ポール・マッカートニーがたった一人でつくり上げたアルバム『McCartney III』を、世代の違うさまざまなジャンルのアーティストたちが再構築したカバー&リミックスアルバム『McCartney III Imagined』がリリースされる。
本作にはアンダーソン・パークやセイント・ヴィンセント、Khruangbin、BECKら錚々たるメンツが集結。20世紀が産んだ最大のポップアイコンであるポールの作品を、まるで「ガジェット」のように扱いながらつくり上げたユニークな「コラボ曲」が並んでいる。本作を聴いていると、参加アーティストたちの自由な発想に驚かされるとともに、どれだけ「調理」されても残り続けるポールらしさ、その「素材」としての強度にもあらためて感嘆せざるを得ない。そう、本作を最も楽しんでいるのがポール本人であることは間違いないだろう。
The Beatlesとしてデビューしてからじつに60年もの間、つねに第一線で活躍し続けるポール・マッカートニー。その無尽蔵に湧き上がるモチベーションは一体どこから来ているのか。その膨大な作品を、これから聴く人はどう楽しんだらいいのか。今回Kompassでは、自他ともに認めるポールファンのミュージシャン・鈴木惣一朗(ワールドスタンダード)に、あらためてポールの人柄や音楽家としての魅力について、たっぷりと語ってもらった。
屈指のメロディーメーカーでありながら、The Beatlesのなかで誰よりもアヴァンギャルドだったポール・マッカートニー
―鈴木さんがThe Beatlesのメンバーのなかでも、とりわけポールが好きな理由は?
鈴木:ちょっと屈折していて、じつを言うと人としての魅力はジョン・レノンのほうに感じるんです。きっとぼくは、「ジョンのことが好きなポール」を好きなのだと思う。「だったら、ぼくと一緒じゃん」って(笑)。そして、ジョンが大好きなポールが、ジョンを失ったあとにどうやって音楽を紡いでいくのかにものすごく興味があったし、実際、何10年にもわたって格闘しているさまを、彼はリアルタイムで見せてくれています。ポールはつねにインタビューでもジョンの話をしているし、「ジョンだったらこの曲をどう言ってくれるだろう?」ということを意識している発言も多い。
―確かにポールはジョンの死後、エルヴィス・コステロやナイジェル・ゴドリッジ、最近ではマーク・ロンソンなどことあるごとに共同プロデューサー、コラボ相手を変えていて、ずっと「ジョンに代わる相棒」を探し続けている印象はあります。
鈴木:一方、ジョンは亡くなる直前のインタビューで、「人生のうちで2回、ぼくは素晴らしい選択をした。ポールとヨーコだ」と言っていた。つまり相思相愛なわけですよね。そんな二人の、ある意味では「ラブストーリー」をずっと見せつけられているような気がするんです。
ポール・マッカートニーが、亡くなったジョン・レノンへの想いを綴った楽曲“Here Today”を聴く(Spotifyを開く)
鈴木:ぼくがThe Beatlesを知ったときにはすでに解散してしまったけど、そのThe Beatlesを追い求めているポールの姿はずっとリアルタイムで見てきた。だからぼくは、ポールから目が離せないのだと思います。もちろん、思春期まっただなかにWings(ポールが1970年代に結成していたバンド)という素晴らしいグループがあったのも大きいですけどね。The Beatlesはリアルタイムじゃなかったけど、Wingsは完全なリアルタイムで追いかけていたから。ポールとリンダ(・マッカートニー:ポールの最初の妻。Wingsのコーラス&キーボディスト)が一緒に歌っているのがとにかく好きなんですよ。
―ミュージシャンでありプロデューサーである鈴木さんから見て、ポールが優れているのはどういうところだと思いますか?
