高橋健太郎と鈴木惣一朗に聞く、フィル・スペクターの光と影

高橋健太郎と鈴木惣一朗に聞く、フィル・スペクターの光と影

2021/04/08
インタビュー・テキスト・編集
黒田隆憲

ちゃんとシラフでいたら、素晴らしいプロデューサーでありコンポーザーであり、プレイヤーだったのではないか(鈴木)

―「ウォール・オブ・サウンド」は演奏スタイルや奏法ではなく、サウンド・プロダクションのことであると。「音響」に対してここまで意識的だったのは、スペクターが最初と言ってもいいのでしょうか。

高橋:いわゆる「レコーディングアート」ですよね。曲でもなく演奏でもなく、最終的にミックスされた録音物がアートであるという思想を、あそこまで前面に出した作品は、フィル・スペクター以前にはなかったと言っていいんじゃないかなとは思いますね。もちろん、その前にもレコーディングアートを志向した人はたくさんいるけど、フィル・スペクターはその一つの頂点ではないかと。曲自体は3コードの、本当にシンプルな構造なんですよね。しかも一流のジャズミュージシャンを集めてルートしか弾かせないとか、ひたすらコードバッキングをさせるとか(笑)。

高橋健太郎

鈴木:そうですね(笑)。それゆえ、ウォール・オブ・サウンドをライブで再現するのは不可能に近い。

高橋:ただ、実はスペクターって元々ライブミュージシャンなんですよ。ギターがものすごくうまいし、スティーヴ・ダグラスとジャズロックバンドみたいなことをやっていたこともある。ハワード・ロバーツに師事していて、ジャズギタリストになろうとしていた。とにかく、当時のスペクターを知る人は皆、口を揃えて「誰よりもギターが上手かった」と言うんです。

鈴木:そうなんですか!

高橋:音源が残っていないので憶測でしかないんだけど、おそらくThe Mothers of Invention(フランク・ザッパとの共演でも知られる、1964年から1975年にかけて活動したアメリカのロックバンド)の源流みたいなことをやっていたんじゃないかと。でも結局それでは金にならないと言うことで、ポップソングのプロデューサーに転じて演奏はやめてしまう。それ以前は曲を書いて、10代で全米トップヒットも出しているのに、曲を書くのも辞めてしまったわけですよね。

―それはどうしてなんでしょう。

高橋:やっぱり、自分はギタリストやコンポーザーでは超一流にはなれないと思ったんじゃないですかね。グレン・キャンベルのようなギタリストや、ゴフィン&キング(ジェリー・ゴフィンとキャロル・キングによるソングライターチーム)のようなコンポーザーにはなれないと。そういう、シビアな判断ができる人だったんじゃないかな、プロデューサーだから。

鈴木:なるほどね。

高橋:それに彼がプロデューサーとして、あれだけ一流のミュージシャンたちに言うことを聞かせられたのは、「俺だって弾けるから」みたいなところがあったのだと思う。スペクターって人格的に悪い評判ばかり立っているけど、ミュージシャンは彼のことは悪く言わないんですよね。というのは、ものすごく金払いが良かったらしいんですよ。ミュージシャンが金銭的に不当に扱われていることに対して常に怒っていた彼は、スタジオでは相場の何倍もギャラを払っていたらしい。

―そんなスペクターが、1970年代以降はジョン・レノンやRamonesのメンバーにスタジオで銃を向けたり、出来が気に入らないとの理由でマスターテープを持ち逃げしたり、ミュージシャンともトラブルを起こすようになっていくのはどうしてだったのでしょうか。

高橋:スペクターの音楽人生って、明らかに“Be My Baby”がピークじゃないですか。その後、The Ronettesはそんなに人気が続かず、フィレス(スペクターが1961年にレスター・シルと共同で立ち上げたレコード・レーベル)も新しいアーティストが生まれなくなるし、ヒットも出なくなる。本当はスペクターは、フィレスをモータウンのような「帝国」にしたかったのだけど、その夢は果たせずビジネスには見切りをつけて、フリーランスになったわけです。

