荏開津広×渡辺志保 ジェンダー観を巡り、変化するラップシーン

ヒップホップ、ラップには「男らしさ」が重んじられてきた歴史が、現実としてある。しかし、そうした価値観に変化が少しずつ訪れている。今回のテーマは、ヘテロ男性以外のアーティストに焦点をあてた、現在のラップシーンについて。

世界の音楽シーンに精通するライター渡辺志保と、多彩なカルチャーに横断的な視点を向ける荏開津広の対談企画も今回でひと区切り。1年にわたるこの連載の締めくくりに、ラップ音楽が持つ、希望につながる話を語っていただいた。

2020年最大のヒット曲“WAP”現象

―まずは2020年の大ヒットソング“WAP”について伺います。この曲を聴いた最初の感想はいかがだったでしょう?

渡辺:“WAP”が大好きというのは大前提ですが、これほどコマーシャルヒットしたのは意外だったんですね。楽曲自体はキャッチーだし、シンプルなマイナー調のビートで中毒性はありますけど、それほど派手な曲ではないなというのが、率直な感想でした。あと、同じくらいセクシャルで過激とされる女性アーティストによる楽曲は、ここ10年、20年振り返っても、数多くあったので、“WAP”だけがここまで社会現象化したことについては、意外性も多くありました。

カーディ・B feat. ミーガン・ザ・スタリオン“WAP”を聴く(Spotifyを開く

渡辺:もちろん、MVの話題性や、カーディ・Bの持つカリスマ性、巨大なファンベースにプラスして、ミーガン・ザ・スタリオンの人気が高まっているタイミングという、複合的な要因が重なったのかもしれないですね。ただ、黒人女性ラッパー2人がここまでの快挙を成し遂げたことに、単純に勇気をもらえます。とにかく爽快ですからね。2020年は、世界中の皆さんが色々とストレスを感じる局面にぶつかったのではないかと思うのですが、その抑圧された雰囲気を一気に吹き飛ばす痛快さがありました。

荏開津:ミーガンは、登場したくらいから大好きなラッパーなので応援してましたが、たしかに志保さんがおっしゃったように、トラック自体は地味な印象がありました。ただ、ミーガンのアルバム『Good News』(2020年)を聴いていても感じるのは、リスナーも含めた世界の変化で、”WAP”はそこを狙った意図が露骨だと思いました。

ミーガン・ザ・スタリオン『Good News』を聴く(Spotifyを開く

荏開津:1990年代から、いわゆる「フィメールラッパー」たちによるセクシャルなリリックの曲はありました。ただ、『Good News』に収録されている“Body”って曲があって。

渡辺:“WAP”の続編みたいな内容ですよね。

荏開津:そうなんですよ。自分の肉体、ボディーを表現している曲なので、セクシャルな表現ではあるんですが、単純に「猥褻」というと見逃すことが出てくるでしょう。女性(この場合はミーガン)が主導権を握るんだということがセックスの面だろうがなんだろうがともかく繰り返されてる。

一方、カーディとの“WAP”についてアメリカの保守派は怒り狂っているらしいですが、カーディは最初から男性の性器のサイズなどを匂わせたラップかなと思っていたら、すぐに<クレジットカードみたいにお前の顔をスワイプしろ><それが入ってるときは骨盤運動してるから>ときて、「やっぱりそうか!」というヒドい(?)リリックが続きます。

MVは、彼女たちがいかに「ジューシーなのか」ということを強調したり、「液体」が豪邸の外に溢れてきたりという、猥雑な曲に相応しい挑発的な映像から始まります。自分はカーディとミーガンそれぞれのリリックの向いている方向も違うと思いますが、この「挑発」を経て、未来にはそれだけの時代は少しづつ終わっていくのかな、と。以前、リゾについて話をしたときも、女性の身体をリプレゼントすることの大切さも語りましたよね(参考:荏開津広×渡辺志保が振り返る、2019年ラップ界の注目トピック)。

荏開津広(えがいつ ひろし)
執筆 / DJ / 京都精華大学、東京藝術大学非常勤講師。Port B『ワーグナープロジェクト』音楽監督。東京生まれ。東京の黎明期のクラブ、P.PICASSO、MIX、YELLOWなどでDJを、以後主にストリート・カルチャーの領域で国内外にて活動。

渡辺:私もその点はよく考えていました。かつてのリル・キムなども同じようなアティテュードだったと思いますが、カーディ・Bは元ストリッパーですし、自身の身体がいかに武器になるかをよく理解していますよね。なにより、自分の身体や自分のセクシーさを自分でコントロールできるという、客体化されていない女性の身体を表現していると思います。男性の注意を引きたいから、セクシーな格好するとか、性的な尺度で自分の身体をジャッジさせるのではなくて、自分に主導権があることが大事なのだと思いました。

