(メイン画像:『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022』©2022 KAB Inc.)
2022年12月11日(日)、オンライン・ピアノコンサート『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022』が世界各国へ配信された。配信に向けて坂本龍一は「ライヴでコンサートをやりきる体力がない――。この形式での演奏を見ていただくのは、これが最後になるかもしれない」と語った。しかし、配信当日にわれわれが目の当たりにしたのはこれまでの音楽人生を背負い、いまもなお挑戦を続ける坂本龍一の姿だった。
坂本龍一によって生み出された革命的音楽とその創造性は、Yellow Magic Orchestra時代を知る古くからのファンのみならず、現代の若き音楽リスナーの心を震わせるものがある。「戦メリの坂本」として知っている若者も、彼の音楽的ヒストリーとその姿勢に触れることで、新しい「坂本龍一」に出会うことがきっとできるだろう。
そこで前作『async』から約6年ぶりとなるオリジナルアルバム『12』がリリースとなったいま、坂本龍一のコンプリートアートボックス『2020S』の制作過程を更新してきた連載『2020S BEHIND THE SCENE』にて公式インタビューを務めたライターの宮谷行美が、坂本のこれまでの音楽人生の歩みを振り返る。
YMOでの商業的成功と『戦メリ』で拓いた映画音楽への道
3才からピアノを始め、大学院時代よりスタジオミュージシャンとして活動していた坂本龍一は、1978年に細野晴臣と高橋幸宏とともにYMO(Yellow Magic Orchestra)を結成。シンセサイザーとコンピューターを組み合わせた革新的音楽を世に発信し、テクノ / ニューウェーブムーブメントを代表する存在となった。
1970年代にKraftwerkらが先駆けとなった、当時最先端の電子楽器を用いた新しいポップソングの様式である「テクノポップ」に多彩なアイデアと実験性、東洋的要素を加えたYMOの楽曲は唯一無二のものとして世界中の熱心な音楽リスナーたちを魅了した。一方、国内ではアイドル的人気を博し、商業的成功を収めた。
一方、坂本はYMO結成からほどなくして自身初のソロアルバム『千のナイフ』(1978年)でソロデビューを果たした。YMOと並行しながらユニット活動や楽曲参加、プロデュース業など精力的に活動し、1982年にはRCサクセションの忌野清志郎とのシングル“い・け・な・いルージュマジック”をリリースし、CMソングとしてヒットを記録した。
そして1983年公開の映画『戦場のメリークリスマス』で、坂本は映画音楽家としてキャリアをスタートさせる。大島渚監督本人から出演を直談判された坂本は、とっさに「映画音楽をさせてもらえるのであれば出演する」と答えた(※)。大島はその場ですぐに了承し、坂本はヨノイ大尉として映画に出演、そして後世に残る名曲“Merry Christmas Mr. Lawrence”を生み出した。
映画は大きな反響を呼び、坂本の音楽は高い評価を受け、『英国アカデミー賞』作曲賞を日本人として初めて受賞。わずか30秒で思い浮かんだというメロディーが、彼を世界へ導いた。
※:婦人画報「【坂本図書 第6回】坂本龍一 人生を変えた、大島渚監督との出会い」参照(外部サイトを開く)
同作で『第36回カンヌ国際映画祭』に出席した際に、大島の紹介でイタリアを代表する映画監督ベルナルド・ベルトルッチに出会い、1983年YMO散開(解散)後の1987年公開の『ラストエンペラー』に出演、音楽をTalking Headsのデヴィッド・バーン、中国の作曲家である蘇聡とともに担当した。
これにより『アカデミー賞』作曲賞、『グラミー賞』映画・テレビサウンドトラック部門など名だたる音楽賞を日本人として初めて受賞し、映画音楽の作曲家として確固たる地位を築いた。今日に至るまで、同監督作『シェルタリング・スカイ』(1991年)、『リトル・ブッダ』(1993年)、山田洋次監督作『母と暮せば』(2015年)、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督作『レヴェナント: 蘇えりし者』(2016年)、最新作にはコゴナダ監督作『アフター・ヤン』(2021年)など、数多の映画音楽を手がける。
