もう1つの日本ヒップホップ史。90年代に始まったJウェッサイ文化。西海岸の音はどう受容され広まった?

日本のヒップホップ史を振り返る際に、非常に重要になってくる1990年代から2000年代初頭。日本では『さんぴんCAMP』などを軸に語られがちなこの年代。一方でアメリカでは、西海岸のDr.DreによるGファンクサウンドが勢いを増していた。1990年代後半〜2000年代前半、日本でもその影響を受けなかったとは考えにくいが、あまり多くが語られてこなかった印象を受ける。

そこで今回、1990年代から2000年代前半を中心に、どう日本で西海岸のサウンドが受容され、発展していったのかを考えたい。ライター・アボかど氏のテキストとともに、「Jウェッサイ」の歴史をクルーズしよう。

(メイン画像:Getty Images)

90年代〜2000年代初頭は、日本のヒップホップにおいて大きなターニングポイント

現在、日本でヒップホップが過去最高の盛り上がりを見せている。そう感じているリスナーは多いのではないだろうか。充実した作品が毎週のように届き、『POP YOURS』や『HOPE』などヒップホップ色の強い大型フェスも増加。ジャンルを問わない大型プレイリストにヒップホップが収録されることも当たり前の光景で、ヒップホップを熱心に聴いているリスナー以外も作品を楽しんでいることが珍しくなくなった。

日本におけるヒップホップ人気は、何度かのターニングポイントを経て今日の熱気につながっている。セールス面で重要視される機会が多いのは1990年代半ば頃から2000年代前半にかけての時期だろう。1990年代半ば頃は小沢健二とスチャダラパーによる”今夜はブギー・バック”(1994)、EAST END×YURI”DA.YO.NE”(1994)のヒットがあり、現在もたびたび語られるイベント『さんぴんCAMP』(1996)の開催もあった。

スチャダラパー×小沢健二”今夜はブギー・バック Smooth Rap”を聴く

EAST END×YURI”DA.YO.NE”を聴く

1990年代後半にはDragon Ashのシングル”Grateful Days”のヒットなどがあり、2000年代に入るとRIP SLYMEやDABOらが次々とメジャーデビュー。また、こういった華やかな話題だけではなく、ヒップホップを熱心に聴くリスナーたちがクラシックとして語り継ぐ名曲・名盤も多く生まれた。LAMP EYE”証言”やBUDDHA BRAND”人間発電所”なども1990年代半ば頃に生まれた曲だ。ポップなラップだけではなく、ある種の硬派なヒップホップも平行して聴かれていったのである。

LAMP EYE”証言”を聴く

しかし、そのどちらの切り口でも語られる機会が少なく、だが確実に人気を博していたタイプのヒップホップも存在した。いわゆる「Jウェッサイ」と呼ばれるものである。代表的なアーティストとしては、今年『POP YOURS』にも出演するOZROSAURUSや、”人間発電所”にも関わったDJ PMXを擁するDS455などが挙げられる。本稿ではJウェッサイについて考え、「もう一つの国内ヒップホップ史」を炙り出していく。

DS455『DabStar Clique』(2002)を聴く

ニューヨークサウンドに偏重していた、日本におけるヒップホップ批評

日本では古くからニューヨークを中心とした東海岸ヒップホップの人気が根強い。万物評論家の丸屋九兵衛は、ヒップホップ・アメリカ文化エッセイ集『丸屋九兵衛が選ぶ、2パックの決めゼリフ』(SPACE SHOWER BOOKS)で「かつて、日本における米ヒップホップ評論は、非常にニューヨーク偏重で、『東海岸崇拝』にすら見えた」と当時を振り返っている。