鈴木:彼はまずプレイヤーとして優れた人。ベースはもちろんですが、ピアノも弾けばギターもドラムも演奏する。もともとは14才の頃、アマチュアのジャズミュージシャンだった父親から譲り受けたトランペットも演奏していたんですよね。そこでおそらく和声も勉強したのだろうし、エルヴィス・プレスリーに衝撃を受けてギターを持ったジョン・レノンとは、音楽遍歴がまったく違うわけです。
―「トランペットを吹きながらでは歌えないから、ギターに持ち替えた」というエピソードは有名ですよね。
鈴木:最初、The Beatlesにはギターで加入して、その後ベーシストに転向するわけだけど、いわゆるベーシストのようなルート弾きはほとんどしない。例えば、『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』(1967年)のレコーディングのときは、すべての楽器を録音し終わってから最後にベースをダビングしたといわれています。
つまり低音を支えるというよりは、カウンターメロディーを弾く楽器としてベースを扱っているんです。そうやって音楽をハーモナイズしていくセンスを持ちながら、それを脱構築していくことも厭わない人だった。そこが、音楽家として優れているところのひとつだと思います。ぼくは、素晴らしいメロディーを書くコンポーザーとしてのポールももちろん好きなのですが、それをぶち壊していく過激なところにも惹かれます。彼のアルバム『Chaos & Creation In The Backyard』(2005年)のタイトルじゃないけど、「混沌(chaos)」と「創造(creation)」をずっと繰り返してきた人なのだなと。
The Beatles『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』を聴く(Spotifyを開く)
―The Beatles時代、じつはジョンやジョージよりも先にアヴァンギャルドにアプローチしたのはポールだといわれています。1967年、ポールが電子音楽のイベント『The Million Volt Light and Sound Rave』のために制作するも、The Beatlesのメンバーから「あまりにも前衛的すぎる」との理由でボツにされ、未だ未発表のままの“Carnival of Light”という曲もありますし。
鈴木:当時、ロンドンの中心に住んでいたポールはアヴァンギャルドシーンに接近して、ウィリアム・バロウズからカットアップの手法を学ぶなどしていたといわれていますよね。パブリックイメージではジョンのほうが前衛的なミュージシャンとされているけど、実際はポールも相当アヴァンギャルドだったし、その傾向はThe Beatles解散以降、The Fireman(ポールの変名プロジェクト)などで顕著になっていく。そうしたエピソードは『ポール・マッカートニーとアヴァンギャルド・ミュージック』(ストレンジデイズ)という本に詳しく書かれていますが、とにかくポールはそうやって「洗練」と「野蛮」を行き来しながら音楽をつくっていたのではないかと。そのあたりはバート・バカラックにも通じる気がします。
ポールが、プロデューサーのユースと結成した変名プロジェクトThe Firemanの『Electric Auguments』を聴く(Spotifyを開く)
新作『McCartney III Imagined』を鈴木惣一朗が分析。自分をガジェット化するポールの「余裕」
―そんなポールの卓越した作家性が表れている楽曲というと?
鈴木:例えばWings時代の“Silly Love Songs”(1976年)という楽曲。じつになんてことのないコード進行なのだけど、メロディーとベースが特別なんです。さすがリズム&ブルースを死ぬほど聴いてきた人ならではというか、単にメロウなだけじゃない骨太なアプローチ。歌詞も「他愛のない内容」といわれているけど、自身のコンポーザーとしての覚悟を表明した素晴らしいメッセージソングだとぼくは思うし、タイトルを“Silly Love Songs”(取るに足らないラブソング)としたあたりもとってもシャレている。ホーンセクションのフレーズにはニューオリンズの匂いがしなくもないし。
Wings “Silly Love Songs” を聴く(Spotifyを開く)
―曲の後半で“Eleanor Rigby”と同様、複数の旋律が絡み合う「対位法」が使われているところも心憎いですよね。
鈴木:そうそう。ポールのファンの間でも、割と軽くみられているし「いい曲だけど、他にもあるよね?」みたいな扱いだけど、意外とポールのソロキャリアのなかでも最重要な曲なんじゃないかな。ぼくは本当に好きで未だによく聴いています。
The Beatles “Eleanor Rigby” を聴く(Spotifyを開く)
―ところで、鈴木さんがポールに惹かれたのはどんなきっかけだったのでしょうか。
