ピノキオピーが約2年ぶりとなる6作目『META』を完成させた。2019年にボカロ投稿10周年を迎え、2021年に独立し、自主レーベル「mui」を設立。その年の9月に発表した“神っぽいな”はYouTubeで5500万回以上再生され、その曲をAdoがカバーし、さらにはピノキオピーがAdoに“アタシは問題作”を提供するというまさに「神展開」も起きた。
筋肉少女帯や電気グルーヴといった80年代の「ナゴム系」をルーツに持ちながら、いまもティーンを含めた幅広い世代からの支持を獲得しているピノキオピーはやはり稀有な存在である。
新作『META』は、自身とは異なる視点を通して自身を見出す「メタ思考」を主題とし、そこからもう一度「自分」を発見することをテーマとした作品。
これまでも主観と客観のバランスを重視して、断定できないことをあらゆる角度からボーカロイドに歌わせてきたキャリアを振り返れば、このテーマは彼にとっての真骨頂と言えるだろう。歌詞に込めた想いやサウンドメイクについて、ピノキオピーにじっくりと話を聞いた。
ピノキオピーは2020年代のボカロシーンをどう見ていた?
―ピノキオピーさんは2019年にボカロ投稿10周年を迎えましたが、2020年以降はボカロP出身のコンポーザーや歌い手出身のシンガーがJ-POPのシーンで活躍するようになりました。そういった状況をどのように見ていましたか?
ピノキオピー:「すごいな」とか「時代はこういうことになってるんだな」と思ったりはするんですけど、ちょっと他人事みたいな感じではありましたね。
2020年に僕も「工藤大発見」っていう自分が歌うプロジェクトを一回やってみたんですよ。「自分にとって当たり前じゃないことを一回やってみよう」っていう実験的な感じだったんですけど、いざやってみると……あんまりしっくりこなくて(笑)。あれをやったことによって、より自分はボーカロイドというか、存在しないものに歌わせるほうが向いてるなと再認識させられました。
工藤大発見“極論”を聴く(Spotifyを開く)
―10周年を経て、これまでやってこなかったことにチャレンジをしてみたけど、結果的に自分にはボカロで曲をつくることが合ってると再認識する契機になったと。
ピノキオピー:そうですね。あらためて、「ボカロで曲をつくる」ということがどういうことなのかを再認識したと思います。ボカロだと自由だった歌詞が、自分で歌うとちょっと制限がかかっちゃうように感じたんですよ。ミクは女性の声なので、自分で歌っててしっくりこない歌詞でもミクなら歌えるので……これは前から言ってたことですけど、漫画のキャラに歌わせるような感じが、よりしっくりくるようになりました。
―新作のテーマは「メタ思考」で、客観的な、俯瞰的な歌詞世界というのは、やはりボカロだからこそできることですよね。
ピノキオピー:まさにそうですね。2021年に出した『ラヴ』は、それまで「愛」をテーマに一枚のアルバムをつくったことがなかったので、ある意味「工藤大発見」と同じように、「やったことがないからやってみよう」っていうので始まっていて。自分じゃない愛のかたちを想像して書いた結果、それが自分にとってすごく面白かったんです。
ピノキオピー『ラヴ』(2021年)を聴く(Spotifyを開く)
ピノキオピー:今回は「愛」以外も含めて、「違う人の視点で書く」というところに着目したアルバムにしようと思って、その皮切りが“神っぽいな”だったのかなって。
あの曲をつくった時点では、まだ『META』っていうテーマはなかったんですけど、あの曲自体がメタ視点で、「自分じゃないなにか」をモチーフにつくった曲で。動画とかイラストの感じはいまっぽさも意識しつつ、曲自体は自分らしいというか、全然トレンドじゃないことをやる。ちょっと歪な曲にはなったんですけど、そこからアルバム全体のテーマが「メタ視点」になっていったんです。
Adoがカバーした“神っぽいな”は「攻撃的なものを出すとまたそれが攻撃されるっていう、ループそのものについて書きたくて書いた」
―ピノキオピーさんはこれまでも自分の主観を前面に押し出していたわけではなくて、主観と客観のバランスを意識しながら、ミクだからこそ歌えることをテーマにしてきたと思うので、その意味では真骨頂とも言えるテーマかなと思います。
ピノキオピー:そうですね。いままでやってきたことをより強調した、みたいな感じかもしれないです。やってること自体は変わってないんですけど、より「自分じゃないものになりきる」っていう方向に過度にいった感じはしていて、そのせいで誤解も生まれちゃったというか。
