2020年5月25日、アフリカン・アメリカンのジョージ・フロイド氏が白人警官によって死亡させられた事件をきっかけに、大規模なデモが発生。「ブラック・ライブズ・マター運動」が、アメリカ全土を巻き込み、広がっている。
2013年に端を発し、再び大きなうねりを見せているこの運動を、アーティストの動きや楽曲を基点にしながら掘り下げたい。今回も世界の音楽シーンに精通するライター渡辺志保と、多彩なカルチャーに横断的な視点を向ける荏開津広に語ってもらった。
もはやHappyではいられない。ファレルの変化から垣間見えるBLM
―ブラック・ライブズ・マター運動が再び盛り上がりを見せて、4か月経ちます(参考記事:米歴史家が語る、警察の暴力と黒人の歴史。そしてBLM運動)。この4か月を振り返って、どんな思いを抱きましたか?
荏開津:ラッパーのダースレイダーさんと社会学者の宮台真司さんがやっている配信で、宮台さんが「アメリカは落ち目の国なんですね」と冒頭に発言します。宮台さんを知らない人や、彼の意見を嫌いな人でも「アメリカは落ち目の国だ」っていう可能性を想像してもいいと思います。私の上の世代の日本人は本当にアメリカ大好きな人が多かった時代でしたから、自分が生きているあいだに、アメリカが「落ち目」になる歴史的なうねりにヒップホップが絡んでいる様子を目にするとは本当に驚きが大きいです。
歴史の本に書かれている1950~60年代の公民権運動、ブラックパンサー党の活動の時代ではなく、2020年にこれが起きているわけです。野次馬はいけないと思いますが、それでも物書きとしては今のアメリカを自分の目で見たいとも思いました。
ただ、昔からアフリカン・アメリカンの人々が置かれていた状況はあるわけで、2012年に17歳のトレイボン・マーティンさんの射殺事件をきっかけに、翌2013年からブラック・ライブズ・マター運動は起きていたわけです。それを考えると、この運動はアメリカと共に今後も続くのだろうと思います。
渡辺:これまで私はヒップホップやアフリカン・アメリカンのカルチャーを書いたり話したりすることを職業の一部にしてきましたが、そのこと自体の罪深さを見つめ直す機会になりました。荏開津さんがおっしゃったように、ブラック・ライブズ・マター運動は以前からあるのですが、それをこれまでは「アメリカの出来事」として、対岸の火事のように見つめていただけだったと思います。
それを今回、その人種差別の社会的な構造なども含めて、初めて自分の身にトレースして考えるきっかけになりました。そして、学生時代ぶりくらいに、図書館に行って調べものをしたり読書したりする時間がかなり増えました。おこがましい言い方かもしれませんが、私にとってはアフリカン・アメリカンの歴史や、背景についてより深く学んでいこうと思う機会になっています。
荏開津:音楽ジャーナリズムの中でも、2010年代は「ラップの10年間だった」と言われていますよね。私が尊敬している編集者 / 音楽ジャーナリストの田中宗一郎さん、宇野維正さんの『2010s』(新潮社)という本では「ラップミュージックはどうして世界を制覇したのか」と1章を割いています。ただ、それはラップというものを括弧付けの「ブラックネス」から漂白していった10年とも言えるし、グローバルにラップが盛んなんだから、それが事実とも言える。日本でも「ラップミュージックはみんなで楽しむ音楽だよね」という姿勢が浸透したのと前後して、ケンドリック・ラマーのブラック・ライブズ・マターと親和性が高かった”Alright”という曲と、アルバム『To Pimp a Butterfly』(2015年)がリリースされました。
ヒップホップって言い方で語ってほしくない、エンターテイメントなんだから「ブラックネス」というか、アフリカン・アメリカンの人たちの状況と引き剥がしてラップミュージックを楽しもうよ、というのが日本でも広まっていましたよね。もちろん、音楽を楽しむという意味で当然だと思います。引き剥がして楽しめる曲が実際に多いんだから。でも、日本で言うポップミュージックっていう枠組み自体がアメリカのものメインではないですか? 20世紀の「強く」「正しかった」アメリカが今は「落ち目」で、今の小学生が大人になる頃にはどうなっているのか分からない。とするなら、その歴史的な変動とダイレクトに関係しているのは文学や映画より、まずアフリカン・アメリカンの人たちが作ったアートとしてのラップだと思います。
例えば、ファレル・ウィリアムズの前のアルバムの代表曲は“Happy”(2013年)ですよね。そのファレルが今回、JAY-Zと組んで出した曲がアフリカン・アメリカンの人々を後押しするための“Entrepreneur” (2020年)で。だから、ファレルはこの音楽がどこから来ているのか、なにが大切なのかをしっかりと考えているんだろうなと改めて思いました。
