大滝詠一の足跡とその言説。『ロンバケ』はシティポップなのか?

大滝詠一の足跡とその言説。『ロンバケ』はシティポップなのか?

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村尾泰郎
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メイン画像:井出情児 リードテキスト・編集:山元翔一(CINRA.NET編集部)

存命であれば、海外におけるシティポップ評価をどのように見つめていただろうか?――いま、大瀧詠一の「分母分子論」に向き合う理由

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『A LONG VACATION』がリリースから40周年を迎え、大瀧詠一(編注:本稿では、プロデュース / 作曲などの場合は「大瀧詠一」とクレジットしていた慣例に則って表記をする)をめぐるあれこれがにわかに騒がしい。なにしろ、2010年代の後半(と、見ようによっては今も)に騒がれたシティポップ再評価を経てはじめてのアニバーサリーである。『A LONG VACATION』が現在評価されているところのシティポップかどうかは議論が分かれるだろうが、ともあれその文脈と結びつけて語り直されているのはたしかだ。

こうした位置づけに物申したいわけではない。しかし、シティポップをめぐって国内外からのまなざしがことさらに取り沙汰されるとき、大瀧の語った「分母分子論」を思い起こさずにはいられない。もし存命だったら、大瀧は果たしてこの状況にどんな言葉を紡いだだろうか。気になるのはむしろそちらのほう。ミュージシャンであるのと同じくらい(ともすればそれ以上に)大瀧は「言葉」の人であり、かつその実作と言葉が切り離し得ない人でもある(編注:大瀧は「厚家羅漢」という変名で筆を執り、評論家・解説者としても活躍した)。

作品が改めて振り返られることは喜ばしいが、だからといってシティポップと大瀧の関係性を再評価の観点から性急に編み直して語ってみせるよりは、むしろその言説や思想を振り返ってみることにこそ意義があるように思う。

『This is 大滝詠一』を聴く(Spotifyを開く

「分母分子論」という大瀧の言説について。そのアイデアの原点を考える

「分母分子論」はこと音楽の歴史において、「日本(史)」と「世界(史)」の関係性をダイナミックに捉えるためのひとつのアイデアだ。1983年、音楽評論家の相倉久人との対談というかたちでお披露目(注1)され、大瀧のポップミュージック論の骨子をなすものとしてしばしば言及される。本稿ではその対談をベースに「分母分子論」についておさらいしようと思う。

大瀧はまず、日本のポップミュージックの歴史を考えるにあたり、世界史(=洋楽)を影響源として、そのうえで日本史(=邦楽)が展開していく、という基本的な構図を与え、それを「世界史」分の「日本史」という具合に、分数状に表記して見せる。いわば、近代以降の日本における文化の輸入と翻案をめぐる、ごくシンプルなダイアグラムである。

しかし、重要なのは、一見したシンプルさに対して、このダイアグラムの展開可能性が異様に大きいところだ。メタファーとしての分数を操ることで、議論は非常にダイナミックで入り組んだ状況を内包することになる。

たとえば、分数を比率の表現として捉えれば、ある作家や作品のなかに「世界史」と「日本史」が互いにどのくらいの配分で含まれているかを、分数のかたちであらわすことができるだろう(その厳密さは保証できないとしても)。その場合、「分母分子論」に用いられる分数は、算数で使われる分数のアナロジーとして機能する。

また大瀧は、影響源としての世界史が次第に忘却されて存在感を失い、日本史を参照しながら新たな歴史が編まれていく……というような事態も、連分数のようなかたちで示したりもする(このあたりでだんだん分数のアナロジーから離れていく)。

さらには、垂直に表記された分数が暗示するヒエラルキー――すなわち分母=世界史のほうがより普遍的であり優位である、というような――が、分数が横倒しにされることで相対化される(ここまでくると視覚的なとんちだ)。

そうして導かれるのは、あたかもある種の不可逆的な歴史の進行のように思える。

すなわち、はじめは洋楽からの輸入と翻案で成立していた「邦楽」が、次第に洋楽そのものではなく洋楽に影響を受けた邦楽のほうを参照するようになり、近代の端緒に設定された「日本史=邦楽 / 世界史=洋楽」といった二項のあいだのヒエラルキーは次第に忘却されてしまう。

大瀧は、このアイデアを披露した1980年代初頭の時点で、こうした「分母の喪失感覚」をひとつの課題として強く意識していた。むしろ、そうした「喪失感覚」こそが「分母分子論」の原点であるかもしれない。

トニー谷『ジス・イズ・ミスター・トニー谷』(1987年)を聴く。戦後の舞台芸人・トニー谷の死後、大滝はその代表曲を集めた同作のプロデュースを手掛けた(Spotifyを開く

ただ、「分母分子論」を以上のように要約してしまうと、あまりに一般的な、なんにでもあてはまりそうな陳腐な議論になってしまう。うんざりするほど繰り返される「昔のミュージシャンは洋楽をたくさん聴いて取り入れていたのに今のミュージシャンは邦楽ばかり聴いて……」といったタイプの与太話のような(編注:大滝はアメリカンポップス愛好家としての側面が目立つが、明治から1995年当時に至るまで日本の流行歌・歌謡曲を熱心に研究しており、その成果をNHK-FM『日本ポップス伝』を通じて発信していたことでも知られる)。

