2003年は配信時代の幕開け?音楽の届け方や聞き聴き方が大きく変わるなか、シーンを彩った音楽

1976年から2019年までの「その年」の音楽シーンを象徴する名曲を収録した、Spotifyによるプレイリストシリーズ『スローバックTHURSDAY』。全100曲で構成される各プレイリストには、当時の世相や流行とともに解説した音声コンテンツも収録されており、音楽とともにそれぞれの年を追体験できる内容となっている。

そんな『スローバックTHURSDAY』と連動した連載コラム。最終回は、いまから20年前の「2003年」を音楽ライターの金子厚武が振り返る。AppleのCM曲から次々とヒットが生まれるなど、加速するブロードバンドによって音楽の聴き方 / 届け方が大きく変わるなか、金子はどんな音楽に夢中になっていたのか。書き手の個人的なリスニング体験から「時代の空気」を浮かび上がらせていく。

世界平和と多様性社会を希求する、“世界に一つだけの花”が空前の大ヒット

2003年のオリコンCDシングルランキングの1位はSMAPの“世界に一つだけの花(シングル・ヴァージョン)”。この年唯一のミリオンセラーであり、200万枚以上を売り上げて(現在では累計300万枚を突破)、2位の福山雅治“虹/ひまわり/それがすべてさ”にダブルスコア以上の差を付けた。

「シングル・ヴァージョン」とついているように、もともとは2002年にリリースされたアルバム『SMAP 015/Drink! Smap!』の収録曲だったが、2003年に草薙剛主演のドラマ『僕の生きる道』の主題歌になったことを受けてシングルカットが決定。作詞・作曲は槇原敬之で、KABA.ちゃんによる振り付けも人気を大きく後押しした。

<NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one>というラインは、格差社会が忍び寄り、「勝ち組・負け組」という言葉が流行語となるなかにあって、画一的な物差しで測られることのない、多様性社会への願いが込められていた。また、この年にイラク戦争が勃発したことを受け、平和を願う反戦ソングと受け止められる向きもあった。

あれから20年。ジャニーズ事務所は社名を「SMILE-UP.」に変更し、61年の歴史に幕を下ろした。ウクライナやパレスチナから連日戦闘のニュースが飛び込んでくる2023年は、平和の難しさをあらためて感じざるを得ない。

Spotify公式プレイリスト『スローバックTHURSDAY : 2003年のヒット曲』を聴く

当時の僕はといえばナンバー1でもオンリー1でもなく、完全に何者でもない時期だった。大学4年間をバンド活動に明け暮れ、ぼんやりCDデビューを夢見るも、結局そのバンドは2003年3月に解散。まともな就職活動もしていなかった僕は、就職浪人という道を選んだ。

就活はしつつも時間はたっぷりある日々のなかで始めたのが、「ホームページをつくって音楽雑誌の真似事をする」ということだった。中学生くらいから『WHAT’S IN?』や『GB』などを入口に音楽雑誌を買い始めた僕は、大学生になると『snoozer』『CROSS BEAT』『COOKIE SCENE』あたりをよく読んでいて、バンドのホームページの日記でも自分のことではなくディスクレビューを書いたりしていた(たぶん「さるさる日記」だったと思う)。

まだインターネット黎明期で、個人でつくった音楽サイト・ファンサイトがたくさんあったことに刺激を受けて、自分もホームページビルダーを買い、素人丸出しのデザインを組み、ディスクレビュー、ライブレポート、コラムなどをひたすら書き続けていた。ナンバー1になろうとも、オンリー1になろうともせず、「音楽ライターになりたい」という明確な意識があったわけでもないが、結果的にこのサイトを見てくれた人がフリーペーパーに誘ってくれたりして、少しずついまの仕事に向けて進んでいくようになる。

Fall Out Boyの登場、ParamoreとPanic! At The Discoの結成前夜。ポップパンクのムーブメントが形成された年

2001年は「ブロードバンド元年」と呼ばれ、2003年には以前よりも大量のデータが送受信できるようになっていたが、音楽の世界ではこの時期NapsterやWinMXといったファイル交換ソフトによる違法ダウンロードが問題になっていた。その対策としてCDのコピーをガードする「CCCD(Copy Control CD)」が2002年に登場するが、音の劣化を伴うCCCDには当然ミュージシャンからの大きな反発が起こり、短命に終わったことも時代の変化を感じさせた。