南部・ヒューストンのスタイルで長く活動するラッパーのDirty R.A.Yもスロウバックものの曲”1996”(2019)で「当時日本NY至上主義90パー。それ以外の奴らは肩身狭かった」「Clubに行ったって好きな曲流れない」とラップしており、GファンクのようなNY(=ブーンバップ)的ではないスタイルは本国での人気に反し、日本では傍流のような扱いであったことがうかがえる。ポップなヒップホップとして人気を集めたRIP SLYMEやスチャダラパーにしても、A Tribe Called QuestやDe La Soulのようなニューヨークヒップホップ、またはブーンバップスタイルからの影響を強く感じさせる音楽性だ。

「ウェッサイ」とは「西側」を意味する「Westside」から来ている言葉だが、「Jウェッサイ」という用語は関西のアーティストを指すものではない。西海岸ヒップホップからの影響を強く打ち出した音楽性の持ち主のことである。また、西海岸といえばThe PharcydeやMadlibなどに代表されるようなブーンバップ系のスタイルも盛んだが、この文脈における西海岸ヒップホップとは主に2PacやDr. Dreが取り組んでいたようなGファンクとその発展形のスタイルのことを指す。そこで、Jウェッサイを考えるためには、まずその参照元となった西海岸ヒップホップの日本における受容を考える必要がある。

Dr.Dre『The Chronic』(1992)を聴く

Dirty R.A.Y feat. MOSS.KEY”Ride With Me”(2021)を聴く

しかし、”1996”でも「そん時の唯一の教科書はBMR」というリリックがある通り、スペースシャワーネットワーク発行の音楽誌『bmr』は西海岸を含む非・東海岸ヒップホップも高く評価してきた。1990年代からSnoop Dogg(当時はSnoop Doggy Dog名義)やCoolioの来日公演も行なわれており、クラブカルチャーや批評の場での主流が東海岸ヒップホップだとしても、リスナーがある程度の数は存在していたことは確かである。

Coolio『Gangsta’s Paradise』(1995)を聴く

ローライダー文化によって育まれた「Jウェッサイ」カルチャー

ここで重要になってくると思われるのが、ローライダー誌の存在だ。西海岸のメキシコ系アメリカ人が1940年代に生んだカルチャーであるローライダー(※編注)は、Gファンクを中心とした西海岸ヒップホップとのつながりが強かった。Dr. DreやSnoop DoggなどのMVではローライダーをフィーチャーしたものが多く、アメリカのローライダー誌『Lowrider Magazine』にもIce Cubeなど西海岸のラッパーがたびたび登場。同誌は西海岸ヒップホップのコンピレーションもリリースしており、ローライダー文化を通して西海岸ヒップホップの魅力を発信していった。この動きが日本のウェッサイ愛好家を育んだ側面は無視できないだろう。

※編注:ローライダーとは
自動車を改造して楽しむ文化。車体を上下に跳ねさせる「ポッピング」が有名で、主に西海岸ヒップホップのMVなどによく使われる。

Ice Cube『AmeriKKKa's Most Wanted』(1990)を聴く

『Lowrider Magazine』は日本語版も制作されていたが、日本のローライダー系雑誌『CUSTOM LOWRiDING』もヒップホップを伝えてきた。同誌が紹介していたヒップホップは西海岸作品に限らなかったが、やはり西海岸ヒップホップとの結びつきは強い。Snoop DoggやJウェッサイ系レーベルのHOOD SOUNDの面々が表紙を飾ることもあったほか、アメリカのGファンク系レーベル・Death Row作品のコンピレーション『Custom Lowriding Presents California Love』(2003)のリリースなども行なっていた。

西海岸ヒップホップの人気は、ローライダー文化との接点や『bmr』誌の尽力などにより、主流ではなかったものの確実に存在していた。2000年代前半にはウェッサイブームと呼べるような状況も発生。本国アメリカでは2000年代半ば頃から南部勢の活躍に押されて西海岸ヒップホップは若干メインストリームでの勢いを失っていったが、日本では以降も独自の人気を築き上げていった。

西海岸のヒップホップグループのFoesumのメンバーで先日惜しくもこの世を去ったT-Dubbは、2008年の来日時の『bmr』によるインタビューで「アメリカだとみんなが、いま流行っているものにすぐ飛びつく。(中略)でも日本のファンは96年以来変わってない……どころか、ファンが増えてるんじゃないか?」と日本における西海岸ヒップホップ人気を語っている。

