今年最初にして、最大級の話題を集めるであろう作品、マカロニえんぴつのメジャー1stアルバム『ハッピーエンドへの期待は』がリリースされた。昨年11月にデジタルで発表された“なんでもないよ、”が配信チャートを席巻し、年末には「日本レコード大賞」の最優秀新人賞を受賞と、結成10周年イヤーとなる2022年をこれ以上ないかたちで迎え、いよいよこの国の音楽シーンのトップへと踊り出る——そんな予感と手応えを確かに感じさせる作品だ。
今回筆者はSpotifyのオリジナルプレイリスト「Liner Voice+」ではっとりのインタビューを実施。そのなかから主にバンドの精神性に関する発言を抜粋し、なぜ彼らがいま多くのリスナーから支持されているのかを考察した。現代において、「ともに強く生きるために、何もない自分を愛する」ということがいかに重要か。そんな時代性を強く映し出した作品であるように思う。
「みんないまの世の中で、どこか疑いながらもハッピーエンドを望んでるんじゃないか」
マカロニえんぴつのメジャー1stアルバムは、現在公開中の映画『明け方の若者たち』の主題歌として書き下ろされた“ハッピーエンドへの期待は”の多声コーラスで幕を開ける。
映画の原作小説の作者・カツセマサヒコが、以前、「『明け方の若者たち』にエンドロールや主題歌があるなら、マカロニえんぴつの“ヤングアダルト”一択。この曲が発表されたとき、強くそう思いました」とツイートしていた。たしかに、大学生から社会人へという「人生のマジックアワー」における絶望と、その先のわずかな希望を描いた『明け方の若者たち』の物語は、“ヤングアダルト”の<ハロー、絶望 こんなはずじゃなかったかい? でもね そんなもんなのかもしれない>という歌詞と見事にリンクしている。
そして、プログレッシブな展開で季節の移ろいを描きながら、<愛してるよ、ぜんぶ足りなかった毎日>と歌う“ハッピーエンドへの期待は”は、“ヤングアダルト”のその後を描いているかのようだ。
はっとり:このタイトルは作中に出てくる「ハッピーエンドは望めねえよ」っていう台詞がインスピレーション源になっていて、アルバムタイトルにした理由は、何となく文字で見たときにしっくり来たっていうのが率直な理由ではあります。ただ、きっといまのバンドの状況的にも、世間の状況的にも、どこかで疑いながらも、ハッピーエンドを望んでるんじゃないかと思ったんです。
僕らとしても「メジャー一年目」っていう不安のなかで、思うようにものごとが転がらない瞬間も多々あったんですよ。それでも負ける気はしてなかったというか、メンバーそれぞれがハッピーエンドを信じてたからこそ、上手く一年転がった気がするんです。来年(2022年)はこのアルバムがスタートになるので、さらにいい一年にしたいっていう望みも込めて、このタイトルはすごく合うんじゃないかなって。
絶望と表裏一体の希望を歌う“ヤングアダルト”を収録したアルバム『hope』は、2020年4月にリリースされた。まさにコロナ禍に突入するタイミングであり、何もかもが混乱し、ライブ活動も制限されたなかにあって、それでも『hope』はジワジワと聴かれ続け、Spotiyが2021年に発表した「国内で最も再生されたアルバム」の10位にランクインするロングセラーとなった。それは文字通り『hope』という作品が多くの人にとっての希望となった証であり、それはバンド自身にとっても同じだったはずだ。
マカロニえんぴつ『hope』を聴く(Spotifyを開く)
早くから「ネクストブレイク候補」と呼ばれながらも、なかなかブレイクし切れなかった季節を経て、結成10周年目で迎えた現在の状況。<どんな夜のことを思い出してしまってもね 悲しくはないのだ>という“ハッピーエンドへの期待は”の終盤のラインは、この10年で越えてきたいくつもの夜や、いくつもの絶望に想いを馳せながら、ここからまた物語が始まることを示しているように感じられる。
「この一年は、自己肯定しないと生きづらいと感じる場面が多かったように思う」
テレビアニメ『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』のオープニング主題歌として、メジャーからの最初のリリースとなった“生きるをする”から、『映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』の主題歌として、バンドが以前から掲げていた「全年齢対象ポップスロックバンド」を体現した“はしりがき”までのアルバム前半は、「自分を愛すること、自分を肯定すること」がテーマになっているように感じられる。
“生きるをする”の<僕が僕を愛し抜くこと なあ、まだ信じてもいいか?>や、“はしりがき”の<ただ あなたには自分を愛してほしいだけなのです>もそうだし、Oasisの“Whatever”風のストリングスが印象的な“メレンゲ”の<また僕を好きになりたい>も、同様のテーマだと言えよう。
