宇多田ヒカル、新アルバムで綴るコロナ禍のプライベート「いままで見せていないアングルからの私」

宇多田ヒカルにとって約3年7か月ぶりとなる、8枚目のアルバム『BADモード』が1月19日にデジタル先行配信された。

本作には、TBS系金曜ドラマ『最愛』主題歌“君に夢中”、映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版』テーマソング“One Last Kiss”、アニメ『不滅のあなたへ』主題歌“PINK BLOOD”など既出のタイアップ曲の他、新曲として“BADモード”、“気分じゃないの(Not In The Mood)”、“Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー”を加えた全10曲を収録。さらに、"Find Love"の日本語バージョン"キレイな人"やリミックス楽曲など、ボーナストラックも4曲追加。変容を続ける音楽シーンに佇む、宇多田ヒカルの現在地を示した内容になっている。

ジャケット写真には、家のなかスウェット姿で物憂げな表情を浮かべる宇多田ヒカルとともに、息子とも捉えられる少年が見切れた状態で写っている。コロナ禍をめぐる昨今の状況も踏まえると、自宅隔離を想起させるイメージだ。このアルバムで宇多田ヒカルは一体何を考え、どんなメッセージを私たちに届けようとしているのだろうか。

1月24日に公開されたSpotifyのプレイリストシリーズ「Liner Voice+」では、宇多田ヒカルが自ら『BADモード』の全収録曲について語った。本稿では宇多田ヒカルにインタビュー経験もある文筆家のつやちゃんに、セルフライナーノーツともいえるこの音源をもとに、「いま」の宇多田ヒカルに焦点を当てた『BADモード』評を執筆いただいた。音声で届ける「Liner Voice+」とともにお楽しみいただきたいと思う。

宇多田ヒカル
1983年1月19日生まれのシンガーソングライター。1998年12月9日にリリースされたデビューシングル『Automatic / time will tell』はダブルミリオンセールスを記録、15歳にして一躍トップアーティストの仲間入りを果たす。そのわずか数か月後にリリースされたファーストアルバム『First Love』はCDセールス日本記録を樹立。いまだその記録は破られていない。2010年に「人間活動」を宣言し一時活動休止期間に入ったが、2016年4月に本格再開。通算8枚目のフルアルバム『BADモード』を1月19日にデジタル先行配信、2月23日にCDリリースする。
宇多田ヒカル「Liner Voice+」を聴く(Spotifyを開く

パンデミック下で宇多田ヒカルが過ごした時間のすべてが詰め込まれた『BADモード』

宇多田ヒカルのSpotify「Liner Voice+」の特長は、通常のインタビューと異なり「聞き手」が介在しない点にある。つまり、宇多田ヒカルが感じたことや考えたことをその場でまっすぐ――より主観的に――届ける。今回のニューアルバムに漂ういまだかつてないプライベートな空気を考えると、じつはぴったりの試みかもしれない。

今回宇多田ヒカルは、楽曲においても、アートワークにおいても、そして作品解説というかたちでも、自らとリスナーとの距離感をぐっと詰め、迫ってきている。初の試みとなったストリーミングライブ『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios』でも、密室でミュージシャンとしての自らの奥深い部分をさらけ出すパフォーマンスを見せた。この「Liner Voice+」にも、『BADモード』であらわになっている宇多田ヒカルの肌を、その肌理(きめ)を、感じ取る手掛かりがそこかしこに散りばめられている。

宇多田ヒカルの語りを通して気づくのは、本作が、コロナ禍に生まれるべくして生まれた「モード」であるということ。つまり、パンデミックのなかで宇多田ヒカルが誰と会って、どこに行って、何を見て、何を聞いたか。彼女自身が過ごした時間が色濃く反映されている。

人と同じ空間をともに過ごす機会が圧倒的に減った現在は、より一層、他者との関係性が際立って感じられる。そして誰かとの関係性のなかには、二度とないかもしれない偶然性がいくつも存在する。こうしたすべてが『BADモード』を生んだのだ。

そもそも芸術とは、関係性と偶然性によって育まれる自分自身からしか生まれ得ない。パンデミックはその点をはっきりと強調することになった。

実際、宇多田ヒカル自身も、冒頭でアルバム『BADモード』の全体的な印象について次のように語る。

宇多田:いつももちろんパーソナル(な作品)なんですけど、いままでとは違う、いままで見せていないアングルからの私を自分に対しても見せられたかなと思います。

「いままで見せていないアングルからの私」を、いかにして宇多田ヒカル自身が知り得るか。そのヒントが身近な人との関係性にあることを、1曲目“BADモード”のエピソードは明らかにする。

