Hi-STANDARD、ストリーミングサービス解放。闘争と軌跡を辿る

1990年代、Hi-STANDARDが起こした革命

Hi-STANDARD
1991年結成。恒岡章(Dr)、難波章浩(Vo,Ba)、横山健(Gt,Cho)からなるパンクバンド。1994年に『LAST OF SUNNY DAY』をリリースしてデビュー。フルアルバム『GROWING UP』『ANGRY FIST』『MAKING THE ROAD』は海外でもリリースされ、『MAKING THE ROAD』はインディーズ流通では異例となる国内外合計100万枚のセールスを記録した。1999年からはPIZZA OF DEATH RECORDSを独立させ、完全DIYでの活動を展開。『AIR JAM 2000』以降は長期の活動休止に入るも、『AIR JAM 2011』にて活動を再開。2016年にはシングル『ANOTHER STARTING LINE』を、2017年にはアルバム『THE GIFT』をリリースし、全国ツアーも展開。2018年に公開されたドキュメンタリー映画『SOUNDS LIKE SHIT the story of Hi-STANDARD』のパッケージ作品が4月22日にリリースされ、同日に、ストリーミングサービスにて全曲を解放した。
プレイリスト『This Is Hi-STANDARD』を聴く(Spotifyを開く

Hi-STANDARD(通称:ハイスタ)の全作品が、主要ストリーミングサービスにて一挙に視聴解禁された。

ハイスタが築いたPIZZA OF DEATH RECORDSがTOY’S FACTORYのレーベル内レーベルだった時代の作品ももちろん、FAT WRECK CHORDSからリリースされた海外盤のジャケットが見られるのも嬉しいポイントだ。そして、PIZZA OF DEATH RECORDSの全カタログ(100タイトル・1127曲)も同時に解放。1990年代に日本のメロディックパンク、ひいては2020年まで脈々と連なるラウドミュージックの太い文脈を生み出したバンドの軌跡を総ざらいできる意味でも、1990年代からDIYを実践し誰よりも自由を体現してきたバンドがどのようにして人々のサウンドトラックになってきたのかを改めて知る意味でも、大きな山が動いたと言えるだろう。

Hi-STANDARDは、難波章浩(Vo,Ba / NAMBA69)、恒岡章(Dr / CUBISMO GRAFICO FIVE、summertime)、横山健(Gt,Cho / Ken Yokoyama、BBQ CHICKENS)からなる3ピースバンドだ。1999年に、それまではTOY’S FACTORY傘下のレーベルだったPIZZA OF DEATH RECORDSを完全に自分たちの城として独立させ、3人だけの手でバンドと人生を動かしてきた。人生の結晶としてのハイスタに3人以外の判断が入ることを徹底的に拒み、DIYという言葉と信念を日本の音楽シーンに根付かせた。テレビには出ない。文字媒体での露出も神出鬼没。衣装で着飾ることはなく、着の身着のままステージでロックし続けるだけーー。いわゆるバンドブームの反動によって、管理と商業の象徴として語られるようになったメジャーへの反発が生まれ始めていた1991年に結成された彼らは、ファッションにしろプロモーション方法にしろ、そしてパンクの在り方自体を変えた楽曲たちにしろ、従来の方法論に沿うことの一切を嫌い続けた。FAT MIKE(NOFX)率いるFat Wreck Chordsと契約しての海外進出も含めて何から何まで前代未聞だったし、完全自主のまま数万人を動員するバンドへ駆け上がって天下統一するという、当時の日本で誰も成し遂げたことのない音楽革命を起こしたのがHi-STANDARDだった。

では、なぜ彼らは従来の音楽シーンにカウンターを打ち続けたのか? 言うまでもなく、不純物と管理が一切届かない自由と遊び場を作ること自体が彼らにとってのバンドの意味そのものだったからだろう。前世代のムーブメントも結局は「作られたもの」だと感じた彼らが「じゃあ自分たちだけのユートピアを作ってしまおう」という思想を持つのはごく自然だっただろうし、本当に自由な遊び場がないなら作ればいいというアティテュードが、パンクの精神性やストリートカルチャーに接続していった流れも頷ける。パンクもハードコアもヒップホップも街という遊び場で合流し、メロディックパンクの呼称がまだなかった頃に初期Hi-STANDARDが参加したコンピレーション『SHAKE A MOVE』(1992年)などでは、「ミクスチャー」という呼称と括りが生まれ始めていた。