“神っぽいな”は当時攻撃的な曲が流行っていたので、攻撃的なものを出すとまたそれが攻撃されるっていう、ループそのものについて書きたくて書いたところがあったんです。
ピノキオピー“神っぽいな”を聴く(Spotifyを開く)
ピノキオピー:だから特定の誰かを攻撃するつもりは全然なかったんですけど、「TikTokで踊る人を馬鹿にしてる」とか、そういう誤解も生まれちゃったりして。表現がまっすぐ伝わるのは難しいなって……僕の表現がまっすぐじゃないせいもあると思うんですけど(笑)。
―「当時流行っていた攻撃的な曲」というと、やはりAdoさんの“うっせぇわ”がパッと思いつくんですけど、そのあとAdoさん自身が“神っぽいな”をカバーするという展開もメタ的というか、面白いですよね。
ピノキオピー:あれは嬉しかったですね。Adoさんにもお伝えしたんですけど、“うっせぇわ”はすごく面白いと思うんです。たぶんあの曲がちょっと強めのことを言うブームの走りみたいになっていて、僕はオリジネイターには敬意を払う気持ちがあるし、実際そういう現象を起こしたこともすごいなと思っていて。
ピノキオピー:この歌詞では、ひとつ象徴的なものが生まれたら、柳の下のドジョウを狙うような感覚で出てくるものに対して、<くたばっていく感じ>と言ってるんです。でも「Adoさんのことをディスってる」みたいにとらえる人もいて。
―<超健康 健康 言い張って くたばっていく感じ>はAdoさんに対して言ってるわけではなくて、“うっせぇわ”っぽいことを軽率にやろうとしちゃうことに対して言ってると。曲全体を聴くとそれが理解できるけど、ここだけ切り抜かれるとそういう誤解も生まれちゃいますよね。
ピノキオピー:まあ、もともとは僕の悪ふざけだし、表層的な部分で楽しんでもらうのもそれはそれで全然いいと思っていて。自分の曲はなるべくいろんな人に届いてほしくて、多くの人に届けば届くほど、内側にあるメッセージに気づいてくれる人も増えるんじゃないかなと思うので、どういうかたちであれ楽しんでもらえたらすごくうれしいです。
ピノキオピーが楽曲提供をしたAdo“アタシは問題作”を聴く(Spotifyを開く)
ピノキオピー:僕はそもそも自分の音楽が聴かれない時期が長かったので、自分の曲を歌ってくれたり、素材にして遊んでくれること自体いまだに信じられない気持ちなんですよ。だから、すごく悪意のある使い方じゃなければ、基本的にどう使ってもらってもかまわないので、どんどんいじってくれって感じなんです。
ピノキオピー流の「転生もの」、“転生林檎”で描いた「非効率」への信頼
―3曲目の“転生林檎”はメタ思考の先でもう一度自分を見つめ直すというアルバムのテーマを象徴する一曲でもあると思いました。
ピノキオピー“転生林檎”を聴く(Spotifyを開く)
ピノキオピー:もともとは当時流行っていた「転生もの」を自分がやったらどうなるかっていうのが曲を書いたきっかけでした。転生して無双するんじゃなくて、転生した先々で失敗しまくるっていう、トレンドとは真逆の書き方をしたらどうなるかなと思って。
でもバッドエンドは嫌だし、最終的には平凡な自分に戻って、<さあ 自分はどうしようか>で締め括ることで、聴いた人が追体験できたらいいのかなと思ったんです。
―たくさんの情報が溢れていて、つい自分と誰かを比較して、「何者かにならなきゃ」と思ってしまうんだけど、結局自分は自分でしかないから、大事なのは自分が自分のことをどれだけ愛せるかであって。そんな現代の状況にすごく刺さる曲だと思います。
ピノキオピー:自分の気質として、「調子に乗ってはいけない」って気持ちが強くて。調子に乗ることで出るパワーとかもあるとは思うんですけど、「足るを知る」が根底にあり過ぎて、それが歌詞にも反映されてると思います。
ピノキオピー:自分の身の程をわきまえるというか、チートを使って一気に行くと歪みが出るから、ちゃんと自分と向き合って、一歩ずつ歩かないとダメなんじゃないかなって。それっていまの世の中的には「非効率」なのかもしれないけど、そっちのほうが最終的には無理のない生き方に繋がるんじゃないかって。感覚的に思っていることが出ているのかもしれないです。
―4曲目の“エゴイスト”も「わたし」について書かれた曲で、このあたりはアルバムのテーマが見えたうえで書いてるわけですか?