ファレル・ウィリアムズ“Entrepreneur (feat. JAY-Z) ”を聴く(Spotifyを開く)
渡辺:ファレルは雑誌『TIME』でもエッセイを寄稿していて。それが自分が育ったバージニア州について、つまりイギリスから最初に奴隷が連れてこられた場所でもあるところまでさかのぼってエッセイを書いていました。
ファレルのパブリックイメージって「カルチャーの王様」だと思うんですね。もともとはファレルやビヨンセって、白人にもフレンドリーな黒人セレブで、おしゃれなスタイルを追求しているアイコニックな存在だったと思うんです。
荏開津:それが事実としてあると同時に、個人的には政治的な発言を避けていたというイメージがあったんですが、今回の動きで考えを改めました。”Happy”はちょうどブラック・ライブズ・マター運動が発足する同時期に映画『怪盗グルーのミニオン危機一発』(2013年)のサウンドトラックとしてリリースされました。また、以前から彼は日本と縁があり、自分の周りには直接彼を知る人も少なくないですが、そうした彼のファッションと連動したプロジェクトなどを考えても”Happy”という曲自体が融和政策的な視点の下に作られた曲だと思います。また、翌年のアルバム『GIRL』は女性讃歌を前面に打ち出したものだという点を思い出してもいい。
渡辺:そのファレルが今は「Happy」モードではないんだなと思った最初のきっかけが、今年リリースされたRUN THE JEWELSのアルバム収録の“JU$T” (2020年)って強烈な曲に参加していたこと。その曲のフックでは<ドル札に描かれた偉人たちを見よ / 彼らは奴隷所有者だった>ということが歌われてるんですね。だから、よりラディカルなモードになっているなと思いました。他のアーティストの曲でここまでラディカルになっているから、自分が主体になったらどんなことを歌うんだろうと思っていたら、“Entrepreneur”と『TIME』誌のエッセイがあったので腑に落ちましたね。<黒人の企業家をサポートせよ>というメッセージをJAY-Zと共に発信したのですから。
RUN THE JEWELS“JU$T (feat. Pharrell Williams & Zack de la Rocha) ”を聴く(Spotifyを開く)
荏開津:「白人」と「黒人」という言い方を敢えてするなら、異なる肌の色のMCからなるRUN THE JEWELSのアルバムは今年のラップ / ヒップホップ・アルバムのベストに入るでしょう。同じくベストの1つにJay Electronicaの『A Written Testimony』(2020年)も入ると思いますが、これは振り切ったムスリム視点のアルバムです。また政治や宗教と音楽が関係ないどころではない、そしてラッパー同士というか、ブラザー / シスターという言葉を使うなら、NONAMEとJ.Coleの間で、意見のぶつかり合いがありましたよね。
―NONAMEがTwitterで声をあげないアーティストを批判したのに対して、J.Coleが彼女にあてたとされる “Snow On Tha Bluff”をリリースし、それにNONAMEが“Song 33”でアンサーを返しましたね。
荏開津:J.Coleの“Snow On Tha Bluff”のリリックには<自由を木々のようなものだと思ってる / 一晩じゃ森のように成長しない>や<忍耐が必要なことを理解してほしい>という部分がありますね。
きっと以前は、ファレルもビヨンセもそういうマインドだったのかなと思います。たとえば “Happy”MVでファレルがかぶってる帽子はヴィヴィアン・ウエストウッドのもの。つまり、白人的な意匠とも言える。DAFT PUNKとのコラボも、もともとアメリカのディスコだったものをフランスを経由して、またアメリカに戻してくるという。やはりトランプ政権以前の融和政策的な立ち位置でまとめようとしていたと思います。
ファレル・ウィリアムズ“Happy”を聴く(Spotifyを開く)
荏開津:そうした時代と比較して、今年のベストに入るだろうRUN THE JEWELSのアルバムや“JU$T”はかなりラディカルですよね。アメリカ建国以来の「罪」を告発しているわけですから。
渡辺:RUN THE JEWELSは、キラー・マイクのソロ作品含めて、これまでにも過激なメッセージを放ってきましたが、今回、ムーブメントの流れと彼らのアルバムがこれまで以上にない相乗効果を生み出しているな、という感じはありますね。
