荏開津広×渡辺志保が語る、2020年の注目プロデューサー

シンガーやラッパーとは異なり、本来は裏方であったはずの「音楽プロデューサー」。普段、彼らにあまり注目していない人も多いかもしれない。しかし、彼らに着目することで、これまでとは異なる音楽の聴き方ができるはずだ。

世界の音楽シーンに精通するライター渡辺志保と、多彩なカルチャーに横断的な視点を向ける荏開津広による対談の第3回。今回は、2人が「プロデューサー」という人々を意識した瞬間を振り返るとともに、2020年注目のプロデューサーを紹介する。

2人が体験した、「プロデューサー」を意識した瞬間

左から:渡辺志保、荏開津広

―今回、「プロデューサー」に焦点をあててお話をお聞きしたいと思います。そもそも、お二人がリスナーとして最初にプロデューサーというポジションを意識されたのはいつからですか?

荏開津:それまでもポップミュージックは聞いていたんですけど、ジャンルとしてはヒップホップからですね。本格的に音楽を聴き始めたのはヒップホップからなので。

渡辺:それは1980年代の後半ぐらいからですか?

荏開津:1980年代の半ばですね。その頃はまだ日本にヒップホップの情報って全然入ってきませんから、とにかくヒップホップのレコードを買ってクレジットを見る。ヒップホップを扱っている数少ない海外の雑誌を読んで、プロデューサーの名前を知っていったんです。後から知ったのは、ZeebraさんやK DUB SHINEさん、もしくはメジャーフォースの人たちも同時期に同じことをしていたということです。

荏開津広(えがいつ ひろし)
執筆/DJ/京都精華大学、東京藝術大学非常勤講師、東京生まれ。東京の黎明期のクラブ、P.PICASSO、MIX、YELLOWなどでDJを、以後主にストリート・カルチャーの領域で国内外にて活動。2010年以後はキュレーション・ワークも手がける。

荏開津:例えば、「TOP10 RAP RECORDS RIGHT NOW」とか「10 Breakbeats Record」みたいな記事で。その過程で、シルヴィア・ロビンソン(Sylvia Robinson)と、リック・ルービン(Rick Rubin)では作る音が違うんだなと。

―一番最初に衝撃を受けたプロデューサーとかいるんですか?

荏開津:初期エレクトロのデイビーDMX(Davy DMX)とかですね。幼い頃から、ビートルズとかは流れてくるんですよね。でも、ヒップホップを聴いて、幼い頃に聴いた音楽とは全然違うんだなと思ったんです。

当時は「エレクトロ」って呼ばれていたんですけど、後にテクノやハウスになってくるような、インストの曲が売れていたのが私はすごいなと思って。展開もほとんどないし、歌詞もない。

デイビーDMX“One For The Treble”を聴く(1984年 / Spotifyを開く

渡辺:それで曲が成立するんだ、みたいな衝撃はありますよね。

荏開津:そうそう。時々シャウトみたいなものが入ってくるだけで。こんな音楽もありなのか、と。構造がそもそもビートルズなど、それまで慣れ親しんだ音楽とは違うので「すごい!! これは発明だ!!」と思いました。リック・ルービンがプロデュースしたDef Jamの最初のシングル“It's Yours”(T La Rock & Jazzy Jay / 1984年)を聴いたとき、ドラムとスクラッチ、それにガヤだけのトラックを本当にすごいと思いました。実際に、それが40年近く続いていくDef Jam帝国の始まりなわけです。

T La Rock & Jazzy Jay“It's Yours”を聴く(Spotifyを開く

渡辺:たしかに発明ですよね。

―渡辺さんはいかがですか?