ピノキオピー“エゴイスト”を聴く(Spotifyを開く)
ピノキオピー:このアルバム自体がメタであるっていうことをわかりやすくしたかったんですよね。“転生林檎”で最後自分に戻るので、その次に自分のことを歌う曲をひとつ挟んでおくと、アルバム全体のテーマがわかりやすくなるかなと思ったんです。
この曲自体も「たくさんの人に見られたい」みたいなことは一切考えてない曲で、自分の好きなオケの感じとかメロの感じで、フラットな気持ちでつくりました。
―楽曲自体、ある意味エゴイスティックにつくっていると。なにかモチーフはあったのでしょうか?
ピノキオピー:ずっと言ってるんですけど、電気グルーヴが大好きで、ただ好きだからこそあまり近づきすぎてはいけない気持ちがあって。結局目指したとしても違うものになるのはわかってるし、憧れてはいるんだけど、あの2人の感じにはなれないのもわかっていて……みたいな感覚も入ってたり。とはいえオケは結構寄っちゃって、それはそれで歪で面白い曲になったんじゃないかなと思います。
声の情報量と音数の少ないトラックとのバランス。ピノキオピーのサウンドメイクに迫る
―アレンジやサウンドメイクに関しては、アルバム全体を通じてどんなモードにあったと言えますか?
ピノキオピー:方向性としては、音数は少ないんだけど、ひとつの音に説得力があるっていう音づくりが最近の好みで。存在感のあるシンセでドン! みたいな、そういう感じが理想だと思いながらつくっています。
ボカロは声自体の情報量が少ないので、少ない情報量に対して、少ない情報量のオケすぎると曲自体が映えないから、どこまで華を足すかっていうことを曲ごとに考えて、結果的にはジャケットも含めて全体的に色鮮やかなアルバムになったと思います。
―『ラヴ』のときはリファレンスにビリー・アイリッシュを挙げていたと思うんですけど、人間の声を加工することがポップミュージックでも一般的になったなかで、ボカロに対してどんな風に向き合っているのかは非常に興味深いです。
ピノキオピー:『HUMAN』のころから自分の声を足し始めたんですけど、それをやったことが結構いまにつながっていて、自分の声の情報量を加えることで、「この音数でもいけるな」みたいに、バランスを取ることができるようになったんです。
ピノキオピー『HUMAN』(2016年)を聴く(Spotifyを開く)
ピノキオピー:ただ、前はミクと自分の声が同一に並んでる感じだったんですけど、いまは「同化してる」というか、メインボーカルに対してそれを支えるために自分の声が存在するっていう、そのバランスが最近はしっくりきてます。
―アルバムの曲で、声の情報量とトラックのバランスが理想に近いかたちで仕上がったと感じているのはどの曲ですか?
