2021年、ショパンコンクールを賑わせた「かてぃん」こと角野隼斗。東京大学大学院卒という異例の経歴を持つ彼は、クラシックのみならずジャズやポップス、ロックの分野のアーティストとも積極的にコラボを行ない、そこで得たものを自身の演奏にフィードバックさせ、クラシック音楽の固定観念を打ち壊す試みを果敢に行なってきた。
一方、藝大出身で角野と同じく東京大学大学院を修了した江﨑文武は、クラシックをルーツに持つピアニストでありながら、バンド「WONK」の頭脳として活動し、オーセンティックなサウンドにテクノロジーを組み合わせ「ポップミュージック」のフィールドを拡張し続けている。
そんな二人はいま、テクノロジーによってクラシックを更新しようと考えていた。
「昔から練習は好きじゃなくて、譜面どおりに弾くより自分で曲をつくるほうに興味がありました」(江﨑)
─お二人とも時代やジャンル問わずさまざまな音楽を吸収されてきたと思うのですが、そのなかでも「クラシックとの出会い」はどのようなものだったのでしょうか。
江﨑:ぼくが最初に意識したのはクラシックではなくビートルズだったんです。両親ともいろいろな音楽が好きな人で、家ではいつもビートルズやカーペンターズ、クイーン、モーツァルト、チェット・ベイカーなどが流れていて。
ピアノを習い始めたのがクラシックを聴くようになったそもそものきっかけなのですけど、演奏していて「いいな」と最初に思ったのがエドヴァルド・グリーグの抒情小曲集にある“ノクターン(Op.54-4)”だったんですよね。「なんて綺麗な曲なんだろう」と感動して、分解して調べたりもしました。それがクラシックに没入していく原体験ともいえます。
角野:その頃から曲づくりもしていたんですか?
江﨑:小学一年生くらいからやっていました。昔から練習は好きじゃなくて、譜面どおりに弾くより自分で曲をつくることのほうに興味があって。本当はやっちゃいけないことなんですけど、ベートーベンやバッハを弾きながら、終わりのほうを勝手につくり替えて演奏してたんですよ。「こっちのほうが好き!」みたいな感じで(笑)。
角野:ぼくは、母親がピアノの先生なので、自然とピアノを習うわけですが、最初のうちは何が何だかよくわからないまま、言われたものを弾いていたんです。「いいな」と思って好きになったのは、7歳のときに出会ったフレデリック・ショパンの“ワルツ 第14番 ホ短調 遺作”。ダイナミックで激情的で、弾いていて楽しいというか、曲に入り込める体験を初めてそのときにしたんですよね。
角野:ぼくは江崎さんと違って、家で音楽が流れているみたいな体験をしてないんですよ。だから羨ましいなと思うんです。ビートルズも、名前を知ったのが中学生くらいのときで。
江﨑:でも、他の音楽に寄り道せずストイックに練習をしていたからこそ、いまの角野くんがあるのかもしれないね。
「昔の作曲家がつくったクラシック作品を演奏するなかで、みんな自分自身のアイデンティティーを探すようになるんです」(角野)
江﨑:角野くんが、クラシック以外の音楽を聴くようになったのは中学生くらいの頃?
角野:はい。その頃って、いわゆる反抗期みたいなのあるじゃないですか。それまでは割と優等生的にクラシックを聴いてきたし、ピアノも練習は好きじゃなかったけど本番は好きでずっと続けてきて。
ロックなどを聴くようになったのは中学生のとき。友人の影響もあったし、父親もその頃になって初めてクイーンやヴァン・ヘイレンなどを教えてくれたんです。一緒にTSUTAYAへ借りに行ったり、その頃にX JAPANを知って「ドラムやりてえ!」と思ってドラムを始めてみたり(笑)。そんな感じで中学生の頃に一旦、自分の気持ちがクラシックから少し離れたんです。
江﨑:ぼくは逆に、中学生になってビル・エヴァンスと出会い、それまでいろんなジャンルの音楽を聴きあさっていたのがいきなりジャズ一辺倒になるんですよ。図書館へ行って「ジャズ」の棚を片っ端から借りてiPod nanoに入れて、ひたすら聴きまくるということをしばらくしていました。「エヴァンスみたいにピアノを弾くにはどうしたらいいんだろう?」と考えるようになり、そこでピアノが「お稽古ごと」ではなくなったんですよね。誰に言われたわけでもなく、和声の積みを研究していました。
角野:周りにもエヴァンスの話ができる友人はいたんですか?