世界の音楽シーンに目を移すと、現在起こっている「Y2Kリバイバル」のルーツにあたるのがまさにこの時期。「Y2Kリバイバル」は1990年代後半から2000年代前半までタームが広い印象で、ジャンルもさまざまだが、2003年当時に頭角を現し始めたのはポップパンクのバンドたちだった。

アヴリル・ラヴィーンとMy Chemical Romanceが1stアルバムを発表した2002年を経て、2003年にはFall Out Boyが1stアルバム『Take This to Your Grave』を発表。2004年にはParamoreとPanic! At The Discoが結成され、ムーブメントが形成されていった。

Fall Out Boy『Take This to Your Grave』を聴く

彼らは現在では「エモ」に括られたりもするが、僕のなかで「エモ」というともう少し前のJimmy Eat WorldやThe Get Up Kidsのイメージのほうが強く、僕が好きだったのはポストハードコアやポストロックの文脈に近い「エモ」だった。2003年リリースの作品でいうと、1990年代後半に衝撃的なデビューを飾ったAt the drive-inを経て、セドリックとオマーが結成したThe Mars Voltaはそのプログレ的な世界観に興奮し、1stアルバム『De-Loused in the Comatorium』には衝撃を受けた。

The Mars Volta『De-Loused in the Comatorium』を聴く

ポップパンクのバンドたちは僕には陽性の体育会系のバンドに(少なくとも当時は)見えて、「自分はもう少しインテリジェンスのあるほうが好きだな」みたいに偉そうなことを思っていた気がする。オリヴィア・ロドリゴらが登場し、ジャンルに紐づいていたジェンダーを解放した現在の視点に立てば、「彼らから感じられるマッチョイズムが苦手だったのかも」みたいなことも言いたくなるが、当時はそういった意識はまだまだ希薄だった。

ロックンロール / ガレージリバイバルの勃興、Radioheadはサマソニで歴史に残るライブを敢行

僕が当時盛り上がっていたのはポップパンクのほうではなく、いわゆる「ロックンロール / ガレージリバイバル」系のバンドだった。2003年はThe Strokesが『Room On Fire』を、The White Stripesが『Elephant』を発表し、The Libertinesは“Time For Heroes”や“Don’t Look Back Into The Sun”といった名曲を連発。同時期にはポストパンクのリバイバルも起こっていて、The Raptureが名曲“House Of Jealous Lovers”を含む『Echoes』を発表したのもこの年だ。

The Strokes『Room On Fire』を聴く

The White Stripes『Elephant』を聴く

The Rapture『Echoes』を聴く

時代性という意味でいえば、彼ら以上に象徴的だったかもしれないのが、1stアルバム『Get Born』をリリースしたオーストラリアのロックバンドJET。彼らの“Are You Gonna Be My Girl”はiPodのCM曲として日本のお茶の間にも鮮烈な印象を与えた。

JET“Are You Gonna Be My Girl”(Spotifyで開く

違法のファイル交換が横行するなかにあって、2001年にAppleがiTunesとiPodを発表し、アメリカでは2003年にiTunes Music Storeでの有料型ダウンロード配信がスタート(日本は2005年から)。当時はまだガラケーの時代で、着うたがブームとなり、iPhoneの登場こそあと数年を要するが、新たな時代の幕開けがCMとともに強烈に感じられ、Black Eyed Peas“Hey mama”、N.E.R.D.“Rock Star”、The Vines“Ride”、そして、2004年ではあるがU2の“Vertigo”と、これらの曲のヒットは間違いなくiPodとともにあったと言える。

Black Eyed Peas“Hey mama”(Spotifyで開く

N.E.R.D.“Rock Star”(Spotifyで開く

The Vines“Ride”(Spotifyで開く

2007年発表の『In Rainbows』を自らのサイトでダウンロード販売し、無料でのダウンロードも可能にすることでストリーミング時代を先取ったRadioheadは2003年に『Hail To The Thief』を発表。

Radiohead『Hail To The Thief』を聴く

『KID A』(2000年)と『Amnesiac』(2001年)という現在でもバンドの代名詞となっている2作を経て、ロックバンド的なサウンドに回帰しながらも音楽性をさらに広げてみせた今作は、2000年のアメリカ大統領選挙におけるジョージ・ブッシュの投票結果に対し、アル・ゴアの支持者たちが彼を批判するために用いたフレーズをタイトルに冠し、反グローバリゼーション、新自由主義への批判をこれまで以上に強く打ち出した作品。環境問題も含めてつねに社会と対峙しながら活動を続けてきたトム・ヨークの変わらないスタンスを印象づける。

