堀正輝×George、ボカロ世代にもR&Bシンガーにも求められる理由

DTMを使って一人でもクオリティの高い音源がつくれるようになり、同期を使ったライブパフォーマンスが一般的になるなかで、数多くの若手を制作やライブでサポートしている二人のキーパーソン。それがドラマー / ビートプロデューサーの堀正輝と、MOP of HEADのGeorgeである。

二人はもともとエレクトロユニット80KIDZのサポートを行ない、近年はiriのサポートでも現場をともにしているが、ほかにも堀は米津玄師、ちゃんみな、Eve、須田景凪など、Georgeは鍵盤奏者やマニュピレーターとして、YOASOBI、sumika、向井太一など、ボカロ出身のクリエイターから次世代のR&Bシンガー / ラッパーにまで、幅広く関わっている。

80KIDZ、MOP of HEAD、堀のメインバンドだったSCAM CIRCLEは2006年の結成。1990~2000年代のクラブミュージックから影響を受け、世代でいうとエレクトロブームの世代にあたり、打ち込みの音源をバンドセットで表現することをいち早くやってきた世代といえる。

そして、それぞれのバンドのスタートから15年を経て、立ち位置こそ変われども、彼らがいまの若手を下支えしているということからは、日本の音楽シーンの変遷を紐解くことができるはず。堀とGeorgeにここまでの歩みを聞いた。

「10年前は『ライブで同期を使うことは邪道』という風潮があった」(堀)

―最初に二人が知り合ったのは80KIDZのサポートですか?

:まずぼくが80KIDZのサポートをしてて、MOP of HEADと対バンしたのが最初なのかな。

George:もう10年前くらい?

:ぼくが札幌から上京したのが2013年だから、その前の2012年ぐらいじゃないかな。だから、10年経ったか経ってないかぐらい。そのあと何年かしてGeorgeが80KIDZのサポートに入ることになって、一緒にツアーを周って。でもそのころあんまりサポートはやってなかったよね?

George:全然やってなかったですね。基本的に自分のバンドだけでした。

:俺もまだ全然サポートはやってなくて。「ドラムで食べていくぞ」と東京に来たわけじゃなく、「どうせ一生音楽をやり続けるなら、一度は東京に住んでやってみたい」という感じでした。

堀正輝(ほり まさき)
1981年生まれ。北海道札幌出身。15歳のときにバンドを始め、舘山健二氏、阿部一仁氏に師事。自身のバンドSCAM CIRCLE、ARDBECKの活動を経て、現在はさまざまなアーティストのライブ、レコーディング、コライトなどを行っている。また2013年よりソロ名義でも制作を開始しており、楽曲提供やリミックスなども手掛けている。

―当時堀さんはSCAM CIRCLEのメンバーとして活動していて、そのころから「ビートプロデューサー」を名乗っていましたよね。もともとただドラムを叩くだけじゃなくて、自分でビートを組んでいたわけですが、どういう音楽がルーツになっていたのでしょうか?

SCAM CIRCLE『Vein』を聴く(Spotifyを開く

:最初は中学の同級生がギターをやってて、その人が聴いてたものをよくわからず聴いてた感じなんですけど、ちゃんと音楽を聴くようになって、まずグランジとかミクスチャーにハマりました。それでSCAM CIRCLEを始めたころにPortisheadを聴かされたんですよ。「この世にこんなかっこいいものがあるんだ」って、すごくしっくり来ました。そこからMassive Attackを聴くようにもなって。

―イギリス・ブリストルのトリップホップ勢ですね。

Portishead『Dummy』を聴く(Spotifyを開く

Massive Attack『Collected』を聴く(Spotifyを開く

:そこにどっぷりハマって、そこからPrefuse 73にいったり。当時はドラマーとしてどう個性を伸ばしたらいいのかってことばかり考えてたんです。

海外にも日本にも、素晴らしいドラマーってホントにたくさんいるので、最初は好きなドラマーを見つけたら、今度はその人が影響を受けたドラマーを掘ってみようとやっていたんです。でも、ずっと「個性がない」といわれてた時期があって、そのときものすごく悩んで。みんなと同じ人に影響を受けても、頭ひとつ抜けるのは難しそうだと思って、ちょっと「逃げ」の発想ですけど、違うものに影響を受けようと思ったんですよね。

