所で、バックバンドもものすごい爆音で演奏しているなか、彼女はウィスパーボイスで歌うんです。しかもマイクも持たずに(笑)。こんなの、その場に居合わせた人たちにちゃんと聞こえるわけがない。そういう意味では、リアリズムとは程遠いですよね。

『Banylon(Music From the Motion Picture)』より“My Girl's Pussy”を聴く

「1920年代の『ジャズ』は、まだまだ猥雑で雑多な『なんでもあり』のエンターテイメントだった」

─そもそもサイレントの時代にマイクやアンプはあったのですか?

高橋:じつはサイレント映画が始まる10年くらい前からコンサートでも使われています。コンサートのPAシステムは、1910年代には存在していて、1920年代にはラジオが開局しているから当然マイクもあった。その一方、レコード産業はすごく遅れていて、1925年でようやく「電気録音」が始まるんです。それからさらに遅れて映画がトーキーになるんですよね。

高橋:時代考証のでたらめさでいうと、パーティーで流れている音楽は特にそう。しかもチャゼルも音楽を担当したジャスティン・ハーウィッツも、「スーパーリアリズムだからOK」と思ってあえてやっているところもあると思う。

例えば大人数で太鼓をドカドカと叩くシーンで、ものすごい低音が鳴り響くじゃないですか。あんなもの当時あったはずがないけど、現代人はみんなR&Bのキックやシンセベースの重低音に耳が慣れているから、あそこまでやらないことには迫力を感じなくて。

もし、ハリウッド黎明期に「ものすごい低音」を出すとしたら、ああいう大人数のドラムを使うしかないんですよね。最新の機材や楽器は使わず、当時の楽器や機材で今の耳に耐えうるサウンドを出そうと試行錯誤した結果ああなったんだろうなと。

『Banylon(Music From the Motion Picture)』より“Welcome”を聴く

高橋:映像もすごくビビッドじゃないですか。そこも新鮮でした。サイレント映画のスターだったクララ・ボウをモデルにつくり上げたというネリー・ラロイ(マーゴット・ロビー)も、今この時代に存在する人物のように感情移入できるというか。

現代劇ではなく時代劇になると、どうしても表現が「セピア」になりがちですよね。それって現代から見た過去ということで、くすんだ色合いになっていくと思うのだけど、当時を生きていた人の目で見れば、もしかしたら今よりももっとカラフルな世界だったかも知れなくて。そういう見立てでつくり込んだ映像に合わせるとなると、やっぱり音楽もああならざるを得ないのでしょうね。

─昔ながらのデキシーランドやチャールストンを、あのビビッドな映像に当てたらたしかに違和感がありそうです(笑)。

高橋:映画のなかで、シドニー・パーマー(ジョヴァン・アデポ)というトランペット奏者が出てくるじゃないですか。あの時代にあんなトランペットを吹くミュージシャンだっているわけがない。彼のプレイスタイルは完璧にモダンジャズで、1920年代に彼が実在していたらチャーリー・パーカーを超える存在になってしまいます(笑)。

高橋:ちなみにシドニーは、ジャズドラマーのカーティス・モスビーがモデルだといわれています。モスビーは最初期の音楽映画『Music Hath Harms』に出演していました。

モスビーが演奏している音楽も、まだディキシーランドやチャールストンなどが匂うオールドタイミーなジャズで、映画なかの音楽みたいなものではない。あんなにスピード感たっぷりの演奏も、あんなバリバリのアドリブもやっていません。そういう意味で『バビロン』は、音楽的には架空の代物なんですよね。

『Banylon(Music From the Motion Picture)』より“Singin' in the Rain”を聴く

─資料によれば、ハリウッドにはキューバやメキシコ、中国、中東、ハワイ、トリニダードなどのサウンド、前衛的な交響曲やアフリカンスタイルのパーカッション、イタリアのオペラやラテンビート、さらにはテルミンのような電子楽器など異文化の接触が頻繁に行なわれ、そのなかでカオティックかつエネルギッシュな音楽が生まれていたという「見立て」で音楽がつくられたようです。