―MVに対して子どもに見せるには猥褻過ぎるといった批判もあったけれど、ということですよね。

渡辺:たしかに猥褻ではあると思うし、子どもの前で見られない。ただ、日本では女性の体って、男性から見て、その女性と寝たいと思うかという尺度が根強いし、なかなかその価値観から脱却するのが困難な状況だと思うんです。ミーガンやカーディが、「自身のセクシーさを自分でコントロールする」といったメッセージを発信していることに共感します。なにより、“WAP”で爽快なのは、常に女性が上位なんですよね。

荏開津:そうですよね。

渡辺:リリックで描かれるセックスの体位もそうですし、男性とのリレーションシップのあり方もすべて女性が決めている。<私は掃除も料理もしない それでも私には結婚指輪がついてる>ってラインでヴァースが締まるんです。

普段、結婚する条件として女性には家事の能力が求められるような環境にウンザリしている女性も多いと思います。そうした価値観をあそこまで大っぴらに、自信たっぷりに歌ってくれるミーガンとカーディは、すごく心強いし、頼もしいなって思いますね。

渡辺志保(わたなべ しほ)
音楽ライター。広島市出身。主にヒップホップ関連の文筆や歌詞対訳に携わる。これまでにケンドリック・ラマー、A$AP・ロッキー、ニッキー・ミナージュ、ジェイデン・スミスらへのインタヴュー経験も。共著に『ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門」(NHK出版)などがある。block.fm「INSIDE OUT」などをはじめ、ラジオMCとしても活動中。

荏開津:そういう意味でも、「猥褻か」という物議を巻き起こす意図が背後にあって、入念なマーケティングチームによるミーティングがあったのかと思わせるほどですが、実際にはカーディ・Bがただ書いただけという気もする(笑)。彼女がストリッパーとして働いていた経験がいかに役立ったかと過去、何回もインタビューで語っていますが、決まった長時間のシフトに沿ってどれだけ自分の肉体を巧みに露出するか、それでシフトが終わるときに持ち帰るチップの額が決まるわけで、“WAP”もそれと同じといえばそうでしょう。

日本でも世界でも同じような環境で数えきれないほどの女性が働いてる。職業に貴賎はないですよね? カーディは28歳で夫のオフセット(Migosのメンバー)にランボルギーニをサプライズギフトで贈るほど、お金を稼いでいます。「猥雑はいけない」という主張自体はもちろんその通りですが、あまりに当然すぎてそれだけでは話にもにならない。子どもに見せてはいけないのは当然として、識者と言われてるような人たちはその先を考えるべきではないでしょうか。もしかしたら飛躍しすぎかもしれませんが、「猥雑だ」と批判するだけでは、話術や身体の魅力を使う職種の人はランボルギーニは欲しがってはいけないと言ってるみたいです。ランボルギーニみたいな贅沢は、生まれついての富裕層の人だけにしか許されないのか? って思います。

渡辺:職業に貴賎はない、というのは大前提だと思いますし、特に女性が職業によって貶められたり弱い立場に置かれたりすることはあってはなりません。

―たしかに「猥雑だ」と批判されても、それ以上に大切なものが“WAP”などの曲からは受け取れますよね。

荏開津:ここ数年は本当にフィメールラッパーが大活躍しました。こうした大活躍が「フィメールラッパー」という言葉自体をなくしていくでしょう。僕はミーガンが好きなのは、ミーガンはイージー・E(ラップグループN.W.Aのメンバー)の大ヒット曲"Boyz-n-the-Hood"をサンプリングして“Girls In The Hood”を出したけれど、イージー・Eの原曲では彼が口論したガールフレンドをひっぱたくんです。1987年の曲なのでその是非はまた別としても、今で言う「DV」の描写がフッドの光景としてメディアで伝播していった。その曲を2020年にリサイクルしてフッドの女性=ミーガン自身を賛美する曲を出すのは、往年のラップ馬鹿からすればまるでデビュー当時のロクサーヌ・シャンテであって、素晴らしいとしか言えないです。

渡辺:たしかに、ミーガンは母親も地元ヒューストンで有名なラッパーだったんですよね。その影響も受けているのか、すごくオーセンティックなラップスタイルだと思います。

荏開津:色々なスタイルを試しているけど、逆に、こんなオーセンティックなものがなぜこれほど人気が出たのか不思議なくらい。

渡辺:そうですよね。最初にブレイクしたのも『Tina Snow』(2018年)というミックステープがきっかけで、まさにヒューストンのピンプ・Cのスタイルを自分にチャネリングした作風でしたし、そういったところが全方位に愛される理由なのかなと思いますね。あと、ミーガンはヒューストンに病院を建てて雇用を生み出したいという動機で大学に入学した人でもある。そうした意味でも、これまでの女性ラッパーにおけるステレオタイプを打ち破った存在だと思います。