それまで帝国の頂点にいたスペクターは、全ての人に自分の言うことを聞かせられたのだけど、フリーランスになったら今度はRamonesやジョン・レノンがクライアントじゃないですか。その雇われ仕事をしているにも関わらず、帝王の振る舞いが抜け切れなかった彼は銃を向けるしかなかったのでしょうね。

Ramones『End of the Century』を聴く(Spotifyを開く

鈴木:長年の疑問で、そもそも『Let It Be』から始まるThe Beatles関係の仕事をなぜスペクターが受けたのか、という疑問があったんですよ。健太郎さんのいう通りで、時代が大きく変わってゆく中で、The Beatlesにコバンザメのようにくっついていくしか、1970年代を乗り切れる自信はなかったのでしょうね。それと、あの長時間に及ぶ「ゲット・バック・セッション」を収めた未整理のテープを誰がまとめるんだ? というところで、誰もがやりたくないであろう作業を押し着せられた気がするんですよね。可哀想。

鈴木惣一朗

鈴木:そうしたストレスからか、彼、スタジオでいつもお酒を飲んでるんですよね。拳銃を出して発砲してしまうとか、アル中による錯乱状態でもあったと思います。でも、時々シラフに戻って『John Lennon/Plastic Ono Band(邦題:ジョンの魂)』(1970年)のレコーディングでは、ベートーヴェンの“月光(ピアノソナタ第14番)”にインスパイアされたジョンの気持ちを汲んで、“Love”のような素晴らしい曲を丁寧に仕上げていく。そういう繊細さも持ち合わせているわけじゃないですか。ちゃんとシラフでいたら、素晴らしいプロデューサーでありコンポーザーであり、プレイヤーだったんじゃないかなとは思うんです。

ジョン・レノン“Love”を聴く(Spotifyを開く

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プロフィール

鈴木惣一朗(すずき そういちろう)

1959年、浜松生まれ。音楽家。83年にインストゥルメンタル主体のポップグループ“ワールドスタンダード”を結成。細野晴臣プロデュースでノン・スタンダード・レーベルよりデビュー。「ディスカヴァー・アメリカ3部作」は、デヴィッド・バーンやヴァン・ダイク・パークスからも絶賛される。近年では、程壁(チェン・ビー)、南壽あさ子、ハナレグミ、ビューティフル・ハミングバード、中納良恵、湯川潮音、羊毛とおはな等、多くのアーティストをプロデュース。2013年、直枝政広(カーネーション)とSoggy Cheeriosを結成。執筆活動や書籍も多数。95年刊行の『モンド・ミュージック』は、ラウンジ・ブームの火付け役となった。細野晴臣との共著に『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(平凡社)『細野晴臣 録音術 ぼくらはこうして音を作ってきた』(DU BOOKS)ビートルズ関係では『マッカートニー・ミュージック~ポール。音楽。そのすべて。』(音楽出版社)他に『耳鳴りに悩んだ音楽家がつくったCDブック』(DU BOOKS)などがある。

高橋健太郎(たかはし けんたろう)

1956年、東京生まれ。音楽評論家、音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニア、音楽配信サイト「ototoy」の創設メンバーでもある。一橋大学在学中から『プレイヤー』誌などに執筆していたが、1982年に訪れたジャマイカのレゲエ・サンスプラッシュを『ミュージック・マガジン』誌でレポートしたのをきっかけに、本格的に音楽評論の仕事を始めた。1991年に最初の評論集となる『音楽の未来に蘇るもの』を発表(2010年に『ポップミュージックのゆくえ』として再刊)。1990年代以後は多くのアーティストとともに音楽制作にも取り組んだ。著書には他に『スタジオの音が聴こえる』(2015年)、2016年に発表したSF音楽小説『ヘッドフォンガール』がある。

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