高橋:1920年代や1930年代は、たしかに「ジャズ」がまだ芸術音楽として確立していなかった。猥雑で雑多な「なんでもあり」のエンターテイメントだったわけです。デューク・エリントンだって最初の頃は、「ジャングルサウンド」というエキゾティックでいかがわしい音楽として認識されていた。

あるいはポール・ホワイトマン・オーケストラみたいに、すべての民族音楽をミックスして「これがジャズ」と謳っていたりして。ジャズ自体、1930年に入るまではそんな音楽でした。だとしたら『バビロン』で演奏していたような「ジャズ」が奏でられていた可能性も捨てきれない。

ただし、当時の音楽中心地はニューヨークとシカゴなんです。ロサンゼルスなんて本当に何もなくて。(笑)。今でこそワーナーやユニバーサルなど最大のレコード会社があるけど、あれはみんな映画系の会社、ロサンゼルスで生まれた新しい会社なんですよね。ワーナーなんて1950年代の終わりにできたんじゃないかな。映画会社が「よし、レコード部門をつくるぞ」といって始めたものだから。

「辻褄なんて合わなくてもいい。正しさに向かう『つまらなさ』より、観客をスクリーンに釘付けにする方が映画は大事という意思を感じた」

─何もない場所だからこそ一攫千金を狙ったアウトローや詐欺師、ペテン師の類いがハリウッドに集まってきたのでしょうね。本作では、ネリーをギャンブルで破産させたギャング、ジェームズ・マッケイ(トビー・マグワイア)の登場シーンがとにかくぞくぞくします。

高橋:さっきも言ったように、サイレントからトーキーになって大儲けした人もいれば、その後の大恐慌で破産した人もいて。ものすごく激動の時代だったのでしょうね。

そういえばメキシコ人や中国人が重要な登場人物だというところも、ハリウッドの歴史を反映するものです。白人、黒人以外の移民にもチャンスがありましたし。1950年代に撮影所の守衛がメキシコ人だったのも、いかにもありそうなエピソードですよね。

─サイレント映画の現場はいくつものセットがセパレーションなしで同時に進行していて、ミュージシャンが撮影セットでの場面を盛り上げる伴奏をしていたのにも驚きました。

高橋:あれはぼくもびっくりしました。録音もできないのに、雰囲気を盛り上げるためだけのために演奏をつけていたのかって(笑)。まったく別の映画のまったく別のセットを、あそこまで密集して撮影していたのが果たしてどこまで本当だったのかな? とも思いましたね。

─音を録音する「必要のない」サイレント映画の現場があんなに騒々しかったのに、音を「選んで」収録しなければならないトーキーの時代になると、今度は物音ひとつ立てられない空間で息を殺して撮影が行なわれていたという、その落差の描き方も面白かったですね。ネリーが何度もNGを出しながら撮影するシーンはとても印象的でした。

高橋:あのシーンは実話に基づくらしいですね。ただ、「1本のマイクだけを使って立ち位置まで厳密に決めて撮影する」みたいなやり方は、最初のうちだけだったようです。

レコーディングスタジオではまだ1本のマイクでボーカルと伴奏を同時に録っていた時代でしたが、映画やラジオドラマの現場ではあっという間にテクノロジーが進み、複数のマイクを用いて俳優たちのセリフとミュージシャンたちの演奏を同時に録音することも可能になりました。トーキーの時代、オーケストラが演奏している横で俳優たちが演技している撮影現場の写真は見たことがありますね。

─ちなみに、マニーがニューヨークの映画館で鑑賞する『ザ・ジャズ・シンガー』は、トーキー映画として上映された初の商業映画で実在するのですよね?

