劇場版『美少女戦士セーラームーンCosmos』が前後編2部作で公開される(※前編は6月9日から上映中で、後編が6月30日に公開)。
1991年から1997年にわたり少女漫画雑誌『なかよし』に連載され、2022年に連載開始30周年を迎えた武内直子の人気漫画『美少女戦士セーラームーン』。本劇場版は、シリーズ最終章となる「シャドウ・ギャラクティカ編」。最強の敵を前に、孤独に打ちのめられそうになりながらも運命を受け入れ、前に向かって進んでいくセーラー戦士たちの最後の物語に期待が高まる。
さまざまな出自を持つキャラクターが登場する多様性を尊重した設定や、日本の学校制服をモチーフとしたコスチュームはもちろん、ガールズエンパワーメント的なメッセージや音楽の楽しさ、そしてアニメはもちろん舞台やライブなどメディアミックス的な展開により、性別問わず世界中の人々を虜にしてきた『セーラームーン』。ThundercatやLizzo、Jimmy Chooなど多くのクリエーターたちに影響を与えたその多角的な魅力について、『セーラームーン』をこよなく愛するライター嘉島唯が解説する。
誕生30周年を迎えたいまなお、世界中の少女たちを熱狂させている人気作品
「はるかさんは、男なの? それとも女なの?」
高まる鼓動を感じながら聞く主人公の視線の先にいる「はるか」は、顔を近づけながらこう返した。
「男とか女とか、そんなに大切なコト?」
幼き日、初めてこのシーンを見たとき、未就学児だった私は胸を震わせた。それは、はるかと対峙している主人公と近しい感情だったと思う。大人になってからこの場面をふたたび見たとき、私はこの作品の真髄をようやく理解し、自分に刻み込まれた「何か」を色鮮やかに思い出した。
この作品とは『美少女戦士セーラームーン』だ。1991年に月刊漫画雑誌『なかよし』で連載がはじまった本作は、誕生30周年を迎えたいまでも世界中の少女たちを熱狂させている。テレビアニメシリーズは40か国以上で放送。『グラミー賞』アーティスト、ThundercatやLizzoなど音楽業界にも多くのファンを抱え、『セーラームーン』のドイツ語吹替で月野うさぎを演じたサビーネ・ボールマンは、Netflixのイベントで「セーラームーンにはいまでも熱狂的なファンの方々がいる。これはほかに類を見ません」(*1)と語る。
6月9日から公開されている映画『美少女戦士セーラームーン Cosmos』では、シリーズの最終章が前編・後編で描かれる。Daokoが手がけたテーマソング“月の花”は、Spotifyによる女性アーティストをフィーチャーしたプレイリスト『EQUAL Anime』にラインナップされている。
「セーラームーン」は、それまでの少女マンガ像を覆し、女の子たちをエンパワーメントしてきたといわれるが、文化や時間を越えて愛されるのはなぜなのか。魅力をあらためて振り返る。
男の子向けとして表現されてきたものも、女の子は求めていた
本作は、主人公のセーラームーン(月野うさぎ)がマーキュリー(水野亜美)、マーズ(火野レイ)、ジュピター(木野まこと)、ヴィーナス(愛野美奈子)とチームを組み、敵と戦うことで成長していく物語だ。特筆すべきは、セーラームーンはプリンセスでありながら、最強の戦士として最前線に立つ点だ。恋人「タキシード仮面」に対しては「私があなたを守る」と言い放ち、何度も彼を救う。
原作者・武内直子がセーラームーンを「『ゴレンジャー』みたいな、戦隊モノの女の子版がやりたかった」と語っているとおり、戦士全員が女の子だ。男子メンバーの添えもののように戦闘をサポートする立場ではない。
1990年代放送のテレビアニメ版ではこういった背景を反映し、戦闘シーンに力を入れていたことがうかがえる。シリーズディレクターの1人である幾原邦彦は「いままで男の子向けとして表現されてきたものも、女の子は求めていたと思うんです、それを、すこしお行儀悪くても、思いきってカッコよくやってしまおう」(*2)と演出方針を明かしている。
セーラームーン以前にも、『ベルサイユのばら』や『リボンの騎士』など女児向け作品で「戦闘美少女」は描かれてきた。しかしそれらには「男装」というエクスキューズがあり、ときに自分のジェンダーに悩み苦しむ様子までもが描かれた。一方『セーラームーン』は少女たちが少女のままの姿で連帯しながら戦う。この違いは新しい時代を予感させたように思う。
旧テレビアニメでは、敵の青年が「男がいなければ何もできぬのか! 所詮、女などはあさはかなものよ」と挑発するシーンがある(第13話)。この暴言にセーラー戦士たちは、
マーズ「いまどき女より男の方が偉いだなんて言っているのはオジサンだけだわ」
マーキュリー「そうよ、女を軽蔑するなんて、封建時代の名残よ」