宇多田:「BADモード」は、「調子が悪く落ちこんでいるときの状態」という意味で使っています。絶好調じゃない状態、ということですね。この2、3年、私にとって一番大事だった一つが、周りの大事な人たちとお互いにどう支え合うかということでした。

たとえば“One Last Kiss”における「ルーブル」「モナリザ」など、宇多田ヒカルの近作では固有名詞が徐々に増えていた。“BADモード”でも、調子の悪い「君」を自宅で励ますというシチュエーションが、「ネトフリ」や「ウーバーイーツ」などの単語も織り交ぜて綴られている。

タイトルとは裏腹に、ゆるやかで伸び伸びしたグルーヴが鳴っていることに驚いたリスナーも多いだろう。その背景として、ミュージシャンとの共同制作のなかにあった偶然性により、柔らかなムードが創られていった様子が語られている。

宇多田:音楽面でいうと、初めてFloating PointsというDJ / ミュージシャンと組んでいます。でも、できていたデモを彼のスタジオに持って行って一緒に作業しようとしたら「こういうコラボレーションしたことないんだ」って告白されて(笑)。私に「どうしたい?」と訊いてくれたので、「ここにあるアイデアをもっと良くしたい。私が簡単に入れたシンセのパートをもっとかっこよく、音色をもっと良いのにしていきたい」というところから始めて、作業していきました。

結果的に、電子音楽をベースに現代音楽やジャズといったさまざまなジャンルを織り交ぜながら洗練を志向するFloating Pointsの手腕が見事に発揮。洗練された躍動感のある楽曲に仕上がった。

歌詞の具体性と対比される、俗気や雑味がないトラック。宇多田ヒカルのバランス感はここでも絶妙な匙加減で保たれている。

完成データにベーストラックを入れ忘れ。ミスが良いかたちにつながった“One Last Kiss”

続いて2曲目“君に夢中”でも、ニューヨークでプロデューサーのA.G. Cookや友人と対面し、関係性によって帯びる熱を取り戻したエピソードが語られる。規則的でメカニカルな音構造と、ぞくっとするような肌感——“君に夢中”の両極とも言うべきこの2つの魅力を支えているのは、やはり「街」や「人」といった他者との関係性なのかもしれない。

宇多田:ベーシックなデモはずっとできていて、でもどうしたらいいかわからず放置していた「くせ者」の曲だったんですけど。去年の夏に久しぶりにニューヨークに帰ることができて、そこで“One Last Kiss”のプロデュース / トラックメイキングを一緒にしてもらったA.G. Cookにニューヨークで落ち合えるという話になったんです。そこで初めて彼に会って作業できたことも嬉しかったし、久しぶりに会えた友人とか、街が回復し始めて生活が少しずつ戻っている状態のニューヨークに行けたことが良かった。そういうエネルギーが――曲自体は妖しい曲なんですけど(笑)――表れているなと思います。

A.G. Cookとの関係は、3曲目“One Last Kiss”で語られるアクシデントも非常に興味深い。

宇多田:振り返ると、この曲が楽曲制作においてもMV撮影においてもコロナの影響を一番受けたかもしれないですね。ディレクターさんに提案されてこの曲で初めてA.G. Cookと一緒にやったんですけど、FaceTimeでまずお話ししてみようということになって。すごく良い雰囲気で話しやすかった。彼自身、いろんなアーティストとさまざまな関わり方をしてきたとのことで、それだったら自分も大丈夫そうだなと思ってお願いしました。ただ、彼はイギリス出身だけどLAに住んでいて、私はロンドンだったので、データで私のデモを送って「こんな感じにしたらどう?」「こういうのを足してみようよ」というのを繰り返してつくっていきました。

一番面白かったのは、「これで全部大丈夫だね」って彼から(完成)データを送ってもらって、私がそれをミキシングエンジニアのSteve Fitzmauriceに渡したら「あれ、この曲ってベース入ってないの?」と言われて。「あったと思うんだけど……おかしいな」となり、今回のストリーミングライブ『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios』でも参加してもらっているJodi Millinerにスタジオでベースを弾いてもらったんです。