荏開津:母親がどういう教育をミーガンにしたかまでは知らないんだけど、古典的なラッパーが出世して、地元に貢献する姿勢とつながってますよね。

渡辺:そうですよね。ビヨンセと“Savage Remix”を出したときには、楽曲の売り上げをCOVID-19のケアをしている地元の非営利団体に寄付していましたし。

ミーガン・ザ・スタリオン“Savage Remix(feat. Beyoncé)”を聴く(Spotifyを開く

荏開津:たとえばニプシー・ハッスルやジェイ・Zも会社を作って、フッドに貢献していますよね。ジェイ・Zの会社の1つはアパレルですが、2000年代始めには、どう考えてもアパレル会社に普通の手続きを経て入社したと考えにくい人たちがいっぱいオフィスにいたという話を聞いたことがあります。5時になるとオフィスの方から匂いがしてきたとか……。今やアメリカのある程度大きなアパレルやデザインの会社でも当たり前の光景でしょうが、色々先取りしていたとも言える(笑)。でもフッドへの貢献で、それが、ミーガンまでつながってくると、これはラッパーのマインドとして相当強いものなんだと思いました。

渡辺:アトランタの21サヴェージも、地元の子どもたちを助けるチャリティー活動などが広く知られています。地元への貢献を継続的に行っているラッパーに関しては、1人ずつ名前を挙げるのが難しいくらい。それほど、ヒップホップカルチャーと地元へのチャリティーや富の還元ということは、普遍的な行動として根付いていると思いますね。

この10年でジェンダーの幅が広がった、ヒップホップシーン

―ミーガン以外で、注目されているアーティストはいますか?

荏開津:まずは、ヤング・M.Aに注目しています。ラップがすごくうまいんですね。そして、ヤング・M.Aはクィアと言うか、LGBTQと言えるジェンダーの人ですが、<私はKで始まるクイーン なぜならKingでもあるから>というパンチラインがあるように、リリック / 言葉で現状をねじ伏せていくところがかっこいいなと思います。ただ、最初の頃はそれほどピンとこなくて……。

ヤング・M.A『Red Flu』を聴く(Spotifyを開く

渡辺:大ヒットした“OOOUUU”のときですか。

荏開津:そう。でも何曲も聴くあいだに、実力に惹かれてしまいました。

渡辺:2020年の『Music To Be Murdered By』にヤング・M.Aを参加させていたエミネムが絶賛していて、また人気を持ち直した気がします。ヤング・M.Aは根っからのギャングスタ・ラッパーでもあるので、恐らく「クィアラップ」と括られることに関しては不本意なのではと思いますが、ヤング・M.Aが広くヒップホップのコミュニティーで受け入れられること自体が、大きな進歩だと思っています。今、ヤング・M.Aの後継者と勝手に私が思っているのが、テキサス出身のOMBブラッドバスです。

エミネム『Music To Be Murdered By』を聴く(Spotifyを開く

渡辺:OMBブラッドバスも身体が女性で、性愛の対象は女性なのですが、ヤング・M.Aと同じように「ブラッズ」というギャングの一員なんですよね。そして、その生活の様子をラップしていて、今、注目を集めつつあります。また、ソーシー・サンタナというラッパーは、オープンリー・ゲイでひげを生やしつつ、ゴージャスな格好でラップをしています。ブレイクしたきっかけは“Material Girl”というシングルで、シャネル愛を語る内容なんですよね。彼もまた、LGBTQのコミュニティーを大事にしているラッパーです。

もともと、ニューオーリンズのバウンスシーンを率いてきたビッグ・フリーダや、カルチャーや国境を越えて活躍するゼブラ・カッツといったクィア・ラッパーたちもいましたし、いうまでもなくフランク・オーシャンのカミングアウトやリル・ナズ・Xの歴史的ブレイクなどもあったわけで、今後、LGBTQのコミュニティーにおけるヒップホップ・カルチャーもどんどん多様性が増していくのかなと思っています。むしろ、クィアという冠がなくとも、従来のラッパーと変わらないスポットライトが当たる世の中になっていくのは間違いないのかなと思ってます。ヤング・M.Aの卓越したラップ・スキルを評するときに、彼女の性自認は関係ないですからね。

OMBブラッドバス『A Few Forevers 2』を聴く(Spotifyを開く

ソーシー・サンタナ『Pretty Little Gangsta』を聴く(Spotifyを開く

荏開津:私はこの対談シリーズを始めてから改めて感じたのですが、ラップが始まってから、ここ10年で一番変わったことは、シーンの中のジェンダーが広がったことだと思います。