YMO散解後は矢野顕子らと「MIDIレコード」を設立し、ソロ作品のなかでも名作として名高い『音楽図鑑』 (1984年)をリリース。以降はニューヨークに拠点を移し、数々のソロアルバムやアルヴァ・ノトやクリスチャン・フェネスなどの音楽家との共作のリリース、“energy flow”をはじめとしたタイアップ、オペラ『LIFE』(1999年)の制作、多方面で活躍するアーティストとのジャンルの垣根を超えたコラボレーションなど、現在まで多岐に渡る活動を繰り広げている。
坂本龍一を突き動かす、メロディーへの反抗と幼き頃からの探求心
坂本は10代の頃にピアニストの高橋悠治やジョン・ケージらのパフォーマンスをきっかけに現代音楽に目覚めて以降、幾度も「メロディー」に抗ってきた。メロディーにはさまざまな感情や想いを喚起させる力がある一方で、つくり手のエゴが押し付けられているような感覚にもなりうる。そのため坂本は、音楽構造そのものに密に交わるメロディーとなるまで熟考し、削り、整えていった。
そして坂本は、メロディーへの反抗を続けるなかで、偶然の産物が生み出す一期一会のサウンドに惹かれていく。YMO時代に見つけた機械的な精密さ、効率の良さのなかに生じる「エラー」や「ノイズ」から、より人間の意図が介入できないサウンドや歪み、揺れの魅力へのめり込んでいった。
そうして生まれたのが、2009年にリリースされた『out of noise』である。この作品で坂本は、音楽の「脱構築」を試みた。ワンフレーズを少しずつずらして重ねる“hibari”、“composition 0919”や、坂本のピアノの即興に合わせて他楽器が異なるテンポで鳴る“still life”などから整列された音楽の型を破り、北極圏で録音した氷や水の音、洞窟に響く鈴の音を使用した"ice"、"glacier"を通して、自然が放つ唯一無二の美しさとその奥ゆかしさを音楽に昇華させた(※)。
「音楽はメロディーではない」というかねてからの主張を大きく掲げるとともに、自然や人間などから生まれる不安定さ、非同期のなかに生じるノイズにこそ抗えない美があるということを強く教えてくれる作品となった。
※:坂本龍一『out of noise』初回限定盤付属のライナーノーツ、commmonsmag、ドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto:CODA』などを参照
坂本はさらなる「非同期な音楽」を求め、次作『async』(2017年)を完成させた。よりパーソナルな制作環境に身を置き、メロディーではなくサウンドのレイヤリングをより重視した。そして環境音に和楽器やピアノの音などを取り入れ、近代的な音楽と逆行したいという意思を反映させた。東日本大震災の際に津波に襲われたピアノを使用したという“ZURE”では、ノイズの隙間に調律の狂うピアノが高らかに鳴った(※)。
調律が狂うということは、ピアノ本来の音に戻ろうしているということでもある。制限が解かれた津波ピアノは、坂本にとって長年求め続けた「自由」そのものだったのかもしれない。
※:OTOTOY「坂本龍一『async』について語る──メール・インタヴュー」参照(外部サイトを開く)
クラシック音楽や「民族音楽」が彼の音楽的ルーツであることは言うまでもない。しかし、彼の音楽活動やマインドの根幹にあるのは「聴いたことのない音を知りたい」という純粋な探求心ただひとつなのではないか。
雨の音も呼吸する音もホワイトノイズも、すべてが音楽となり得ること。そしてわれわれ人間と同じように楽器たちもまた、自然の恩恵を受けた産物である。それらの事実は、坂本に果てしない自由を与えるとともに、幼き頃からの探求心を絶えずくすぐり続けるのだ。
最後まで音楽をつくり続ける──「生」を提示する『12』
月刊文芸誌『新潮』2022年7月号より、坂本龍一による自伝「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」の連載がスタートした。連載開始にあたり、坂本は「自分の人生を改めて振り返っておこうという気持ちが強くなっている」と述べた。そう考えると、『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022』は、キャリアを総括する選曲だったように思える。
