バート・バカラックが今年2月8日、ロサンゼルスの自宅で死去。94歳だった。
主に1960年から1970年にかけて、作詞家ハル・デヴィッドとのコンビでディオンヌ・ワーウィックやCarpentersらに楽曲提供をしてきたバカラック。誰もが一度は耳にしたことのあるであろう名曲を数多く残した彼は、ポピュラーミュージック界の頂点に立つ作曲家である。
ジャズや映画音楽の世界でも活躍し、1990年代にはエルヴィス・コステロとの共作アルバム『Painted from Memory』で『グラミー賞』を獲得するなど、常に第一線を走り続けてきた。そんなバカラックの栄光の軌跡を、彼の名曲とともに振り返る。また、バカラックからクリエイティブなインスピレーションを受けてきたTWEEDEESの沖井礼二にも、その魅力についてコメントをもらった。
さまざまなジャンルのアーティストが追悼コメントを寄稿。バート・バカラックの偉大なる功績:(文:黒田隆憲)
バカラックの訃報が伝えられると、世界中のミュージシャンが次々に追悼のコメントを発表し、その偉大なる才能を称えた。The Beach Boysの音楽的支柱であるブライアン・ウィルソンは、自身のTwitterにバカラックの通算4枚目のアルバム『Living Together』(1973年)のジャケット写真を上げ、「バートはぼくのヒーローであり、ぼくの作品にとても大きな影響を与えた」とコメントを寄せている。
バカラックの長年の友人であり、彼の代表曲を数多く歌ってきたディオンヌ・ワーウィックは、「バートがこの世を去ったことは、家族を失ったようなものです」と声明を発表。「私たちはよく笑い、よく衝突してきましたが、お互いの家族やルーツが私たちの関係にとって、もっとも重要であると理解し合う道を、いつも見つけていました」と、その特別な関係について美しい言葉で述べている(※1)。
一方、1990年代にバカラックとのコラボレーションにより『グラミー』を獲得したエルヴィス・コステロは、NYグラマシー・シアターで開催された自身の10夜連続公演の初日、The Beatlesのカバーで知られる“Baby It’s You”をアコースティックセットで、バカラックがディオンヌ・ワーウィックに提供した“Anyone Who Had a Heart”と、The Drifterのレパートリーとしても知られる“Please Stay”をピアノ弾き語りで披露。偉大なる友人でありパートナーに哀悼の意を捧げた(※2)。
他にもリアム・ギャラガーやティム・バージェス(The Charlatans)、スザンナ・ホフス(The Bangles)らがそれぞれの言葉で偉大な作曲家の死を悼んだ。
※1 Billboard「Dionne Warwick Says Burt Bacharach Death Is Like ‘Losing a Family Member’」参照(外部サイトを開く)
※2 Variety「Watch Elvis Costello Pay Tribute to Burt Bacharach at Opening Performance of 10-Night NYC Stand」参照参照(外部サイトを開く)
1928年5月12日、ミズーリ州カンザスシティで生まれたバート・バカラックは、ニューヨーク市クイーンズ区のフォレスト・ヒルズ地域で育った。カナダのモントリオールにあるマギル大学シューリック音楽スクール、ニューヨークのマネス音楽大学、サンタバーバラのウェスト音楽アカデミーで学んだ彼は、20代後半には無数の曲を書きためていた。
30歳を前に、「売れないソングライター」としてくすぶっていたバカラックの才能を最初に見抜いたのは、ドイツの女優で歌手のマレーネ・ディートリヒだった。50代になり銀幕から音楽の世界へと軸足を移していた彼女が、サポートピアニストの代打でオーディションを受けにきたバカラックを見初め、公私にわたるパートナーとしてオーケストラの指揮や楽曲のアレンジ、ピアノの伴奏などを任せたことで、彼は一躍注目を集めるようになったのだ。
ちょうど同じ頃、キング&ゴフィンやリーバー=ストーラー、バリー・マン&シンシア・ワイルなど多くのソングライターチームを輩出したニューヨーク市マンハッタンにあるオフィスビル、ブリル・ビルディングでバカラックは、作詞家ハル・デヴィッドと出会い一緒に曲を書き始める。その年には2人でマーティー・ロビンスに提供した“The Story of My Life”がヒットし、翌1958年にはイギリスで1位を記録。それまでの低迷期を打ち破り、売れっ子ソングライターチームとしての道をひた走ることとなった。