この年Radioheadは『SUMMER SONIC 2003』に出演。ゴーストバスターズのシャツを着たジュリアン・カサブランカスがクールだったThe Strokesに続いて東京2日目のヘッドライナーとして登場すると、アンコールに当初セットリストに載っていなかった“Creep”をサプライズで演奏。日本のロックフェスの歴史に残る瞬間として、いまも語り草になっている。

「ほの暗いロンドン生活」でずっと聴いていた、Blurの『THINK TANK』

個人的な経験と紐づいて、自分にとってのこの年リリースされたアルバムのなかでもっとも思い出深いのが、『SUMMER SONIC 2003』で東京初日のヘッドライナーを務めたBlurが発表した『THINK TANK』だ。

Blur『THINK TANK』を聴く

就職浪人時代、「大学生活でやってないことをしよう」と思って、僕は短期でロンドンに語学留学に行くことにした。ただ、この留学は決して楽しい記憶ではなく、事前に受けたクラス分けのテストで実力以上の結果が出てしまったのか、レベルの高いクラスに入ることになり、周りには日本人が一人もいなくて、授業にもなかなかついていけなかった。クラスには何となく僕を嘲笑する雰囲気があったように記憶していて、いまにして思えばちょっとした差別もあったのかもしれない。そんなほの暗いロンドン生活でずっと聴いていたのが、『THINK TANK』だった。

デーモン・アルバーンとグレアム・コクソンが袂を分かち、グレアムが1曲しか参加していないこのアルバムは、うっすらとアルバム全体にメランコリーが漂う作品で、ロンドンの灰色の空とともに僕の当時の心境に完全にフィットしてしまっていた。唯一グレアムが参加したラストナンバー“Battery In Your Leg”は涙なしには聴けない1曲だ。

その後、グレアムはバンドに復帰。今年は8年ぶりの新作にして、メンバー4人が24年ぶりに同じスタジオに集まってつくられた新作『The Ballad of Darren』を発表して、20年ぶりに『SUMMER SONIC』に登場。このライブを見られなかったことが、今年一番の心残り。

「青春パンク」の盛り上がりと、下北系ギターロックの躍進。Z世代にも影響を与え続けるアジカン

2003年の日本の音楽シーンを振り返ると、インディーズブームが極まって、HYの『Street Story』がオリコンチャート4週連続1位を獲得し、MONGOL800『MESSAGE』以来のミリオンセラーに。また、インディーズブームとも連動していた「青春パンク」の盛り上がりもこの頃が最盛期で、ROAD OF MAJOR“大切なもの”、175R“空に唄えば”、FLOW“贈る言葉”などがヒットした。

HY『Street Story』を聴く

ROAD OF MAJOR“大切なもの”(Spotifyを開く

175R“空に唄えば”を聴く

FLOW“贈る言葉”(Spotifyで開く

ただポップパンクに盛り上がれなかった僕は青春パンクもやはりハマらず、当時は自分のバンドでも活動していた下北沢のライブハウスを拠点とする、いわゆる下北系ギターロックのバンドたちが次々にメジャーへと進出したことが印象深い。syrup16g『HELL-SEE』、ART-SCHOOL『LOVE/HATE』、ACIDMAN『Loop』、Stereo Fabrication of Youth『Audity』などがメジャーからリリースされ、インディーズだがBURGER NUDS『symphony』もこの年のリリース。一部のバンドの内省的な歌詞世界は「青春パンク」に対して「鬱ロック」と呼ばれたりもして、この名称自体はあまり好きではないが、少なくとも自分にはこっちのほうがリアルに感じられた。

syrup16g『HELL-SEE』を聴く

ART-SCHOOL『LOVE/HATE』を聴く

ACIDMAN『Loop』を聴く

Stereo Fabrication of Youth『Audity』を聴く

そして、BUMP OF CHICKENとともに下北系ギターロックにおける2大巨頭と言えるASIAN KUNG-FU GENERATIONがこの年に1stアルバム『君繋ファイブエム』を発表。OasisやWeezerといった1990年代の欧米のロックと、NUMBER GIRLやeastern youthといった2000年前後の日本のハードコアやエモの要素を融合させ、この国のロックの教科書になった作品だと言っていいだろう。