渡辺:私も割と明確に覚えていて、自分が小学校5年生のときなので、1994か1995年くらいのときですね。当時、デトロイトに住んでいた叔父に、黒人の歌手が歌っている曲がすごくかっこいいと思うけど、これは何なんだろう? と話をしたら、「それは多分、R&Bだと思う」と教えてくれて。

映画の『天使にラブ・ソングを…』(エミール・アルドリーノ監督 / 1992年)がすごく流行ったときにも、そこで歌われる歌が、「J-POPとは全然違う音楽だ」と、荏開津さんと同じことを思ったんです。普段、テレビで流れる音楽や、歌い方とは全く違うから、「なんだこれは!」と衝撃を受けて。

渡辺志保(わたなべ しほ)
音楽ライター。広島市出身。主にヒップホップ関連の文筆や歌詞対訳に携わる。これまでにケンドリック・ラマー、A$AP・ロッキー、ニッキー・ミナージュ、ジェイデン・スミスらへのインタヴュー経験も。共著に『ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門」(NHK出版)などがある。block.fm「INSIDE OUT」などをはじめ、ラジオMCとしても活動中。

渡辺:その叔父が日本に帰国したときにお土産にくれたCDがジャネット・ジャクソン(Janet Jackson)の『Janet』(1993年)と、ボーイズⅡメン(Boyz Ⅱ Men)の『Ⅱ』(1994年)っていうアルバムで。ただし、『Janet』はリリックがCDに添付されているブックに書いてあるけど、『Ⅱ』は書いてなくて。それでも一生懸命、プロデューサーの名前が載ったクレジットを歌詞と勘違いして読んでたんですよ(笑)。

ジャネット・ジャクソン『Janet』を聴く(Spotifyを開く

―(笑)。

荏開津:小学校5年生で! 早熟ですね!

渡辺:ただ、そこで「あれ?」と思って。2曲目も3曲目も同じことが書いてあることに気づいて、それが人の名前であることに気づいたという。そこで初めて、楽曲を作る人の名前を認知しました。

そのあと、CDを買い集めていくうちに、「自分の好きな曲には絶対にこの人の名前がある」っていうことがわかりはじめましたね。

ボーイズⅡメン『Ⅱ』を聴く(Spotifyを開く

渡辺:中でも、よく覚えているのはジャネットのプロデュースでも有名なジャム&ルイス(Jam & Lewis)と、ダラス・オースティン(Dallas Austin)なんですよ。私が好きな曲は全部、このダラス・オースティンが作っているなって。

そしたら、彼が安室奈美恵さんのシングル曲である“SOMETHING 'BOUT THE KISS”(1999年)をプロデュースして。そのあたりが初めて意識したプロデューサーの仕事かもしれないですね。

安室奈美恵『SOMETHING 'BOUT THE KISS』を聴く(Spotifyを開く

―プロデューサーを意識して、音楽の聴き方って変わりましたか?

渡辺:そうですね。自分の嗜好のひとつの指針がプロデューサーなんだなって認識しました。そのあと、R&Bやヒップホップにハマって過去の音楽とかを掘り下げるタームに入るんですけど、そのときに聴く楽曲を選別する基準のひとつになりましたね。自分の好きなプロデューサーの過去曲だとか、誰のリミックスだとか。

荏開津:ヒップホップは、曲によってはビートとラップだけですもんね。だから、プロデューサーが違うだけで、全く違う音楽になると思います。

極端な例ですが、2000年頃にいわゆるリリックを重視したヒップホップの動きがニューヨークやLA、ベイエリアでありました。タリブ・クエリやヤシン・ベイ(Mos Defとしても知られる)とかが出てきたシーンですね。その中でも優れたラップをしていたけど地味な存在だったJ-Tredsというアーティストのシングルを、DJ KENSEIさんやD.O.I.さんからなるインドープサイキクス(Indopepsychics)というグループが原曲と全く異なるリミックスをしたんです。多分、これからもっと評価が高まると思いますが、この“Praise Due”はエレクトロニカにも繋がるし、日本のヒップホップともいえなくもない、と思っています。

J-Tredz“Praise Due (Indopepsychics Remix)”を聴く(2011年 / Spotifyを開く

渡辺:ただ、私の場合は原体験が1994年だから、当時は日本においても小室哲哉さんらに大きなスポットが当たっていた時代で。だから、好きな曲の向こう側にはプロデューサーという存在がいるっていう意識は自然と植えつけられていたと思います。歌手とか演奏家じゃなくて、プロデューサーが音楽を作っている認識があったのは荏開津さんの時期と少し違うかもしれませんね。

2020年注目のヒップホッププロデューサーをピック

―2020年の活躍を注目しているプロデューサーを教えてもらいますか?