そうそう、ハイスタが主催してきた『AIR JAM』も一般的にはパンクフェスとして語られるものの、何より重要なのは、音楽としてのパンクロックをプレゼンテーションしていることではなく、パンク、ヒップホップ、オルタナティブロック、スカ、ラップメタル、ハードコアを問わず「存在表明の武器として生まれてきた音楽」を集合させることで自分たちだけの遊び場を広げようという意志だ。前述したバンドシーン全体の閉塞感をぶち抜くような当時のマイノリティパワーがコアのコアまで行ったことによって爆発的な求心力になり、制限のない自由を希求するアティテュードと夢があらゆる人の青春に重なって、巨大なシーンになった。

『SOUNDS LIKE SHIT』より。『AIR JAM 2000』のライブ

もちろん、ハイスタがそれだけの求心力を獲得したのは音楽そのものが革新的だったからこそだ。自分たちだけの場所を作ろうとする意志がパンクロックに共鳴した上で、それまでのパンクが拒んできたラブソングも傷心も、思い切りスウィートなメロディでぶっ放す。ただラウドで直情的なだけではない、ブルースもサーフロックもドゥーワップもごった煮にした芳醇な音楽性が作品ごとに確認できるだろう。その音楽的な背景は、各作品に収録されているオールディーズのカバーからも窺い知れる。1999年にインディーズ流通の作品としては異例となる国内外100万枚のセールスを叩き出した『MAKING THE ROAD』も、音楽性としてのパンクロックを十二分にはみ出したアイディアと遊び心に溢れている作品だ。

Hi-STANDARD『MAKING THE ROAD』(1999年)を聴く(Spotifyを開く

パンクロックをなぞることがパンクロックになるのではなく、従来の価値観とは異なっても、自分たちのリアルを真っ向から表明して歌い鳴らすことこそがパンクなんだと。恋も友情も政治的な主張もバカしてるだけの瞬間も同線上にあって、その全部が自分たちを形成する大事なものなんだと。ただありのままを表明することが、必然的に音楽としても精神性としても既存の枠をはみ出していく。用意された型など関係ない。人生を選ぶのは自分自身でなければ意味がない。そんな姿勢が一切ブレないのが、ハイスタの素晴らしさと輝きだった。

『ANGRY FIST』(1997年)収録

『MAKING THE ROAD』(1999年)収録

活動休止、それぞれに負った痛み、そして再始動。ハイスタが体現する、バンドという生命体のすごさ

しかし、ハイスタの航路は決して順風満帆なだけではなかった。2018年に公開され、4月22日にDVD作品が発売されたドキュメンタリー映画『SOUNDS LIKE SHIT the story of Hi-STANDARD』で詳細をぜひご覧いただきたいが、急激に巨大化していく状況の中でライブのチケットを取れない人が続出したことに葛藤を抱え、フェスという言葉がまだ根付いてもいなかった1997年に「多くの人がハイスタを観られるように」と興されたのが『AIR JAM』であったこと。PIZZA OF DEATH RECORDSを3人だけの手で動かし始め、その代表取締役を務めた横山健が抑鬱になってしまい、2000年の『AIR JAM』をもって活動休止に入ったことーー3人が3人の自由を手に入れるために始めた活動が巨大化していくにつれ、葛藤と代償もヘヴィになっていったことが赤裸々に語られている。

『SOUNDS LIKE SHIT』より

もっとも『AIR JAM』に関して言えば、1990年代は消防法の関係でアリーナでのスタンディングライブが開催できなかったことや3000人規模のライブハウスが日本になかったことも関係して、新興の埋め立て地で特設ステージを組むアイディアや、前代未聞の野球スタジアムライブに繋がっていった。『AIR JAM 2000』の頃は、まだ『SUMMER SONIC』が幕張で開催されていなかった時期。千葉マリンスタジアム(現:ZOZOマリンスタジアム)は、『AIR JAM』の前は本当にただの野球場だったのだ。どんな場所でも、自分たちの意志とアイディアひとつで「作ってしまう」。上述したようなバンド内ストレスを抱えながらも、ハイスタのイズムだけは一切変わることがなかった。