鈴木:ぼくは浜松が実家なんですけど、The Beatlesのドキュメンタリー映画『レット・イット・ビー』(1970年)を観た小学校3年生の時が最初の出会いですね。姉と一緒に観に行ったのですが、とにかく衝撃でした。もちろん、CMなどでThe Beatlesの楽曲が流れてはいたから、彼らのことを知らなかったわけではないのだけど、ちゃんと意識して向き合ったのはその映画が初めてだった。とにかくびっくりして、その足でシングル『Let It Be』を買いに行きました。
鈴木:A面は“Let It Be”で、B面は“You Know My Name”という曲。A面はとにかく、B面はとっても風変わりな曲なんですよ。小学生のぼくには良さがまったく分からなかった。でも、オーディオも買ってもらったばかりで他に聴くものがないから、シングル盤をひっくり返しながら何度も何度も聴くわけです(笑)。気づけば“You Know My Name”も大好きになってしまった。
The Beatles “You Know My Name” を聴く(Spotifyを開く)
鈴木:あの曲はコラージュ的というか、音楽を「ガジェット」化して楽しんでいるというか。展開もコロコロ変わっていくし、サウンドエフェクトもふんだんに盛り込まれていたり、細かな編集がほどこされたりしているわけじゃないですか。もちろん、当時10歳だったぼくにはそこまで聴き取れていたわけではないけど、ちょっとこじつけて言えば今回のポールの新作『McCartney III Imagined』も、やっていることは一緒なんですよね。自分の楽曲の素材を他人に渡して、まるでガジェットのように好きに遊ばせているわけですから。
ポールの新作『McCartney III Imagined』を聴く(Spotifyを開く)
―そういう懐の広さと実験精神、そして遊び心が『McCartney III Imagined』にはぎっしり詰まっていますよね。
鈴木:しかも、参加しているアーティストのアプローチが十人十色で性格も出ています。BECKのように、ポールのメロディーはしっかり残しつつ「BECK節」を加えていくようなつくり方もあれば、Khruangbinのように原形はほとんどとどめておらず、ポールのコーラスだけちょっと使ってあとは完全にKhruangbin色に塗り替えるようなつくり方もあって。ドミニク・フェイクも完全に「自分の曲」にしてしまっているけど、おそらくポールが喜んだのは、Khruangbinやドミニク・フェイクのようなアプローチの仕方だったんじゃないのかなと。
鈴木:その前にもジャイルズ・マーティン(The Beatlesのプロデューサーだったジョージ・マーティンの息子)がThe Beatlesの楽曲をマッシュアップした『Love』(2006年)というアルバムがあって、ポールは前々回の東京ドームツアーのときに客入れBGMで流していた。だから、彼は自分の楽曲を脱構築していくことに対して本当に積極的なのだなって思いましたね。
―もしかしたら、『McCartney III Imagined』で起用したクリエーターのなかから次のコラボ相手を探しているのかも知れないですね。
鈴木:ああ、確かにそれはある。トライアル期間というか、お手並み拝見しようと思ったのかも知れないですね。
自分のクリエイティブに忠実なあまり、時には周りを傷つける。ポールの「優しさ」と「厳しさ」について
―ポールマッカートニーの人柄についてはどう思いますか?
鈴木:黒田さんはポールにインタビューしているんですよね? そのときにどう思いました?
―本当に限られた時間でのインタビューでしたが、彼の話を聞いている時にずっと思っていたのは、「この人はなんて賢く、想像力が豊かなのだろう」ということでした。こちらがどういう意図で質問をしているのかを瞬時に把握し、相手の立場に立った言葉でわかりやすく伝えようとする。過去にデヴィッド・ボウイが「ポール・マッカートニーやジョン・レノンを世界の頂点に立たせたのは、『才能』ではなくその『賢さ』だ」と言ったそうですが、まさに同じことをぼくも思いましたし、「賢さ」は「冷たさ」ではなく「暖かさ」や「優しさ」なのだなとあらためて実感しました。
鈴木:ひとつぼくが強烈に覚えていることがあって。2018年の東京ドーム公演で、アンコールで“Yesterday”をやらなかった日があるんですよ(11月11日、2日目の公演)。
―“Yesterday”は、“Hey Jude”や“Let It Be”と同じくポールのライブレパートリーでは定番中の定番であり、これまでほぼ欠かすことのなかった曲ですよね。
鈴木:「もしThe Rolling Stonesが“(I Can't Get No) Satisfaction”をライブで演奏しなかったら、君はどう思う?」とインタビューで話していたくらい、ポールはサービス精神のある人。そんな彼が“Yesterday”を演らないなんて、ちょっとした事件なわけです。おそらく、いつもポールとお茶目な寸劇をやるローディーのおじさんが、“Yesterday”用のアコギと間違えて“I Saw Her Standing There”用のエレキベースを持ってステージに上がってきてしまった。そこでポールは「なるほど、このままロックショーで終わるのも悪くないな」と、それをすんなり受け入れたんじゃないかと思うんですよね。あくまでも憶測ですが。