昔だったら男性以外でメディアが取り上げたりレコード会社がプロモートしたりするラッパーは1人しかいなかった。現実として、今のラップの世界がいかに幅広くなったかっていうのを、もう1回、過去から聴き直すとはっきりします。

渡辺:確かに、そうですね。

荏開津:男性以外のラッパーの数が増えて、シーンの中のジェンダーが広がりを見せましたよね。あえて使いますが「女性ラッパー」、「フィメール」という言葉や、先ほど志保さんがおっしゃったように「クィアラップ」という言葉で、特別なジャンルとして当てはめるのも難しいくらい、それぞれのアーティストが自由にやっている雰囲気が、現実としてこれまでのあり方と随分違うと感じます。

渡辺:もちろん世の中の流れもあるからでしょうけど、この10年、20年でヒップホップシーンにおけるマッチョイズム、マスキュリニティーは激変したと思うんです。そのピークは2000年頃だと思っていて。裸に防弾チョッキを着た出で立ちで50セントが2000年代前半にデビューしたときは、「マッチョであることがいいことだ」という価値観がかなり強かったんですよね。

50セント『Get Rich Or Die Tryin'』(2003年)を聴く(Spotifyを開く

荏開津:体を鍛えてるのが、そのままMVになってましたもんね。それはそれで好きだったけど。

渡辺:懸垂しながら、ラップしてるみたいな(笑)。マッチョイズムこそがヒップホップだという価値観がかつてはありましたよね。それがそのまま、同性愛嫌悪に繋がっていた向きもあると思います。ただ、そうした流れが変わってきたなと最初に感じたのは、カニエ・ウェストがダボダボの服装ではなく、スキニージーンズをはき出して、メゾンブランドとも付き合いながら中性的なファッションを始めたくらいかな、と。最初、タイトなデニムをはいていることに対してかなりバッシングというか、イジられていたように思います。そのあと最も大きかったのは、ドレイクの出現だったと思います。

2007年くらいから、ミックステープで名を上げていったドレイクは、ギャングスターでもハスラーでもなく、子役出身の男の子なんですよね。高校生のときに学園ドラマでデビューしたカナダ出身の彼が、これまでのヒップホップの出自とは異なるところから現れ、かつ、リル・ウェインからのフックアップを受けて一気にヒップホップのファンを虜にした。それが大きな1つの転換点だと私は思っています。彼がラップする内容は好きな女の子のことやメランコリックなものも多かった。それ以降、「マッチョなのがかっこいい」という価値観が少しずつ変わっていってると思うんです。

ドレイク『So Far Gone』(2009年)を聴く(Spotifyを開く

渡辺:そして、それと同じぐらいにカニエの『808s & Heartbreak』も大きかったと思います。母親の死や、婚約者との別れがきっかけになった作品ですけど、私も当時はこんな「女々しい」アルバム、聴きたくないと思っていたんですよね。別れた相手が延々と失恋について歌っている……と思うと、なんだか許容できなかった。でも今は、そうは思いません。それは私自身、当時は「従来の男らしさイコール、ヒップホップ」だと思っていたからだと思います。それがこの10年~15年でガラッと変化して、その分、女性の活躍という点においても、そのためのスペースが増えたのだと感じます。

カニエ・ウェスト『808s & Heartbreak』(2008年)を聴く(Spotifyを開く

荏開津:50セントの体を鍛えるのをMVにするのとか、今改めて考えてみると、実はミーガン・ザ・スタリオンのやっていることと似ているとも思うんです。あの時代、男性が自身の身体をリプレゼントしていた。それはジェームス・ブラウン以前からあったけれど、彼が“It's A Man's Man's Man's World”などで強調したことだとも思います。この曲はマチズモということで批判する人がいるけど、単に批判するだけじゃ足りない曲だと思う。50セントはそれを21世紀初めに出してきたと言えるんじゃないでしょうか。

そして、それが現在はミーガンが“Body”という曲でやってるとしたらどうでしょう。ラップは、ラッパーの身体性をリプレゼントすることになぜか繋がる音楽ジャンルなのかもしれないですよね。なぜアフリカン・アメリカン男性が自身の身体を鍛えて音楽を通じてリプレゼントしたのか、それこそにもっと注意を払っていいのでは、と思います。

ジェームズ・ブラウン“It's A Man's Man's Man's World”を聴く(Spotifyを開く

レーベルから搾取されてしまう、女性アーティストたちが直面する問題

―渡辺さんは、注目しているアーティストはいらっしゃいますか?

