同性愛嫌悪の強いヒップホップシーンの変化と、ぶつけられたバックラッシュ
いま、Lil Nas X(以下、リル・ナズ)ほどキャッチーかつユーモラスに、しかしシリアスに自身のセクシュアリティーを表現しているポップスターがいるだろうか。
全米シングルチャート19週連続1位という新記録を打ち出した2019年の“Old Town Road”のメガヒット以来、「一発屋で終わる」という世間の揶揄混じりの予想を覆し、ネットのバズを利用しながら数々のヒットを生み出しているリル・ナズ。その軽やかな快進撃を見ていると、「ゲイのポップスター」という肩書きも颯爽と着こなしているように思える。
けれども、これもソーシャルメディアでバズと議論を巻き起こした「懐妊写真」を経て、ついに今年9月にリリースされたデビューアルバム『MONTERO』には、数々の楽しいポップソングとともに、Lil Nas Xの――そして本名であるモンテロ・ラマー・ヒルとしての――苦しみや痛みが織りこまれていて、そこにはもちろん、ブラックのゲイとして育ったことで受けてきた傷が刻まれてもいる。数多くのカミングアウトしたセクシュアルマイノリティーのアーティストがメインストリームのポップシーンで活躍するいまなお、『MONTERO』が持つテーマやメッセージは切実だ。
『MONTERO』の発売告知として、アルバムを自身の子どもにたとえて「懐妊写真」を投稿したLil Nas X『MONTERO』を聴く(Spotifyを開く)
リル・ナズがゲイであることをカミングアウトしたのは2019年の6月、プライド月間のことだ。「タフな男らしさ」が誇示されることの多かったヒップホップ / ラップシーンにおいて同性愛嫌悪が強いことは度々問題になってきたが、2010年代から現在に至るまでのさまざまな出来事を経て、シーンの風向きも変わってきた。アンダーグラウンドでの非白人のクィアなヒップホップアーティストを中心とした「クィアラップ」の盛り上がり(2010年代前半)や、当時ミックステープで高い評価と注目を集めていたフランク・オーシャンがメジャーデビューアルバムの発表とともに同性に恋をした経験をカミングアウトしたこと(2012年)、全米での同性婚合法化(2015年)、同性に恋をする黒人少年を描いた映画『ムーンライト』の『アカデミー賞』受賞(2017年)などの影響は確実にあるだろう。
ドレイクやカニエ・ウェストといったビッグネームが「男の弱さ」をその表現の重要な要素に置いたことも、シーンにおけるジェンダー / セクシュアリティ表現の幅を広げる要因となってきた。
だからリル・ナズのカミングアウトは大きくは称賛とともに迎えられたのだが、同時にバックラッシュも巻き起こった。こと彼に関してはヒップホップ / ラップシーンだけでなく、長く保守的な価値が強いカントリーシーンがバックグラウンドにあることも大きいだろう。ソーシャルメディアを少し見るだけでも、彼に対するホモフォビックな罵倒が溢れている。
象徴的だったのは、2020年の『グラミー賞』に全身ピンクのカウボーイスタイルで現れたリル・ナズに対して、ラッパーのパスター・トロイがきわめてホモフォビックなコメントをInstagramに上げたことだ。
「やつらは、男から、とくに黒人の男から男らしさを奪おうとしている」と綴った投稿は批判を浴び自ら削除することになったが、当のリル・ナズはその投稿に対して「この写真の俺、イケてるわ~」と余裕の返答。いっそう株を上げることになったが、冷静に考えてみれば、特定の属性に対するヘイトをぶつけられたマイノリティー側が「粋な回答」を求められるのも酷な話だ。
おそらくリル・ナズはこうした経験を経て、自身のセクシュアリティーに対する「プライド」を(ソーシャルメディア上ではないところで)どのように表現するかを深く考えることになったのだろう。クィア表現に対しての風当たりがまだまだ強い世のなかに向けて、どのように「自分自身」を肯定することができるかを。
2020年の『グラミー賞』では「最優秀ミュージックビデオ賞」「最優秀ポップデュオ / グループパフォーマンス賞」を受賞
「隠されていない」大胆なホモエロス表現の持つ重要性
その成果が『MONTERO』に先駆けて発表されたシングル群だ。ルカ・グァダニーノ監督による映画『君の名前で僕を呼んで』をタイトルに引用した“MONTERO (Call Me By Your Name)”は、地獄に落とされたリル・ナズがサタンの前でダンスする過激にホモエロティックなミュージックビデオが大きな話題を呼び、再びの大ヒットとなった。ビデオだけでなくリリックにも大胆にゲイのセックス描写を取りこんでいるが、これはつまりゲイであることを「隠さない」ということだ。