プレイリスト『This Is: Paul McCartney』を聴く(Spotifyを開く)
―あるいはローディーのおじさんに、恥をかかせないようにしたのかも知れない……。鈴木さんのおっしゃるように憶測の域は超えないですが、ハプニングを面白がるポールの性格ならあり得なくないような気もします。その一方で、スイッチが入ると周りが見えなくなる、自分のクリエイティブな欲求に対してとても忠実な人という印象もあります。
鈴木:残念ながらぼくはポールと会ったことがないので(笑)、彼の人柄に関してもやはりThe Beatlesにおけるジョン・レノンとの関係性で考えてしまいます。もともとポールはジョンが組んでいたスキッフルバンド、The Quarry Menに後から加入して、それがきっかけでThe Beatlesの歴史が始まるわけですよね。当初、リーダーはいうまでもなくジョンだったのだけど、一緒にやっていくにつれてその関係性は徐々に変化していく。ポールの才能が開花してパワーバランスは変化し、それがバンドのなかで大きな要素を占めていくようになるわけです。
鈴木:そのときのジョンの気持ちは察するにあまりあるものがあるけど、ポールはそこで忖度するわけにはいかなかった。なぜなら自分がやりたいサウンド、やりたいビジョンがはっきり見えていたから。そこがポールの正直で素直なところでもあって……。ポールって、その後の行動を見ていても感じることだけど、「やるしかない」と思ったときはかなり強引に推し進めていますよね。
―The Beatles解散の遠因となった『マジカル・ミステリー・ツアー』(The Beatles製作・主演のテレビ映画)の制作や、「ゲット・バック・セッション」(『Abbey Road』制作前に行われた、アルバムのためのレコーディングセッション)もそうですよね。自分の才能がどれだけ人を振り回したり、傷つけたりしているかについて無自覚というか。Wingsからソロの時期にかけてもきっとそういうことがあったような気がします。
鈴木:そう。そういう衝動的なところがぼくは人間らしくてすごく好きなんです。音楽に対して本当に正直な人だなとも思うし。それにつき合う周りの人たちはきっと大変だろうけど。
―ポールの歌詞について鈴木さんはどんな見解を持っていますか。“Rocky Raccoon”や“Maxwell's Silver Hammer”など、ストーリーテリング調の歌詞を得意としているイメージがありますが。
鈴木:そういう物語仕立ての歌詞は、ジョンに揶揄されていたんですよね。「おばあちゃんがベッドで聴くような歌詞を書きやがって」みたいなことを言われ、ずっと気にしていたんじゃないかな(笑)。例えば『McCartney III』だとぼくは“Deep Deep Feeling”が好きなのだけど、歌詞を読むと割と内省的なことをシンプルな言葉で表そうとしているように感じました。そのあたり、俳句に影響を受けたジョンを意識しているのかもしれない。
The Beatles “Maxwell's Silver Hammer” を聴く(Spotifyを開く)
つねにジョンを意識していたポール。神話のようなその関係性に、鈴木は思いを馳せる
―“Deep Deep Feeling”は、誰かを愛したときに感じる「天にも昇る気持ち」と「どん底の気持ち」を歌っていて、そういう意味では“So Bad”(1983年のアルバム『Pipes of Peace』収録)の歌詞に近いのかなとぼくは思いました。ポールの歌詞では、個人的には“The End”の“And, in the end, the love you take / Is equal to the love you make”(結局、君が受け取れる愛は、君が与えた愛とイコールなんだよ)というフレーズが大好きなんです。ジョンが「哲学的だ」と褒めたそうですが、これは現代にも通じるメッセージだと思うんですよね。
鈴木:確かにそうですね。あの曲を『Abbey Road』のラスト、つまりThe Beatlesにとって最後の楽曲にしたのはあまりにも出来過ぎな気がするけど(笑)、きっと“The End”もジョンへのメッセージだったんじゃないかと思います。というか、ポールがつくる大抵の楽曲はジョンに対して歌っているのではないかとさえ思いますね。しかも、ジョンが亡くなったあともポールはジョンにメッセージを投げ続けている。「この曲はどうかな?」って。
The Beatles “The End” を聴く(Spotifyを開く)
鈴木:解散時、ジョンとポールはとても険悪な関係で喧嘩ばかりしていたといわれてますよね。それであるとき、ポールがメンバーをスタジオに残して帰宅してしまって。その頃ポールの家は、アビーロードスタジオのそばにあったのですが、ジョンが彼の家まで追いかけて行って道端のレンガを窓に投げつけるという事件があったらしいんですよ(笑)。
―ええ!?