渡辺:アルマーニ・シーザーは私が注目しているニューカマーのラッパーで、ニューヨーク州バッファローという郊外エリアで結成されたクルー兼レーベル「Griselda Records」に所属しています。彼女のラップもミーガン同様、オーセンティックなんだけど、外見はすごいギャルで、そこがまたいいなと思っていて。彼女が全米ナンバーワンヒットを生み出すくらい派手なタイプかはわからないんですが。

アルマーニ・シーザー『THE LIZ』(2020年)を聴く(Spotifyを開く

荏開津:私も、すごく好きですね。かっこいいですよね。他にもジェンダーや人種も含めたステレオタイプを崩して優れたラップをしている人は数えきれません。ニューヨーカーのコリアン・アメリカン、オードリー・ヌナは映像作家でもあるんですが、自分の表現としてラップを選んだことは注目に値すると思います。アジア人(私もそうですが)がアフリカン・アメリカンのカルチャーや流行に乗っただけと判断するのは早計かな、と。彼女の映像や曲を、見たり聴いたりしていると、若い頃に多くの人の悩みの種になる「外見を評価する基準」みたいなものは、誰がどう決めてきたのかな? と思ったりします。オードリー・ヌナはまるで1つの芸術ジャンルでは自分の言いたいことを表現し足りないとばかりに映像へも手を伸ばし、表現の世界を限定しません。

オードリー・ヌナ“damn Right”を聴く(Spotifyを開く

荏開津:彼女と全然違うけど、やはり同じようなことを、ナイジェリア人の両親を持つラッパー、モデルのチカの曲を聴くと感じます。チカは罪のないグッドミュージックみたいな言い方がされる(?)1990年代のR&Bをひっくり返して、バイセクシャルである自分の心のときめきを巧みに表現した“Can't Explain It(feat. Charlie Wilson)”(2019年)で自身の世界を広げました。

チカ“Can't Explain It(feat. Charlie Wilson)”を聴く(Spotifyを開く

荏開津:この対談を読んでくれている方の中に、もしLGBTQを受け入れる流れに反対の方がいたとしたら、「社会の問題」と大枠で括るのではなく、是非チカの自伝的なアートである”High Rises”を聴いてもらいたいし、MVも見てほしいんです。彼女は今年のXXLで、童話の『シンデレラ』をネタにフリースタイルを披露しましたが、ラップが上手いと思います。ちなみにオードリー・ヌナは21歳、チカは23歳です。

それでは彼女たちの世代の前に誰がいたかと考えていくと、以前の対談でも話した1990年代終わりのエリカ・バドゥなどのラップに近寄っていったシンガーの存在は大きいと思います。自分たちの身体やアイデンティティを、アフリカ / アメリカという概念や、ジェンダーの問題と巧みに結びつけて、音楽で表現したのが素晴らしいな、と。

チカ“High Rises”を聴く(Spotifyを開く

チカの「2020 XXL Freshman Freestyle」

エリカ・バドゥ『Baduizm』(1997年)を聴く(Spotifyを開く

荏開津:あと、オシュンやジャングルプッシーのようなラッパーも好きですね。ジャングルプッシーはもっと人気が高まるような気がしていたのですけどね……。

オシュン『bittersweet vol.1』(2018年)を聴く(Spotifyを開く

ジャングルプッシー『Satisfaction Guaranteed』(2014年)を聴く(Spotifyを開く

渡辺:それはレーベルの売り方にも問題があるかもしれないですよね。2019年の年末くらいから、私が目にするニュースでは、女性のラッパーとレーベルとの不和の問題が取りざたされることが多いと感じていて。2019年には、キャッシュ・ドールというデトロイト出身のラッパーがデビューアルバム『Stacked』をリリースしたんですが、ずっとメジャー契約のしがらみに苦しんできて、やっとインディペンデントでアルバムを出せて涙が出るほど嬉しいとインタビューで語っていました。さらに2020年の前半には、オークランドのラッパーであるカマイヤも、YGのサポートを受けてメジャーと契約していたはずなのに、そこで粗末な扱いを受けていたからという理由で、結局自分でレーベルを立ち上げてインディーズでアルバムをリリースしたんです。

キャッシュ・ドール『Stacked』(2020年)を聴く(Spotifyを開く

カマイヤ『Got It Made』(2020年)を聴く(Spotifyを開く

渡辺:ミーガンもレーベルとの不和を悩みにあげていたので、若い女性だからと付け込まれて、しっかりとした契約が結べていないアーティストが多いのかなと勝手に危惧しています。それこそ、ロクサーヌ・シャンテを題材にした映画『ロクサーヌ、ロクサーヌ』でも、彼女が搾取された契約の話が取り沙汰されていましたよね。こうした問題は、業界内でも男性優位の構造があるがゆえなのかな、と思っています。やはり女性は消費されやすい立場に置かれることが多いと思いますし、こうした問題が改善されると優れたアーティストがより輝けるのだと思います。これはアメリカのヒップホップ業界だけの話ではないですが。