渡辺:今年、勢いを伸ばすのはAXLビーツ(AXL BEATS)っていう、UKドリルのプロデューサーですね。

荏開津:ここしばらくの勢いがとうとうアメリカで大きな形になったUKドリルですよね。その話、したかったんです。

渡辺:2019年の夏くらいから、アメリカではUKドリルのサウンドが流行っていて。AXLビーツはその重要な担い手なんですよね。

昨年、ブルックリン出身のポップ・スモーク(Pop Smoke)というラッパーが“Welcome to the Party”をリリースしたら、すごく流行って。ドリルミュージックって、10年くらい前にシカゴで流行りはじめたんですけど、それがUKに飛び火したんですね。

注釈:2020年2月19日(現地時間)、ポップ・スモークは滞在先のロサンゼルスで射殺され、20歳の若さでこの世を去った。本取材は、1月下旬に実施されたもの。

―もともとは、チーフ・キーフ(Chief Keef)などによって広まった、不穏なビートが特徴のサブジャンルですね。

渡辺:そしてUKの流行だったグライムの音と合体して、独自の「UKドリル」シーンを作りました。ポップ・スモークが新しかったのは、アメリカのドリルではなく、UKドリルの音をわざわざ持ってきて、自分でラップしたという点。アメリカのヒップホップシーンって割と閉鎖的なので、国外のビートメイカーを起用することってかなり珍しいんです。

でも、ポップ・スモークはそれをやって自身のシグネイチャーサウンド、つまり「型」を新しく作り出したんですよね。実際、彼のヒットを皮切りに、Fivio Foreign、22Gz、Sheff Gという勢いのある若いラッパーたちが次々頭角を現し始めて、新しい「ニューヨークドリル」や「ブルックリンドリル」と呼ばれるシーンが生まれ、そこにAXLビーツのビートも使われているんです。

ポップ・スモーク“Welcome to the Party”を聴く(2019年 / Spotifyを開く

渡辺:しかも、2019年の12月25日にドレイクが出した久々の新曲もAXLビーツのビートを使っていたんですよ。ドレイクって、カルチャーバルチャー(バルチャーは「ハゲタカ」の意味)と呼ばれるぐらい、流行を貪欲に吸収するタイプなんですね。ときにその姿勢が叩かれることもあるんですけど。その彼が注目しているので、半年後には相当ビッグなムーブメントになっているのではないかと思います。

Drake“War”MV

荏開津:ヒップホップの歴史って、ニューヨークから始まって40年くらい経っているんですけど、その地域が広がっていくたびに新しいサウンドが生まれますよね。前回もリック・ルービンを例に話をしたこととも繋がるんですけど(参考記事:荏開津広×渡辺志保が振り返る、2019年ラップ界の注目トピック)、それまでのシーンとかコミュニティーに異質のものが入ってくることで、シーンが拡大するようになっています。音楽ファンにはカニエ・ウエストがインディーフォークのアーティストであるボン・イヴェールとかとコラボしたりしているのは分かりやすいかもしれませんが、例えば、2000年代以降でヒップホップやR&Bで一番大きな動きは、サウスの動きじゃないでしょうか。

1990年代から少しずつ動きがあって、Netflixのドキュメンタリー『アート・オブ・オーガナイズド・ノイズ』の主役であるプロデューサーチームのオーガナイズド・ノイズとかまで遡れますよね。クリス・ロックの出身地であるジョージアのタパハノックという本当に小さな町を個人的に知っているんですが、その町出身のアーティストが世界的に有名になったということ、逆にいえばあそこまでヒップホップやR&Bが届いていたということにものすごくびっくりしました。

一般的な話に戻すと、大体ビヨンセも南部出身ですし、2020年代のヒップホップの動きを大きく左右すると思われる才能、ミーガン・ジー・スタリオンもヒューストンのラップの土壌がなければ存在しないわけで……。いわゆる「バイブル・ベルト」と呼ばれるアメリカ合衆国でもクリスチャンの保守的なイメージの、南部の昔からあるコミュニティーに異質で新しいカルチャーであるヒップホップが入り込んだということだとも考えられますよね? 翻ってやっぱりUKのコミュニティーはアメリカとは違う。だからUKのプロデューサーとがっつりと組んでヒットが生まれたのは珍しいし新しいことだと思います。

渡辺:そうなんですよ。R&Bシーンやポップスのシーンとなるとまた違うんでしょうけど、特にヒップホップにおいては珍しい。数年前にスケプタ(Skepta)が初めて全米ツアーを行ったり、ほかにもストームジー(Stormzy)など評価の高いラッパーはすでにいたんです。でも、ビートメイカーにスポットが当たった例はなかなかありませんでした。

スケプタ『Konnichiwa』を聴く(2016年 / Spotifyを開く

―UKのプロデューサーが注目される時代になったということですね。ほかにも、注目のプロデューサーはいますか?