はっとり:“生きるをする”は主人公のダイというより、コンプレックスを抱えながらもそれを表に出さずに頑張るポップというキャラクターを自分と重ねる部分も大きかったんですけど、当時の世の中はいまよりもっと沈んでいたので(“生きるをする”のリリースは2020年9月)、「生きる・死ぬ」ってことを考えざるを得なかったし、自問自答の時期だったのかもしれないです。「何をして生きてるときの自分が好きなんだろうか」と考えながらも、そんなことを考える暇もないくらい楽しい日々に早く戻りたいとか、そんなことも思ってたかもしれないですね。
マカロニえんぴつ“生きるをする”を聴く(Spotifyを開く)
はっとり:“メレンゲ”もその頃の気持ちとリンクしていて、この曲は「JR SKISKI」のキャンペーンソングだったんですけど、CMがコロナ禍の影響で、「みんなでスキーに行って、そこで恋が生まれる」みたいな映像じゃなくて、「一人でスキーもいいんじゃない?」っていう内容になったので、それで自分に恋をするというか、自分をもう一度好きになるっていう歌になったんです。だから、この一年はそういう一年だったんでしょうね。自己肯定をちゃんとしていかないと生きづらい、そう感じる場面が多かったんだと思います。
マカロニえんぴつ“メレンゲ”を聴く(Spotifyを開く)
アルバム前半を締め括る7曲目に置かれたのは、はっとりが姉の結婚式で歌うためにつくった曲で、ファンの間では音源化が待ち望まれていた“キスをしよう”。これまでのマカロニえんぴつのラブソングは、報われない関係性や、過去の失恋を振り返るようなものが多く、そのせつなさが人気の要因にもなっていた。しかしここでは幸せな二人の関係性を、会話を織り交ぜたはっとりらしい筆致で綴り、弾き語りでまとめている。
はっとり:結婚式で<冷めないで 消えないで>とか歌っちゃダメじゃないですか? だから、渋々幸せな歌になりました(笑)。まあ、歌詞を書くときは自分でフィルターとか壁をつくっちゃうときがあって、照れもあったから、これまでは「報われてどうするんだ」とも思ったりして。
でもこれは結婚式で歌う歌で、それこそ誰もがハッピーエンドを望んでるわけだから、照れる必要もなかったというか。なので、ここで一個自分の殻を破れて、この曲がなかったら、“なんでもないよ、”は書けなかったかもしれない。そういうきっかけになってくれたので、姉貴には感謝してます。
「音楽を聴きたくないと思うこともある。それでも歌は自分にとっての希望」
「自分への愛」から「他者への愛」へと視点が切り替わった“キスをしよう”を転換点に、アルバム後半は「他者とのつながり」を感じる曲が続く。その理由のひとつは、まずメンバー全員が作曲を手掛けるマカロニえんぴつの強みを生かした、個性的な楽曲が並んでいるということ。
もうひとつは、AOR調の“裸の旅人”が「キャンプ」、ギタリスト・田辺由明のハードロック愛が爆発した“TONTTU”が「サウナ」と、2021年のトレンドが楽曲のテーマになっているのだが、「ソロキャンプ」に代表されるように、これらは「一人」を見つめ直すことによって逆説的に「つながり」を再考するトレンドだったように思われる。
そんななかでも特に印象的なのが、キーボードの長谷川大喜が作曲した“ワルツのレター”。獄中で手紙を書く受刑者のドキュメンタリーに着想を得て、もう一度希望と絶望を見つめ、他者とつながる手段としての「歌」への想いを書き記している。
はっとり:絶望と希望の正体はいまもわからなくて、じつは絶望に背中を押されてるんじゃないかと思ったりもします。希望こそすごく曖昧なものだとも思うけど、自分がそういうものを見失いかけたときに、「何か」がそれに気づかせてくれることで救われたりする。その「何か」が僕にとっては「歌」なんです。
音楽を仕事にしちゃうと、音楽を聴きたくないと思う瞬間もあったりはするんですけど、それでもやっぱり自分のモチベーションを上げてくれるのは「歌」だし、自分にとっての希望です。なので、希望を見失ってる人に対して、俺がこの歌を歌ってる間はこれを希望にしてくれて構わないっていう、押しつけがましいけど、そんな想いがあった気がします。
どうしたら自分を愛せるのか? 一つの答えは、誰かに必要とされること
自分と他者を見つめ続けたアルバムが最初の帰結を迎えるのが、昨年11月にリードトラックとして配信が開始され、大きな反響を呼んだ“なんでもないよ、”。生感の強いピアノと、無機質だけどグルーヴ感のある電子ドラムの組み合わせが、冷たくも温かい独特の音像をつくり出し、耳元で歌っているようなはっとりの歌が印象的なこの曲は、<僕には何もないな 参っちまうよもう>と歌い出した主人公が、最後の一行で<君といるときの僕が好きだ>と自分を肯定する、感動的なラブソングだ。