荏開津:その問題はありますよね。マスタ・エース周りのポーラ・ペリーやLescheaというラッパーを思い出します。

ロクサーヌ・シャンテ“Roxanne's Revenge”を聴く(Spotifyを開く

Leschea『Rhythm & Beats』(2008年)を聴く(Spotifyを開く

渡辺:あと、私はもともとラプソディーの大ファンなのですが、その流れで過去のアンダーグラウンド的な女性ラッパーたちの作品を聴き返していて。たとえば、ジーン・グレーあたりが再評価する流れもありえるかも、などと思っています。同時に、文学的な香りがする女性ラッパーの作品を聴きたいと思っていて、まさにノーネームやジャミーラ・ウッズあたりがそうした系譜にいるアーティストだと思うのですが、そうした観点から、おすすめの女性アーティストがいたら教えていただきたいです。

ジーン・グレー『The Bootleg Of The Bootleg EP』(2003年)を聴く(Spotifyを開く

自らのストーリーを、自分で歌う。ラッパーのアティテュードを持つ女性シンガー

―現在、ラップだけでなく、シンガーもヒップホップアーティストと同じくらい、活躍が目覚ましいですよね。

荏開津:私はジェネイ・アイコをずっと聴いていますが、ミーガンとかカーディ・Bみたいに「自分のボーイフレンドにするなら、お金を持ってない男でないと嫌だ」みたいな趣旨のリリックがすごくラッパーみたいだと思うと同時に、アリアナ・グランデの”thank u, next”以来の雰囲気も継いでると感じます。

その一方で「ストリート」とストリート以外を、簡略化して言うとスピリチュアリティーまで使って結びつける。アメリカはブロックごとに地域差が見えるようなところがあって、いわゆる「ストリート」とそうじゃない地域がはっきりとわかれていますよね。ジャネイ・アイコはその双方を物質主義でなく精神主義的に、少なくとも音楽の上ではつなげていこうとしているところに可能性があると思ってるんです。

ジャネイ・アイコ『Chilombo』(2020年)を聴く(Spotifyを開く

渡辺:彼女の曲って、とことんラップ的ですよね。

荏開津:そう、ラップと歌の境目がもう明確には言えないですよね。でもラップはラップ、歌はR&Bやボーカルという括りも、ジャマイカの「シングジェイ」(レゲエにおける、歌とDJの中間のスタイル)というジャンルというかスタイルに慣れている人はそんなことは気にしないと思います。ピンチャーズ(ダンスホールのシンガー)とかイーク・ア・マウス(シングジェイの元祖とされるシンガー)は括りと関係なくオールタイムで素晴らしいですから。

ピンチャーズ『Bandelero』を聴く(Spotifyを開く

イーク・ア・マウス『The Mouse And The Man』を聴く(Spotifyを開く

渡辺:ジャネイ・アイコは、流行しているアトモスフェリックなR&Bを形作ったアーティストだと思うし、テヤナ・テイラー、SZA、H.E.R.、ケラーニなどは、みんな表現スタイルは歌唱ですが、アティテュードはラッパー的なアーティストですよね。カーディ・Bみたいな女性のラッパーの人気が高まるにつれて、こうしたシンガーの人気も高まっていくのはすごく腑に落ちるんですよ。

テヤナ・テイラー『The Album』(2020年)を聴く(Spotifyを開く

SZA『Ctrl』(2017年)を聴く(Spotifyを開く

渡辺:同じ路線だと、1990年代にヒップホップソウルのメアリー・J. ブライジがいましたよね。リリックがラッパー顔負けでしたけど、そのデビュー自体はパフ・ダディが作り上げた「ストリートの女性像」からスタートしたと思うんです。それが現在のジャネイ・アイコ、ケラーニたちと違うところで。彼女たちは自分で書いた、自分たちの歌を歌っている。私は勝手に「日記系ディーバ」って呼んでるんですけど。

ケラーニ『It Was Good Until It Wasn't』(2020年)を聴く(Spotifyを開く

荏開津:いいですね!(笑)

渡辺:そういう名前のプレイリストを作っているくらいなんですよ(笑)。で、そうしたシンガーが増えているのは、自分で自分を表現する、セルフメイドのアーティストが今、求められているからだと思います。

これまでヒップホップで活躍してきた女性のラッパーはRuff Rydersのイヴとか、Junior M.A.F.I.A.のリル・キム、Native Tonguesのクイーン・ラティファとか、男性が仕切るクルーの中に、紅一点みたいな感じで存在していたラッパーばかりなんですよね。それが普通だったし、むしろ男性に囲まれて存在感を増すクイーンみたいな感じで、よしとされてたわけですけど、そこを全部ぶち壊したのがカーディ・Bで、そこが強烈だったなと思います。「自分でのし上がってきたんだから!」っていう。だから同じく、H.E.R.のようなセルフメイドの女性シンガーたちも、台頭してきてるシーンっていうのは、勇気をもらえます。まあ、H.E.R.もケラーニも、だいぶ下積みのキャリアは長いシンガーなんですけど。