『A LONG VACATION』が40年の時を経ても愛されている必然。大瀧詠一による日本のポップス研究の実践として、最初から歴史の一部として生み出されているとも言える

「分母分子論」の面白みは、そのダイアグラムをタネに大瀧の博覧強記をもって繰り広げられる日本ポップミュージック史の解釈にある。そしてまた、実作者としての課題に向き合いつつ、硬直化したダイアグラムに対する介入の方策とその意義が語られることで、このダイアグラムが陳腐な一本道の物語とは一線を画すものであることがあきらかになる。

内田樹はかつて『ユリイカ』に寄せた論考(注2)で、大瀧の音楽論をミシェル・フーコーの「系譜学」になぞらえて「ナイアガラー」らしく大称賛したが、その要旨はまさしく、単線的な硬直した物語や図式化への抵抗として大瀧を読解することにあった。

内田も引用した「分母分子論」をめぐる大瀧の発言をここでもまた引用してみる。

大瀧:まあ、分母でも地盤でもいいけど、思ったのは、その下のほうにあるものを、カッコにしてしまわないで、常に活性化させることが、やっぱり上のものがあるとすれば、そこがまた活性化する原因だと思うんですよ。だから、そのひとつとして、パロディ作品にトライしてみるとか、確認作業とか、そういうことをやってるんですよね。だから、常に一面的な見方の地盤というんじゃなくて、その地盤も変幻自在に変わっていく部分もあると思う。そこを見つめていくことが大事なんじゃないかって考えてるんです。(注3)

大滝詠一“クリスマス音頭 ’78”を聴く(Spotifyを開く

大滝詠一“趣味趣味音楽”を聴く(Spotifyを開く

「分母分子論」においては、分母も分子も実のところ自明ではない。「僕が今から「世界史」という言葉を使う時には、「日本史分の世界史」であるというのが前提」(注4)という入れ子構造が対談冒頭であらかじめ示されているのはそうした見かけ上の自明性に対する留保である。

単に分母としての「洋楽」の復権を目指すのではなく、分母の再確認を通じて、分母のあり方自体もまた変容していくということこそが、「分母分子論」とその同時代の大瀧の実践――それがまさに『A LONG VACATION』そのものなのだが――で賭けられているポイントなのだ。

大滝詠一“我が心のピンボール”を聴く(Spotifyを開く

大瀧が「分母分子論」で提示しようとしたのはひとつの物語ではなく潜在的なダイナミズムである。「分母分子論」は固定された構造やヒエラルキーではなく、入れ子にされ、横倒しにされ、変形されてゆく可変的なダイアグラムである。ここに「分母分子論」というアイデアの卓越がある。

2021年に、大瀧詠一の音楽とその功績に向き合うにあたって持っておきたい視点

しかし、「分母分子論」をいま、そのままベタに再活性化させることが可能かどうか、妥当かどうかはわからない。

「分母分子論」以後の、世界史のなかに日本史を位置づける試みとしての大瀧による日本ポップミュージック史は、いまやそれ自体が歴史化され、再検討される対象であるだろう。いたずらにシティポップをめぐる歴史的な語りのなかに大瀧を位置づけてしまうよりは、吟味された大瀧の言説がそうした状況に対して持つであろう緊張関係にこそ、注目したい。

大滝詠一“さらばシベリア鉄道”を聴く(Spotifyを開く

注1:初出は1983年末の『FM Fan』(共同通信社)で行われた対談連載で、翌年のシンプジャーナル別冊『大滝詠一のゴー・ゴー・ナイアガラ 日本ポップス史』(自由国民社、1984年7月)に再録。さらに数度ムック本などに再録されているが、本稿では『大瀧詠一 Writing & Talking』(白夜書房、2015年)に収録されたものを参照している(pp.219-244)
注2:内田樹「大瀧詠一の系譜学」『ユリイカ』2004年9月号、pp.142-157
注3:『大瀧詠一 Writing & Talking』、p.242
注4:同上、p.220

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リリース情報

大滝詠一『A LONG VACATION 40th Anniversary Edition』
大滝詠一
『A LONG VACATION 40th Anniversary Edition』(2CD)

2021年3月21日(日)発売
価格:2,750円(税込)
SRCL-12010

[CD1]
1. 君は天然色
2. Velvet Motel
3. カナリア諸島にて
4. Pap-pi-doo-bi-doo-ba物語
5. 我が心のピンボール
6. 雨のウェンズデイ
7. スピーチ・バルーン
8. 恋するカレン
9. FUN×4
10. さらばシベリア鉄道

[CD2]
『Road to A LONG VACATION』
※大滝詠一のDJスタイルで語る貴重音源満載の『A LONG VACATION』誕生秘話

プロフィール

大滝詠一(おおたき えいいち)

1948年7月28日岩手県生まれ、2013年12月30日没。高校卒業後上京し、1970年に細野晴臣、松本隆、鈴木茂と、はっぴいえんどを結成。1972年の解散後、自身のレーベル「ナイアガラ」を設立。1981年に、オリジナルソロアルバムとしては5枚目にあたる『A LONG VACATION』を発表。そのほかプロデュースや楽曲提供などで数々のヒット作やスタンダードポップスを生み出し、日本のポピュラー音楽界に大きな影響を残す。

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