OKAMOTO’Sのハマ・オカモトと乃木坂46の齋藤飛鳥がMCを務める音楽バラエティー『ハマスカ放送部』(テレビ朝日)が2021年10月からスタート。この番組に構成作家として参加しているのが、どきどきキャンプの佐藤満春だ。
お笑い芸人であると同時に、トイレや掃除の達人としても活躍、他にも『オードリーのオールナイトニッポン』や『スッキリ』『ヒルナンデス!』などに関わる放送作家としても活動。最近では『キョコロヒー』『松田好花の日向坂高校放送部』など日向坂46メンバーの番組を担当することも。
そんな佐藤が学生時代から情熱を注ぎ続けているのが、邦ロックだ。2020年4月からInterFMでスタートした『佐藤満春のジャマしないラジオ』では、毎週1アーティストをピックアップして紹介し、そのアーティストに対する熱い語り口が話題に。「ラジオでかかった音楽にぼく自身が救われてきた」という佐藤にとって、音楽を紹介することはライフワークだといっていいのかもしれない。
『ハマスカ放送部』の話題を入口に、「音楽」という切り口から佐藤の仕事の裏側に迫った今回のインタビューでは、「好きになるととことん調べてしまう」「有名になることだけが正解じゃない表現活動もある」など、ジャンルを越えて活躍する佐藤の思考の一端がうかがえた。
「自分のグループでの活動では見せない顔が出ているのが面白い」。ハマ・オカモトと齋藤飛鳥の『ハマスカ放送部』
―10月から始まった『ハマスカ放送部』に構成作家として関わられていますね。「バンドマンと坂道グループのアイドルがMCを務める音楽トークバラエティー」に、ジャンルを越境して活動されている佐藤さんが関わるのは、勝手に納得感を感じました。
佐藤:なんとなくのイメージでアイドル全般に詳しいと思われることがあるんですが、全然そんなことないんです。今回のお話は『キョコロヒー』も一緒にやっているスタッフさんからいただいたのですが、そこでいわれたのは「サトミツさんはラジオもやってるし音楽お好きなので……」とのことでした。
OKAMOTO'Sも大好きなので、ハマさんの番組に関われるのはとても嬉しかったです。乃木坂46さんとのお仕事は『ノギザカスキッツ』というコント番組でコントを書いてたんですけど、3期生と4期生のみなさんだけだったので、齋藤飛鳥さんは今回はじめてでした。
―放送開始から1か月が経って(取材は10月30日)、4回目の放送が終わりましたが、ここまでを振り返って、番組の魅力をどう感じていますか?
佐藤:ハマさんも齋藤さんも、自分のグループでの活動では見せない顔が出ている感じがすごく面白いなと思いました。ハマさんは進行も、番組の意図をくみ取る能力も、相手の話を聞く能力もすごいし、トークも回しも素晴らしいので制作としてはかなり助けてもらってます。
飛鳥さんもすごく突き刺さるワードセンスをお持ちですし、何よりもアイドル性の高さとスター性ですよね。お二人が楽しそうにされてるのが一番大事だと思いますので、なるべく自由に楽しんでもらいたくて、いまのところはそうなっているのでは……と思っています。
この前の放送回から「番組のオープニングジングルをつくろう」という企画が走り出して、お二人が早速楽器を持ちましたが、二人ともミュージシャン、アーティストの顔にぐっとなるのがかっこよかったです。お二人がセッションする姿はこの番組ならでは、だと思いますので、非常に貴重だったと思います。
あとは、毎回の収録で制作陣が予想していなかったような展開に転がっていく印象がありますね。お二人がもともと持っている個性によって、想像し得ないところに転がっていくのを楽しむ番組になっていると思います。やっぱりお二人ともスターだなと思うことばかりですね。
―番組の今後についてはどんな風に考えていますか?