腕っぷしではないからこそ、マイノリティーにとっての表現になりえる。オーラルのアートフォーム

―ラッパーもシンガーも、セルフメイドの女性アーティストが台頭してきたのは、ジャンルが持つ性質の変化を象徴していますね。今後も、ヒップホップの世界は変わっていく気がします。

荏開津:一時期、私はヒップホップについて書いたり話したりするのはやめていたんですが、じつは改めてヒップホップを考えてみようと思ったきっかけがあって、それはヒップホップを始めたDJの一人アフリカ・バンバータが言ったことがどうしても気になったからです。

彼が作ったズールー・ネイションの実践でもあった「喧嘩をやめて、ラップやブレイクダンスでバトルしよう」という発想は、ギャングの生活で暴力に明け暮れていると、結局、白人至上主義から抜けきれない社会のなかでいつまでも底辺にいることになってしまうから生まれたようです。バンバータは子どもの頃に作文コンテストの懸賞でサウスブロンクスからアフリカに旅行して、自分と同じ肌の色の人たちが政治や経済を動かしている国を見て感動したわけです。そのときは夢みたいな光景だったでしょうが、それは40年以上経ってオバマ大統領の就任式にいったん現実のものになりました。40年という時間は長かったと思います。一方で、藤本和子さんの『ブルースだってただの唄――黒人女性の仕事と生活』(ちくま文庫)からわかるように、アフリカン・アメリカン文化は「口頭伝承」によるオーラルなカルチャーという面が強い(参考:斎藤真理子×八巻美恵 『ブルースだってただの唄』を今読む意味)。

つまり、ギャングの抗争ではなくて、競争のマインドをオーラルなアートに落とし込んでいく。その形式上、原理的に、体格に恵まれなくても、女性だろうが子どもだろうが、自分たちのコミュニティーの誰でも声が上げられるようにラップはできている。これは個人の好き嫌いとかではない、ヒップホップの構造です。ラップとはライミングであり、ライミングとは押韻なのだから、ホメーロスの『イーリアス』や『オデュッセイア』と根本は同じですよね。世界で最も正統な文学と言われている『イーリアス』や『オデュッセイア』も、韻律で言葉と詩形を決めていったわけですから。

その昔、押韻と韻律を工夫するなかから文学なるものが姿を現したわけで、ただそれを文字で読んで伝えていくのではなく、ゲットーの団地の広場やパーティーで少年少女たちがパフォーマンスするところから始まったのがヒップホップです。ホメーロスを意図的に真似したわけではないのに同じ形式にたどり着いたんだから、こっちも同じぐらい正統だと思いますよ(笑)。どっちかって言うと向こうが真似したんではないか(笑)。

話を戻すと、ラップは口承の文化だから、革新的なアートを先頭をきって始めたのがティーンのストリート・ギャングだったと同時に、最初期にレコーディングされたラップには女性もいたのだと思います。誰にでも参加できた遊びだからターニャ・ウィンリーやシャーロック(Funky Four Plus Oneのメンバー)がその始めから団地に生まれたのではないでしょうか。藤本さんの素晴らしい取材による『ブルースだってただの唄――黒人女性の仕事と生活』に戻るなら、たとえば「フィメール・ラッパー」という存在と上昇が、ブルースの頃から構造に仕組まれているのだと思います。

ターニャ・ウィンリー“Vicious Rap”を聴く(Spotifyを開く

Funky Four Plus One“That's The Joint”を聴く(Spotifyを開く

渡辺:そうですね。音源がちゃんと残ってないレベルですが、1970年代のサウス・ブロンクスでは、パーティーMCの中に女性たちもいたという記事を読んだことがあります。ヒップホップ・カルチャーの創世記から、常に女性はそこにいたんですよね。

近年、私が感じていることなんですが、ヒップホップって現在、世界規模でマイノリティーや弱い立場のに人たちにとっての受け皿みたいな役目を果たしてる側面があると思うんですよ。だから今、ヒップホップは多様な価値観や、インクルーシブなカルチャーの象徴であるとも言えると思っています。そうした中で、逆行するような個人の意見を見るとまだまだ道のりは長いなと思ってしまうわけで。

荏開津:私が言ったのはヒップホップ / ラップというアートの原則と構造で、それと私も含めて個人それぞれが「今の社会がこうあるべきだ」という願望や現状は違いますよね。