セーラームーン「男女差別、反対!」
と反論。「女の子をバカにしないで!」と叫び、必殺技を決める。
セーラー戦士は世界中の少女に「戦う美学」を教えてくれた。
『セーラームーン』は女の子たちを、大人扱いしてくれた
美少女戦士たちは、ときに「男性による性的搾取的な表現がある」といわれることもある。ミニスカートにハイヒール……そして変身シーンの裸体を想起させる描写。記号だけを並べるとそう見えるかもしれない。
『VOGUE』ではニューヨーク在住の記者が、9歳の娘が変身シーンに釘付けになっている様子を見て驚愕したと綴っている。「女性の裸体の描写を羨望の眼差しで見るというのはあまりに早熟だ」(*3)というのだ。
親としては真っ当な反応だと思うが、かつて美少女戦士に夢中になっていた娘としては「お父さん、ちょっと違うの」と言い返したくなる。そんな少女たちの気持ちを代弁するかのように、小学生(本当は900歳だが)の「ちびうさ」は、隣で眠るうさぎに対してこんな感情を抱く。
「ホントはあたし、うさぎみたいになりたいの。細く長くスラッと伸びた足、ふかふかのムネ、柔らかくってながーい髪……いいなあ」- 『美少女戦士セーラームーン 完全版7巻』より
自分が幼少期にセーラー戦士のしなやかな肢体を見ているとき、似た羨望があった。
おそらく武内は、女の子たちの秘めた感情を汲んでいたのだろう。自身の作品を「このマンガの売りは、カワイイ女の子キャラとか、ちょっとセクシーなところだと思うんだけど、そういった部分は女の子でも求めているものなんです」(*4)と分析している。
かっこよさやエロスは、男の子だけのものではない。憧れてもいい。自分のものにしてもいい。セーラームーンは女の子たちが持っている潜在的な欲望をリボンで包みながら肯定してくれていたのだ。
武内は『セーラームーン』を描くにあたって「女は小さくても大人でも女だと思っていたので、子供っぽくならないように意識していました」(*5)と言う。
振り返れば『セーラームーン』のオープニング主題歌“ムーンライト伝説”も、鐘の音が闇夜に鳴り響きながら始まる、女児向け作品としては妖艶なものだ。曲調も短調で「♭」の音が多く、毒が光る。武内作詞の““らしく”いきましょ”では〈年上のヒトとふたまたかけてる〉と浮気を思わせるフレーズにドキドキした。Daokoが歌う“月の花”でも〈”子どもだね”とかあなたは言うでしょう〉という大人な歌詞が彩を添える。
家のなかでは「まだ子ども」とあしらわれてしまう女の子たちを、大人扱いしてくれたのが『セーラームーン』だったのである。
「女だから男に勝てなくて当然って思ってんのか?」
『セーラームーン』の魅力を語るうえで避けて通れないカップルがいる。外部太陽系戦士のウラヌスとネプチューンだ。2人はそれぞれ天王はるかと海王みちるとして、高校生でありながらレーサーとバイオリニストとして活躍している。
言うまでもなく、記事冒頭の「はるか」とはウラヌスのことである。はるかは、端正な顔立ちにスラッとした体躯で「理想の彼氏的な存在」として登場する。ゲーム好きでピアノまで嗜むのだから非の打ち所がない。
ただ、ウラヌス=はるかは「男でもあり女でもある、どちらの性もどちらの強さも併せ持つ戦士」という複雑なキャラクターだ。はるかがジェンダーについて問いかける示唆的なシーンはいくつもあるが、まことと柔道で戦う場面は圧巻だ。
まことはセーラー戦士のなかで、高身長で怪力という「男っぽい」役割を担っており、フィジカルの強さに自負がある。そのため、はるかに対しては「なまっちょろいヤツ」と余裕の笑みを浮かべるものの、一瞬で床に打ち付けられてしまうのだ。唖然とするまことに対し、はるかはこう言う。
「男女差なんてカンケーないよな。女だから男に勝てなくて当然って思ってんのか? そんなんで、大切な人を守れるのかな」- 『美少女戦士セーラームーン 完全版5巻』より
はるかは、セーラー戦士に対して「ジェンダーにとらわれている」という痛烈な批判を突きつける。
登場当初はセーラーチームに対して距離をおいていたはるかだが、セーラーチームに仲間入りした際には、まことへ「敵を倒す前に最大の敵は自分の弱さだ!」というアドバイスを送った。まことがはるかに負けたのは、固定観念に縛られた弱さが原因だったのだ。
はるかが相方・みちると深い絆で結ばれていることも少女たちにとっては大きな衝撃を与えた。旧テレビアニメではるかを演じた緒方恵美によると「はるかとみちるは、夫婦のつもりで演じてください」と指示があったという(*6)。「レズビアンのカップル」ではなく「夫婦」。これが2人の関係性なのだという。
LGBTQという言葉が一般的ではない時代に、風のように現れたはるかとみちるは、少女たちに大きな影響を与えたことだろう。「2人が幸せならば、それでいいじゃないか」。そう思わざるを得ない魅力が2人にはあった。