渡辺:個人的に注目している2人目のビートメイカーは「30ロック(30Roc)」ですね。

荏開津:おお。

渡辺:彼はマイク・ウィル・メイド・イット(Mike Will Made-It)って今や大御所級のプロデューサーが作ったイヤードラマーズというプロダクションに所属していて。彼が作ったロディ・リッチ(Roddy Ricch)の“The Box”という曲がとにかくヒットしているんですよ。

どれくらいのヒットかというと、ジャスティン・ビーバーの“Yummy”も、フューチャー×ドレイク“Life Is Good”も太刀打ちできなかったくらい、“The Box”はビルボードのシングルチャート首位を独走しています。彼のアルバム『Please Excuse Me for Being Antisocial』も1位をマークしているし、2020年に入って集計されたチャートは、とにかくロディ・リッチがシングル、アルバムともに強い、というイメージです。で、そのヒット曲“The Box”のビートを作ってるのが30ロック。

彼はこれまでもトラヴィス・スコットなど大物のプロデュースも手掛けてるんですけど、ビートが斬新っていうかキャッチーで、特に“The Box”はTik Tokでブレイクしたんです。

“The Box”が収録されたロディ・リッチ『Please Excuse Me for Being Antisocial』を聴く(2019年 / Spotifyを開く

―“The Box”は、どういうところが斬新だったんでしょう?

渡辺:イントロのつかみがキャッチーですよね。この「イ・ウ」って音あるじゃないですか。彼自身が動画で説明していたんですが、ロディ・リッチがビートを聞いたときに「イ・ウ」ってアドリブで自分から入れたらしいんですよ。30ロックも、「え? 『イ、ウ』ってなんなの」って思いながら。

―ハハハ。

渡辺:それをずっとループしたら、ハマったみたいなんですよ。それがTik Tokで使われて、人気が爆発したみたい。

そしてもう1組は、ウィージー(Wheezy)。彼は3年前からアトランタで活躍してすでに名前は知られているプロデューサーですね。フューチャーのお気に入りというか、秘蔵っ子で、ヤング・サグ(Young Thug)の楽曲なども手掛けています。

私はアトランタシーンやトラップのサウンドが好きなんですが、私が勝手に「第4トラップ世代」と呼んでいる音を作っているのがウィージーだと思っています。すでにたくさんミリオンヒットを持っているんですが、2020年はこれまで以上にヒットを生むんじゃないかなと。

ヤング・サグ“Hot”を聴く(2019年 / Spotifyを開く

渡辺:最後に、ビートの流行としてはリル・ウージー・ヴァート(Lil Uzi Vert)が昨年末にリリースした“Futsal Shuffle 2020”ってシングルがあるんですけど、もはや全然ヒップホップでもトラップでもなくて、どちらかというとベースミュージック的なサウンドなんですよ。これに合わせて、高速フットワークダンスをみんな一緒にやって、それが、まあバイラルヒットになっているんです。だから、今はもう流行の発信地って、本当にどこから来てるかわからないなって思いますね。

リル・ウージー・ヴァート“Futsal Shuffle 2020”を聴く(2019年 / Spotifyを開く

荏開津:ソーシャルメディアは、いうまでもなく新しいプラットフォームですが、それは新しい「ステージ」ということです。私がヒップホップに夢中になった頃は、アーティストが活躍できて新しいビジネスチャンスになるステージはストリート、クラブ、テレビやラジオ、そして大きなコンサート会場だけだったのですが、今はYouTubeやTik Tokという空間と、そこにいるオーディエンスに向けてのビートが作られているんだろうな、と思います。

