1984年に芸能界デビュー、同年“青春のいじわる”で歌手デビューし、アイドルとして人気を博した菊池桃子が、当時彼女の全楽曲を手掛けた作曲家の林哲司と新曲を2曲レコーディング。当時の楽曲とともに収録したコンセプトアルバム『Shadow』を2022年7月27日にリリースした。本作は、Rainych(レイニッチ)がカバーした“Blind Curve”や、Night Tempoがリミックスした“Good Friend”など、国内外で広がるシティポップ再評価の文脈で注目を集めている楽曲や、シングルヒット曲以外のいわゆる「隠れた名曲」に焦点を当てながら、林自らがセレクトし最新のマスタリングを施したユニークな内容となっている。
Spotifyは『Shadow』のリリースを記念し、ライター&エディターの田渕浩久をインタビュアーに迎え、菊池桃子と林哲司の対談を実施。菊池桃子のすべての楽曲を手掛けた林が、今回のためにキュレーションした30曲に及ぶプレイリストを元に、当時の制作エピソードを交えながら詳細に語り尽くす貴重な内容となっている。
「アルバムのなかでも何度も聴いてみたい曲がある」。最新アルバム制作の経緯
冒頭ではまず、最新アルバム『Shadow』を制作することになった経緯について林が語る。じつはこの企画は2年ほど前から考えていたという。
林:菊池桃子さんに提供した作品は、自分でも結構好きで。決してシングル曲だけじゃなくて、アルバムのなかでも何度も聴いてみたい曲がある。そういうものを集めた作品集をつくってみたいというのが今作をつくるきっかけでした。
折しも2021年、菊池桃子の楽曲が「サブスク解禁」されたばかり。冒頭で述べたように、シティポップ再評価の文脈で自身の過去曲が再び注目を集めていることについて、菊池本人、そして林はどう思っているのだろうか。
菊池:母国語が違う国の方たちが聴いてくださっていることは、単純に嬉しかったですね。(これまで)日本で聞いてくださっていた方たちって、歌詞も含めての感触だったと思うんですけど、(海外で再評価されたのは)歌詞の世界観を引き算しても、私の声を単純に「好き」って思ってくださった部分もあるのかなと。
林:ぼくたちが洋楽を聴くときに、英語の歌詞の内容がつぶさにわかるわけじゃないので、ボーカリストの色合い、曲調も含めて受け止めるところもある。そういう意味で考えると桃ちゃんの声が、一つのサウンド的な要素として海外の人たちが喜んで聴いてくれたんじゃないかな。
「清楚でけなげな雰囲気」をサウンドに活かしつつ、アートワークにもこだわった
林がキュレーションしたプレイリストは、菊池の代表曲が時系列に並ぶ。冒頭曲はもちろん、1984年にリリースされた彼女のデビュー曲“青春のいじわる”である。
初めて菊池が林と会ったのは、都内のレコーディングスタジオ。当時の林は杉山清貴&オメガトライブを手がけており、その現場に高校生だった菊池が訪れたことがすべての始まりだった。
林:制服姿の菊池桃子さんが現れたときは、正直驚きました。けなげかつ清楚な感じで、「えー、これからデビュー? ちょっと芸能界に入れたくないな」と思いました。
菊池:覚えてますよ。電車を乗り継いで、「(無事に)目的地まで着けるのかな?」って。スタジオのなかではオメガトライブの音楽が流れていて、中学生の自分には刺激的すぎました。仲間に入れてもらえることが本当に嬉しかったです。
当時、作家のなかではトータルの売上枚数でトップを誇るなど多忙を極めていた林。意外にもアイドルソングを手がけるのは菊池が初めてだったという。
林:もともとギラギラしたものやウェットなものは苦手で(笑)、最初にお会いしたときに菊池桃子さんが醸し出していた「清楚でけなげな雰囲気」というものが、そのままぼくのつくり出す音楽へと変わっていった気がします。
当時、カメラに向かってにっこりと微笑むポートレート的なジャケット写真が多いなかで、デビュー曲“青春のいじわる”を含む、菊池桃子のファーストアルバム『OCEAN SIDE』は、それとは一線を画すアートワークが話題となった。
菊池:サウンドもそうですし、ジャケットもあとから「アイドルっぽくないね」と言われるようになったのですが、当時から「これがカッコいい!」と思っていました(笑)。
林:ぼくら(制作チーム)の命題は、「大学生が持っていてもおかしくないアルバムをつくろう」というものでした。当時、アイドルのアルバムをバッグに入れず、そのまま持つのって、大学生くらいになると抵抗があったじゃないですか。菊池桃子の『OCEAN SIDE』は、持っていてもOKと思える内容、アートワークにしようと思ってつくっていましたね。
菊池:そういうコンセプトのなかに参加できていることが本当に幸せでいっぱいでした。
ファーストアルバムを発表後、映画やドラマへの出演オファーが殺到していた菊池。今回の対談では、「こんなに長く芸能界にいるつもりはなくて、いつか就職すると思っていた」「高校は進学コースで勉強も真面目にしていたから、寝る時間もなかった」など、アイドルとして絶頂期を迎える高校時代の思い出も語っている。
また、1985年のセカンドアルバム『TROPIC of CAPRICORN』について林は、「ようやく菊池桃子のイメージと自分の作家性が密接に結びつき、シングルでもアルバムでもしっかりと結果を出し、多くの人が菊池桃子を愛しているという実感もあった。作家として『弾みのついた時期』だった」と話す。