ハイスタ自身の話に戻そう。『AIR JAM 2000』をもって活動休止して以降、横山はBBQ CHICKENSやKen Yokoyamaをスタート。恒岡は数多のミュージシャンのサポートプレーヤーとして、そしてCUBISMO GRAFICO FIVEでも活動。難波は沖縄に移住し、ソロプロジェクト・TYÜNK、ULTRA BRAiNでの活動を経たのち、難波章浩-AKIHIRO NAMBA-名義でバンドサウンドに帰還、NAMBA69でのバンド活動へ移行していった。

Hi-STANDARD『Love Is A Battlefield』(2000年)を聴く(Spotifyを開く
活動休止前最後の作品となったEP

ハイスタを動かせない中、3人が個々の活動を展開する過程で心の距離は次第に広がり、難波、恒岡がメンタル面のバランスを崩していた時期のことも『SOUNDS LIKE SHIT』では語られている。さらに、一種のボタンのかけ違いから始まった難波と横山の確執や、2011年の東日本大震災を受けてハイスタを始動させるためにお互いの関係を丁寧に解していった一部始終までが告白されていた。『AIR JAM 2011』『AIR JAM 2012』までの過程の真ん中には、常に「3人でハイスタである」という根本を大事にする意識と、3人それぞれの美学が強烈だからこその衝突があったのだ。

『SOUNDS LIKE SHIT』より

たとえば2018年にリリースされたKen YokoyamaとNAMBA69のスプリット盤『Ken Yokoyama VS NAMBA69』を聴けば、両バンドのサウンドの特徴とともに、ハイスタの生態の面白さと異様さも浮かび上がってくる。

『Ken Yokoyama VS NAMBA69』(2018年)を聴く(Spotifyを開く

マッシブなサウンドとメタリックなフレーズが走るNAMBA69に対し、スカやロックンロールなどのルーツを消化してぶっ放すKen Yokoyama。この音楽たちがどう混ざったらハイスタになるのか。さらに、もともとソウルやR&Bをルーツに持っている恒岡のドラムが加わることで、どんな魔法がかかってHi-STANDARDが完成するのかーー個々を見ることでむしろ、そんなバンドマジックが浮かび上がる。そして、そのバンドの面白さに誰よりもロマンを持ってきたのが、他でもない3人自身なのだと思う。そのバンドマジックを生み出せる生命体になるまでの過程の数々に、3人の生態と、バンドの面白さ・すごさそのものが刻まれている。

これは余談になるが、PIZZA OF DEATHの会議室に伺うたびに、「Hi-STANDARD」のステッカーが貼られた自転車を目にしてきた。上述したメンバー間の確執があった時期も、難波と恒岡がPIZZA OF DEATHを離れた後も、この自転車がHi-STANDARDとPIZZA OF DEATHの絆を繋ぎ止めていたのだと未だに胸が熱くなる(『ROCKIN’ON JAPAN』2005年4月号に掲載された難波のインタビューでも、この自転車が置かれ続けていることへの感謝が語られていた)。もちろんハイスタは今もずっと3人のものだ。しかし11年の活動休止の間も、ハイスタが撒いた夢は巨大化し続け、人々の中でずっと輝いていたのだ。

『SOUNDS LIKE SHIT』より。『AIR JAM 2018』のステージに登るHi-STANDARD

Hi-STANDARDから連なるPIZZA OF DEATHのイズム。日本のパンクが転がってきた歴史

プレイリスト『”Punk Japan” PIZZA OF DEATH特集』を聴く(Spotifyを開く

実際、ハイスタが活動をストップしている間にもPIZZA OF DEATH RECORDSからは日本のロックシーンにおける重要なバンドが輩出されていったし、シーンの土壌を両足で踏みしめてきたレーベルのひとつとしてPIZZA OF DEATHがあったからこそ、メロディックパンクやラウドミュージックがカウンターとユナイトを繰り返して発展してきたのは間違いない。もちろん、そこで大事なのはハイスタから連なるPIZZA OF DEATHの歴史だけではなく、20年以上の間ストップせずにインディペンデントな活動を叶えてきたBRAHMANのようなバンドがいたことも超重要だ。どんな時も一切止まらずに進み続けた彼らの歴史には改めて敬服する。さらにTHE MAD CAPSULE MARKETSのように、ハイスタとは出自のシーンも音楽性も異なるバンドが世界へ進出したことも、日本のラウドミュージックの太い文脈を生み出した。「AIR JAM世代」という言葉で語れることではなく、同世代の絆といった言葉でもなく、ハイスタとはまったく違う形で、あるいはハイスタの近くにいたからこそ異なる行動原理を求道し続けてきたバンドたちのプライドによって、シーンは転がってきたのだ。