はっとり:何もないところから自分を好きにはなれないんですよね。「これをしてるときの自分が好き」とか「誰々といるときの自分が好き」とか、そうやって自分のことを好きになっていくと思うから、この曲で一番言いたかったのは最後の一行です。
「好き」に理由づけは必要ないはずなのに、どうしても言葉を探しちゃって、でもやっぱりどんな言葉も野暮に感じられて、結局何も言えなくなっちゃう。それでも最後の最後にやっと、飾らない言葉で想いを伝えてるんですよね。
人を好きになるのってエゴだと思うんです。「一緒にいてくれ」もエゴだし、「先に死なないでくれ」もエゴ。でもそれがリアルだし、僕も誰かに必要とされたらどんなに辛くても頑張れますもん。歌の言葉はきれいに飾ってしまいがちだけど、この曲は飾ることをしなかった、飾らないラブソングなんです。それがたぶん、ジワジワ届いていったのかなって。
「多様性」という言葉の裏側で膨れ上がった「みんなには何かがあるけど、僕には何もない」という絶望的な自意識が行く当てもなくさまよう現代。スマートフォンの画面を通じて立ち現れる「みんなには何かがある」は、実際のところ大抵幻想だったりするのだが、それをそうと割り切ることは決して簡単なことではなく、何もない自分を愛せないがゆえに、他者を傷つけてしまったりもする。
それでも、そんな自分を必要としてくれる誰かがいることが希望になって、自分を肯定することができるはず。いまの時代に何より必要なのは、そんな「他者を通じて自分を愛するためのラブソング」であり、それを飾らない言葉で歌った名曲が“なんでもないよ、”なのではないだろうか。
DISH//への提供曲“僕らが強く。”は「メンバーの想いを汲んで書き上げた」
アルバムがさらなるクライマックスを迎えるのが、DISH//への提供曲のセルフカバー“僕らが強く。”。<笑ってたいんじゃなくてね、笑い合ってたいのだ>と「共生」を描く、いまを生きるすべての人々に贈られる人生賛歌だ。
マカロニえんぴつ“僕らが強く。”を聴く(Spotifyを開く)
はっとり:ちょうどコロナ禍で自分たちの活動が止まり気味だった時期に楽曲提供の話をいただいて、この曲を書いたことで僕自身が救われました。書き下ろしではあるんですけど、メンバーから直接いろんな言葉をもらって、その気持ちを汲みながら書いた曲で、タイトルも(DISH//のボーカル&ギター・北村)匠海からもらって。
彼らの言葉からは「ロックバンドでいたい」という想いが強く感じられて、そのことに対する自信や確信も強く感じられたことが、自分も同じバンドマンとしてすごく嬉しかったです。
この言葉どおり、“僕らが強く。”はDISH//のメンバーの想いを強く反映した楽曲であることは間違いない。それでも「提供曲」であることによって、客観的に自分を見つめたことで、表現者としてのはっとりの本質が自分のバンドの曲以上に強く表れているようにも思う。
この曲の主人公はいまも愛を探しているし、「生きるをする」ことから逃げずに立ち向かおうとしている。<逃げ場所を守るためだったら僕も行く、僕らも戦うよ>というラインは、インディーズ時代に発表した“ハートロッカー”で<形にならないこの気持ちの 逃げ場所になってくれ>と歌っていたように、自分たちが誰かにとっての逃げ場であり続けることをもう一度宣言している。
そして、<足りないものばかりの僕らなら 何度も出会えるからね>と、何もない僕らだからこそ、ともに生きることの重要性を歌う。「自分である」ことと「他者とつながる」ことは決して矛盾することではなく、この二つが両立してこその「共生」であることを、このラインは端的に示している。僕らはともにいることで、強く生きていける。
はっとり:独り占めしたいわけじゃなくて、分け合いたいし、笑い合っていたいんです。チームとして、ファミリーとして、くじけそうでもみんなで笑ってる。そういう小さな塊がいろいろ集まって、場所を分け合って、気持ちを分け合って、生活をしてるんだと思います。だから、この歌が抱えるキャパシティーはすごく壮大です。包容力のある曲だと思いますね。
アルバムのラストを締め括るのは、「帰る場所」について歌う“mother”。マカロニえんぴつの旅は、またここから続いていく。
はっとり:いまだに僕らのつくる歌のなかの人たちはどこにも落ち着いてないんですよ。これからも青春を問い続けるだろうし、帰る場所を探し直し続けるだろうし、つながったはずの関係性をわざと断ち切ってまで他とつながろうとするだろうし。
このアルバムはかなりつくり込まれていて、やり切った実感はあるんだけど、かなりとっ散らかってもいるんですよね。ただ、ファーストアルバムの『CHOSYOKU』が乱暴に散らかってたのに対して、このアルバムはあえて散らかしてる感じがする。収まっていたくない、ずっと満足していたくない、そういったメジャー一年目ならではの気持ちも乗っかってたりして。でもこのアルバムをつくったことによって、いつでも帰って来れる場所ができた気がします。
『ハッピーエンドへの期待は』が「邦ロック最新の名盤」である理由