バカラックの黄金時代。作詞家ハル・デヴィッドとのコンビで書き上げた、「奇妙」かつ「風変わり」な名曲たち
バカラック&デヴィッドが1960年代〜1970年代に放ったヒット曲は枚挙にいとまがない。ここに紹介するのは、そのなかのほんの一握りだ。おそらくいま、もっとも知られているのはCarpentersが1970年に発表した“(They Long to Be)Close to You”(邦題:遙かなる影)だろう。
最初にレコーディングしたのはアメリカの俳優・歌手リチャード・チェンバレンで(1963年)、1964年にディオンヌ・ワーウィックが、1967年にダスティ・スプリングフィールドがこの曲を取り上げ、1968年にはバカラック本人もセルフカバーをしている。
映画『007/カジノ・ロワイヤル』の主題歌“The Look Of Love”(1967年)と同様、世界でもっともカバーされた楽曲の一つであり、近年ではフランク・オーシャンや藤井風などのバージョンが個人的に印象的だった。
藤井風“Close to You”(Spotifyを開く)
バカラックの楽曲は、目まぐるしく展開していく和声、よく聴くとかなりいびつなリズムパターン、そしてそれらをほとんど感じさせないシンプルで覚えやすいメロディーが特徴である。
ジャズのイディオムをポップスのフォーマットに持ち込み、当時大流行していたボサノバからの影響も色濃く反映させたことが、その作風を唯一無二のものにした。一度聴いたら耳にこびりつくような中毒性を持ち、どの曲も聴けば聴くほど奇妙かつ風変わりであることに気づかされる。
「これぞバカラック」という曲を一つ挙げるとするなら、筆者は迷うことなく“This Guy's in Love with You”を選ぶ。1968年にハーブ・アルパートが取り上げ、翌年ディオンヌ・ワーウィックがタイトルを"This girl's in love with you"に変えてリリース。バカラック本人もセルフカバーし、テリー・ホール(The Specials)やダスティ・スプリングフィールド、She & Himらもカバーした。
数少ない音数で紡がれたメロディーが、コードの変化によって波打ち際から気づけば沖まで流されてしまったかのように、その響きをドラマティックに変えていく。シンプルなようで複雑怪奇、ポップなようでアバンギャルド、ロマンティックなようで不穏に満ちた本当に不可思議な曲だ。
ジャズをルーツにもつバカラックの楽曲は、ジャズミュージシャンにも愛された。スタン・ゲッツやマッコイ・タイナーがバカラックの楽曲だけを演奏した『What The World Needs Now』(どちらも同タイトル)をはじめ、ビル・エヴァンスは“Alfie”、ウェス・モンゴメリーが“I Say A Little Prayer For You”(邦題:あなたに祈りを)、ジョージ・ベンソンが“Walk On By”などバカラックの楽曲を演奏している。
また映画音楽界に進出したバカラックは、映画『007/カジノ・ロワイヤル』のサントラのほか、映画『明日に向って撃て』(1969年)の主題歌“Raindrops Keep Fallin' On My Head”(邦題:雨にぬれても)ではオスカーにも輝いた(「主題歌賞」を受賞)。
エルヴィス・コステロとのコラボレーションにより、再びポップミュージックシーンの最前線へ
1980年代に入るとクリストファー・クロスの“Arthur's Theme(Best That You Can Do)"(1981年)や、ディオンヌ&フレンズ(※)の“That's What Friends Are For”(邦題:愛のハーモニー)など、よくいえば親しみやすい、やや意地悪な言い方をすれば手堅く保守的なポップソングを書くように。
※ディオンヌ・ワーウィック、エルトン・ジョン、グラディス・ナイト、スティーヴィー・ワンダーによるユニット
ディオンヌ&フレンズ“That's What Friends Are For”を聴く(Spotifyで開く)