Lil Nas X『MONTERO (Call Me By Your Name)』を聴く(Spotifyを開く)
「同性愛者は、愛し方を学ぶ前に、嘘のつき方を覚える」と言ったのは、ゲイの青年を主人公にしたグザヴィエ・ドランの映画『トム・アット・ザ・ファーム』の原作者ミシェル・マルク・ブシャールだが、実際、いまも自身のセクシュアリティーを隠して生きる同性愛者は少なくない。「同性愛は生理的に受け入れられない」といったきわめて侮辱的な言説がいまもなにか正当性のあるものとして蔓延るなか、ゲイが自身のセクシュアリティーをオープンかつ肯定的に表現することには困難が伴う。
だから“MONTERO”におけるリル・ナズの大胆なホモエロス表現は、それが「隠されていない」という点で重要だ。長く嘲笑や嫌悪の対象だった同性愛の性愛を堂々と誇り高く掲げること。それはあらゆるゲイカルチャーにおいて重要なテーマであり、もちろん多くのゲイのミュージシャンたちもこれまでトライし成果を残してきたが、リル・ナズほど大きな規模で実現した例はかつてなかった。アフリカ系アメリカ人やその他のマイノリティーの人々のカルチャーを表彰する『BETアワード』で同曲を披露した際に、自ら男性ダンサーとキスをしたことも話題となったが、それはゲイのエロスを可視化する実践にほかならない。
孤独な少年時代の自分に未来から語りかける。「人生もっと楽しいことがあるから」
いっぽう、続いて発表されたバラード“SUN GOES DOWN”では、モンテロ・ラマー・ヒルが10代のときに自身のセクシュアリティーを受け入れることができなかった苦しみが歌われている。リル・ナズはかつて自分がゲイであることを一生隠して生きていくと決めていたと語っているが、この曲はそのときの自分自身を「ゲイのポップスター」であるリル・ナズが励ますものだ。ミュージックビデオでも、孤独なモンテロのもとに未来からリル・ナズが訪れる。そしてこんな風に告げる。
泣きたい気持ちは分かる でも人生もっと楽しいことがあるから 過去の過ちや悪口を言ってきた奴らのために 死ぬなんかより (Lil Nas X“SUN GOES DOWN”)
一見シンプルなメッセージだが、自殺を考えたこともあったという彼にとって心からの実感だろう。同時にそれは、いまも自分のジェンダーアイデンティティーやセクシュアルオリエンテーションを受け入れられずに苦しむセクシュアルマイノリティーのユースを勇気づけるものでもある。いまでもたくさんいる「悪口を言ってくる奴ら」のヘイトをはねのけるために、リル・ナズは歌い踊っているのである。
Lil Nas X『SUN GOES DOWN』を聴く(Spotifyを開く)
センセーショナルなパフォーマンスに込められた、社会の不正義やHIVへのスティグマと闘う姿勢
そんなクィアのポップスターとしての強さが振りきれて発揮されたのが、ラッパーのジャック・ハーロウを客演に迎えた“INDUSTRY BABY”だ。刑務所に収監されたリル・ナズが全裸(に見える)の男性ダンサーを引き連れて自らも裸で踊ったミュージックビデオもさることながら、クィアであることを誇示するラップも痛快極まりない。
ラップ野郎なんて相手じゃない (ジャスティン・)ビーバー並みのポップスター 俺はクィア 女とはヤらない (Lil Nas X“INDUSTRY BABY (feat. Jack Harlow)”)
案の定ビデオはインターネット上で大いに盛り上がったが、それに留まらず、「無修正版」をリリースするなどリル・ナズは自ら話題を振りまき続けた(そのビデオは、肝心なシーンが見られないというジョークである)。なるほどソーシャルメディアを乗りこなしてきた現代のポップスターとしての本領発揮と言えるだろう。
Lil Nas X『INDUSTRY BABY (feat. Jack Harlow)』を聴く(Spotifyを開く)
ただ自分はそれ以上に、保釈金を払えない有色人種の人々を支援する非営利団体との提携を同曲でおこなったことに、リル・ナズの誠実な態度を感じる。あるいは、“INDUSTRY BABY”と“MONTERO”を披露した『MTVビデオ・ミュージック・アワード2021』でのステージもそうだ。他のダンサーたちとともに、「Southern AIDS Coalition(南部エイズ連盟)」のマルドレクス・ハリスがステージに立った。そのTシャツに書かれていた「433,816」という文字は、2015年時点でのアメリカ南部でHIVとともに生きる人々の数を示している。