あの日、坂本は衰えた身体と向き合いながらも、かわらずみずみずしく澄んだピアノの音色を奏でた。身体のなかで生まれたエネルギーは水のようにしなやかに流れ、指先を伝う。そして鍵盤の上で紙に水が滲むようにじんわりと広がり、音となって柔らかく響く。そんな一連の光景が見えるような気さえした。
既存曲にはいまだからこそできるさまざまなアレンジを施し、われわれに新しい楽しみを届けてくれた。まるで水が雨にも霧にも氷にも変化するように、坂本の音楽は年月をかけて多様に変化していくのだろう。これからもずっと。
そして約6年ぶりにリリースされるニューアルバム『12』は、がんとの厳しい闘病生活のなかで「日々のスケッチ」として制作された音楽が集う作品となる。主にピアノとシンセサイザーで構成されており、坂本の息遣いもそのまま録音されている。
最後の曲”20220304“には、2020年に制作したアートボックス『2020S』で坂本龍一が大層気に入っていた陶器の音も使用されていた。それぞれの曲名は作曲日の日付となっており、日を追うごとに変化する坂本の心情を垣間見るという楽しみもあるだろう。
また『12』は、『out of noise』『async』を経て、より強固となった坂本の「響き」へのこだわりや興味が、より体感的かつ感覚的にとらえられた楽曲群であるようにも思う。静かな環境で聴けば、ノイズともとれる細やかな環境音まで隅々をとらえることができ、まるで坂本の生活や感覚とダイレクトにつながるような気がした。一方、街の喧騒のなかで聴けば、騒々しさのなかからメロディーや音の余韻がじんわりと浮かび上がり、落ち着きや安らぎを感じさせた。音楽にトリップするというよりも、自身の日常と音楽がつながったような感覚だ。
「あえて手を施さない」ことが、聴く環境で異なる響きや印象を与えているのかもしれない。そこには流麗なピアノも華やかな装飾もない。その分、心地のよい静けさと聴く人の心をやさしく撫でるような温かさがある。あえて手を施さず残した音楽のスケッチたちは、坂本龍一の「生」をありのまま提示した。
「ラストライブ」があったとはいえ、過去の『新潮』で「敬愛するバッハやドビュッシーのように最後の瞬間まで音楽をつくれたらと願っています」と本人が述べていたように、最後の最後まで、彼は音楽をつくり続けるに違いない。
また『2020S』の制作時、生物学者の福岡伸一との対話で「非線形的で時間軸がない、順序が管理されていない音楽をつくりたい」とも述べていた。
音楽は時間軸があってこそ成立する芸術、という概念に対して挑む坂本の姿勢に、新しい音楽の誕生への期待を寄せるとともに、ここからも続く坂本の音楽人生をしかと見届けたいと思う。
- リリース情報
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坂本龍一
『12』
2023年1月17日(火)発売
価格:3,410円(税込)
RZCM-77657
- プロフィール
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- 坂本龍一 (さかもと りゅういち)
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1952年東京生まれ。1978年『千のナイフ』でソロデビュー。同年YELLOW MAGIC ORCHESTRA(YMO)を結成。散開後も多方面で活躍。映画『戦場のメリークリスマス』(大島渚監督作品)で英国アカデミー賞を、映画『ラストエンペラー』(ベルナルド・ベルトリッチ監督作品)の音楽ではアカデミーオリジナル音楽作曲賞、グラミー賞、他を受賞。常に革新的なサウンドを追求する姿勢は世界的評価を得ている。2014年7月、中咽頭癌の罹患を発表したが、2015年、山田洋次監督作品『母と暮せば』とアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督作品『レヴェナント:蘇えりし者』の音楽制作で復帰を果した。2017年春には8年ぶりとなるソロアルバム『async』を、同年末よりICC(東京)において新作のインスタレーション『IS YOUR TIME』を発表。その後も多数の映画音楽制作を手掛けるなどハイペースの活動がつづいている。