江﨑:ジュニアオーケストラに入ったとき、コントラバスの先輩とドラム&パーカッション奏者の友達ができたから、3人でピアノトリオを組んでセッションしていました。実際に演奏しながら「あ、なるほど。ベースがルートを弾いているから、ピアノは左手でルートを弾かないようになっているんだ」とか、そういうのをみんなで研究していましたね。その頃はBUMP OF CHICKENや東京事変などみんなこぞって聴いてたけど……。
角野:例に漏れずぼくも聴いていましたよ(笑)。
江﨑:ですよね(笑)。でも、ぼくはその頃はジャズにどっぷりハマっていたので「いいから後期のマイルス(・デイヴィス)を聴け!」みたいな感じの少年でした。角野くんは、いつぐらいから曲づくりにも興味を持つようになったの?
角野:遊びで作曲とかは、ぼくも小学生くらいの頃からしていたような気がするんですけど、何かの曲を聴いて「あ、これを取り入れたいな」みたいな思考が働くようになったのは、本当に最近のこと……2、3年前とかですね。
編曲や即興演奏などは中学生くらいからやっていて、そうすると自分のなかでバリエーションが溜まっていくわけじゃないですか。それで自然とカバーをやるより、オリジナル曲をつくるほうが楽しくなっていった気がします。
角野:あと、クラシックって昔の作曲家がつくった作品を演奏するわけだから、そのなかでみんな自分自身のアイデンティティーを探すようになるんですよ。結果として、例えば坂本龍一さんや上原ひろみさんのように自分でオリジナル曲をつくっている現在進行形のアーティストに憧れを抱くようになるわけです。「俺もこういうのやりたいな」って。それが中学生くらいの頃でした。
─そこからどうやって再びクラシックに戻っていったのですか?
角野:中学の頃とかゲーム音楽も好きだったんですけど、そこにはクラシック音楽との接点もあるわけです。例えば『キングダム ハーツ』などの音楽を手がける下村陽子さんは、(セルゲイ・)ラフマニノフに影響を受けているなとか。『ドラゴンクエスト』の曲にある十二音技法(1オクターブの12の音を均等に使用)は、アルノルト・シェーンベルクが創り出したのかとか。
そうやってわかりやすくリファレンスを作品のなかで示してくれていると、さまざまな年代、ジャンルの音楽もどこかでつながっているんだなと実感できるじゃないですか。そこに面白さを見出す感覚って、じつは中学の頃から無意識のうちにあった気がします。大学生になってクラシックピアノを再開しようと思ったのも、そういう体験があったからだと思いますね。
江﨑:本格的に再開したのって大学に入ってからなんだ。確かその頃は「東大ピアノの会」(クラシックピアノを弾くサークル)や「東大POMP」(バンドサークル)にも所属していたんでしょう? ポップスやクラシック、バンドミュージックなどを並行してやっていたんだね。
角野:そうなんです。だからいまの活動スタイルというのは、大学一年生の頃とさほど変わってないんですよね(笑)。
江﨑:ぼくもそうかな。交友関係も含めて大学生の頃からあんま変わってない。
「コンピュータープログラミングでつくった曲が、200年後には『クラシック』になっているかもしれない」(江﨑)
江﨑:世間一般的に「クラシック」という、何か独立したジャンルのようなものがあると思われていますけど、そうではなくて、ある年代において人類史に刻まれるほど音楽的な実験に成功した作品群の蓄積が、クラシックに「なっていく」ということだと思うんですよね。
ここ最近はコンピュータープログラミングで曲をつくっている人たちがたくさんいますが、そういう意味では200年後にはそういう曲が「クラシック」として残っているかもしれない。そう思うとクラシックもポップスもジャズもロックも、つながっていて当たり前というか。ずっと受け継がれてきたものだとぼくは思うし、元ネタをたどっていく行為はめちゃくちゃ楽しいんですよね。
─WONKが「エクスペリメンタルソウルバンド」と名乗っている理由も、「ソウル」という伝統的な音楽に「実験性」を加えてアップデートさせることを目指しているからなのかな、といま話を聞いていて思いました。
江﨑:なるほど。確かにそういうところもあるかもしれない。新作『artless』で「ドルビーアトモス」(頭上を含む3次元空間に音を鳴らし、深み溢れるサウンド体験を可能にする音響技術)を採用したのも、つねに音を使って「これから」を切り拓く何かを作り続けようという気持ちからなので。
角野:何か新しい試みを取り入れなければ、という気持ちは大学で研究していた頃からぼくもありましたし、音楽の道を選んだとしてもそこは変わらないんだなと思います。もちろん、ただ新しいことをやるだけじゃなくて、いまおっしゃったようにレジェンドたちがこれまで何をなし得たかを知ることも当たり前に必要なことで。
─WONKが3DCGライブをやったり、角野さんが6Gを駆使したNTTドコモとの取り組みをしたりしているのも、音楽やアート、カルチャーをアップデートしていくうえで「テクノロジー」が重要な鍵を握っていると思っているからですか?