佐藤:これから二人の距離感が変わっていくと思うので、そのなかで何が変わっていくのか、そこはわりとドキュメントになっていくんじゃないですかね。それによって企画も変わるでしょうし。
いまは番組を立ち上げたばかりなので、MCの二人がやりたいこと、制作が狙っていること、視聴者が見たいこと、それぞれ探っている段階です。いろいろなことをやっていくなかで、だんだんピントが合っていくと思うので、番組としてより見ごたえのあるものになっていくんじゃないかと思います。
……みたいなこと語ってますが、ぼくはただの作家の一人として、アイデアのきれはしみたいなものを出しているだけなので。他に多くの優秀なスタッフさんたちがいて、そしてもちろん出演者がいて番組は成り立っているので、ぼくはそこに関わらせていただいてるというだけで感謝です。出演者のお二人はもちろん、この番組のスタッフさんとの出会いもぼくにとってはとても大きかったです。
『ハマスカ放送部』の番組内で紹介された楽曲をまとめたプレイリストを聴く(Spotifyを開く)
中高時代には架空のラジオ番組をカセットテープに録音。「好きになると、気になってとことん調べちゃう」
―佐藤さんは2020年から、InterFM『佐藤満春のジャマしないラジオ(以下、ジャマラジ)』で邦ロックを紹介されていますが、そもそも邦ロックにハマったのは、いつ頃のどんなきっかけだったのでしょうか?
佐藤:最初は中学生のときにラジオで聴いたユニコーンですね。CDを買って、ライブに行って、すぐファンクラブにも入って。そこから、奥田民生さんが好きだといってたアーティストや、ユニコーンの対バンで気になった人とかをバーッと聴いて、どんどんハマっていった感じです。
プレイリスト『This Is ユニコーン』を聴く(Spotifyを開く)。ユニコーンは1987年にデビューしたバンド。1993年に一度解散したが、2009年から活動を再開。フロントマンは奥田民生
―いきなり話がそれるんですけど、マカロニえんぴつのボーカルのはっとりさんっているじゃないですか?
佐藤:あ、ユニコーン好きなんですよね? 『オールナイトニッポンZERO』をやられてたときにちょっと聴きました。もちろんマカロニえんぴつもよく聴きますし。
マカロニえんぴつ『はしりがき』を聴く(Spotifyを開く)
―そう、ユニコーンのアルバムタイトルから「はっとり」という名前をつけているんですけど……佐藤さんとはっとりさんがちょっと似てるなと前から思ってて(笑)。
佐藤:あー、それ誰かにも言われたことあります。恐縮です。いつかどこかでお会いできたら嬉しいです。
―おそらく髪型も大きいとは思うんですけど、でも雰囲気含めて似てるなって。しかも、はっとりくんもラジオ好きなんですよ……って、すみません、いきなり脱線して。ユニコーンを入口にして、そこからどう広がっていったのでしょうか?
佐藤:大学に入ってからの個人的な波としては、エレファントカシマシ、スピッツ、サニーデイ・サービス、くるり、みたいな。もちろん、他にもいろんなバンドを聴いて、いろんなライブに行き倒しましたけど、一番行ったのはくるりかもしれないですね。
―もともとラジオが好きで、そこからお笑いに興味を持ち、高校・大学と進んで行かれたと思うんですけど、音楽は佐藤さんにとってどんな位置づけだったのでしょうか?