高橋:そうです。あのあたりのことは、以前リサーチしたことがあります。『ザ・ジャズ・シンガー』のときは、音声が入っているシーンもまだ主人公が歌うところなど一部分なんですよね。基本的には字幕が出ていました。それでもものすごい革命だったのでしょう。それまでのサイレント映画は、生で伴奏をつけたりしていたわけですから。

─個人的にはジャーナリストのエリノア・セント・ジョン(ジーン・スマート)が、サイレント映画のスター俳優ジャック・コンラッド(ブラッド・ピット)と話すシーンがとても印象に残りました。彼女はコンラッドに「ゴキブリ」呼ばわりされるのですが、「スターは一度スポットライトを浴びるといつか必ず廃れていく。ゴキブリは闇に潜んでいるから生き残れるのよ」と言います。

高橋:彼女はリアルタイムの「観察者」なのだけど、視点はとても現代的です。「スターはいつか忘れられる。でも、100年後に誰かがフィルムを回せば何度でも蘇ることができるのよ」というセリフは、未来のパースペクティブを持っていないと出てこないですよね。

高橋:だって、過去の映像や音源がネットにアーカイブされていつでもアクセスできるようになったのは、ここ15年くらいのことじゃないですか。1970年代とか1980年代なんて、ちょっと前のモータウンのレコード1枚聴くのだって、結構大変だったんですから。

それはともかく、当時のジャーナリストが持つ影響力の大きさは計り知れないものがあったのだなと思いましたね。誰もが情報を発信できるSNSの時代とは違い、たった一人のジャーナリストが書く記事でその人の人生が大きく変わるということも、当時は多々あったのでしょう。

─ラストシーンもまた驚きの展開ですよね。映画の序盤、「どこに行きたい?」とネリーに夢を聞かれたマニーが「映画のセットに行きたい。何かの大きな一部になりたい」と言いますが、その伏線をあんなふうに回収するとは。

高橋:あれ、最初からチャゼルの頭のなかにあったシーンなのかな。それとも撮影しながら思いついたのだろうか。なにしろ荒唐無稽だし分裂症的だなと思いました。劇中劇というか、映画のなかで映画がかかるシーンはこれまでにもたくさんあったし、つくり手の「映画愛」を示す上でもよく使われる技法ですが、そういうのとはまったく別物という気がしましたね。

映画のなかだから許されることを、存分にやっている。辻褄なんて合わなくてもいいし、正しい時代考証や正しいストーリー構成、正しいメッセージへ行く「つまらなさ」より、観客を3時間もスクリーンに釘付けにすることの方が映画は大事なのだという。そういうチャゼルの意思を感じましたね。

「チャゼルはミュージシャンとしては上手くいかなくて、音楽業界に対する恨みみたいなものを感じる」

─高橋さんがデイミアン監督を注目したのは、やはり『セッション』から?

高橋:そうです。菊地成孔さんが『セッション』をブログで酷評しているのを読んで(笑)、逆に興味が湧いて観に行ったんですよ。たしかに「ジャズ映画」として観ると、この監督のジャズのとらえ方は古い。

『セッション』予告編

高橋:現代には現代のジャズをやっている人たちがいるわけだけど、ある意味古いジャズ、しかも学校で習うようなジャズを夢中になって演奏しているのは違和感がありますし、あれがミュージシャンに受けないのは当たり前だなと(笑)。音楽映画ではあるものの、音楽的な趣味の良さとは無縁なんですよね。

そのセンスみたいなところは『バビロン』でも同じような感想を持ったかな。例えば『Coda コーダ あいのうた』とかさ、ジョニ・ミッチェルの“Both Sides Now”をあんなふうに使われたら「うわああ!」ってなるじゃないですか(笑)。

『Coda(Soundtrack from the Apple Original film)』より“Both Side Now”を聴く

─あははは、たしかに。

高橋:そういう音楽的に趣味の良い映画があるけど、それとは対極にあるような音楽映画ばかりチャゼルは撮る。ジャスティン・ハーウィッツという作曲家も、彼の音楽性の中心がどこにあるかはまだよく分からないですね。ジャズに対するとらえ方は、『セッション』『ラ・ラ・ランド』そして『バビロン』とどれもよく似ていますが。

『バビロン』は100年近く前の物語なのに、出てくるのはモダンなジャズ。一方『ラ・ラ・ランド』で主人公のセブ(ライアン・ゴスリング)がいつか開きたいと思っているジャズクラブのイメージは、ものすごく古臭いんですよ(笑)。要するに、現代劇の『ラ・ラ・ランド』と時代劇の『バビロン』、どちらも時代がずれた音楽が鳴っている。

