東京で暮らす女性たちの姿を描いたNetflixオリジナルシリーズ『FOLLOWERS』。2月から世界190カ国で配信されている本作は、成功した写真家と売れない若手女優を中心にストーリーが繰り広げられる。それぞれの立場で悩みや葛藤を抱えながらも力強く生きる2人の女性の人生が、SNSを通じて交錯していく。
このたび初めてドラマシリーズを監督した蜷川実花は、「サバイブ」という言葉を使って、自身の生き方を表現する。昔から世間の風当たりが強かったという彼女が、それでも大人は楽しいよと軽やかに伝えられるまでに至った心境を語ってくれた。
東京生まれ、東京育ちには、上京をきっかけにした成長ストーリーがない。そんな人たちが東京でどうサバイブするのかを描きたかった。
―今回、蜷川さんはNetflixで作品を制作するのは初めてですよね。この『FOLLOWERS』を制作されるにあたって、どういうことを考えられましたか。
蜷川:私や周りの友人たちは、地上波よりもNetflixのような動画配信を見ることのほうが多くて。私自身もNetflixをいつも見ていたので馴染みがあるし、最初にお話が決まったときはシンプルにうれしかったです。でも、自分が見ていた作品たちと同じ棚に並ぶと思うと、恐ろしさも感じました。そうしたプレッシャーはなかったとはいえないですね。
―Netflixだからこそ、意識されたこともありますか?
蜷川:自分のクリエイションにブレーキをかけなかったことですね。たとえば今回は、2つの選択肢があったら常に挑戦的なほうを選べるチームでした。ドラマで描いている女性像は、私の価値観が色濃く入っているので、配信されたら賛否は分かれるだろうと予想していましたし、保身のためにブレーキをかけようかなという思いがよぎることもありました。
ただ、それなら私がやる意味がないし、Netflixである意味もないだろうなと思ったんです。だから、普段自分が思っていること、自分や自分の周囲にいる人々の価値観を取り入れて物語を作っていきました。あまり「こういう人たちに向けて作ろう」とかは、考えないようにしたんです。
蜷川:しかも今作は190カ国で配信されるので、ターゲットが広すぎて、もはやどこに絞っていいかわからない。190カ国で見られるということによって、「こういう人に向けて作ろう」といったマーケティング的な視点を、いい意味で捨てられたと思います。もちろん、Netflixだからこそ途中で離脱されないテンポのよさだったり、次のエピソードを見てもらう工夫だったりは意識しましたけど。
―物語の舞台は東京です。「東京」とひと言でいっても、人の数だけ東京のイメージはあると思います。周囲の人の価値観を取り上げたとおっしゃいましたが、具体的に蜷川さんはどんな東京を描きたかったのでしょうか。
蜷川:東京が描かれる作品にはいくつかの型がありますが、その代表的なものが、地方から出てきた主人公が東京でさまざまなことを経験するという上京ストーリーだと思います。ただ、東京にもともといる人間には、そうした成長ドラマはないんですよね。
そんな中で、東京をどうサバイブしていくか。それはそれでかえって難しい部分があって。私自身も、東京に生まれて東京で育っているので、そういう人が作る空気感のドラマにしたいと思いました。その一方で「こんな生活、東京のほんの一部分じゃん」みたいな声がいつも脳内で聞こえてはいたんですけど、自分の中のリアリティーとか、その中で感じる葛藤だったりを信じて作っていましたね。
―今回、Corneliusやスーパーカーなどの楽曲が物語の重要な場面でインサートされるのが印象的でしたが、東京を描くときに「音楽」も大きな要素のひとつになっていたんでしょうか。
蜷川:使用する曲は1990年代の曲をベースに考えていました。それは自分自身の青春時代の楽曲でもありますし、リミ(中谷美紀)がなつめ(池田エライザ)たちの年代だったときに聴いていた音楽なんじゃないかと想像していて。
さらにいえば、「東京」を感じられるアーティストの中でも、特に世界の人々に聴いてもらって自慢できるようなアーティストたちの楽曲でもある。なにより、私自身が大好きなので、彼らの曲で実際にプレイリストを作って、それを聴きながら脚本も書いたし、撮影現場にも通いました。だから1年間、あの曲たちと一緒に過ごしていた気がします。
Spotifyでプレイリスト『Followers』を聴く(Spotifyはこちら)
―自分の生活と作品が、音楽を通じて密接に関わっていったと。