NTTドコモが開発中の、人の動きや感覚を他の人やロボットに伝送する技術「人間拡張」を活用し、綾瀬はるかが角野とシンクロし、流暢にピアノを演奏する
江﨑:例えばピアノの進化の過程で音楽のスタイルも変わってきたように、いまに限らず、アートや音楽はテクノロジーとともに進化してきた歴史がありますよね。それと同じように、いま新たなテクノロジーがあって、取り入れられるのであれば取り入れてみたくなります。これまでも音楽はテクノロジーにリードされてきましたけど、これからのことでぼくが最近「どうなっていくのだろう?」と思っていることの一つに、「空間」と「音楽」の関係性があるんです。
角野:「空間」ですか。
江﨑:大昔に洞窟で動物が叫んで、そこから「音楽の原型」みたいなものができて、響きを認識したとすると、それが教会で再現されるようになり、その後コンサートホールやライブハウスのような音楽を演奏する目的の「空間」がつくられていったわけですよね。当然、その空間によってやる音楽が変わってきた、それをぼくはずっと「空間が音楽を規定してきた」と感じてきたんですね。でも、テクノロジーによって、次は「音楽が空間を規定する」ということが起こる思っているんです。
例えばヘッドマウントディスプレイなどを使って、どれだけリアルに「空間」を見せて視覚に訴えかけたとしても限界があるのだけど、そこに聴覚に訴えかける情報を乗せると一気に没入感が増す。Netflixなどで、サラウンド音響対応のコンテンツを見ていると、森のシーンになると空間が広がるような音響になるし、部屋のなかのシーンになるとデッドな音響になるんですよね。「音響デザイン」という観点でいえば、ゲーム業界や映像業界のほうが音楽業界よりも先に行っている気がします。これからぼくら音楽家も、もっと意識的に空間を創出していったら面白いと思う。
角野:ゲーム音楽で思い出したのですが、いまのゲーム音楽って決まったものを流すだけでなくて、自分の行動によって音楽がシームレスに変わっていくインタラクティブミュージックになっているんですよね。それってジェネラティブミュージック(コンピューターのアルゴリズムによって生成される音楽)にも通じるし、BGMの概念も変わっていくんだろうなと。
江﨑:そうだね。そういうアルゴリズムに依拠したり、偶然性をはらませたりする音楽のつくり方だって、遡っていけば十二音技法もその一つだし、ジョン・ケージもサイコロを使って作品に偶然性を持ち込むなど、似たような試みをやっていますよね。
角野:モーツァルトの「音楽のサイコロ遊び」(2個のサイコロの合計によって、16小節のピアノ曲をつくる)もそうですよね。偶然性を用いて何かを生み出そうという発想は、いつの時代にもあったんでしょうね。
「『何か音楽的な新しい発明するなら今だぞ!』という気がしますし、それが次の『クラシック』になるかも知れない」(江﨑)
江﨑:いま話したような、ジェネラティブもしくはインタラクティブな音楽表現が、「奇をてらったもの」としてではなく花開いたのは、ここ最近だと思います。
─それはなぜでしょうか。
江﨑:受け取るときのフォーマットが多様になったからじゃないですかね。音楽をコンサートホールで聴くだけの時代から、録音物を経てゲームソフトのなかで聴くようになっていったことで、ジェネラティブであることの面白さがより伝わりやすくなったというか。
角野:コンサートって「一回性」の表現ですから、そこで行なわれていることがジェネラティブであるかどうかはわからないですからね(笑)。ゲームで同じところをグルグル回っていて、音楽が変化しているのに気づいたときに初めてそれがジェネラティブだとわかるわけで。
江﨑:そう。最終的なアウトプットのフォーマットがいま、そうやって転換しつつあるから「何か音楽的な新しい発明するならいまだぞ!」という気がします。それがうまくいったら、次の「クラシック」になるかも知れない。
角野:大抵のクラシック音楽はコンサートホールで演奏することを前提としているから、そのなかでどれだけ面白い実験ができるかについてはつねに考えているんですけど、何かそういう音響的な実験をする余地ってあるんですかね。
江﨑:芸大に行っていたときに面白いと思ったのは、中世の音楽を演奏するときに、中世の音響を再現してしまう試み。中世のある教会の音響を当時の図面や建築部材からシミュレーションして、その空間の「鳴り」を別の場所で擬似的にスピーカーで再現するということをやっていて(笑)。それはめちゃくちゃ面白いと思ったな。結構気持ち良かったし。
角野:そういえばぼくも、家でピアノを弾いているときにそれをマイクで拾ってリバーブを強めにかけて、コンサートホールっぽい音響のなかで練習するということは試しました(笑)。
江﨑:ああ、それいいね(笑)。
─空間の響き方によって、演奏の仕方も変わってきますよね。
角野:明らかに変わりますね。
─ということは、中世の音響を擬似的に再現したなかで、中世の頃に作られたピアノで演奏したら、演奏も中世っぽくなるかも知れないですね。