で、クラブミュージックが好きだから、Prefuse 73みたいな、サンプルをチョップ(サンプリングした音源をさらに細かく分割して再構築すること)してつくられたビートを再現したら個性になるんじゃないかと思ったんです。安易な発想ですけど。バンドでそういう曲をやると、ライブではどう演奏したらよいかわからなくて。そのころはYouTubeもなかったから、海外のそういうジャンルのアーティストのライブ映像を探しまくって、研究してました。

Prefuse 73『One Word Extinguisher』を聴く(Spotifyを開く

―まずは「人と違うことをやりたい」というのが大きくて、そのための手段がクラブミュージックだったと。結果的には、そこで培ったものがいまにつながっていますよね。

George:もはや代えの効かない人ですもんね。

:「とにかく代えの効かない人にならないといけない」っていうことはずっと思ってました。ただ結局は好きなことしかやれなくて、それ以外だと続かないんですよ。だから、運がよかったんです。ぼくが上京したころはライブで同期を使うこと(打ち込み音源を流すこと)ってたぶんあまりなかったんです。

―「同期だとグルーヴが出ない」みたいないわれ方をされてましたよね。

:「ただ音源を再現しても意味がない」っていうのはもちろんそうなんですけど、同期を使うことと「ただ音源を再現する」ことは本当は違うのに、「同期を使うのは邪道」っていう風潮はあった気がしますね。

「当時はまだ、クラブに遊びに行く人とライブに遊びに行く人が完全に分かれていた」(George)

―MOP of HEADは同期を使わずにクラブミュージックを生演奏するバンドなわけですが、もともとどういったアーティストがリファレンスになっていたのでしょうか?

MOP of HEAD『Vitalize』を聴く(Spotifyを開く

George:Led ZeppelinとThe Chemical Brothersを合体させたいっていうだけです。

:そのままじゃん、MOP of HEAD(笑)。

George:「なんでThe Chemical Brothersは二人なんだよ。ドラムいてほしいな」とか「ジミー・ペイジのギターが入ってたらかっこいいな」みたいな想像をやってみた感じ。

The Chemical Brothers『Brotherhood』を聴く(Spotifyを開く

George:ただ同期を使わなかったのは、単純にパソコンを買う金がなかったっていうのも大きくて(笑)。とにかくそのときあるものでどうやったらいいかを考えて、それが結果バンドの最初の基盤になったなと思います。

George(ジョージ)
MOP of HEADのメンバー。作曲家 / アレンジャー / キーボーディスト / マニピュレーター / DJとして多岐にわたって活動中。ライブでは鍵盤+独自のマニピュレートシステムを構築し、様々なアーティストのライブに参加。ライブサウンドプロデューサー / マニピュレーターとして、YOASOBI、sumikaを担当。鍵盤+マニピュレーターとして、iri、向井太一、the chef cooks meなどのライブ、ツアーに帯同。作曲、アレンジャー、リミキサーとして、V6、東方神起、澁谷逆太郎(SUPER BEAVER)、Tempalay、SHE IS SUMMERなどの作品を手がける。DJとして『FUJI ROCK FESTIVAL』に出演。SKRILLEX、BOYS NOIZE、Peter Hook(ex NewOrder)のオープニングDJを担当。

George:でも当時ぼくらみたいなバンドは対バン相手がいなかったんですよね。まだクラブに遊びに行く人とライブに遊びに行く人が完全にセパレートしてた気がする。

:DJをやるときもあって、そうするとクラブ界隈の人たちが聴きにくるけど、ライブはロックバンドに混ざってやったりしていましたね。「クラブミュージックをバンドでやる」みたいな中間の人は本当に少なかった。いまでこそインディーズでもそういう人たちがいっぱいいますけどね。