ピノキオピー:トラックの音数の少なさとシンセの説得力、プラス自分の声のバランス諸々いいなと思うのは“転生林檎”。あのシンセのリフだけで聴けるというか、こういうミニマルな音づくりは好きですね。声素材にポルタメントをかけて、ビニールをこすったみたいな音になっていて、あの音が出せたのはすごく満足してます。
―いいソフトウェアを使えばある程度のクオリティの音は誰でも出せるようになった一方で、いま求められるのは「この人じゃないと出せない音」であって、その意味でも本作のサウンドメイクにはある種の達成がありますよね。
ピノキオピー:癖というか、「やっぱりこういう音が好み」みたいなのがどうしてもあって、僕はパキパキしてて、アタックの強い音が好きなんです。リリースが少ないのも好きで、これはもうだいぶ流行ってますけど、もともと2012年に出した“ありふれたせかいせいふく”っていう曲でリリースカットピアノを使っていたりして。
ピノキオピー“ありふれたせかいせいふく”を聴く(Spotifyを開く)
―YOASOBIのリリースカットピアノが流行るずいぶん前ですよね(笑)。
ピノキオピー:そういうのも好みとしてはあるし、とにかくリズム隊に存在感のある曲が好きなんです。全然ジャンルとしては違うんですけど、スピッツの最近の音もそういう音をしてると思っていて、ドラムがパキパキしてるんですよね。“大好物”のオケの感じとか、僕にとってはすごく美味しい音で、ああいう音が出せたらいいなと思ったりします。
すごくカリッとしてるというか、クリスピーな音で、でもシズル感もあって……ホントご飯みたいな音で(笑)。めちゃめちゃ音にこだわってるんだろうなっていうのを聴いてて感じます。
スピッツ“大好物”を聴く(Spotifyを開く)
「新しいものを聴いて、いいなと思うことはすごくあるんですけど、それをそのまま目指すのは違和感がある。そこからもう一度自分と向き合ってできたのが今回の曲たち」
―ジャンルが違うからこそ、ピノキオピーさんのスピッツ話はとても面白いです。単純に、いまリスナーとして好きなアーティストをジャンル問わず挙げていただくと、ほかにどんな名前が挙がりますか?
ピノキオピー:そうですね……リスナーとして好きなのはズーカラデルとか。それもスピッツからの流れではあるんですけど(笑)。
花譜 & ズーカラデル“秘密の言葉”を聴く(Spotifyを開く)
―事務所が一緒ですよね。でもわかる気がするというか、ピノキオピーさんとズーカラデルの歌詞の世界観は通じるものがあるように思います。誰も拒否してない、器の広さがあるなと。
ピノキオピー:ちょっと諦めてる感じ、ちょっとやけくそになってる感じもあるんだけど、でもどこか諦めてない感じもあって、そこがたまらなくよくて、聴いててグッとくるんですよね。
ボカロの曲でいうと、ほかの人の曲を聴いて「いまはこういう感じか」と思うことはあって、それこそ“神っぽいな”は当時のムーブメント、柊キライさんとかsyudouさんの曲を聴いて、あのフレッシュさがいいなと思って。自分はもうフレッシュではないので、フレッシュなことをそのままやってみたらまた違う感じになるんじゃないかと思ったり。
柊キライ“ラブカ?(feat.Ado)”を聴く(Spotifyを開く)
syudou“ビターチョコデコレーション”を聴く(Spotifyを開く)
ピノキオピー:THE CHEMICAL BROTHERSが急にワブルベースだけのアルバムを出したら、文脈が違うから無理してる感じになると思うけど、そこを無理しない感じでつくってみたというか。
新しいものを聴いて、いいなと思うことはすごくあるんですけど、それをそのまま目指すのは違和感がある。「じゃあ、どうするか」って自分と向き合ってできたものが今回の曲たちでもあるので、それを楽しんでくれたらいいなと思います。
―流行ってるものの誘惑には抗えないものがあるけど、でもそれも踏まえてもう一度自分を見つめ直して創作をするというのは、『META』のテーマを表してもいますよね。実質的なラストナンバーであるタイトルトラックでは、ピノキオピーさんの曲をつくるときの気持ちがそのまま綴られています。
ピノキオピー“META”を聴く(Spotifyを開く)
ピノキオピー:この曲はこの数年間の自分がどんな姿勢で音楽をつくってきたかの種明かしみたいな曲で、アルバムの最後にこれを聴いていただけたらなと思いました。
―主観も客観も、いろんな視点で、いろんな階層から物事を見て、何度も推敲を繰り返し、自分のなかでの「これだ」という想いを見つけることが、ピノキオピーさんにとっての「曲を書く」ということだと。
ピノキオピー:はい、もうそのままですね。わかりやすいくらいわかりやすく書いた歌詞だと思っていて、僕のなかではストレートなパンクというか、THE BLUE HEARTSみたいな曲だなって(笑)。
―実際に曲を書くときはかなり推敲をするわけですか?