BRAHMAN『梵唄 -bonbai-』(2018年)を聴く(Spotifyを開く

THE MAD CAPSULE MARKETS『1997-2004』(2004年)を聴く(Spotifyを開く

と、ここまで書いておいてなんだが、PIZZAを「パンクレーベル」という言葉だけで語るのには、少しだけ違和感がある。今回解禁されたPIZZAの全カタログ1127曲を見ればわかる通り、決して「パンクロックであること」にこだわっているレーベルではない。まさに『AIR JAM』の話とも重なるが、先達とは異なる方法論と行動原理でもってインディペンデントな活動を行うバンドと、その精神性に伴った音楽へのリスペクトを表現してきたのがPIZZA OF DEATHだと言えるだろう。関西地下のハードコアシーンを席巻してきたSANDや、ニュースクールハードコアの突然変異のように登場したMEANINGなどもそうだ。自主で海外ツアーを回ったり、すべてのマネジメントを自分たち自身で行ったりする中で他には見ない音楽性とユニティを育んできた、ユニークなバンドがずらりと並んでいる。

MEANING『150』(2014年)を聴く(Spotifyを開く

SAND『DEATH TO SHEEPLE』(2015年)を聴く(Spotifyを開く

メジャーレーベル内にPIZZAがあった頃から、SUPER STUPIDやHUSKING BEE、SHERBETなど、ユニークな歌と国境を無視した音楽性を持つバンドをフックアップし、独立後にはMOGA THE ¥5やCOMEBACK MY DAUGHTERSといった、ポストハードコア~90’s emoの血を色濃く受け継いだオルタナティブロックもリリース。ASPARAGUSの作品を3P3Bと同時にPIZZAからリリースすることもあった。近年で言えば、ストレートなパンクロックのまま全国を巻き込む存在へと駆け上がったWANIMAを輩出したことや、ライブハウスを主戦場にするバンドを多くリリースしてきたことに対してPIZZA自身がカウンターを打つように、ストリートライブで頭角を表したSuspended 4thを最前線へ送り出したことが大きなトピックだろう。

MOGA THE ¥5&NAHT『A Strange Stroke of Fate』(2002年)を聴く(Spotifyを開く

COMEBACK MY DAUGHTERS『Spitting Kisses』(2004年)を聴く(Spotifyを開く

F.I.B『FIGURE』(2009年)を聴く(Spotifyを開く

WANIMA『Are You Coming?』(2015年)を聴く(Spotifyを開く

Suspended 4th『GIANTSTAMP』(2019年)を聴く(Spotifyを開く

COUNTRY YARD『The Roots Evolved』(2020年)を聴く(Spotifyを開く

そして今回解禁された作品の中で、HAWAIIAN6が2002年にリリースした『SOULS』はPIZZA OF DEATHのアティテュードを示す上でも、パンクシーンがどう転がってきたのかを知る上でも改めて重要な作品だ。ハイスタの台頭によって、カラッとした明るさと力強い歌唱が大きな要素だと捉えられたメロディックパンクに対して、マイナーコードと泣きの強い歌と哲学的なリリックを持ち込んだのがHAWAIIAN6だった。ハイスタが活動休止した2000年から間髪入れず、ハイスタの幻想を追うことよりも前時代をひっくり返すことにこそパンクが宿るのだと表現してきたのがPIZZA OF DEATHであり、ハイスタから連なるイズムなのだろう。

HAWAIIAN6『SOULS』(2002年)を聴く(Spotifyを開く
HAWAIIAN6の1stフルアルバム。横山健がプロデュースを手掛けている

ハイスタ以降の世代の動向を見ても、先に述べた「カウンターの歴史」によって発展し、繋がってきたものが多くある。たとえばMONGOL800もDragon Ashも、ELLEGARDENも10-FEETもマキシマム ザ ホルモンも、前時代とは異なる行動原理を突き詰めることで革命を起こしてきた。『AIR JAM』がまさにそうだったように、ハードコアやパンク、ヒップホップが背景として持っている「ユニティ」への意識がタテとヨコの強固な繋がりになって、だからこそ反動やカウンターが繰り返されてきたことがそのまま音楽的な面白さになってきたのだと改めて実感する。