このまま大御所感を漂わせながら、シーンからフェードアウトしていくのか……と思いきや、エルヴィス・コステロとのコラボレーションによってバカラックは再びポップミュージックの最前線へと躍り出たのだった。
もともとは、ブリル・ビルディングを舞台としたアリソン・アンダース脚本・監督の音楽映画『グレイス・オブ・マイ・ハート』(1996年)のために、書き下ろしの新曲“God Give Me Strength”を2人が共作したことがきっかけだった。そこで意気投合したバカラックとコステロは、1998年にフルアルバム『Painted from Memory』をリリースする。
コステロといえば、相棒ジョン・レノンを1980年に失いソングライターとしてしばらく低迷していたポール・マッカートニーの新しいパートナーとなり、1989年に“My Brave Face”や“Veronica”などの名曲を生み出した実績の持ち主だ。
バカラックとの本コラボでも、バカラックが本来持っていた先鋭的な作風を存分に引き出し、自らも素晴らしいボーカルを吹き込んだ。アルバム収録曲“I Still Have That Other Girl”は、『グラミー賞』ベストポップコラボレーション・ウィズ・ボーカルズを受賞している。
ポール・マッカートニー“My Brave Face”を聴く(Spotifyを開く)
その後も精力的に活動を続け、2005年にはじつに28年ぶりとなるソロアルバム『At This Time』をリリース。2020年には、ケイシー・マスグレイヴスのアルバム『Golden Hour』(2018年)をプロデュースしたことでも知られるソングライター / プロデューサーのダニエル・タシアンと組み、15年ぶりに新曲入りのアルバム『Blue Umbrella』をリリースした。
さらに同年4月には、6年ぶりの来日公演が東京・横浜・大阪のBillboard Liveで開催される予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大のため中止となってしまった。かえすがえすも残念でならない。
94歳で自然死。これを「大往生」と言わずしてなんと言おう。しかしながらコステロは、バカラックが亡くなったその日の夜、自身の公演を見に集まった満員のオーディエンスに向けて次のようなコメントを発したという。
「人は、高齢の人物がこの世を去るときに『まあ、大往生だったよね』などと言う。でもその人のことを愛していたら、そんな言い方はできないはずだ。ぼくは、『この男を愛していた』と胸を張って言えるよ」
エルヴィス・コステロ“God Give Me Strength”のライブ映像(2011年)
この世界を、この人生を美しく彩ってくれたバート・バカラックの楽曲たちは、これからもずっと生き続けることだろう。
猿真似を拒絶する独自性。ユースカルチャー全盛期のアメリカを体現するようなバカラックの音楽:(文:沖井礼二)
ぼくがまだ幼稚園児だった頃の話。『カリキュラマシーン』だったか『ピンポンパン(ママとあそぼう!ピンポンパン)』だったか、そういう幼児向けの番組内のあるコーナーのBGMが好きでした。面白ワクワクな曲。それから20年近く経った後、ぼくは音楽好きの大学生になり、「バート・バカラック」という作曲家を知りました。そして彼の作品を聴き漁る中で出会った、ハープ・アルバート&The Tijuana Brassによる『007/カジノ・ロワイヤル』のテーマ曲“Casino Royale”。まさにあの「面白ワクワクな曲」そのものでした。
きっと幼児向け番組制作会社に気の利いたセンスの持ち主がいたのでしょう。「あなたでしたか……!」バカラックという文字列をぼくが知るはるか前から、あなたはぼくを魅了していたのか。喜びとか感動とかいうより「まいりました」がその時のぼくの気持ちのいちばん的確な表現だと思います。
さてこの面白ワクワクの曲。幼稚園児の頃からいつでも脳内再生できますが、主にテーマを担っているのはメキシコ風の管アレンジ。いまこうして思い出すまでこの曲をメキシコ風だなんて思ったことはありませんでしたが、じつはこれこそがバカラックのいちばん不思議なところだと思います。