佐藤:ユニコーンのコピーバンドをやったりはしてました。あと、中高のころは自分で架空のラジオ番組をつくっていて。自分で曲紹介をしたり、そこにCDから曲を入れたりしながらカセットテープに録音していた感じです。
ただ、音楽を聴くことは当たり前の日常で、それがいまもずっと続いてる感じなので、お笑いやラジオとは違って、それを仕事にしようとはまったく思わなかったんですよね……いまラジオ番組をやっていて、結果的に仕事にはなっているんですけど、それも感覚的には日常の延長というか。
―佐藤さんはトイレや掃除にも詳しくて、現在はそれに関わる活動もされていますけど、それももともとは単純に「好き」から始まっていますよね。ただ、好きになるとそれについて勉強したくなって、広めたくなって、それが結果的に仕事に結びついてるってことだと思うんです。いってみれば、音楽もそういう対象であり、そのなかでもより日常的で、昔から結びつきの強いものだった、ということなのかなって。
佐藤:そんな感じかもしれないですね。ひとつのバンドを好きになると、その人たちの歴史も気になるタイプで。「誰々がプロデューサーに入って、だからこういう音になったんだ」みたいなことを調べちゃうんですよ。だから、『ROCKIN'ON JAPAN』『Quick Japan』とか音楽雑誌のインタビューもめちゃくちゃ読みました。
そこで自分の好きなバンドのメンバーが「いまこの若手が気になってる」みたいなことを話してると、その若手も逐一チェックしたりして。くるりのラジオでSPARTA LOCALSを知ったり、『ロックロックこんにちは!』(スピッツが主催する音楽イベント)のオープニングアクトでアナログフィッシュを知ったり、そういう広げ方をしてましたね。
―アナログフィッシュといえば、オードリーの単独ライブ用につくられた“SHOWがはじまるよ”もファンのなかでは有名ですよね。
アナログフィッシュ“SHOWがはじまるよ”を聴く(Spotifyを開く)。アナログフィッシュは2004年にメジャーデビューした、2人のボーカルを擁するバンド。“SHOWがはじまるよ”は佐々木健太郎が歌っている
佐藤:『ロックロックこんにちは!』でアナログフィッシュの“スピード”を聴いて、めちゃめちゃかっこいいなと思って、それからずっと聴いてました。当時オードリーの若林(正恭)くんも好きで、彼らが初めての単独ライブをやったときに、アナログフィッシュの“Hello”をオープニングの曲として使わせてもらったんです。
2008年の『M-1グランプリ』でオードリーがブレイクしたあと、『まんざいたのしい』という単独ライブのときに、DVDになったりする関係で「既存曲は使わないほうがいいね」となり。誰か縁のある人に依頼しようかっていうところから、アナログフィッシュはどうだろう? となって、つくってもらったんです。
ちょっと前にやっていたアナログフィッシュの配信ライブも見たんですけど、相変わらずかっこよくて、歳を重ねた分、さらに色気も増してるなって。同世代というのもあり、思い入れも強いですし、すごくいいバンドだと思いますね。
ノーギャラでスタートした『ジャマラジ』。「ラジオでかかった曲に救われてきた人生だった」
―『ジャマラジ』では、基本的に週ごとに1アーティストをピックアップして紹介しています。
佐藤:自分が昔カセットテープを使ってやっていた遊びを、いま地上波でやらせてもらっている感覚もあるので、本当にありがたいですね。
―選曲は佐藤さんがお一人で決められているわけですか?
佐藤:そうです。なので、どうしてもぼくが昔から聴いてるような曲が多くなります。たとえば、今年のアタマにはスネオヘアーの特集をしたんですが、反響多かったですね。1時間で9曲とか、かなり多めに曲をかけます。
プレイリスト『This Is スネオヘアー』を聴く(Spotifyを開く)。スネオヘアーは渡辺健二によるソロプロジェクト。2002年メジャーデビュー
佐藤:もちろん、最近のアーティストも取り上げるようにはしてて、ちょっと前に特集をした羊文学とかも大好きです。でも昔のバンドやミュージシャンの曲をあらためて振り返ると、やっぱりめちゃめちゃかっこよくて。
―単純に「自分が好きだから」という理由に加えて、他ではかからなそうなものを意識的に選んでいる部分もある?
佐藤:自分が本当にいいと思ったものを、自分の言葉で伝えることは大事にしています。ぼく自身がラジオでかかっていた曲にすごく救われた人生だったので、そういう出会いの場になってくれたらすごく嬉しいです。
ぼくThee Michelle Gun Elephantの“世界の終わり”がラジオでかかって、イントロを聴いた瞬間にかっこよすぎて、すぐに録音ボタンを押したのをよく覚えてるんですよ。そういうことがこれまでに何度もあって、いいものはいつになってもいいじゃないですか?