なお、海外版では検閲によって、はるかとみちるの関係が「いとこ」に変更されている。この修正は過去における偏見の強さを物語る。
アメリカの公共ラジオ放送局NPRでは『セーラームーン』の特集記事で、本作が高い人気を誇る理由のひとつとしてクィア要素を挙げている。その上で同性愛者のファンに取材をしており、インタビュイーは「2人の関係が隠されたことは、かつて自分がカミングアウトした際に、親から『誰にも言わない方がいい』と言われたことと重なる」と振り返る。そして、いまあらためて修正前の『セーラームーン』を観ることで「失われた時間を取り戻している」というのだ。(*7)
一方「teenVOGUE」では、ゲイの記者が「ネプチューンとウラヌスという2人の女性がひたむきに愛し合っている姿を見ていたら、自分がゲイであることに気づく前でも、どれだけ成長できただろうかと思わずにいられない。もっと早く自分を受け入れることができたかもしれない」(*8)と綴る。
ウラヌスとネプチューンが幸せでいられること。作中の誰もがそれを普通のこととして、とるにたらない様子で接していること。たとえ修正されていたとしても、この2人に救われた人は世界中にいるのだろう。
余談になるが、外部太陽系戦士にはウラヌスとネプチューンのほか、セーラープルート(冥王せつな)がおり、この3人は幼女であるセーラーサターンをともに育てるようになる。この家庭では「はるかパパ」「みちるママ」「せつなママ」として、それぞれ家事・育児の分担をしており、親3人は左手の薬指に誓いの指輪をはめている。
血縁だけが家族を結びつけられるわけではなく、親は3人いてもいい。家族の形だって自由でいいはずなのだ。
セーラー戦士が私たちに教えてくれたこと
セーラー戦士たちは華麗に戦い、古い価値観を壊し、無視された人々の声をすくいあげ、新しい未来をつくってきた。だからこそ普遍的な物語として世界中で愛されるのだろう。
映画『美少女戦士セーラームーン Cosmos』では、太陽系以外のセーラー戦士たちが数多く登場し、クライマックスではセーラームーンが「銀河に散らばるたくさんのあたしの仲間たちよ」と呼びかけ、「誰もがみんな、胸のなかに星を持っているの」と呟く。
この展開は、選ばれた特別な存在だけではなく、誰もが戦士になれることを暗示している。物語を超え、現実に生きる私たちにも向けられた言葉でもあるのだ。
セーラー戦士たちとは違えど、私たちもこれまでたくさん戦ってきた。
「女だから」「男なのに」「もう歳だから」「子どもなのに」
いろんな言葉が行く手を阻み、涙を流すこともあったが、そんな敵を倒して私たちは大人になったのだ。きっとこれからも戦いは続くだろう。見たこともない強大な敵に絶望することもあるかもしれない。逃げ出したくなる夜だってあるかもしれない。
でも、そんなときこそ、幼い頃に刻まれたセーラー戦士の記憶を思い出せば、一歩踏み出せるはずだ。性別という枠組みなんて関係ない。ピッと凛々しく踏み出せば、新しい未来はつくれる。
どんなピンチなときも絶対諦めない。
それが、セーラー戦士が教えてくれたポリシーなのだから。
*1:YouTube『TUDUM アニメステージ』参照(外部サイトを開く)
*2:『アニメアルバム セーラームーン 2(講談社ヒットブックス 34 なかよしアニメアルバム)』(1993年、講談社)参照
*3:VOGUE「『セーラームーン』はフェミニスト作品なのか? 9歳の娘をもつ父親による考察。」参照(外部サイトを開く)
*4:『フィギュア王 no.37 (ワールド・ムック 280)〜 美少女戦士セーラームーン再燃〜』(2000年、ワールドフォトプレス)参照
*5:『ダヴィンチ』2021年2月号参照
*6:緒方恵美『再生(仮) 』(2021年、KADOKAWA)より
*7:NPR『Why Sailor Moon is beloved by so many, 30 years later』参照(外部サイトを開く)
*8:teenVOGUE『"Sailor Moon's" Erasure of LGBTQ Characters』参照(外部サイトを開く)
- 作品情報
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『劇場版「美少女戦士セーラームーンCosmos」』(前編)
2023年6月9日(金)公開
原作・総監修:武内直子
監督:高橋知也
脚本:筆安一幸
音楽:高梨康治
アニメーション制作:東映アニメーション/スタジオディーン
配給:東映
『劇場版「美少女戦士セーラームーンCosmos」』(後編)
2023年6月30日(金)公開