鈴木:そんなこと、普通するかな? と思いますよね。愛憎入り混じった感情というか、その思いの強さに圧倒されてしまう。きっとジョンの心中には「お前はなんてすごい才能なんだ!」というポールへの嫉妬もあっただろうし、「The Beatlesは俺のバンドだぞ!」という悔しさもあったと思う。それでもジョンは、ポールのことが大好きなんですよ。「こんなバンド、いますぐにでも辞めてやる」と言い続けていた自分より先に、ポールがThe Beatles解散の発表したことで、彼はものすごく傷ついたわけですから。
―ジョンの、ポールに対する愛憎入り交じる感情は“Oh! Darling”の制作エピソードからもうかがえますよね。
鈴木:このヘビーなロッカバラードをモノにするため、ポールは毎朝誰よりも早くスタジオ入りして、何度も歌入れを行った。彼は、「ジョン・レノンみたいに歌いたい」と思ったわけです。その様子をジョンはコントロールルームで見ながら、「俺が歌えば一発でOKテイクが出せるのに」と思っていたかもしれない。その二人のせめぎ合いというか、静かなる攻防をジョージ(・ハリスン:The Beatlesのギタリスト)はどんな思いで見ていたのか? ということも気になるんだけど(笑)、とにかく何日か後にようやくポールはOKテイクを出すことができた。そして、それを聴いたジョンが絶賛するんですよね。「俺が歌いたかった。そのくらいいい曲だ」って。美しいストーリーです。
The Beatles “Oh! Darling” のアウトトラックを聴く(Spotifyを開く)。ポールは納得のいくボーカルテイクを得るまで毎朝スタジオに通い詰めた。
―最初に鈴木さんがおっしゃっていたように、いまもポールは「ジョンに認められたい」という思いでアーティスト活動を続けているようにさえ思います。
鈴木:これもぼくの大好きなエピソードなのですが、“Hey Jude”の歌詞をポールがジョンに初めて披露したとき、“The movement you need is on your shoulder"(やるべきことは、君の肩にかかっている)の部分を「気に入ってないからあとで修正するつもり」とエクスキューズした。するとジョンはポールに、「何を言ってるんだ、この曲の一番いいところじゃないか。絶対に残すべきだよ」とアドバイスしたんです。自分で自信が持てない部分を、最も信頼している人に「いい」と褒めてもらえたら心の底から嬉しいじゃないですか。その支えがあったからこそ、ポールは自信を持ってあの屈指の名曲“Hey Jude”を世に出すことができた。そういう関係、ぼくにはもう「神話」のようにさえ思えるんですよね。
- プロフィール
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- 鈴木惣一朗 (すずき そういちろう)
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1959年、浜松生まれ。音楽家。1983年にインストゥルメンタル主体のポップグループ「ワールドスタンダード」を結成。細野晴臣プロデュースでノン・スタンダード・レーベルよりデビュー。「ディスカヴァー・アメリカ3部作」は、デヴィッド・バーンやヴァン・ダイク・パークスからも絶賛される。近年では、程壁(チェン・ビー)、南壽あさ子、ハナレグミ、ビューティフル・ハミングバード、中納良恵、湯川潮音、羊毛とおはななど、多くのアーティストをプロデュース。2013年、直枝政広(カーネーション)とSoggy Cheeriosを結成。執筆活動や書籍も多数。1995年刊行の『モンド・ミュージック』は、ラウンジ・ブームの火つけ役となった。細野晴臣との共著に『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(平凡社)、『細野晴臣 録音術 ぼくらはこうして音を作ってきた』(DU BOOKS)、ビートルズ関係では『マッカートニー・ミュージック~ポール。音楽。そのすべて。』(音楽出版社)、他に『耳鳴りに悩んだ音楽家がつくったCDブック』(DU BOOKS)などがある