シティポップの世界的ブームの背景 かれらの日本という国への目線

シティポップの世界的ブームの背景 かれらの日本という国への目線

2021/07/09
テキスト・編集
山元翔一(CINRA.NET編集部)
イラスト:アボット奥谷

シティポップという言葉に含まれるナショナリズム的な危険

柴崎:あと、これは自分を含めて日本のジャーナリズムに対して釘を刺しておく意味で、現在のシティポップバブルって、過度な「日本ボメ」みたいな欲望、もっと直接的に言えばいびつなナショナリズムみたいなものと結びつく危険性もあると思うんです。

たとえば、アジア各地のメロウな音楽を、背景の文脈を無視してなんでもかんでも「〇〇(国名)シティポップ」みたいに言うこともあるけど、そこに、ぬぐいがたい日本中心主義みたいなものを感じてしまったりもして。

あとは、「アジア各国で日本のシティポップが流行っているのは、彼らが、かつてシティポップが流行していた時代の(憧れの的であった)日本の経済力にようやっと追いついてきたからだ」みたいな見方もあったり。いや、ことはそんな単純じゃないだろう、という。

もちろん「シティポップ」という言葉自体がバイラルに広がっていることは健全な状況だと思うんだけど、少なくともジャーナリズムや産業側の人間はその行き過ぎに関しては神経質になるべきなんじゃないかなと思うわけです。

松永:そうですね。そこは文脈の跳躍が起こってることにも関係していると思っていて。「いま世界で流行しているシティポップは、日本で1970~80年代につくられた音楽です」としたときに、安直に「昔の日本はすごかった」に文脈が跳躍しているというか。

もともと日本でシティポップと呼ばれていた音楽は、アメリカやイギリスのAORや、ソウルミュージックから影響を強く受けたもの。海外で起きている流行を率直に取り入れてゆくという命題があったわけで。

柴崎:ブラックコンテンポラリーとかAORみたいなメロウな音楽が世界的に覇権を持っていた1980年代は、世界同時的に日本もアジア各国もアジア以外も、やっぱり欧米、とくにアメリカのヒット曲から影響を受けていたわけで。よくも悪くもですが。「シティポップ」って言葉だけをひとり歩きさせると、そういう1980年代の前提的な文脈が剥奪されておかしなことになってしまいますよね。

Filtr Japanによるプレイリスト『Best of AOR CITY』を聴く(Spotifyを開く

国分友里恵『Relief 72 hours』(1983年)を聴く(Spotifyを開く

柴崎:だから、シティポップブームを寿ぐのはいいのだけど、それが「日本スゴイ論」に回収されるのは個人的にすごく違和感がある。トランスナショナルなものとして人をつなぎつつあるシティポップのポジティブな機能を毀損することにもなるんじゃないかと。

これは主にわれわれジャーナリズム側の責任なんですけど、うまく対応していかないと、そのうちガハハおじさんみたいな人たちが「よくわからんがシティポップの企画出しとけ!」とか言い出しかねない(笑)。

松永:まあ、すでに各レコード会社でそんな狂騒がはじまってるっぽいですけどね(笑)。

柴崎:「日本は、西洋の文化を上手く消化して、他アジア地域に再流通させる最も優秀なハブを担ってきた」っていう、いわゆるハイブリティズムっていう概念が伝統的にあって。

これって、あえて乱暴にいれば、「先生(アメリカ)のいうことを普通の生徒たち(他アジア所属)に噛んで含むように教える優秀な学級委員のぼく」みたいな、そういう言説なんですけど……。

「日本ボメ」文脈におけるシティポップって、「西洋の再解釈は日本がいちばんうまくて、他の東南アジア周辺の連中はそれを享受してる」みたいないびつな世界観すら簡単に描けてしまうマジックワードなんですよね。だからそこに関しては相当自制的に考えていかなきゃいけないなという気持ちがあります。

松永:それはすごくわかります。

海外のリスナーは、シティポップをオリエンタルなものとして聴いているのか?

松永:ただ、かつて日本の音楽というと、ある種のオリエンタリズム、エキゾチズム(註6)に彩られたものしか欧米のマーケットではウケにくいとみなされていた状況があったじゃないですか。

尺八や琴の音を使ったフュージョンとか。それはそれでオリジナリティがあるし、ぼくも好きなんですけど、そういう傾向が強かった時代からするといまのシティポップは、古風なオリエンタリズムを押し出さずにヒットしている稀有な例かもと思いますね。

柴崎:YMOも「セルフ・オリエンタリズム」的な意匠を打ち出していたわけで。

松永:そうそう。

柴崎:海外から向けられた日本への視線を内在化する、っていう転倒的なもの。それを批評的にやっていく方向性が当時の海外向け戦略のデファクトスタンダードでもあった。

Yellow Magic Orchestra“東風”(1978年)を聴く(Spotifyを開く

柴崎:でも多くのシティポップ系アーティストたちは、そういうセルフ・オリエンタリズム的な戦略をやろうとはしてなかったわけで。むしろコスモポリタンな意識で、自分が好きな米国産音楽から素直に影響を受けた音楽をやっている、という意識だったはずで。サウンドはストレートに海外志向だけど、それゆえに意識的に海外マーケットを射程に捉えた音楽ではなかった……という逆説がある。