『SOUNDS LIKE SHIT』より。ハイスタ最初期のライブ映像

再びハイスタの話に戻ろう。11年間の活動休止によって失われていたバンドのグルーヴを徐々に取り戻しながらも2012年以降は目立った活動のなかったハイスタだが、2015年にはFAT MIKEが主宰するFAT WRECK CHORDSのアニバーサリーイベント『FAT WRECKED 25 YEARS』、BRAHMANの20周年を飾った『尽未来際 ~尽未来祭~』、そしてSLANGが地元・札幌で主催する『POWER STOCK』と、突如エンジンがかかったかのように盟友のイベントへ立て続けに出演。すると2016年に事前告知なしの完全ゲリラでリリースしたシングル『ANOTHER STARTING LINE』は店頭が大パニックになるほどの狂騒を生み、名実ともに現在進行形のバンドとして完全体となったことを印象付けた。

では、2011年から2016年まで、11年越しの再始動からさらに5年の長い歳月がかかったのはなぜなのかーー『AIR JAM 2011』で横山が「日本のために(3人が)集まったんだよ」と語ったような「日本のためのハイスタ」ではなく、あくまで3人のためのハイスタを取り戻すための人間関係修正と、新たなバンドグルーヴの構築が必要だったからなのだろう。ただ人が集まることがバンドなのではなく人生観と精神性の共有こそがバンドなのだと捉えている3人らしい、ハイスタの人間味がこの5年間には表れている。

さらに、これもゲリラ的に街頭のビルボードを用いてリリースが告知された2017年のアルバム『THE GIFT』もチャート1位を獲得。店頭リリースの際には、それまでVHSでしか視聴できなかった『AIR JAM 2000』でのライブを丸ごとパッケージしたDVDをサプライズで発売し、こちらにも巨大な歓喜の声が上がった。つくづく、誰も果たしていないことを探求し、3人自身がエキサイトできるアイディアを大事にし続けるバンドである。

Hi-STANDARD『THE GIFT』(2017年)を聴く(Spotifyを開く

本当の意味で、誰もが自由になれる場所として開かれたHi-STANDARD

『THE GIFT』とそのリリースツアーを観て感じた大きな変化とは、「ハイスタはみんなのものである」と受け入れた3人の姿だった。かつては3人だけの聖域だったハイスタが、マイノリティパワーでもなく拒絶でもなく、自分たちを愛してくれる人たちへの寛容さを持って突き進む姿がくっきりと音楽に刻まれていた。具体的に言えば、スピードよりも歌心が前面に出た『THE GIFT』の楽曲と、その楽曲によって世代を超えた合唱を生み出すライブに「新たなハイスタ」を見たのである。3人の爆走と爆撃のようなサウンドがバチっとハマっていく快感は変わらないまま、しかし“All Generations”“We’re All Grown Up”と歌った通り、自分たちが作り上げてきたハイスタ像ではなく、歴史を重ねてきた上で今の自分たちを真っ向から表現することこそがハイスタになるのだと。ノスタルジーなど入り込む隙もなく、あくまで今と未来だけを見据えて音を鳴らす点にこそ、ハイスタを感じたのだった。

『THE GIFT』のツアーでは、ハイスタとして初めてアリーナでのライブを行った。それは、より多くの人に観てもらうためであると同時に、かつて自分たちが拒み続けた柵や制限があったとしても、今は大きな歌によって心の距離を縮められるのだという確信の表れだったのだろう。そうした変化があった上での、ツアーファイナルのさいたまスーパーアリーナ公演は心底感動的だった。終演後、アリーナの観客が3分の1くらいになった頃に突如“My Heart Feels So Free”を鳴らしてサプライズアンコールがスタート。急に始まったアンコールに半狂乱となった観客は、ブロック分けも柵も無視して最前へ駆けていく。その姿は、ピースな暴動というか、凶暴すぎる多幸感というか、ハイスタが追い求め続けた本当の自由を感じさせるものだった。