江﨑:あはははは(笑)。以前、森美術館に『ストラディヴァリウス 300年目のキセキ展』(2018年)を観に行ったら、ストラディヴァリウスの工房の音響を、建築図面から想像して、当時の工房の響きの中でそれぞれの楽器の音を聴かせる、みたいなことをやっていて面白かったですよ。意外とデッドな空間だったんだなって。
角野:そういえば、一度フランスのリヨンの教会でショパンを弾いたことがあって、それがめちゃくちゃ難しかったんですよ。相当テンポを落とさない限り、どうやっても音が濁ってしまうというか。その濁りを受け入れて演奏しなければならなくて。
江﨑:だからやっぱり、演奏されるコンテンツと建築というのはつねにセットというか。モノフォニックだったものがポリフォニックになっていって、より早いパッセージの演奏が求められるようになっていくという具合に、当時の建築の様式と、音楽スタイルには深い関係があったんでしょうね。
先日、建築家の方とそういう授業をやったんですけど、バロック様式みたいなものが出てきて、装飾が複雑になってくると、音が吸収されるから響き過ぎなくなって、それでバッハのように、細かいフレーズや和声を含んだ音楽が成立するようになったとか。そのちょっと前までは単旋律の音楽が楽しまれていて、そのときはツルッとした天井の高い教会で演奏されていたらしいんですよね。そういうところだと響き過ぎるから、複雑な和声が濁ってしまうんです。
角野:そうか。逆にいえば、音数が少なくてもめちゃくちゃ響くから成立するわけですね。
江﨑:そうそう。だからきっと、角野くんが演奏したリヨンの教会にも、適した年代の曲があるんだろうね。
角野:そうですね。ショパンは絶対合ってなかったんだろうな……。
江﨑:(笑)。話を戻すと、だからクラシック音楽における音響の扱い方にはまだ余地がたくさんあって。音響とテクノロジーを利用すれば、何か新しい音楽が生まれるかもしれないですよね。それこそサカナクションさんなどが使っているライブ会場でサラウンド音響を聴かせるシステムを、クラシックの演奏家が使ったらどうなるのかは興味があります。
角野:クラシックの世界ではPAを導入するのは邪道という風潮があるし、ぼくもできれば生で演奏したいと思っているんですけど、例えば武道館みたいな場所で、開き直ってPAを駆使しまくって音響を作り込んで、それですごいものができるならやってみる価値はありますよね。
江﨑:PAを入れることに抵抗がある気持ちもわかります。各年代においてその作品が書かれた意味や適した空間というものがあるからね。だったら新曲書き下ろしで、武道館でオーケストラというメンバー構成のフォーマットで、あの音響に最適化したPAありきの曲を作ってみるとか(笑)。
角野:そういう方向性だったらめちゃくちゃ楽しめそうですよね。
- プロフィール
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- 江﨑文武 (えざき あやたけ)
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⽇本の⾳楽を再定義するエクスペリメンタルソウルバンド「WONK」のキーボディスト。2016年に1stアルバムを発売して以来、国内有数の⾳楽フェス出演や海外公演の成功を果たし、ジャンルや世代を超えた国内外のビッグアーティストへ楽曲提供・リミックス・演奏参加するなど、⾳楽性の⾼さは多⽅⾯から⽀持されている。2020年6⽉に4枚⽬のフルアルバム『EYES』をリリース。フル3DCGによる配信ライブを⾏ない、Twitterのトレンドトップ10に⼊るなど話題に。2021年2⽉には⾹取慎吾⽒とのコラボ曲“Anonymous (feat. WONK)”をリリース。テレビ東京系ドラマ『アノニマス〜警視庁“指殺⼈”対策室』において初のドラマ主題歌を担当した。2022年5月、アルバム『artless』をリリースした。
- 角野隼斗 (すみの はやと)
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1995年生まれ。2018年、東京大学大学院在学中に『ピティナピアノコンペティション』特級グランプリ受賞。これをきっかけに、本格的に音楽活動を始める。2021年、『第18回ショパン国際ピアノコンクール』でセミファイナリスト。これまでに読売日本交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団等と共演。2020年、1stフルアルバム『HAYATOSM』(eplus music)をリリース。オリコンデイリー8位を獲得。クラシックで培った技術とアレンジ、即興技術を融合した独自のスタイルが話題を集め、「Cateen(かてぃん)」名義で活動するYouTubeチャンネルは登録者数が95万人超、総再生回数は1億回を突破(2022年3月現在)。新時代のピアニストとして注目を集めている。