蜷川:そうですね。さらに衣装も私の服がかなり入っています。そもそもフォトグラファー(中谷美紀が演じるリミ)の話で、私の業界とも近しいので、すごく現実と作品の世界がリンクしていて。ドラマ撮影中も、週に2回くらいはフォトグラファーの仕事をしていたので、ドラマの世界と現実の境界線がよくわからなくなってきたんです。
パーティーシーンも普段からパーティーでよく見かけるインフルエンサーの人たちを呼んだり、クラブのシーンも、実際にクラブで遊んでいた人たちに声をかけて撮影に呼んでいたり。だから、メゾンのパーティーに行くと、さっきまで一緒に撮影していた人たちがそこにもいて「さっきはどうも」みたいに挨拶していましたね(笑)。
―ドラマと現実の境界がわからなかったというのは、逆に言えば、ご自身が感じている街の空気をそのまま表せた実感があると。
蜷川:そうですね。だから、リアリティーがあるといえばそうですし、私としては現実とフィクションの境界がかなり絡まり合っていましたね。
どこに行っても風当たりが強いのであれば、どこにフォーカスすれば楽しさを感じられるのか。それを考えて生きてきた。
―本作ではそうした華々しい業界の中で、生き方や幸せの在り方について悩みを抱えた女性たちの人生が描かれています。ご自身にとってもリアリティーがあるとおっしゃいましたが、蜷川さんご自身も、生きづらさを抱えていらっしゃるんでしょうか?
蜷川:そうですね……私はなにかが鈍いのか、生きづらさにフォーカスしていない人間なんですね。むしろ、「やってはいけないことはない」という自由さが自分の特徴だと思っていて。写真だけを仕事にしていた時期から、「人に迷惑をかけないかぎりはなにをしてもいい」と思っていました。だからこそ、いつも世間の風当たりは強かったですね。「あんなの写真じゃない」っていわれた時期もありますし、映画を撮ったら「あんなの映画じゃない」っていわれたりもする。ただ、プレッシャーはあっても、ストレスは感じないんです。
これは東京にかぎらずですけど、女性でも女性でなくても理不尽なことはたくさんあって、しんどいだろうなと思います。でも桃源郷なんてないわけで、自分で思考して自分の力で歩いていかなくてはならない。もちろん、もう少しいい場所はあるのかもしれないけど、どこに行っても人生における大変なことはつきまとうでしょう?
―今は特に、海外の映画やドラマでも、そこに住む個々の生きづらさがテーマになっていることが多いですね。
蜷川:わかります。そうであれば、私はこれから起きるかもしれない楽しいことにフォーカスして生きていきたいと思うんです。私は変わった一家で育ちましたから、常に風当たりが強いところで生きてきたと自覚していて。写真家としてデビューしたときも風圧は強かったですし、なににチャレンジしてもこの職業にしては風当たりが強かったと思います。
逆に言えば、若いころから強い風圧の中で生きてきたためか、どこにフォーカスすれば楽しさを感じて生きていけるのかを考えてこられたのかな、と。ただし、それは単なるポジティブシンキングではなくて、どこをピックアップしていくかっていう考え方。それが、みんなにも伝わればいいなと思いますね。
―蜷川さんの作品に通底する感覚として、煌びやかな世界に手を伸ばしたり恵まれていたりする人間の姿が描かれている一方で、誰もが持っている苦しみや葛藤も表れてくるものが多いように感じます。そのあたり、ご自身の表現をどう捉えられているんですか。
蜷川:人や生活によって種類は違うけれど、誰しも悩みや葛藤を抱えている。それは今回の作品で伝えたかったポイントのひとつですね。一見、キラキラして見える人や、高いブランドの洋服を着ている人には、切実なつらさはないって思われがちなんですよ。たとえばInstagramで素敵なことを発信している芸能人の方とかも、それはいい面だけを選んでアップしているだけで。みんな、それぞれのつらさを抱えているはずで、大変そうな人も実際にたくさん見てきました。でも、それを原動力に、そうしたつらさをなぎ倒しながら前に進んでほしいし、その背中をちょっとでも押せたらいいなと思います。
ただ、今、女性だけではなくて、若者は全体的に大変だと思うんです。世界の現状を見ても、未来に不安を抱くことがあると思う。だから女性だけが大変なわけではないけど、今作では象徴的にそういう女性たちを描きました。
自分を信じ切れるだけの努力と、自分を疑う俯瞰の目を持つことが重要。
―今作のクライマックスに、「汝の道を進め」というセリフがあります。お話を伺っていて、蜷川さんもこの境地に至っているように見えたんですが、それまでにはどのような心境の変遷があったんでしょう。