Thee Michelle Gun Elephant“世界の終わり”を聴く(Spotifyを開く)。Thee Michelle Gun Elephantは4人組バンド。1996年にデビュー、2003年に解散した。ボーカルのチバユウスケは解散後、ROSSO、The Birthdayなどで活動
佐藤:いまあの曲を聴くことで、それをきっかけに、The Birthdayのファンになる人もいるかもしれないし、The Birthdayの前にはROSSOっていうバンドがあったんだとか興味を持つ人がいるかもしれない。そういう出会いの場所になるとすごくいいなって。
―そもそも『ジャマラジ』はどのように始まったんですか?
佐藤:『ジャマラジ』が始まる前に5年間BayFMで番組(『ON8+1』)をやっていて、そこでもわりと好きな曲をかけさせてもらってたんです。それが終わっちゃったときに、インターネット上でトークだけ発信できる場所をつくっておこうと思って、それがもともと『ジャマしないラジオ』というタイトルでした。
そうしたら、ちょうどそのタイミングでInterFMで枠の募集があることを作家の友人に教えてもらい。まったくのノーギャラ、しかもディレクターもこっちで探して連れていくという厳しい条件だったんですけど、それでもやるべきなんじゃないかと思って、企画を出したら通って。そこからお金が1円もないなか、ディレクターさんに頭を下げて何か月かノーギャラでやってもらいました。
いまでは提供もついて、関わってくれている人全員の仕事になってるんですけど、InterFMは邦楽のCDが全然ないから、音源は未だに自分で用意してます。なので、必然的にぼくのCDラックにあるものをかけることになるっていう、変な番組ですよね(笑)。
「音楽を聴いて、『もうちょっと生きてみようか』って何度も思った」
―最初はただの枠の開放だったところから、提供がつき、残念ながら延期になってしまいましたが、今年はフェスの開催も予定されたりと、短期間で広がっていったわけですね。
佐藤:ただ、仕事の場としてはそんなに考えてないというか……もちろん、フェスをやるなら赤字にしちゃいけないとか、そういうことは考えるんですけど、でもやっぱり、感覚としては中高時代にカセットテープでつくってたラジオに近いんですよね。
これまでにいろんな先人たちがつくってきた、こんなに心揺さぶられる名曲があるんだよっていうのが伝われば、それが一番嬉しいというか。
―さきほど「ラジオでかかった曲に救われてきた人生だった」というお話もありましたが、具体的に自分が救われてきた曲を挙げていただくことはできますか?
佐藤:一番大きいのはエレファントカシマシとくるりかなあ。エレカシは単純に宮本浩次さんのパワーがすごくて、自分の家のコンポからもちゃんと宮本さんのメッセージが届いて、「もうちょっと生きてみようか」って、本当に何度も思いました。
エレカシもデビューからいろんな遍歴があって、宮本さんにもいろんなことがあったと思うんです。“ガストロンジャー”を聴いて、勝手にメッセージを受信する側としては、「もうちょっと生きなきゃ」と思いました。
エレファントカシマシ“ガストロンジャー”を聴く(Spotifyを開く)。エレファントカシマシは1988年デビュー。これまでに4つのレコード会社を移籍している。ボーカル・ギターの宮本浩次は現在ソロアーティストとしても活動中
―くるりに関してはいかがですか?