A.G. Cookにその話をしたら、「あっごめん、データにベーストラック入れるの忘れてたみたい」というのが発覚して(笑)。グルーヴがある生身のベースを加えたことで、この曲はもっと良くなったんです。ミスが良いかたちにつながる、今回はその代表的な例でした。

関係性と偶然性が作品を形成している例は、それだけではない。4曲目の“PINK BLOOD”では、友人と飲んだ「ピンクシャンパン」と「ブラッドオレンジ」を単に組み合わせたことで、ぴったりの曲名ができあがったことを明かしている。

街で目にしたものを綴った歌詞、12分近い長尺……。ひときわ個性を放つ新曲たち

さらに注目すべきは、まっさらな新曲として収録された2曲に関する逸話だろう。6曲目“気分じゃないの(Not In The Mood)”では、宇多田ヒカル史上初めての手法で作詞がなされた。〆切当日の朝になってもなかなか歌詞が書けずにいたなかで、街を歩き目にしたものをそのまま綴っていくという試みがブレイクスルーを起こしたという。宇多田ヒカルはそれを「不思議な体験だった」と振り返る。

宇多田:もうこれは本格的にダメかなと。歌詞書くときによく外を歩くんですけど、ちょうどその日が12月28日だったんです。私はクリスマスの前の時期にだいたい気分が落ち込んで体調が悪くなるので、そういった気分を歌詞に書こうと思ったんですけど、糸口が見えなくて。(中略)でもやっと入れたカフェで、テーブルと椅子とソーサーの色がすごい組み合わせだなと思ったんですね。それで、私の目に引っかかって意味を持ったものを(そのまま)歌詞にしていこうということをやってみたんです。すると、手応えがあった。私の状況と気持ちを書くよりも、私の目線だけが存在しているというのが当時の私の虚無感を表現できていて面白かった。

これまでも自身が書いた歌詞を「実話ですか?」と訊かれることに対して理解に苦しむ様子を見せてきた宇多田ヒカルだが、この曲ではルポルタージュ的な、実話と言って差し支えない手法を初めて導入したのだ。ふらっと街を歩き、目に飛び込んできた光景をリリックに置き換えていくスタンスは、まさにアクシデンタルな、行きずりの美意識のもと作品が生まれていくさまを肯定する。

言葉の置き方含め、緻密なリズムが展開されるストイックなテイストが強まってきている近年の宇多田ヒカル作品だが、そういった傾向と相反するようなラフな姿勢が入ることで両極端の要素が引っ張り合い、スイートスポットが生まれる。張り詰めているが肩に力が入りすぎない、さらけ出しているが弛緩しているわけではない、すべての目盛りの調整が美的に極まった状態。作者を取り巻く関係性と偶然性が、そうしたバランスを生み出しているのではないか。

宇多田ヒカル“気分じゃないの(Not In The Mood)”を聴く(Spotifyを開く

10曲目“Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー”は、Floating Pointsとのトラック制作が壮大に広がっていった結果、12分近い大作に仕上がった。しかし、この曲もまた、長尺ながらマンネリズムとは無縁である。

宇多田:私がつくったデモは4分ないくらいだったんですけど、Floting Pointsが要素を足したりしていくうちに8分、11分……とどんどんかっこよくなっていって。こんなにかっこいいんだったら、もう長い方がいいと思う、と言ったら彼は「本当にいいの? クラブミックスみたいだけど」と。私はこの曲のトラック、すごく気に入っています。

宇多田ヒカル“Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー”を聴く(Spotifyを開く

「(『BADモード』は)誰かが辛そうにしているときに私に何ができるのかな、と考えた結果が反映されています」

“One Last Kiss”のMVの断片となる映像を息子に撮ってもらった宇多田ヒカルは、庵野秀明監督に素材を送る際に勇気が必要だったと語る。自分は息子と話すときにこんな優しい表情をするんだ。これを送っていいのだろうか。ドキドキする――。自分自身でさえ、いまだかつて見たことのない、自分の新たなアングル。それはパンデミックという非日常のなかで、一つひとつの貴重な関係性と偶然性から生まれたものだった。