蜷川:まだ私もその境地には至っていなくて。「そうでありたい」と、自分に言い聞かせているんだと思います。190カ国に配信する作品に取り組むとなったときは、自分の脳内のネジを抜いて、「自分はイケてるんだ」と言い聞かせないといけない。
私もみなさんと同じ普通の人間なので、どうしたって映画やドラマを作るときにプレッシャーを感じます。こんなにお金をかけてもらって、これだけ多くの人が関わったり、俳優さんたちが素敵な演技をしてくれたりして、それでも失敗したらどうしようって、恐ろしい。でも、そこで悩んでいたら一歩も前に進めない。
だから、進むためにも自分を信じきる力や、「あれだけ勉強したんだし大丈夫」と思えるだけの努力をすることが大事だと思います。その一方で、「本当にこれでいいのかな」と自分に疑いを持つ俯瞰の目も大切。他のみなさんもそうだと思いますけど、その両方が自分の中で同居していないと、なかなかものは作れないと思います。自信だけを持って仕事している人なんて、1人もいないと思いますよ。
―そうですね。人それぞれが悩み抜いて生きているし、無邪気さだけで生きているはずがない。
蜷川:たとえば、初めての映画監督作である『さくらん』(2007年)のとき、「オールスタッフ」といって80人くらいを前に挨拶しないといけないことがあったんです。話そうと思ったら右手が震えてきて……。その震える右手を左手で必死に押さえながら挨拶をしたんですよ。常に、そういうことなんです。それでもやらないと前に進めないだけで。
あとは、どんなことがあっても「ステージから降りない」という覚悟があるかどうかですね。みんな、簡単に降りたがるじゃないですか。たしかに降りたほうが楽ですし、もちろん全員がステージに上がる必要はない。でも、「なにかをやりたい」と思うのであれば、そのステージに立ち続ける覚悟を持たないと始まらないですね。
―さきほどは「若者が生きづらい世の中になっている」とおっしゃっていましたが、まさにステージを降りない覚悟を持ってキャリアを重ねられた蜷川さんは、若い時期より生きやすくなったと感じますか?
蜷川:30代になったときに、だんだんやりたいことができるようになってきたと感じたんですよ。20代は下積みの時代ですから、やりたい仕事もなかなかこないし、理不尽な目にも遭います。でも、20代にどれだけやったかは、30代以降に効いてきました。40代になったら、もっとすんなりやりたいことができるようになった。私は、20代、30代には2度と戻りたくないと思ってますし、当時できることはすべてやりきったので、そのご褒美だと思っています。
あと、「子育てと仕事を両立するなんて無理だ」「大人は大変そう」っていう空気も、一部の若い子たちは感じていると思います。でも、そんなことはなくて、自分の人生をしっかり歩めば、面白いことはたくさんありますよ。もちろん苦しいこともありますけど、大人って楽しいものだと思う。そう考えることが「どこをピックアップするか」ということなんです。
- 番組情報
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- Netflixオリジナルシリーズ『FOLLOWERS』
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Netflixで世界190カ国独占配信中
監督:蜷川実花
出演:
中谷美紀
池田エライザ
夏木マリ
板谷由夏
コムアイ
中島美嘉
浅野忠信
上杉柊平
金子ノブアキ
眞島秀和
笠松将
ゆうたろう
ほか
- プロフィール
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- 蜷川実花 (にながわ みか)
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写真家、映画監督。木村伊兵衛写真賞ほか数々受賞。映画『さくらん』(2007)、『ヘルタースケルター』(2012)、『Diner ダイナー』(2019)、『人間失格 太宰治と3人の女たち』(2019)監督。映像作品も多く手がける。2008年、「蜷川実花展」が全国の美術館を巡回。2010年、Rizzoli N.Y.から写真集を出版、世界各国で話題に。2016年、台北の現代美術館(MOCA Taipei)にて大規模な個展を開催し、同館の動員記録を大きく更新。2017年、上海で個展「蜷川実花展」を開催し、好評を博した。2018年熊本市現代美術館を皮切りに、個展「蜷川実花展—虚構と現実の間に—」が全国の美術館を巡回中。2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事就任。