佐藤:くるりはメンバーが何度も変わってて、誰かが入って誰かがやめてがずっとあったけど、それでも岸田さんと佐藤さんが曲をつくり続けて、アルバムごとにそのときのお二人の音があって。それを聴くたびにワクワクして、「次のくるりの新譜が出るまで頑張って生きよう」と思えたんですよね。
くるり“ロックンロール”を聴く(Spotifyを開く)。くるりは岸田繁(ボーカル、ギター)と佐藤征史(ベース)によるバンド。1998年メジャーデビュー。これまでに6名の元メンバーがいる
―文字どおり、音楽が生きる糧になったと。
佐藤:本当に支えられてますね。最近だと、サニーデイ・サービスにドラマーとして大工原幹雄さんが入られて、“春の風”という新曲を出しました。それが高校生のバンドみたいな音で、サニーデイはもう一回青春をやるんだって、それにすごく感動して。ライブも観に行ったんですけど、本当に年齢じゃないというか、曽我部恵一さんがもう一回バンドをやってるんだなってことがすごく伝わってきたんですよね。
そうやって好きな人の生きざまを見て、あらためてぼく自身を見つめ直すことにもなり、もう一回青春してもいいんだなって思えたりして。“春の風”のミュージックビデオは何度も見ましたね。
「100人キャパでも、その100人が『明日も生きよう』と思えたらそれでいい」
―エレカシ、くるり、サニーデイ、それぞれのバンドにそれぞれの歴史があって、彼らの音楽や生きざまに救われている人はたくさんいるでしょうね。
佐藤:本来バンドってそんなに長く続くものでもないと思ってるんです。長く続くバンドのほうがレアというか。だからこそ、バンドとしての活動が終わってソロになってまた再結成して……とか一連の流れをずっと応援していたいと思うんです。
『ジャマラジ』でHermann H.&The Pacemakersの特集をしたときは、メンバーの岡本さんがDMをくれて。「いまこんな活動をしてます」って、近況を教えてくれました。こういう出会いもとても嬉しいですし、いま聴いてもヘルマンめちゃくちゃかっこいいんですよね。もちろん、彼がいまつくってる音楽だってめちゃくちゃかっこいい。
Hermann H.&The Pacemakers『Selected from The Best of Hermann H.&The Pacemakers』を聴く(Spotifyを開く)。Hermann H.&The Pacemakersは、1997年結成、2001年メジャーデビュー。2004年に活動休止したが、2012年に再開
佐藤:ぼくが大好きなバンドのひとつ、残像カフェも、2020年に一度再結成をして、いまはまたボーカルの大森元気さんが一人で活動していたりします。
ぼくが個人的にずっと考えてるのが、有名だからよくて、無名だからよくないのかっていうと、そういうことじゃないじゃないですか? 残像カフェは昔「次世代のスピッツ」みたいなラインナップに入っていて、実際そうはならなかったけど、当時の曲はいま聴いてもめちゃめちゃかっこいいんですよ。もちろんいまのソロもかっこいいですし。
残像のブーケ“boys & girls”を聴く(Spotifyを開く)。残像のブーケは元・残像カフェの大森元気のソロプロジェクト
佐藤:Hermann H.&The Pacemakersも残像カフェも世の中の全員が知ってるわけじゃないけど、ラジオでかけたときは「いい曲ですね」っていう声をたくさんもらえました。ぼくはそういう曲をかけ続けたいんですよね。残念ながら解散してしまったバンドのなかにも、いろんな人を助けてきた曲があるから、そこを見過ごさずにいたい。そして彼らのいまにもそこから注目してもらいたいんです。
芸能の世界は特に、有名であることが正義のように思われる世界じゃないですか? ある種のその物差しは確かにあるんだけど、でも必ずしもそうじゃない。知ってるか知らないかが是非の判断軸にはならないほうがいいとずっと思ってます。知らないけどいいものなんて世の中に溢れてるわけで。
メジャーなものを否定するつもりはもちろんないです。多くの人に届くということは、それだけのクオリティーと才能と実力と愛の証明であることは間違いないので。でも、無名なもののなかにもいいものはたくさんあります。
―インフルエンサービジネスしかり、数の理論が強くなりすぎてる風潮があるけど、音楽をはじめ、何かを表現することの価値は数の理論だけで決められるものではないですからね。