先日、ドイツに行ったんですよ。ドイツのクラブでは白人の学生がみんなトラップでモッシュしていて。すごく盛り上がっていました。DJとも話をしたんですけど、オタク的にアメリカのヒップホップに詳しいんです。そういう、世界中が同じもので盛り上がる状況がすっかり当たり前になりました。ビルボードで17週間1位だったリル・ナズ・X(Lil Nas X)の“Old Town Road”のオリジナルのビートはリル・ナズが2018年に30ドル(約3000円)でオランダ在住の10代だったヤング・キオ(YoungKio)からビートが買えるサイト「BeatStars」で見つけて買ったものだといいます。もちろん、2人とも同世代で当時は無名。こうした傾向はしばらくは続くと思います。

ラップミュージックに起きる、マップの拡大と変化

―当初はアメリカの内部で地域を広げていったものが、全世界共通になって大きな変化を生んでいるということですかね。

荏開津:私はそう思います。それまではニューヨーク、サウス、LAやベイエリアで担ってきたものという感覚なので、カナダ人のドレイクがラップスターになったときも衝撃を受けました。最初にイギー・アゼリアが出てきたときもビックリしました。まあ、ちょっとオールドスクール過ぎる感想かもしれませんが(笑)。

渡辺:なるほど、彼女はオーストラリアですもんね。

荏開津:オーストラリアの女性がラップメインでヒットを飛ばす、しかもそれをサポートしていたのがT.I.というのは「時代が変わったな」と思いましたね。

イギー・アゼリア『The New Classic』を聴く(2014年 / Spotifyを開く

荏開津:あと、キュービーツ(Cubeatz)っていうドイツの兄弟プロデューサーユニットもいますよね。ドイツに行ってきて思い出したのは、日本と同じでUSミリタリーのベースが1970年代から数多くあったんですよ。すると、黒人の兵隊もいっぱい来ていて、ヨーロッパの中でも特にヒップホップが根づきやすい地域になる。日本や韓国も、アジアの中でミリタリーベースがありますから、ブラックミュージックというか、ディスコやファンクが入ってきていて。

また、ベトナム戦争や湾岸戦争もあります。まったくよいことと思いませんが、20世紀というのはアメリカが世界中に兵隊を送ってきた世紀でした。そのとき兵隊になる人は決して経済的に恵まれている人ばかりではないですが、そうした人たちにとって決定的に力のあるカルチャーで、なおかつ新しい構造の音楽でもあるヒップホップが世界中に拡散されました。そういう意味でもやっぱりグローバルにダンスミュージックが世界中を覆ってると思うんです。

地理的な意味での地域だけでなく、政治や経済で繋がった地域もあります。地域の人が、その地域の音楽聴くーー例えば「ジャマイカではレゲエ」みたいなことではなくて、それこそ志保さんがアメリカのR&Bを小学校5年生のときに聴くのって、そういうことだと僕は思ってて。志保さんの音楽体験も叔父さまがきっかけですが、その頃から日本とアメリカの経済的な関係があって、志保さんのファミリーの一員もアメリカに渡っていたわけです。

渡辺:たしかにそうですね。

荏開津:だから、UKや韓国やドイツ、地続きのカナダはグローバルなカルチャーを受け入れるセンスがいちはやく根づいていた。イギー・アゼリアも、英語圏のオーストラリアだし。そういう地域から順番じゃないけど、どんどんと才能が出てきてるのかなと思います。

ただし、昔のイギリスはアメリカに対する対抗心があった気がしますよね。10月に来日するマッシヴ・アタック(Massive Attack)も、もともとヒップホップDJクルーだったのに、1990年代にいざ自分たちの作品を作ると、アメリカのヒップホップらしくはならないわけですよね。それは、「アメリカのヒップホップの真似はやらない」と意識していた気がします。だからどちらがいいとか悪いとかではない。

―なるほど。

荏開津:そういう意識が、やっぱり1990年代大きくあったわけで。そこが、今は変わったと思います。その変化と、志保さんのいうソーシャルメディアは深い関係があるかな、と。

渡辺:荏開津さんがおっしゃった通り、ラップシーンにおけるマップっていうのは、もう世界規模で同時多発的に大きなことがバンバン起こってる状況なのかなって思うんですよ。