さまざまな主張が生まれた、BLM関連の楽曲
―そうしたブラック・ライブズ・マターの理解を深めるための楽曲などありますでしょうか。
渡辺:人種差別に言及するなど、ブラック・ライブズ・マターに関する曲は数多くリリースされていますが、それらもいくつかのパターンにわかれると思っていて。例えばMeek Millの“Otherside Of America”などは、ジャーナリスティックに人種問題をあぶり出している曲ですし、Lil Babyは「もっと自分はこうして考え、行動していかないといけない」という前向きなメッセージを歌う”The Bigger Picture”をリリースしています。
Meek Mill“Otherside Of America”を聴く(Spotifyを開く)Lil Baby“The Bigger Picture”を聴く(Spotifyを開く)
渡辺:ブラック・ライブズ・マターについてだと、Public Enemyの“Fight The Power”(1989年)みたいなラディカルな曲か、前向きなメッセージの曲がスポットに当たりがちだと思うんですけど、私が今回、紹介したいと思うのはアフリカン・アメリカンの内面を深く掘り下げていく曲です。自分たちのブラックネスを、自分たちでどう昇華し、どう周りに良い影響を与えていくべきか、ということを彼ら自身が模索しているように思いました。その1曲として、ジャミラ・ウッズがNONAMEとコラボした“VRY BLK”(2017年)があります。
ジャミラ・ウッズ“VRY BLK (feat. NONAME)”を聴く(Spotifyを開く)
渡辺:ジャミラ・ウッズもNONAMEもシカゴで活躍するアーティストで、ポエトリーリーディングのシーンとも密接な関係を結ぶアーティストです。ジャミラ・ウッズは「アサタズ・ドーター(アサタの娘たち)」という、女性向けの教育機関を運営しているんですね。ちなみに「アサタ」は、2Pacの名付け親である叔母アサタ・シャクールのことで。
荏開津:アメリカでは2Pacの母親と同じくらい、彼女も影響力が強いんですよね。COMMONが彼女に捧げる曲“A Song for Assata”を、キューバにいる彼女を訪ねた後にリリースしています。
渡辺:そうです。彼女もラディカルなブラックパンサー党の一員でした。その「アサタズ・ドーター」からもわかるように、ジャミラ・ウッズ自身が教育に関心があるし、2016年に発表された彼女のアルバム『Heavn』の内容は「Self Love(自身を愛しましょう)」ということに重きを置いています。
そんな彼女に昔インタビューしたことがあって。彼女は他の曲でも「BLACK」を「BLK」と綴っているので、「それはなぜですか?」と聞いたんです。そもそも、その元ネタとなる詩人がいるそうなんですが、「BLACK」に新しい意味を与えるために「BLK」と綴っていると言うんです。この曲は、ネガティブな側面もあるんですが、自身の「BLK」と向き合った曲として秀逸だと思います。
NONAMEも自分でブッククラブ(朗読会)を主宰しているんですが、この2人はまずは本を読むこと、知識を得ること、教育がなにより大切であるということはブレずに発信していますね。それに私も触発されて、彼女たちが紹介していた本を買ったり、先ほど言ったように図書館に行ったりするようになりました。
荏開津:ブラック・ライブズ・マターについての曲でもさまざまなタイプがあると最初に渡辺さんがおっしゃったように、日本人から見て同じ肌の色に見えても、当たり前ですが感じることや意見は同じではない。このことは忘れないようにしたいです。例えば、作家で活動家のキャンディス・オーウェンズとT.I.、キラー・マイクなどがショーン・コムズのメディア「REVOLT TV」で昨年ディベートをしている。キャンディス・オーウェンズはトランプ支持者のアフリカン・アメリカンです。民主党支持でバイデンを支持しているCardi Bと最近やりあいました。これは親しくさせてもらっている自身も保守派のラッパーKダブシャインさんから教えてもらって観ましたが。
ファレルも、古くからの大きな建物として奴隷制時代の大地主の家の建物なんかが未だに残っているバージニア州の出身だからこそ、もちろん人種差別の歴史を理解していなかったわけではない。にもかかわらず、彼は融和政策的にこれまでは活動していたのではないかと思ったりします。バージニアの風景は奴隷制と切り離せない。初代大統領ジョージ・ワシントンの広大なプランテーション跡はマウントバーノンとしてバージニアの子どもが見学するような場所です。