―それこそ日本では80KIDZの周辺がひとつの突破口になり、ニューレイヴ~エレクトロが盛り上がることで、少しずつライブハウスとクラブの壁が崩れていきましたよね。

80KIDZ『This Is My Shit』を聴く(Spotifyを開く

プレイリスト『80KIDZ Works』を聴く(Spotifyを開く

George:ただ、そこからメジャーシーンに行った人はいなかったんですよ。もっと前だと電気グルーヴとかMAD CAPSULE MARKETSがドーンって行きましたけど、ぼくらはあくまで「クラブミュージック」にとどまったというか。

:そんな時代にそういうバンドをやってて、「ドラマーとしてサポートで食っていくぞ」とはならないじゃないですか? なので、最初は「一回くらい東京に住みたい」と思って、半分思い出づくりのような感覚でいましたけど、出会う人出会う人が刺激的すぎて。

―当時のお互いに対する印象も聞いてみたいです。

:Georgeのことは、異物として見てましたね(笑)。キーボーディストとしてもフロントマンとしても見てなかったし、バンドマンって感じでもないし、サポートをしてたわけでもない。クラブミュージックもロックも好きで、なんかよくわかんない、みたいな(笑)。名前もGeorgeだし、あんまり他にいない感じだったなって。

George:ぼくから見た堀さんもそうで、まわりにいないタイプのドラマーでした。そもそもまわりに「サポートミュージシャン」がいなかったんですよね。だから「堀さんが誰々のバンドで叩くみたい」っていうのを聞いて、そういうキャリアもあるんだって思いました。

「オリジナルを追いかけ始めたら行き詰まる」。打ち込み音源をライブで表現するときに大事なこと

―Georgeさんから見て、堀さんはどんな部分が他のドラマーと違うと感じていましたか?

George:一番話が早いというか、説明する必要がないんですよね。ドラマーで、同期と演奏する感覚がベーシックにある人って、ほとんどいない気がするんですよ。

:上京していろんなサポートをするなかで、ただ打ち込みの音源を生に置き換えるだけじゃなくて、ライブでやる意味を考えるようになりました。同期と一緒にどういうふうに立ち回るか、そこはもう模索ですよね。現場によって正解が違うから。

「こういう曲はこう演奏したらかっこいい!」っていう自分なりの答えをつねに持ちつつも、そうじゃないといわれたときに「他にこういう感じもかっこいいよね」という幅を持っていようと思っています。そういうなかでGeorgeの存在は貴重なんです。iriちゃんの現場でも「この曲はこうやったらかっこいい」っていう感覚が、なにもしゃべらなくても一緒なんですよ。

George:「どこを生で叩いて、どれぐらいの割合でシーケンスを出す」「この曲はこうなってるから、このシェイカーが鳴ってないとスイングしない」とかって、お互いプレイヤーとして、というよりは、データを見てデスクトップ上で話せてる感覚というか。

:たとえば、ライブのサポートをするときに、一回目のリハ以降はあまりオリジナル音源を聴かないようにしています。リハに入るまではすごく聴くんですけど、リハ後はリハ音源をたくさん聴くようにしてます。そのほうが、リハを重ねるうちにオリジナル音源とはちょっと違う要素が自然と入ってくるんですよね。

George:リハーサルをしていくうちに、アーティストから「こうしたい」っていうのが出てくるんで、だんだんそっちの方向で固まってくると手応えはあるんですけど、終わったあとにオリジナルの音源を聴いて、「こんな感じだったっけ?」みたいになることはよくあります。

でもそれって、最初にちゃんと音源を再現できてるからこその気がするんです。堀さんは最初から音源に近い状態でリハに入れる。でも同期系の音楽って、それができてないと永遠にオリジナルをみんなで追っていくことになると思うんですよ。

:オリジナルを追いかけ始めたら行き詰まりますね。まずはオリジナルをたくさん聴いて、自分なりのライブの美学と照らし合わせながら再現込みでトライする。それがうまくいったあと、そこをベーシックにして変化させていくのが好きです。