─そこまでいくと、わざとやっている可能性もありますね。個人的にデイミアン・チャゼルの映画は、『セッション』も『ファースト・マン』も、そして今作『バビロン』も、何かに取り憑かれた人の「狂気」を描いているという意味で共通していると思うんです。

高橋:ミュージシャン志望だったんですよね、チャゼルは。でもミュージシャンとしては上手くいかなくて、音楽業界に対する恨みみたいなものも最初から感じられる(笑)。ちょっと露悪的にやっているからなのかな。

いずれにせよ、取り憑かれたような映画の撮り方をしていますよね。低予算で撮影した『セッション』で大きな話題を集め、『ラ・ラ・ランド』の大成功で得た予算をふんだんに使って今度は『バビロン』のような映画をつくる。「ハリウッドの歴史を扱う映画をつくりたい」といえば、そりゃお金も集まるじゃないですか(笑)。そこには彼の上昇志向とアクの強さを感じます。

高橋:ちなみに『セッション』は、クライマックスで主人公アンドリュー・ニーマン(マイルズ・テラー)が交通事故を起こしますよね。あそこで彼は昏睡状態になったとぼくは解釈しているんですよ。だって、あんな交通事故を起こした直後に全力疾走なんてできるわけがないじゃないですか(笑)。

なので、事故の後に起きていることはすべて主人公の脳内イメージ。そう考えると全部辻褄が合うんです。そういうのも、さっきも言ったように「映画だからできること」ですよね。映画は別にリアルなストーリーじゃなくてもいいわけだから。

─確かに『ラ・ラ・ランド』のラストシーンも映画だからできることでした。というか、ミュージカル自体が映画だからこそできることですよね。

高橋:これまで話してきたように、『バビロン』も映画だからこそできることの連続でした。これ、ドラマとしてリメイクしても面白そうですよね。だってあれだけたくさんのエピソードがてんこ盛りなので、それぞれの機微はそんなに描かれていないじゃないですか。例えばネリーがギャンブルでどんなふうに負けたのか分からないし、とにかく膨大な情報をものすごい圧縮して見せているわけだから。

─確かに。コンラッドがどうやってサイレント映画のスターになったのか、シドニーがトーキー時代からどう活躍していくのか、本編の前日譚や後日譚も見てみたい。Netflixとかでぜひシリーズ化してほしいです。

高橋:そうそう(笑)。サイレントからトーキーへと転換するところも、基本的には一つのエピソードしか描かれてないけど、もっと段階的にいろんなことがあったはず。そんなことを想像しながら映画を観るのも楽しいんじゃないかな。

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作品情報
『バビロン』

2023年2月10日(金)より公開

監督・脚本:デイミアン・チャゼル
音楽:ジャスティン・ハーウィッツ
配給:東和ピクチャーズ

出演:
ブラッド・ピット
マーゴット・ロビー
ディエゴ・カルバ
ジーン・スマート
ジョヴァン・アデポ
リー・ジュン・リー
P・J・バーン
ルーカス・ハース
オリヴィア・ハミルトン
トビー・マグワイア
マックス・ミンゲラほか
プロフィール
高橋健太郎 (たかはし けんたろう)

1956年、東京生まれ。音楽評論家、音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニア、音楽配信サイト「ototoy」の創設メンバーでもある。一橋大学在学中から『プレイヤー』誌などに執筆していたが、1982年に訪れたジャマイカのレゲエ・サンスプラッシュを『ミュージック・マガジン』誌でレポートしたのをきっかけに、本格的に音楽評論の仕事を始めた。1991年に最初の評論集となる『音楽の未来に蘇るもの』を発表(2010年に『ポップミュージックのゆくえ』として再刊)。1990年代以後は多くのアーティストとともに音楽制作にも取り組んだ。著書にはほかに『スタジオの音が聴こえる』(2015年)、2016年に発表したSF音楽小説『ヘッドフォンガール』がある。



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