ASIAN KUNG-FU GENERATION『君繋ファイブエム』を聴く

2022年には下北沢のライブハウスシーンに対するオマージュを散りばめたアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』が大ヒット。主人公・後藤ひとりの歌うASIAN KUNG-FU GENERATION“転がる岩、君に朝が降る”は感動的であり、コロナ禍でダメージを受けたライブハウスに活気を取り戻すことにも大きく貢献した。DTMで楽曲をつくる若者の割合が増えた一方で、2023年はむしろ楽器演奏のほうがクールなようにも感じる。

結束バンド“転がる岩、君に朝が降る”を聴く

「オンリー1であれ」という尺度に窮屈さを感じ、他者とのコミュニケーションに戸惑いながらも、日本版Y2Kリバイバルなギターロックにのめり込み、ただありのままの自分であろうとする後藤ひとりはZ世代のアイコンとしてふさわしい。<悲しい歌ほど好きだった 優しい気持ちになれるから>と歌う結束バンドの“青春コンプレックス”は、形骸化したイメージとしての「青春」に対するカウンターとして響く点でも、やはり下北系ギターロック的だ。

オリコン週間シングルチャートをB'zが独占し、thee michelle gun elephantが解散を選んだ2003年

『SUMMER SONIC』と並んで2003年に行なわれたライブで忘れられないのが、『B’z LIVE-GYM The Final Pleasure “IT’S SHOWTIME!!”』。B’zは僕にとって小学生のときからのアイドル的な存在で、デビュー15周年を記念して行なわれたこのツアーのファイナルは、VHSがすり切れるほど見た1993年の『B’z Live-GYM Pleasure 93“JAP THE RIPPER”』以来となる、静岡の渚園での開催。当日の台風接近というコンディション含め、強烈な印象が残っている。

このツアーのためにつくられたライブ賛歌である“IT’S SHOWTIME!!”は、現在ではスポーツニュースで大谷翔平の活躍が伝えられる際にBGMとして多用されているので、耳馴染みのある人も多いかもしれない。ちなみに、2003年は松井秀喜のメジャー挑戦初年度でもあり、20年の年月を経て大谷がメジャーでホームラン王を獲得したのも歴史を感じる。

B'z“IT’S SHOWTIME!!”を聴く

“IT’S SHOWTIME!!”と同時にB’zは“BE THERE”(1990年)から“裸足の女神”(1993年)までのシングル10作品をマキシシングルとして再発し、この週はオリコン週間シングルチャートトップ10のうち9曲がB’zの曲という異例の事態となったが、B’z以外で唯一ランクインしたのが“世界に一つだけの花”だった。B’zが2枚のベストアルバムを発表して、あわせて約1,000万枚のセールスを記録した1998年は日本でのCDセールスがピークを迎えた年として知られるが、ブロードバンド化に伴う混乱を経て、アメリカでiTunes Music Storeがスタートした2003年は、まさに配信時代の幕開けだったといえる。

この原稿を一度書き上げたあとすぐに、チバユウスケが亡くなったというニュースが飛び込んできた。2003年はあの有名な『ミュージックステーション』でのt.A.T.u.のドタキャン、からのTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTが生演奏でピンチヒッターを務めた年であり、『SABRINA HEAVEN』と『SABRINA NO HEAVEN』の2作を発表して、バンドが解散を選んだ年でもある。

thee michelle gun elephant『SABRINA HEAVEN』を聴く

thee michelle gun elephant『SABRINA NO HEAVEN』を聴く

僕は高校生からギターを始め、軽音部に入り、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTが好きだった友人の影響でコピーバンドに近いことをやっていた。ギター初心者に彼らの曲は簡単ではなく、実際まともに弾けていなかったと思うが、アベフトシのおかげでカッティングだけは少し上手くなった気がする。

海外でのロックンロールリバイバルに先駆けて、日本にはTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTという最高のバンドがいた。ジュリアン・カサブランカスでも、ジャック・ホワイトでもなく、カール・バラーとピート・ドハーティが束になっても敵わない、僕らの世代のロックスターといえば間違いなくチバユウスケだった。ご冥福をお祈りいたします。

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