―たしかにそうですね。特に2020年は、社会への願望のようなものがラップの世界でも表出していたと感じました。

渡辺:そうですよね。2020年はノーネーム“Song 33”の、<私の肩にはデーモンが乗っている それは家父長制度のようだ>という最初のラインにかなり深く納得して。アメリカの女性でもそう感じるんだ、と。家父長制度は、ピラミッドの頂点に父親がいて、特に日本においては結婚したら女性は男性側の姓を自然と名乗らなければならないといった価値につながっています。

もちろん、それを当然と受け止めている人もいるかもしれませんが、女性の中には、そこに窮屈さを感じる人もいて。しかも、自然と普段の生活の中でも男性側の意見が尊重されることが当たり前になっている場面に直面することもある。それを、J. コールへのアンサーという形も取った曲の中で、ノーネームが発したことが私にとっては、とても大きいパンチラインでした。

荏開津:そうした言葉を発するアーティストが生まれるから、ヒップホップってすごいですよね。あながち冗談ではなく、自分のなかではノーネームもロクサーヌ・シャンテやシャーロックと繋がりますから(笑)。

ノーネーム“Song 33”を聴く(Spotifyを開く

渡辺:そうですね。2020年、ノーネームのそのラインとともに、すごく心に残った言葉があります。少し前に、チャックD(Public EnemyのMC)にインタビューをさせてもらったんですけど……。私はPublic Enemyが“Fight The Power: Remix 2020”に女性のラプソディーが参加してることに、非常にいい意味で驚きを覚えて、感動したんです。それで、「なぜか」と問うてみたんです。あのリミックス自体をThe Rootsのクエストラブが仕切ってたみたいなので、それも影響してると思うんですよね。と同時に、チャックDが「今まで、ヒップホップの歴史を振り返ってみたときに反省せねばならないのは、女性の意見を平等に聞いてこなかったことだ」と言っていて。その発言が私にとっては心底ありがたい言葉だったんです。

Public Enemy“Fight The Power: Remix 2020”を聴く(Spotifyを開く

渡辺:ヒップホップのコミュニティーって、男性のほうが多いですし、昔から「女の子なのにヒップホップ詳しいんだね」と言われることもあって、その度に「女の子なのに」ってなんなんだよ、と思っていたんです。ことあるごとに肩身の狭い思いをしていたし、引目を感じているところもあったので、チャックDの言葉でスーッと心が軽くなった気がします。

荏開津:チャックDはヒップホップの歴史を自分のものとして背負っているから、そういう言葉が出るんだと思います。非力は承知ですが、私もヒップホップやラメルジーのことを考え続けたいです。

だから世代も違うし意見が違うところもあるだろう志保さんと、こうしてお話できたのは、毎回とても楽しかったです。意見が違うことがあってもコミュニケーションを拒否するのではなく、会って話すのがチャックD主義にしてズールー・キングス&クイーンズ主義ですからね。話して意気投合しなかったら、ダンスやラップのバトルをしたらいいですし。そのときのために、トップ・ロックからダンスを習いたいと思います(笑)。

―チャックDほどの大物が、そうした言葉を語ったことに、これからへの希望を感じますよね。今後、さらにラップの世界は多様になっていく気がします。1年間、ありがとうございました。

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プロフィール
荏開津広 (えがいつ ひろし)

執筆 / DJ / 京都精華大学、東京藝術大学非常勤講師、RealTokyoボードメンバー。東京生まれ。東京の黎明期のクラブ、P.PICASSO、MIX、YELLOWなどでDJを、以後主にストリート・カルチャーの領域で国内外にて活動。2010年以後はキュレーション・ワークも手がけ、2013年『SIDECORE 身体/媒体/グラフィティ』より、ポンピドゥー・センター発の実験映像祭オールピスト京都ディレクター、日本初のラップの展覧会『RAP MUSEUM』(市原湖畔美術館、2017年)にて企画協力、Port Bの『ワーグナー・プロジェクト』(演出:高山明、音楽監修:荏開津広 2017年10月初演)は2019年にフランクフルト公演好評のうちに終了。翻訳書『サウンド・アート』(フィルムアート社、2010年)、『ヤーディ』(TWJ、2010年)。オンラインで日本のヒップホップの歴史『東京ブロンクスHIPHOP』連載中。

渡辺志保 (わたなべ しほ)

音楽ライター。広島市出身。主にヒップホップ関連の文筆や歌詞対訳に携わる。これまでにケンドリック・ラマー、エイサップ・ロッキー、ニッキー・ミナージュ、ジェイデン・スミスらへのインタビュー経験も。共著に『ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門』(NHK出版)などがある。block.fm「INSIDE OUT」などをはじめ、ラジオMCとしても活動中。



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