佐藤:ぼくがやってるトイレのバンド(サトミツ&ザ・トイレッツ)のメンバーにはGOMES THE HITMANの山田稔明さん、キンモクセイの伊藤俊吾さんと佐々木良さんがいて、いまはそれぞれインディペンデントで活動をしています。
GOMES THE HITMANは何十万枚売れるバンドじゃないけど、新しいアルバム(『memori』)はめちゃめちゃよかったし、キンモクセイは“二人のアカボシ”で2002年の『NHK紅白歌合戦』に出ましたけど、それ以降の曲も素晴らしいんですよね。
GOMES THE HITMAN『memori』を聴く(Spotifyを開く)。GOMES THE HITMANは1999年にメジャーデビュー。2019年、デビュー20周年のメモリアルイヤーに発売された『memori』は、14年ぶりの新アルバムキンモクセイ『ジャパニーズポップス』を聴く(Spotifyを開く)。キンモクセイは2001年メジャーデビュー。2008年に活動休止したが、その後10年のときを経て活動再開
佐藤:ヒットチャートには入ってなくても、優れたミュージシャンは山ほどいるんだっていうのが体感としてあるので、そういう人たちが現役で曲をつくり続けているというのは、ぼくにとってすごく大きいことなんです。
―自身の活動に重ねる部分もある?
佐藤:そうですね。ぼく自身『劇、佐藤満春』という公演を、自分で台本を書いて、100~200人くらいの小さな劇場で数回公演を開催してます。それが将来数万人キャパでできるかっていうと、そんなことはないんです。きっとこのくらいのキャパでずっとやっていく。でもそれが無価値かというとそんなことはなくて。
佐藤:ぼくにとっても、来てくれる人にとっても意味があるはずで、そこの価値みたいなものはしっかりと届けたい。全員が数千人・数万人収容する大掛かりなものを目指さなきゃいけない、目指せるわけではないというか。国民全員が知る人にならなくてもいい表現活動っていうのがあると思うんです。
ぼくがお仕事で関わる方たちのなかには、第一線で活躍するスターも多いです。才能だけではなく相当な努力を怠らない、その姿に感動させられっぱなしです。でも、そういった人はやはり特別で誰もがそうなれるものではない。だからスターだし、みんなを元気にできるのだと思います。
出演者としての自分を考えたときに、ぼくにはそういう能力もスター性もないので、大規模な作品に関わるときは精一杯裏方に回ることが多いです。なので、両方の良さがわかるというか。
100人のキャパでも、その100人が「明日も生きよう」と思えたらいいわけで、それは音楽でもお笑いでもなんだってそう。ぼく自身がそういう活動をしているからこそ、同じような活動をしている人に興味があるし、応援したいと思うんですよね。
―『ジャマラジ』はこれからも、ライフワークになっていきそうですね。
佐藤:これまでやってきて、何回かすごく大きな反響をもらった回があるのですが、特にフジファブリックの回はこれまでに1、2を争う反響でした。
“星降る夜になったら”のライブ盤をかけたんですけど、1番を志村さんのボーカルでかけて、2番を山内さんのボーカルでかけて、フジファブリックはずっと地続きなんだっていう話をしたら、その回をきっかけにラジオを聴いてくれる人が増えたりもして。
ぼくのラジオはお金がない分、自由度はあるから、好きに曲をかけることができる。細々ではあるけど、続けて行くことが大事なんじゃないかと思っています。
フジファブリック“星降る夜になったら”を聴く(Spotifyを開く)。フジファブリックは2002年にデビュー。ボーカルを務めていた志村正彦が2009年に急逝したが、残されたメンバーで活動を継続。現在は山内総一郎がボーカル・ギター
- プロフィール
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- 佐藤満春 (さとう みつはる)
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1978年2月17日生まれ。東京都町田市出身・町田市在住。2001年どきどきキャンプとして活動をスタート。現在は放送作家・脚本家・トイレ博士・掃除専門家などさまざまな顔を持ちながら活動中。