ピノキオピー:しますね。毎回そうなんですけど、テーマや書きたいことをプールしておいて、オケをつくりながらどのテーマが一番ハマるかを選ぶ作業があるので、それで最終的に残ったものはすでに磨かれたなにかだっていう感覚で曲をつくってるんです。すごく時間がかかるし、非効率的なことをしてるとは思うんですけど。
―でもやっぱり、その「非効率」のなかに大事ななにかがあると。
ピノキオピー:傍から見たら無駄なことに見えるかもしれないけど、自分にとってはやらなきゃいけないことで、そこに「らしさ」が混ざるのかなとずっと思ってます。ウダウダ遠回りはしてるけど、そうやって通った道筋が作品に残るというか、残ったらいいなっていう願望がありますね。
<誰かにとって 好きな歌も 誰かにとって たかが歌だから>。歌詞に込めたピノキオピーの想い
―ピノキオピーさんは2021年に独立をされて、「mui」という自主レーベルを設立されました。「作為」ではなく「無為」を重視するその考え方について、話していただけますか?
ピノキオピー:作品を発表するときに、「こんなん好きなんだろ?」みたいに思って出すのはよくないというか、「聴いてる人のことを馬鹿にしない」ことが大事だと常日頃思ってます。聴いてる人たちのことをナメちゃだめだなって。
「こういうメソッドがあって、だからこうなります」みたいなことって、実際数字は回るのかもしれないけど、回ってる数字の「1」がどんな「1」なのかをちゃんと考えないと、いつか足元をすくわれるんじゃないかなって。同じ「1」でも、すごく共鳴してくれた「1」なのか、一時的な消費の「1」なのか、モノによって全然違うはずなので。
―SNSでいろんなものが数で可視化されるようになっただけに、その観点は非常に重要だと感じます。
ピノキオピー:ただ、“META”の歌詞でも言ってますけど、そういう気持ちはあるし、そうありたいとも思うけど、「でもたかが歌でもある」っていうのも事実で。ちゃんとどっちも思っていようって、“META”はそういう気持ちでも書いていて。
―<誰かにとって 好きな歌も 誰かにとって たかが歌だから>は刺さりますね。
ピノキオピー:「同じ『1』でも重みが違うんだ」で歌詞が終わっちゃうとすごく気持ち悪いというか、不安になるんです。僕がどんなに大切に思っても、まったく価値を感じない人もいるって視点がどうしてもつきまとって、そういうことも書いてしまうんですよ。人によっては、「なんでこんなこと言うの?」って話かもしれないですけど。
―でも実際それが真実だと思うし、そこを包み隠さず言ってくれるのが優しさであって、ピノキオピーさん自身がオーケンさんだったり、いろんな人たちの作品を聴いて、信頼してきたからこそ、自分の作品もそうなってるわけですよね。
ピノキオピー:はい、それはまさにそうだと思います。
―最後にもう一度“神っぽいな”の話に戻ると、<メタ思考する本質は悪意? 人を小馬鹿にしたような作為 無為に生き延びるのは難しい>というラインが結果的にアルバムのテーマを要約してるようにも思うのですが、作為に振り回されずに無為に生きるうえで大事なことはどんなことだと思いますか?
ピノキオピー:そうですね……僕はサブカルチャーが好きなんですけど、ホントにサブカルチャー好きな人からすると、めちゃくちゃにわかな感じだと思っていて。小学校のときはカラオケでDA PUMPを歌って、でもかたやBOREDOMSを聴いて「すげえ!」と思ってる自分がいて、「BOREDOMSが好きならDA PUMPを楽しく歌うはずがない」みたいに見られるのはすごく嫌だし、「どっちも自分」っていうバランスがあるんです。
だから、好きなものが多ければ多いほど、無為に生きやすいのかなと思ったりしますね。好きなものが狭いと、好きじゃないものに出会ったときになにかをズラさなきゃいけないというか、無為に生きられない場面が増える気がする。自分のなかに「好き」がたくさんあって、それに対する理解が多ければ多いほど、無為に生きやすくなるのかなって。僕の作風は完全にそういうものがまじりあった結果だと思うんですよね。
- リリース情報
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ピノキオピー『META』
2023年5月17日(水)発売
- プロフィール
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- ピノキオピー
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2009年に動画共有サイトにてボーカロイドを用いた楽曲を発表し、ピノキオピーとして活動開始。以降も精力的にオリジナル楽曲を発表しつつ、イラストやMVの制作、他アーティストへの楽曲提供など多方面で活動している。ライブでは電子と肉体の共演・融合を基軸に、ドラムとスクラッチ&サンプラーをサポートメンバーに加えたバンドセットでのパフォーマンスを行なっている。