時代的に見てジャズやロック、ブラジル音楽、リズムアンドブルースなどさまざまな要素に影響を受けたはずの彼の音楽ですが、よーく考えないとそのルーツを探ろうとも思えないほどに独自性の高いポップスになっています。美味すぎて何から出汁を取っているのか考えさせてもくれない料理のような。もちろん分析することは可能なのですが、それすらも野暮に思わせるほどの魔力を放っています。そして分析した結果を仕事に活かそうとすると「あー、バカラック風ですねえ」という楽曲にしかならない。猿真似を拒絶する独自性。なんともフォロワー泣かせの作曲家とも言えます。
彼の編曲法も独特です。バカラック本人はクラシックの音楽教育を受けたそうですが、どうもあまりそれを感じさせない。音楽好きの人ならば「和声法」「対位法」という言葉をご存知かもしれません。オーケストラなどでさまざまな楽曲、音色を効果的に響かせるために必要な技法とされており、これらを一度知ってしまうと編曲家はほぼ一生逃れることのできない「先人の知恵の結晶」であり、また編曲家の腕の見せどころでもあります。よくできた複雑な管弦の絡み合いはそれだけで溜息が出そうなものです。
しかしなぜかバカラックの楽曲からはあまりこれらを感じさせない。主役になる音色 / 楽器が何かひとつあり、あとはことごとく伴奏というか。ほぼ同世代のヘンリー・マンシーニやエンニオ・モリコーネ、ミシェル・ルグランらと比べても異様に感じます。これに関してずっと謎に思っていたのですが、2014年に彼の来日コンサートを観に行ってひとつの仮説にたどり着きました。
彼は自身でピアノを弾いて歌も歌います。テクニカルなボーカリストではありませんが、朴訥としたスタイルと声がじつに素晴らしく、ソロアルバムにも自身のボーカル曲が何曲も入っています。彼はこの「ピアノと歌」のみの感覚で作曲し、それをシンプルにオーケストラに置き換えているのではないでしょうか。これだと彼のインスト曲の編曲が「主役と伴奏」に聞こえるのも合点がいきます。そして、それで充分であることにも。
あらゆるものを呑み込んで咀嚼し、強靭な胃袋で消化して独自の新しい何かにしてしまう怪物。これがぼくの持つバート・バカラックの印象です。これは奇しくも彼の活躍した1960年代~1970年代のユースカルチャーのありようにもオーバーラップしますが、同時に当時のアメリカそのものの姿にも似ています。
人類がいちばん元気だった時代、いちばん元気だった国に現れた、その世界そのものに似た作曲家。彼のような作曲家が現れることはもうないのかもしれないと思わざるを得ませんが、それもまた良しと感じさせるのもまたバート・バカラックの魔法かもしれません。
- リリース情報
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TWEEDEES
『World Record』(CD)
2022年12月3日(水)発売
価格:3,300円(税込)
品番:COCP-41930
1. Victoria
2. Béret Beast
3. ファズる心
4. ルーフトップ・ラプソディ
5. meta meta love
6. GIRLS MIGHTY
7. 二気筒の相棒
8. Sinfonia! Sinfonia!!! TWEEDEES ver.
9. Day Dream
10. Hello Hello
- プロフィール
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- 沖井礼二 (おきい れいじ)
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作詞・作曲・編曲家。ベーシスト。音楽プロデューサー。1997年、土岐麻子、矢野博康を誘いCymbalsを結成。同グループを率い8枚のシングル、5枚のフルアルバム、3枚のミニアルバムのプロデュース、作詞・作曲・編曲、アートディレクションを担当。2003年9月のCymbals解散以降は作・編曲家として多くのCM、ゲーム、アニメーション、テレビ番組などの音楽制作に携わる。イザベル・アンテナ、RYUTist、さくら学院、星野みちる、竹達彩奈、花澤香菜、尾崎由香、シティボーイズ公演、NHK『大!天才てれびくん』、アニメ『IDOLY PRYDE』、バンドじゃないもん!(以上楽曲提供)、清 竜人25(編曲)、いきものがかり、ムッシュかまやつ、伊藤美来(以上ベース演奏)など多岐にわたる分野で活躍中。2015年1月、清浦夏実(Vo)とのバンドTWEEDEESを発表。作詞・作曲・編曲、アートディレクションを担当。現在までに4枚のフルアルバム、2枚のミニアルバムをリリース。