「ブラック・ライブズ・マター」というスローガンが広く浸透していくと同時に、その一方で実際にはアメリカのようなすごく広い国で、いろんな人がいるということは見過ごされがちになっている面もあります。逆に「ブラック・ライブズ・マターといえばこうでしょ」という一面的なイメージが流布する面もある。
渡辺:まさに、ブラック・ライブズ・マターといっても警察を糾弾するだけの曲ばかりではないし、前向きな曲ばかりでもないです。私が紹介したいもうひとつの曲、BUDDYの“BLACK 2”(2020年)は、ブラック・カルチャーを賛美する一方、どこか皮肉っぽくアフリカン・アメリカンのステレオタイプに触れた曲でもあるんです。この構造には、かつてChildish Gambinoが発表した“This Is America”(2018年)にも通じる鋭さがあると感じました。
私はこの曲を聞いて、自分も反省しなければと思ったんですが、いくらアフリカン・アメリカンの文化が好きで、もっと深く知りたい、学びたいと思っても、「あなたたちは黒人になれないし、同じ経験もしたことないだろ」と言われたら、それは本当にその通りなんですよね。私たちは、これまで虐げられてきた彼らの背景から生まれた文化を搾取してきただけなのではないか、とこの数か月考えながら過ごしてきましたし、それはこれからも考え続ける必要があるのだろうと思っています。
BUDDY“BLACK 2”を聴く(Spotifyを開く)
―アフリカン・アメリカンの文化を搾取してきたという指摘は、アーティストたちからもなされていましたね。
荏開津:ブルースをコピーして自作だと発表して財産を得た白人のロックのアーティストたちは自分たちの配当を返したほうがいいかもしれないと思います……と私が言うことではありませんが、少なくとも、ブラック・ライブズ・マターの主張はそれくらいこれまでの歴史をひっくり返す意見につながっている。それは別に2010年代に出た意見ではなくて、歴史上の活動家W.E.B.デュボイスの著書『Black Reconstruction in America』(1935年)からして警察解体を提案している。そういうこともあるなら、NONAMEに対するJ.Coleの「それくらい歴史を動かす大きな問題なんだから、簡単には語れないよ」というニュアンスが逃げ腰な印象を与えてしまったのも納得がいく。
渡辺:たしかにそれくらい大きな問題ではあるんですが、もう奴隷制度から400年経っているんですよね(1619年に最初のアフリカ人奴隷の記録がある。)。だから、今回のブラック・ライブズ・マター運動の中でも「もう耐えるのは十分。なぜなら、私たちはこれだけ耐え続けてきたのだから」というメッセージを含んだ「enough is enough(もうたくさん)」という言葉もよく目にしました。そういう雰囲気の中で、J.Coleの考えは、やはり批判の的になったのだろうと思います。
荏開津:去年の暮れに、高山明さんがディレクターの演劇ユニットPort Bの「ワーグナー・プロジェクト」というヒップホップについてのプロジェクトのために、フランクフルトに行ったんです。それで、フランクフルトには米軍基地があるから、アメリカにルーツを持つ子どももたくさんいるんですよ。J.Coleはもともと出身がフランクフルトでお母さんは白人です。日本にも米軍基地はあるし、アメリカをルーツに持つ人もいる。そうした場所から考えると、ポップ音楽としてだけでラップを見るのは一面的ではないでしょうか。
J.ColeがNONAMEにあてたとされる“Snow On Tha Bluff ”を聴く(Spotifyを開く)NONAMEによるJ.Coleに対するアンサーソング“Song 33”を聴く(Spotifyを開く)
ビヨンセらの動きから見える、ルーツとなるアフリカに目を向ける姿勢
―まさにNONAMEとJ.Coleの一件が象徴的でしたが、荏開津さんは「肌の色が同じでも、決して意見が一緒ではない」ということに関心を向けられていますね。
荏開津:そうですね。アンダーソン・パークの“Lockdown” (2020年)からもわかるように、コロナの影響も大きいなと思いました。みんなでマスクして、外出を自粛しないといけないコロナ禍って、アメリカ人が尊重する「自由」という概念が締め付けられますよね。
アンダーソン・パーク“Lockdown”を聴く(Spotifyを開く)
荏開津:あと、『BET』のアワードで、Public EnemyのステージにRapsodyやYGが出てきたのは、この運動に対してさまざまな世代がコミットしていることが示されていて、すごくよかったですね。