―オリジナルが再現できてこそのライブアレンジだと。

George:最近はリハに入る前に「この曲、堀さん大変だろうな」っていうのがわかってくるようになりました(笑)。音源のよさを残しつつライブでよくするのが難しい曲ってあるんですよね。この前のiriちゃんのツアーでやった曲でいうと“東へ西へ”とか。音源に追いつくことはできるんですけど、さらによくするための余白が少ないというか。

iri“東へ西へ”を聴く(Spotifyを開く

:たしかにすごく悩んだけど、俺的にはあの曲はドラムで違いを出す必要がないというか、それをやると崩れていくと思ったんです。なので、ドラムは基本再現することに徹して、あとはベースやほかの楽器に熱を加えてもらおう、みたいな発想ですね。

昔はドラマーならドラムでなにか絶対ライブっぽく変えないといけないと思って苦しんでましたけど、それで曲が壊れるのは嫌なので、いまは自分だけじゃなく、全員でどうつくるかを考えられるようになりました。

若手アーティストと堀が世代を超えて共有する「ミックス感」

―お二人ともいまは多くの人の制作やライブをサポートしていて、そこにはやはり時代感も紐づいているように思います。それこそ昔はライブで同期を使うことが一般的ではなかったけど、いまはDTMで曲をつくることが普通になって、同期を使って、生と打ち込みを混ぜてライブをすることが普通になった。そんななかで、お二人の活躍する機会が増えたというのは、必然の結果なのかなって。

George:もっと早くこうなってほしかったですけどね(笑)。

:昔は曲ができてもメンバーがいなかったらライブはできないと思ってましたよね。「これを弾ける人がメンバーにいない」という音は、そもそも曲に使えないのが普通。ギター、ベース、ドラムがメンバーにいて、その人たちができる範囲で曲をつくってた。でも、いまは家で一人でも曲をつくれる環境があるわけで、だったらライブをするときに同期が増えるのは必然だなって。

―現在の日本ではボカロ出身のクリエイターが数多く活躍しているわけですが、堀さんが米津玄師さん、GeorgeさんがYOASOBIのサポートをしているというのも象徴的だなと感じます。

:米津くんのレコーディングに参加させてもらったのは上京してすぐのころだったので、自分も手探りでしたね。クラブミュージックばっかりやってきてたので、歌ものやロック系の曲はすごく新鮮で。自分がそういう人のサポートをできるんだっていうのが面白くて、のめり込んで勉強してました。

米津玄師『ピースサイン』を聴く(Spotifyを開く

―自分のルーツと違うからこそ、面白味と大変さがあったと。

:ただ、ルーツにまったくないわけではなくて、自分もちゃんと知ってる音楽なんですよね。ぼくが関わらせてもらっているアーティストはだいたいぼくよりも世代がちょっと下になるので、影響を受けてきたものは違うんですけど、それでも理解できるというか。どこかでリンクしてるんだろうなっていうのは感じながらやってます。

―その「リンクしてる部分」を言葉にしてもらうことってできますか?

:言葉にするのはなかなか難しいんですよね……iriちゃんとちゃんみなって、たとえですけど、アメリカでいうと西と東くらい違うじゃないですか。ぼくの勝手な解釈ですけど、iriちゃんのベースにはジャズがあって、ちゃんみなのベースにはヒップホップがある。でもiriちゃんの曲にもトラップビートが入っている曲もあるし、ちゃんみなの新しいアルバムにはロックやジャズの要素があったりして、もうどっちがどっちとか関係ない、とにかくミックスされていきますよね。

ちゃんみな『ハレンチ』を聴く(Spotifyを開く

:みんなどんどん次のフェーズに向かっているので、同じところにとどまっていたら、あっという間に置いていかれる。そんな感覚があります。

―ボカロの出身でいうと、初期はロック要素が強かったけど、どんどんR&Bやヒップホップの要素が入ってくるアーティストも多いですよね。でもきっと、そういう現代的なミックス感を堀さんはもともと持っていて、そこがいまの若いつくり手ともリンクする部分なのかもしれない。

:そうなのかもしれないですね。

「マスに刺さらないものが好きだから、大衆的なものに対して素直になれるなって感じがする」(George)

―GeorgeさんがマニピュレーターとしてYOASOBIのライブに関わるようになったのはどういう経緯だったのでしょうか?