先立ってラッパーのダベイビーがHIV陽性者に対する差別発言をおこなって大きな批判を受けていたことも相まって、現在も続くHIV / エイズに対するスティグマと闘う姿勢を見せたリル・ナズが、クィアのポップスターとしての社会的な責任を引き受けようとしていることがそこで明確になったのだ(HIVウイルスを持っていても早期発見し治療にアクセスしていれば、エイズを発症することはない。また、服薬によりウイルス値を安定して抑えられていれば、性行為によって人に感染させないことがわかっている)。
勝気なスターである自分と、内省に沈む自分。Lil Nas Xとモンテロ・ラマー・ヒルの「いま」を率直にさらけ出した『MONTERO』
このような華やかな脚光を浴びるさなかで発表されたアルバム『MONTERO』 は、予告されていた通り内省的な部分を多く含むものとなった。セクシュアリティーの受容で悩んだ経験だけでなく、“Old Town Road”のヒットが生み出したプレッシャーについても赤裸々に綴られている。エルトン・ジョンを迎えた“ONE OF ME”やメロウなギターポップナンバー“VOID”がその代表だろう。
Lil Nas X“ONE OF ME (feat. Elton John)”を聴く(Spotifyを開く)Lil Nas X“VOID”を聴く(Spotifyを開く)
あるいは、壊れた家庭で育ったことをモチーフとした“TALES OF DOMINICA”や、軽快なポップパンクで有毒な関係性に囚われていることを歌う“LOST IN THE CITADEL”、重々しいギターバラッド“LIFE AFTER SALEM”など、とくにアルバム後半におけるシリアスなテーマを持った楽曲群がキーになっている。それはメディア上の輝かしいポップスターのリル・ナズからはあまり見えてこないもので、個人としてのモンテロ・ラマー・ヒルの苦悩を一度すべて吐き出すことが本作のテーマであったことが窺える。
Lil Nas X“TALES OF DOMINICA”を聴く(Spotifyを開く)Lil Nas X“LOST IN THE CITADEL”を聴く(Spotifyを開く)
Lil Nas X“LIFE AFTER SALEM”を聴く(Spotifyを開く)
ここで描かれる内省はもちろん彼個人のものだ。しかしながら、リル・ナズが自身のクィアネスをこれまで堂々と表現してきたからこそ、その苦悩は世界中のクィアの若者たちが抱く孤独感と共振している。アルバムには漠然とした死のイメージが出現するが――“MONTERO”でポップに示された「地獄」もまた、同性愛者の死のイメージであった――それでも、「死ぬなんかより楽しいこと」をアーティストとしてのリル・ナズは模索しているようなのだ。
勝気にスターとしての脚光を獲得しようとする自分と、人知れず内省に沈む自分が混在するこのアルバムは、その分裂も含めて現在のLil Nas X / モンテロ・ラマー・ヒルの姿を率直にさらけ出している。その正直さは、「本当の自分」を表現することを怯えていたかつての彼自身を救済するためのものであり、そして、いまもそのことを躊躇うセクシュアルマイノリティーの人々が抱える痛みを包みこみ、背中をそっと押すものになるだろう。
- リリース情報
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- Lil Nas X
『MONTERO』 -
2021年9月17日(金)配信リリース
1. MONTERO (Call Me By Your Name)
2. DEAD RIGHT NOW
3. INDUSTRY BABY (feat. Jack Harlow)
4. THATS WHAT I WANT
5. THE ART OF REALIZATION
6. SCOOP (feat. Doja Cat)
7. ONE OF ME (feat. Elton John)
8. LOST IN THE CITADEL
9. DOLLA SIGN SLIME (feat. Megan Thee Stallion)
10. TALES OF DOMINICA
11. SUN GOES DOWN
12. VOID
13. DONT WANT IT
14. LIFE AFTER SALEM
15. AM I DREAMING (feat. Miley Cyrus)
- Lil Nas X