さらに、名曲“もう逢えないかもしれない”におけるリズム(特にBメロ)の特異性や、それを直感的に理解した菊池がこの8ビートの楽曲を「心のなかでは16ビートを意識しながら歌っていた」など、当事者ならではの貴重なエピソードが次々と飛び出す。「外見から感じる菊池桃子像とは違い、本人は楽曲の好みも意外とアグレッシブだったりするんです。ちょっとロックっぽいものが好きだったりして、音楽的に面白い趣向があるなと感じることが当時からありました」という林の証言も興味深い。
「音楽が好き」とあらためて実感した。35年のときを経た二人のコラボレーション
現在、世界的に再評価が進み再ヒットを記録している1986年の通算3枚目『ADVENTURE』では、林いわく「菊池桃子の『サージェント・ペパーズ~』を目指していた」ことや、シティポップブームであらためて見直されている隠れた名曲“Mystical Composer”が、じつはアルバムのなかでアグレッシブな楽曲の「橋渡し」的な役割としてつくった楽曲だったことなど、かなりコンセプチャルにアルバムをつくっていたことも明かされる。
「清楚でけなげ」なアイドル菊池桃子は、決して「つくられた虚構の存在」ではない。デビュー前の菊池の姿を見た、林の「リアルな第一印象」からスタートしているし、その後の作品も決して「お仕着せ」ではなく、二人のコラボレーションによってつくり上げられた「表現」であったことが、今回の対談を聞くとよくわかる。
林:正直、35年以上前の作品にまたスポットが当たるとは本当に思いませんでした。自分自身が好きになれると思って書いてきた楽曲を、桃子さんに歌ってもらって一つの作品としてリリースしてきて。例えば、自分のキャリアにおけるベストアルバムをつくったときに菊池桃子作品は間違いなくたくさん入ってくると思うのですが、今回それが、こういうかたちで実現できたことは一つの喜びです。
35年経って、また(彼女と)同じ仕事場にいられることも幸せですし、新しい作品を生み出せたことも幸せですし、それを聴いてくださる方がたくさんいらっしゃるということも、作家として嬉しい限りです。
最後に菊池は「今後の展望」について、このように語っている。
菊池:今回新曲をレコーディングさせていただいて、あらためて音楽が好きだと実感しました。また歌う機会が続いていくといいなと思います。
- プロフィール
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- 菊池桃子 (きくち ももこ)
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1984年に、映画『パンツの穴』のヒロインとしてスクリーンデビューし、同年、“青春のいじわる“で歌手としてもデビュー。アイドルとして人気を博し、1985年に当時の最年少公演記録となる17歳で日本武道館公演を成功、その年リリースした“卒業-GRADUATION-“は自身初のオリコンウィークリーチャート1位を記録し、以降7作品連続でオリコン週間1位を獲得。アイドル歌手としてのデビュー以来、第26回日本レコード大賞新人賞、日本レコードセールス大賞、エランドール賞新人賞など、数々の賞を受賞している。当時の楽曲ほとんどすべてを担当している作曲家・林哲司の創り出す世界観は、80年代、アイドルソングとしては異質なものだったが、近年の海外中心としたジャパニーズシティポップのブームにより再評価がなされ、海外でもアルバム『OCEAN SIDE』収録の“Blind Curve”がカバーされて話題に。さらに昨年、当時の全楽曲を音楽ストリーミングサービスにて配信開始し、その翌月には、プロデューサー / DJのNight Tempoによる人気リエディットシリーズ「昭和グルーヴ」では菊池桃子がフィーチャーされた。人気のシングル曲に限らず、その多くの楽曲が世界各国のリスナーを魅了し続ける。
- 林哲司 (はやし てつじ)
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1972年チリ音楽祭をきっかけに、翌’73年シンガー・ソングライターとしてデビュー。以後作曲家としての活動を中心に作品を発表。洋楽的なポップス・センスをベースにしたメロディーやサウンドは、いち早く海外で高い評価を得て、UKポップ・ロックグループ、ジグソーに提供した“If I Have To Go Away”が全米チャート、UKチャートをはじめ欧米でヒット。その後舞台を日本に移し、’80年代の音楽シーンに数々のヒット曲を送り込む。竹内まりや“セプテンバー”、上田正樹“悲しい色やね”、杏里“悲しみがとまらない”、杉山清貴&オメガトライブ“ふたりの夏物語”など全シングル、稲垣潤一“思い出のビーチクラブ”など、1,500曲余りの発表作品は、今日のJ-POPの指向となった。また、映画『ハチ公物語』『遠き落日』『釣りバカ日誌13』やTVドラマ『人生は上々だ』『ブランド』などの映画音楽、Jリーグ・清水エスパルス公式応援歌、国民体育大会『NEW!! わかふじ国体』など、テーマ音楽、イベント音楽の分野においても多数の作品を提供。近年はクラシック作品や邦楽曲などに取組み、その作曲活動も多岐にわたる。