宇多田ヒカルは、誰も知らない宇多田ヒカルを探しながら、生きている。ゆえに、宇多田ヒカルは変化し続ける。アルバム『BADモード』も、あなたとの関係性のなかで、恐らくこの先永遠に変化していくだろう。肉薄すればするほど、この作品は新たな一面を見せてくる。永遠に鳴り続けるような錯覚に陥る“Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー”に象徴されるとおり、本アルバムは、しなやかな筋肉ときめ細かい肌の優雅な絡み合いによってあなたを誘惑し離さない。そして、そのトラックと声は、宇多田ヒカルを媒介にし、生成されたすべてのつながりから生まれている。その一部を、恐らくあなたも構成している。

宇多田:(『BADモード』は)家族でも、友人でも、恋人でも、よく知らない人でも同じなのかもしれないけど、誰かが辛そうにしているときに私に何ができるのかな、私はどうしてあげたらいいのかな、と考えた結果が反映されています。私が自分にどうしてあげたらいいのかなってことをいっぱい考えた時期でもありました。

宇多田ヒカル「Liner Voice+」を聴く(Spotifyを開く

サービス情報

宇多田ヒカルが『BADモード』の全収録曲を、英語で解説した「Liner Voice+」も公開中。

リリース情報
宇多田ヒカル
『BADモード』初回生産限定盤(CD+DVD+BD)

2022年2月23日(水)発売
価格:6,300円(税込)
ESCL-5626

[CD]
1. BADモード
2. 君に夢中
3. One Last Kiss
4. PINK BLOOD
5. Time
6. 気分じゃないの(Not In The Mood)
7. 誰にも言わない
8. Find Love
9. Face My Fears(Japanese Version) / 宇多田ヒカル & Skrillex
10. Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー
Bonus Tracks
11. Beautiful World(Da Capo Version)
12. キレイな人(Find Love)
13. Face My Fears(English Version) / Hikaru Utada & Skrillex
14. Face My Fears(A.G. Cook Remix)

[DVD / BD]
・Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios
1. BADモード
2. One Last Kiss
3. 君に夢中
4. 誰にも言わない
5. Find Love
6. Time
7. PINK BLOOD
8. Face My Fears(English Version)
9. Hotel Lobby
10. Beautiful World(Da Capo Version)
11. About Me
12. Face My Fears(Japanese Version) [Bonus Track]
・Behind The Scene "Live Sessions from Air Studios"
・Music Videos
1. Time
2. One Last Kiss
3. PINK BLOOD
4. 君に夢中
5. BADモード

宇多田ヒカル
『BADモード』通常盤(CD)

2022年2月23日(水)発売
価格:3,300円(税込)
ESCL-5629

1. BADモード
2. 君に夢中
3. One Last Kiss
4. PINK BLOOD
5. Time
6. 気分じゃないの(Not In The Mood)
7. 誰にも言わない
8. Find Love
9. Face My Fears(Japanese Version) / 宇多田ヒカル & Skrillex
10. Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー
Bonus Tracks
11. Beautiful World(Da Capo Version)
12. キレイな人(Find Love)
13. Face My Fears(English Version) / Hikaru Utada & Skrillex
14. Face My Fears(A.G. Cook Remix)

プロフィール
宇多田ヒカル
宇多田ヒカル (うただ ひかる)

1983年1月19日生まれのシンガーソングライター。1998年12月9日にリリースされたデビューシングル『Automatic/time will tell』はダブルミリオンセールスを記録、15歳にして一躍トップアーティストの仲間入りを果たす。そのわずか数か月後にリリースされたファーストアルバム『First Love』はCDセールス日本記録を樹立。いまだその記録は破られていない。2010年に「人間活動」を宣言し一時活動休止期間に入ったが、2016年4月に本格再開。通算8枚目のフルアルバム『BADモード』を1月19日にデジタル先行配信、2月23日にCDリリースする。



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「Kompass」は、ネットメディア黎明期よりカルチャー情報を紹介してきたCINRA.NETと、音楽ストリーミングサービスの代表格Spotifyが共同で立ち上げた音楽ガイドマガジンです。ストリーミングサービスの登場によって、膨大な音楽ライブラリにアクセスできるようになった現代。音楽の大海原に漕ぎだす音楽ファンが、音楽を主体的に楽しみ、人生の1曲に出会うガイドになるようなメディアを目指し、リスニング体験を交えながら音楽の面白さを紹介しています。

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