George:YOASABIがライブをやるにあたって、バンドはメンバーの知り合いとかで先に固まってたみたいで。俺にはマニピュレーターを軸として、リハを見てほしいといわれました。

でも、呼ばれたときYOASOBIのことをそこまでよく知らなかったんですよ。すでに“夜に駆ける”がめちゃめちゃヒットしてたんですけど、そのシーンの盛り上がりに自分が関わることはないと思っていたので。

YOASOBI“夜に駆ける”を聴く(Spotifyを開く

―正直最初にGeorgeさんがYOASOBIのライブに関わってると知ったときは意外に思いました。

George:そうですよね。でもYOASOBIはそこからさらにものすごいスピード感で有名になっていって……姉から連絡がきました。「中学生の姪っ子が好きだ」って(笑)。それはいままでにない感じですね。

―ボカロ出身の人たちはまずDTMで曲をつくって、ネットを通じて発表するわけで、いざライブをやるとなったときにサポートをする人が求められる。そこに堀さんでありGeorgeさんは適任だったんだろうなって。

George:でもぼくたちが好きなThe Chemical BrothersとかUnderworldみたいな人たちって日本で一向に出てこないですよね(笑)。

:出てこないっすね(笑)。

George:でもマスに刺さらないものが好きだから、大衆的なものに対して素直になれるなって感じがするんですよ。ボカロとかって、ある意味自分にはわからない世界なので、勉強しながらちょっとずつやれるというか。

そこで「The Chemical Brothersっぽく、もっとビートを渋くループしたほうがいいよ」みたいなことはいわないですけどね(笑)。自分の好きなものは、基本的にはマスに刺さるものじゃないと思いながら仕事しているので。

:そういうことでいうと、最近はビートのアレンジとかプログラミングの仕事も結構あって、それをやり始められたのはうれしかったですね。

たとえば、自分が通ってきた「これがいい」というビートを、アーティストの音楽に落とし込んで、それを「すごくいい」っていってもらえたときはうれしい。マスに受け入れられる要素を持ったもののなかに自分のビートを差し込むみたいな、それはすごく楽しいです。

―そうやって過去と現在が合わさることによって、新しいものが生まれていくわけですよね。それこそ、ジェイムス・ブレイクは日本の若手にも大きく影響を与えていると思うんですけど、トリップホップが一周してインディR&Bになった、みたいないいかたもできるわけで、そこに堀さんがいるのは納得できるというか。

:たとえば、「この曲のビートの感じをThe 1975っぽいイメージでやりたい」といわれたときに、自分のなかでちょっと変換して、Underworldの初期の曲だったり、The Smashing Pumpkinsの“1979”だったり、自分の引き出しにすでに入ってるものを引っ張り出してきて、音を変えてはめ込む、みたいなことはやったりします。ハマったときにすごく楽しいですね。

「『絶対こういう時代が来る』とは思ってなくて、『絶対これがかっこいい』と信じてやってきただけ」(堀)

―堀さんは10月からソロ曲を発表されています。曲ごとに複数のプレイヤーが参加していて、リモートでつくられてるんですよね?