Hi-STANDARD“My Heart Feels So Free”を聴く(Spotifyを開く

そのツアーに続いて2018年に開催された『THE GIFT EXTRA TOUR』は、前年のツアーで回ることのできなかった土地を回るという趣旨だったが、ここでもハイスタのさらなるビルドアップを見ることとなった。このツアーの前に『SOUNDS LIKE SHIT』が公開されたことが大きかったのだろう。バンドの中だけに秘められていたストーリーを個々が曝け出したことによって、本当の意味で3人がイーブンになったと感じさせるアンサンブルが鳴っていた(参考記事:Hi-STANDARDは更なる「自由」を手にした。横浜アリーナにて )。3音が寄り添うのではなく、ただただ同じスピードで前に向かって猛進し、ぐんぐん昇り続けていく様の快感ったら。この模様は、ストリーミングサービスで全楽曲が解禁されたのと同時にサプライズリリースされた『Live at YOKOHAMA ARENA 20181222』(ハイスタにとって初となるライブアルバムだ)でぜひとも体感してほしい。

Hi-STANDARD『Live at YOKOHAMA ARENA 20181222』(2020年)を聴く(Spotifyを開く

この原稿を書いている今、世界はコロナウイルス禍の真っ只中だ。それでも「闇にいるなら光を探せ。光がねえなら自分が輝け」という短い言葉から雪崩れ込む“Stay Gold”には、やはり問答無用の勇気をもらう。かつてPIZZA OF DEATH内のコラムに横山が「音楽で世界を変えることはできないが、音楽にケツを蹴り上げられたヤツが世界を変えていくんだ」という旨の言葉を綴っていたのが今も忘れられない。恒岡が「3人でHi-STANDARDですから。ふたり(難波と横山)のことも愛していますし、みんなのことも愛しています」と叫んだように、難波が「みんなにも仲間と友達がいると思うんだ。その友達が落ち込んでいたら、助けてあげてね。俺も、仲間に救われてここに立っているから」と語ったように、そして何よりHi-STANDARDが体現してきたように、隣にいる仲間を愛して手を差し伸べることから笑顔が生まれて、自分の目の前の世界が変わっていくのだと、信じたくなる。

<I know no one can stop you / No one really can / Stay free>(“Free”)

そんな綺麗事じゃ済まない世界だとはわかっている。わかっているけど、それでもどうにか掴みたい綺麗事に手を伸ばす気持ちをもたらしてくれるのが、Hi-STANDARDなのだ。

リリース情報
Hi-STANDARD
『SOUNDS LIKE SHIT : the story of Hi-STANDARD / ATTACK FROM THE Far East 3』(2DVD)

2020年4月22日(水)発売
価格:4,950円(税込)
PZBA-12/13

Hi-STANDARD
『SOUNDS LIKE SHIT : the story of Hi-STANDARD』(DVD)

2020年4月22日(水)発売
価格:3,850円(税込)
PZBA-14

プロフィール
Hi-STANDARD (はい すたんだーど)

1991年結成。恒岡章(Dr)、難波章浩(Vo,Ba)、横山健(Gt,Cho)からなるパンクバンド。1994年に『LAST OF SUNNY DAY』をリリースしてデビュー。フルアルバム『GROWING UP』『ANGRY FIST』『MAKING THE ROAD』は海外でもリリースされ、『MAKING THE ROAD』はインディーズ流通では異例となる国内外合計100万枚のセールスを記録した。1999年からはPIZZA OF DEATH RECORDSを独立させ、完全DIYでの活動を展開。『AIR JAM 2000』以降は長期の活動休止に入るも、『AIR JAM 2011』にて活動を再開。2016年にはシングル『ANOTHER STARTING LINE』を、2017年にはアルバム『THE GIFT』をリリースし、全国ツアーも展開。2018年に公開されたドキュメンタリー映画『SOUNDS LIKE SHIT the story of Hi-STANDARD』のパッケージ作品が4月22日にリリースされ、同日に、ストリーミングサービスにて全曲を解放した。



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「Kompass」は、ネットメディア黎明期よりカルチャー情報を紹介してきたCINRA.NETと、音楽ストリーミングサービスの代表格Spotifyが共同で立ち上げた音楽ガイドマガジンです。ストリーミングサービスの登場によって、膨大な音楽ライブラリにアクセスできるようになった現代。音楽の大海原に漕ぎだす音楽ファンが、音楽を主体的に楽しみ、人生の1曲に出会うガイドになるようなメディアを目指し、リスニング体験を交えながら音楽の面白さを紹介しています。

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