最後に、マカロニえんぴつの音楽性について少し触れさせてもらうと、彼らの音楽は古今東西のアーティストや楽曲をかき集め、そのオマージュやパロディーを楽しみつつ、自分たちなりのロック / ポップスに落とし込んでいることが大きな魅力となっている。
“ハッピーエンドへの期待は”からはQueen、“メレンゲ”からはOasis、“mother”からはWeezerといったアーティストの面影が浮かび、“なんでもないよ、”に関しても、LA出身のシンガーソングライター / プロデューサーのgnashが2018年に発表し、日本でもTikTok経由でバズを起こした“imagine if”のサウンドメイクをリファレンスとしたことをはっとり自身が語ってもいる。
そして、それらの曲にはメンバー4人の個性が反映され、ジャンルはごく自然とミックスされ、ときにユーモアも交えながら鳴らされる。はっとりが敬愛するユニコーンがまさにそういったバンドの代表だったわけだが、もともと日本のロックはそうやって海外の音楽を引用・参照しながら、独自の発展をしてきた。
はっとりの声が「似ている」とよく言われるMr.Childrenの桜井和寿の先達にはエルヴィス・コステロがいるし、2000年代以降の日本の「ギターロック」の雛形をつくり上げたといえるASIAN KUNG-FU GENERATIONも、初期にはWeezerそっくりの曲があった。「ジャパメタ」の系譜にも連なる“TONTTU”は、かつての日本の音楽シーンにとって一番距離の近い洋楽のジャンルがHR/HMであり、その人気がいまも根強いことを伝えてもいる。
一部の日本のロックが日本の音楽だけを参照につくられるようになったのは、2000年代後半くらいからだろうか。それはそれだけ日本のロック文化が豊かになったことの証拠ともいえるが、そこにはつねにちょっとした閉塞感がついて回っていた感も否めない。
それに対して、マカロニえんぴつの音楽はある意味オーセンティックだが、非常に開かれていて、自由を感じさせる。加えて、現代的なDTM感覚もあり、素晴らしくポップなメロディーのセンス(歌だけではなく、楽器も含めて)と、世代意識を撃ち抜く言葉のセンスを併せ持つことで、確かなオリジナリティーを獲得している。そんな文脈から、僕は『ハッピーエンドへの期待は』を、賞賛の意味を込めて「邦ロック最新の名盤」と呼びたい。
なお、『ハッピーエンドへの期待は』はインディーズ時代も含めれば通算3作目のフルアルバムだが、ユニコーンの3枚目のフルアルバムが「はっとり」の名前の由来である『服部』であった。そして、ユニコーンはその後にバンド史上随一の傑作と名高い『ケダモノの嵐』を発表している。だいぶ気の早い話だが、マカロニえんぴつの次の作品がいまからとても楽しみだ。
- リリース情報
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- マカロニえんぴつ
『ハッピーエンドへの期待は』通常版(CD) -
2022年1月12日(水)発売
価格:3,300円(税込)
TFCC-867991. ハッピーエンドへの期待は(映画『明け方の若者たち』主題歌)
2. 生きるをする(テレビアニメ『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』オープニング主題歌)
3. 八月の陽炎(大正製薬「コパトーン」CMソング)
4. 好きだった(はずだった)(TBS系『王様のブランチ』2021年4月~9月テーマソング)
5. メレンゲ(JR SKISKI 2020-2021 キャンペーンテーマソング)
6. はしりがき (『映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』主題歌)
7. キスをしよう
8. トマソン(ブルボン「濃厚チョコブラウニー」CMソング)
9. 裸の旅人(ColemanウェブCM「灯そう」テーマソング)
10. TONTTU
11. ワルツのレター(TBS系『news23』新エンディングテーマ)
12. なんでもないよ、
13. 僕らが強く。
14. mother(テレビアニメ『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』エンディング主題歌)
- マカロニえんぴつ
- プロフィール
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- マカロニえんぴつ
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2012年はっとり(Vo / Gt)を中心に神奈川県で結成。メンバー全員音大出身の次世代ロックバンド。はっとりのエモーショナルな歌声と、キーボードの多彩な音色を組み合わせた壮大なバンドサウンドを武器に圧倒的なステージングを繰り広げる。