いまそういうものがブームになっている状況は、松永さんがおっしゃったような「ハラキリ」「ゲイシャ」みたいな古典的なオリエンタリズムが衰微して以降、要するにポピュラー文化の流通において西洋が絶対的な覇権を失ったインターネット以降の興味の持たれ方だと思うんですよね。

松永:たしかにね。

柴崎:一方でさっき話した「1980年代のポジティブさ」の裏面として、初期のヴェイパーウェイヴで顕著に見られる表象なんですが、1980年代以降の「テクノ・オリエンタリズム」(註7)のようなもの――要するに、テクノロジー大国たる日本の表象が無機質で不気味なものとして捉えられるという、いわば更新されたオリエンタリズムが、シティポップブームのなかも受け継がれているようにも思っていて。

Yellow Magic Orchestra“テクノポリス”(1979年)を聴く(Spotifyを開く

柴崎:映画『ブレードランナー』(1982年公開、原作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の初版は1968年)とかウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』(初版発行は1984年)みたいなサイバーパンク的世界観における日本的要素の描写を思い浮かべてもらえればわかりやすいんですが、もしかしたら、そのテクノ・オリエンタリズム的な感覚自体が、集合的なノスタルジーとして西欧社会でリバイバルしてる可能性もあるのかなと思うんです。

松永:あの当時の作り手が持っていた「ものすごく強い西洋への憧れ」が玉手箱のなかで保存されたままになっていて、その輝きだけが現代にビカビカっと届いてる。時間も場所も離れたところにいるリスナーにはその強さが不思議だし魅力的に見えるんでしょうね。

さまざまな文脈が絡み合う海外でのシティポップ評価を、われわれはどのように捉えるべきか

柴崎:なぜそれがリバイバルしたかというと、いま欧米すらも黄昏ているなかで、1980年代当時の日本の、高度資本主義が高速で回転している広告型社会のあり方が、ノスタルジアの対象になってるんじゃないかと思うんです。そこには、ある種の自虐のような気持ちもありながら(註8)。

あえて意地悪く言うと、日本の経済的な失墜があったからこそ安心して心をくすぐられるというか、結局テクノ・オリエンタリズム的な世界観は完徹されなかったっていう西洋社会のいびつな安堵感もあるのかもしれない。そういう意味では、オリエンタリズムも未だかたちを変えて残存してるのかもしれない。

松永:そこは全然否定できない気がします。もちろんいまは強いリスペクトにかたちを変えてはいるんだけど。

柴崎:それは欧米の音楽ジャーナリズムでもある程度自覚されている論点のようで、『Pitchfork』とか『VICE』とかのシティポップの記事を見てると、そこに切り込もうとする論調のものもあったり。

一方で、現場でレコードをプレイしているの人のなかには、「いやいや、われわれは子どもの頃から日本のアニメとかいっぱい見てるから、そんなオリエンタリズムみたいな気持ちは別にないし」みたいに反駁する例もある。そして、それも説得力がある。

松永:たしかに、「Adult Swim」(アメリカのアニメ専門チャンネル「カートゥーン ネットワーク」の夜の放送枠)って割と重要で。

Thundercat世代のアメリカのミュージシャンに話を聞くと、あの時間帯に日本のディープなアニメを見て感化され、そこから他のカルチャーも深掘りしたって言う人は多いんですよね。『カウボーイビバップ』(註9)とかが向こうで人気出たのはその枠だったからだし。


Flying Lotusの“More”のビデオを手がけたのは、「Adult Swim」経由でLo-Fi Hip Hopの作家にも影響を与えた『カウボーイビバップ』や『サムライチャンプルー』などで知られるアニメ監督・渡辺信一郎 / 関連記事:アニメと共振するテン年代のUSラッパーたち。響き合う作品世界(記事を開く

プレイリスト『カウボーイビバップ』を聴く(Spotifyを開く) / 関連記事:『カウボーイビバップ』のサントラと、優れた音楽演出(記事を開く

柴崎:もちろんはっきり分けることのできないグラデーション的な状況だとは思うんですけど、かつての日本産シティポップがそういうふうにまなざされている可能性もある、ということは言っておきたいですね。

「ポップスの本場たる西洋に認められた、やったー」ってことじゃなくて、非常に複雑な意識がかたちを変えて存在している可能性もある。そこへの想像力を持っといてもいいんじゃないかって、これはわれわれジャーナリズム側の話なんですけど(笑)。

松永:うんうん。そうですね。

柴崎:すみません、ちょっとややこしい話になりました。

松永:でもこれはすごく大きな問題ですよね。

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プロフィール

松永良平(まつなが りょうへい)

1968年、熊本県生まれ。大学時代よりレコード店に勤務し、大学卒業後、友人たちと立ち上げた音楽雑誌『リズム&ペンシル』がきっかけで執筆活動を開始。現在もレコード店勤務のかたわら、雑誌 / ウェブを中心に記事執筆、インタビュー、ライナーノーツ執筆などを行う。

柴崎祐二(しばさき ゆうじ)

1983年埼玉県生まれ。音楽ディレクター、評論家。編共著に『オブスキュア・シティポップ・ディスクガイド』、連載に「MUSIC GOES ON 最新音楽生活考」(『レコード・コレクターズ』)などがある。2021年9月に編著を務めた『シティポップとは何か』(河出書房)の刊行を控えている。

芦澤紀子(あしざわ のりこ)

ソニーミュージックで洋楽・邦楽の制作やマーケティング、ソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE)で「PlayStation Music」の立ち上げに関わった後、2018年にSpotify Japan入社。

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