例えば、Spotifyのグローバルチャートを見てると、1位がいきなりイタリアのラップだったりするんですよ。あと、去年から特にフランスのヒップホップの勢いもすごくて。Spotifyでフランスのチャートを見ると、上位は大体、全部ヒップホップなんですよ。しかも、ほぼ半分以上が自国のドメスティックなヒップホップソングなんです。

その中でも、PNLという兄弟ユニットの人気がすごくて、“Au DD”(2019年)のMVは1億3400万回も再生されています。フランスの団地のドラッグディーラーみたいな筋の兄弟ユニットなんですけど、アルバム『Deux frères』が大ヒットしてから、ヴァージル・アブロー(ファッションデザイナー、「オフ-ホワイト c/o ヴァージル アブロー」最高経営責任者)と正式にコラボするという動きを見せていました。

PNL『Deux frères』を聴く(2019年 / Spotifyを開く

荏開津:最初にヒップホップがアメリカから輸入された国は、日本とイギリスとフランスですもんね。

―アジアのヒップホップも、より注目されるといいですね。

渡辺:私が希望を感じるのは、当たり前ですけどビートには言葉が必要ないところですね。だから、アジア圏、日本のビートメイカーにも大きなチャンスがあると思うんです。実際、去年LAで現地のヒットプロデューサーたちと同席する機会があって、そこでもKM、Cherry BrownことLil'Yukichi、ZOT on the WAVEらが手掛けた日本のヒップホップ楽曲を聴いてもらったんですよね。あえて、日本人のビートメイカーだとはいわず聴いてもらったんですけど、みんな「これ日本のビートメイカーのビートなの?」とビックリしていたので。なにかチャンスの歯車が回り始めたら、大きな変化があるかもしれないな、と。

BudaMunkはビートシーンが根強いLAでもライブを行っていますし、以前にGreen Assassin Dollarに話を聴いた際も、ストリーミングサービスの再生回数においては、海外のオーディエンスが非常に多いといっていました。

渡辺:あと、シカゴに拠点を置いてチーフ・キーフらに楽曲提供しているDJ KENNは、それこそ現地でドリル・シーンを形作ってきた数少ない、というか唯一の日本人ビートメイカーだと思いますし、アトランタに拠点を置いているYungXanseiというビートメイカーは、R&Bシンガーのサブリナ・クラウディオや、ラテンR&Bデュオのヴァイス・メンタというアーティストらを手掛けていて、今後の活躍も楽しみにしているところです。

DJ KENNがプロデュースした、チーフ・キーフ“Bang”

YungXanseiがプロデュースした、Sabrina Claudio x Wale“All My Love”を聴く(2019年 / Spotifyを開く

YungXanseiがプロデュースした、ヴァイス・メンタ“CHTM”を聴く(2020年 / Spotifyを開く

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プロフィール
荏開津広 (えがいつ ひろし)

執筆 / DJ / 京都精華大学、東京藝術大学非常勤講師、RealTokyoボードメンバー。東京生まれ。東京の黎明期のクラブ、P.PICASSO、MIX、YELLOWなどでDJを、以後主にストリート・カルチャーの領域で国内外にて活動。2010年以後はキュレーション・ワークも手がけ、2013年『SIDECORE 身体/媒体/グラフィティ』より、ポンピドゥー・センター発の実験映像祭オールピスト京都ディレクター、日本初のラップの展覧会『RAP MUSEUM』(市原湖畔美術館、2017年)にて企画協力、Port Bの『ワーグーナー・プロジェクト』(演出:高山明、音楽監修:荏開津広 2017年10月初演)は2019年にフランクフルト公演好評のうちに終了。翻訳書『サウンド・アート』(フィルムアート社、2010年)、『ヤーディ』(TWJ、2010年)。オンラインで日本のヒップホップの歴史『東京ブロンクスHIPHOP』連載中。

渡辺志保 (わたなべ しほ)

音楽ライター。広島市出身。主にヒップホップ関連の文筆や歌詞対訳に携わる。これまでにケンドリック・ラマー、A$AP・ロッキー、ニッキー・ミナージュ、ジェイデン・スミスらへのインタヴュー経験も。共著に『ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門」(NHK出版)などがある。block.fm「INSIDE OUT」などをはじめ、ラジオMCとしても活動中。



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