Foesum『Perfection』(1995)を聴く

Jウェッサイ系のスタイルは1990年代から既に現れていたが、その人気は2000年代に入ってから拡大した。その頃に活躍したアーティストとしては、BIG RON、詩音、GIPPER、N.C.B.Bなどが挙げられる。AK-69もJウェッサイのシーンと近かったアーティストだ。パイオニアであるDJ PMXらの影響なのか横浜で盛んだが、全国的にも見られることから地域性はそこまで強くはないと言えるだろう。しかし、日本のローライダー文化発祥の地である愛知からAK-69やEL LATINOのようなラッパーが登場したことは見逃せない。

BIG RON『GETTHO LUV』(2005)を聴く

詩音『Candy Girl』(2008)を聴く

GIPPER『GIP’ CODE』(2007)を聴く

N.C.B.B『The Mission』(2008)を聴く

また、EL LATINOはラップネームからして「ラティーノ」だが、ほかにもMoNa a.k.a Sad Girlのように「チカーノラップ」と呼ばれるメキシコ系アメリカ人のヒップホップからの影響を強く打ち出す例はいくつか見られる。これはやはりローライダー文化とヒップホップの蜜月から生まれたものと見ることができるだろう。

EL LATINO『Again』(2015)を聴く

MoNa a.k.a Sad Girl『SADGIRL ON THE STREET』(2009)を聴く

シティポップとの共通項や、現在のシーンとのつながり。Jウェッサイを今、聴き直す

Jウェッサイとして語られていたアーティストの作品では、Gファンクだけではなく当時のトレンドを取り入れたような曲もたびたび発見できる。現在BAD HOPやDeechなどのプロデュースで活躍するLil’Yukichiも、キャリア初期にはHOOD SOUND作品に参加していた。Jウェッサイは西海岸を起点にしつつ、広い意味で「アメリカ」のヒップホップからの影響をストレートに打ち出してきた音楽と言えるのかもしれない。

プレイリスト『Prod.by Lil’Yukichi』を聴く

また、Jウェッサイはサウンド面だけではなく、リリック面でもそれ以外のシーンとは少し違った傾向が見られる。(例外はあれど)「ワックMC」や「スキル」のようなトピックはJウェッサイではあまり多くなく、街、友情、パーティ、車、恋愛などがトピックになることが多い。

ここで気づくのが、Jウェッサイとシティポップの共通点である。シティポップも車にまつわる言葉が頻出し、街や恋愛について歌うことが多い。メロウでスムース、ブギーと隣接する音楽性も同様だ。音楽ディレクター、評論家の柴崎祐二は著書『シティポップとは何か』(河出書房新社)でシティポップが「米国産音楽への憧憬/同化」を巨大なベクトルとして持っていたことを指摘しているが、Jウェッサイもまた同様のものだ。アメリカへの憧れをストレートに出した結果、同じくアメリカへの憧れをストレートに出した過去の日本の音楽との共通点が生まれているのはなんとも興味深い。

アメリカのヒップホップからの影響をストレートに打ち出すJウェッサイ勢の試みは、WatsonやBAD HOPといった現行シーンのトレンドを汲んだスタイルを展開するラッパーたちの先駆けと言えるだろう。また、日本版Nate Doggのようなポジションを築き上げたシンガーのBIG RONや、歌とラップの両方を巧みにこなすMoNa a.k.a Sad Girlなどは、ラッパーが歌うことが当たり前となった現代なら当時とは違った魅力を感じることができる。先述したLil’YukichiやKOWICHIなど、Jウェッサイと近いところから登場して現行シーンを支えているアーティストの存在もある。シティポップとの共通点も含めて、Jウェッサイは今のリスニング感覚で聴くと新たな発見があるはずだ。

プレイリスト『+81 Connect: J-Hip Hopの「今」と「その先」』を聴く



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