Masaki Hori“Blind”を聴く(Spotifyを開く

Masaki Hori“ReCollect”を聴く(Spotifyを開く

:そうです。サポートでめちゃくちゃかっこいいミュージシャンと知り合うなかで、自分が好きな人たちとコラボしていきたいなという思いがあったのと、コロナ禍でライブができないなかで制作をしようというのが重なって始めました。

最初に出した“Blind”は、ぼく以外にキーボード(半田彬倫)、ベース(千田大介)、ギター(Nappo)の三人とつくったものです。ついこの間出した“ReCollect”は、もともとSawagiというバンドをやってて、ちゃんみなの現場で手伝ってもらったキーボードのMIZUKAMIと。いまもう一曲MIZUKAMIと、ドラマーの松下マサナオくんとつくっていて、その次はGeorgeとコライトしようって話をしています。まだなにも決まってないですけど(笑)。

George:iriちゃんのツアー中にちょうどその話をしてたんです。

:そうやって、楽器を弾いてもらうだけだったり、コライトしたり、素材だけもらったり、人によっていろんなかたちで関わってもらってつくるっていうのをずっとやりたかったんですよね。忙しかったりすると、自分のことは後回しになっちゃってたんですけど。

―最初は「人と違うことを」ではじめたことかもしれないけど、やっぱりビートをプロデュースすることが堀さんの軸にあって、それが現在のサポート仕事にもつながってるし、ソロの方向性にも表れていますよね。

:だから本当に運がいいなと思います。クラブミュージックが好きで始めたバンドの形態が、年月を経て当たり前になって。自分にはその引き出しがあるから、いまのようなサポートにもスムーズに入れたんだと思うんですよ。自分がやってきたことに無駄な時間がないほうがいいから、そういう意味では……いつもラッキーな気がする(笑)。

George:俺からしたら、先を歩いてるなっていう感じですけどね。

:たまたまですよ。「絶対こういう時代が来る」とは思ってなくて、「絶対これがかっこいい」と信じてやってきただけです。ずっとMassive Attackのバンドセットが世界一かっこいいと思ってやってきたんで(笑)。

George:でもたしかに、ぼくも「これが来るからこれやろう」みたいなのはないんですよね。

―やっぱり「これがかっこいいと思う」をやり続けた結果だと。

:意識してることがあるとすれば、売れてる音楽を聴いて良いと思えるかはチェックしてます。たとえば、ぼくは海外のコテコテのレゲトンを聴いても、「かっこいい!」とはならないんですよ。レゲエもダンスホールもあまり通ってきてないので。

でも、それを昇華したポップスはかっこいいと思ったりもして。そういうときに「どこが自分に刺さってるんだろう?」というのをチェックしたりします。それがわからないと置いてけぼりになっちゃうから。

George:そうなんですよね。そういう感覚は大事ですね。

:ふだんから感覚でやってる分、そういうのを日々聴いてないとどんどんずれちゃいそうで。20歳くらい違うアーティストと一緒にお仕事をさせてもらうときに、イケてる音楽を知らないおじさんだと思われたら嫌じゃないですか(笑)。そこはちゃんと気をつけているというか、変に意識しなくても、勝手にそうしてるのかもしれないです。

プロフィール
堀正輝 (ほり まさき)

1981年生まれ。北海道札幌出身。15歳のときにバンドを始め、舘山健二氏、阿部一仁氏に師事。自身のバンドSCAM CIRCLE、ARDBECKの活動を経て、現在は様々なアーティストのライブ、レコーディング、コライトなどを行っている。また2013年よりソロ名義でも制作を開始しており、楽曲提供やリミックスなども手掛けている。

George (ジョージ)

MOP of HEADのメンバー。作曲家 / アレンジャー / キーボーディスト / マニピュレーター / DJとして多岐にわたって活動中。ライブでは鍵盤+独自のマニピュレートシステムを構築し、様々なアーティストのライブに参加。ライブサウンドプロデューサー / マニピュレーターとして、YOASOBI、sumikaを担当。鍵盤+マニピュレーターとして、iri、向井太一、the chef cooks meなどのライブ、ツアーに帯同。作曲、アレンジャー、リミキサーとして、V6、東方神起、澁谷逆太郎(SUPER BEAVER)、Tempalay、SHE IS SUMMERなどの作品を手がける。DJとして『FUJI ROCK FESTIVAL』に出演。SKRILLEX、BOYS NOIZE、Peter Hook(ex NewOrder)のオープニングDJを担当。



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