渡辺:YGは“FDT”(Fuck Donald Trumpの略)から“FTP”(Fuck The Policeの略)まで歌っていましたけど、きっとPublic Enemyをリアルタイムで聴いていた世代で、YGをちゃんと聴いている人はあまりいないと思います。にもかかわらず、YGやRapsodyが共演するのは素晴らしいですよね。
YG“FTP”を聴く(Spotifyを開く)Public Enemy“Fight The Power: Remix 2020” を聴く(Spotifyを開く)
荏開津:私も含めた音楽ジャーナリズムはPublic EnemyとYGを世代間として対立させたり、ケンドリック・ラマーとLil Babyを対立させたりしがちですよね。でも、アフリカン・アメリカンの大きなカルチャーがあって、その一部だということは、もっと意識してもいいかと思います。それぞれに対立ではない「違い」があるし、あって当然です。今回のブラック・ライブズ・マターの動きは、そうしたカルチャーにおいての違いは対立ではないと気づかせてくれたとも言えます。ファレルとJAY-Zの“Entrepreneur”MVにも、いろんな人が出てきますよね。
渡辺:“Entrepreneur”は、世界で活躍する黒人企業家たちをフィーチャーしたMVが特に素晴らしいですよね。ただその一方で、この曲のJAY-Zのヴァースに関して、「起業できるスタートラインにすら立てないアフリカン・アメリカンのほうが圧倒的に多いのでは」など、一部では批判もあるみたいです。
荏開津:ファレルなりにこの曲を出すときに、何が適切な、必要なことなのかいろいろと考えたと思います。これは他のマイノリティーの問題や、女性の問題もそうで、ヴァージニア・ウルフの「女性が作家になるためにはお金と彼女自身の部屋が必要だ」という有名な言葉がありますが、こうした曲に行き着いたのは悪いことではない。ただ、アメリカでは約63%の人が緊急時に使える500ドルの貯蓄もないと先日雑誌『フォーブス』の記事を読みました。それはもちろんアフリカン・アメリカンの人たちだけじゃないんですが、やはりそうした環境では先ほど志保さんが言ったような批判も出るのはおかしくはないかもしれません。
また、ヒップホップとビジネスの両立は難しいですよね。最初こそ、成り上がるためのリリックを書いていても、実際に成功すると書くことがなくなってしまうという人もいます。そのとき、先ほどのCOMMON、The Roots、D’Angelo、エリカ・バドゥなどいわゆる「オーガニック・ソウル」と呼ばれたR&Bとヒップホップの交叉するようなアーティストたちは一定の成功を収め、深い表現の探索を続けているのではないかと今回また思い直しました。ジャミラ・ウッズなども、彼らの影響を感じるんですよね。
渡辺:そうですね。ただ、“Entrepreneur”で一貫して言われている「アフリカン・アメリカンのビジネスをサポートする」ということは事実としてあって。ビヨンセも“BLACK PARADE” (2020年)を出したときに、HPにアフリカン・アメリカンが経営するビジネス、例えば街の小さな石鹸屋さんやブティック、レンタカー店を掲載して、「彼らをサポートしましょう」というキャンペーンをしていました。
もともとアメリカ国内のみのビジネスを紹介していましたが、今ではさらに範囲が広がって、フランスやアフリカの黒人が経営するビジネスまで掲載されるようになっているんです。ちなみにビヨンセはディズニーと組んで、ものすごい予算を使った『Black is King』(2020年)というアフリカン・ディアスポラの一大絵巻を作っていて。昔から、白人至上主義的だと批判されていたディズニーが、アフリカのルーツに迫るという取り組みは、10~15年前だったら全く考えられなかったことだと思うので、それだけでも興味深いなと感じました
ビヨンセ“BLACK PARADE”を聴く(Spotifyを開く)ビヨンセ『The Lion King: The Gift [Deluxe Edition] 』を聴く(Spotifyを開く)
荏開津:本当にそうですよね。私も「これがメジャーのアーティストがやることなのか」とびっくりしました。Sun Raの映画を見ているみたいですよね。でもそれは私が年寄りだからです。
しかも、「ディアスポラ」という言葉って、ポジティブな意味ではない。もともとはユダヤ戦争のあとの人種の離散のことで、アフリカにいた人々が大西洋の奴隷貿易によって連れて行かれたというのが言葉の背景にあるわけですから。『Black is King』もそうですが、Goldlinkが『Diaspora』(2019年)ってアルバムをリリースしたり、ヒップホップがアフロビートを取り入れたりしたときに、アフリカへの意識が昔と変化しているのを感じました。
昔だったら、アフリカのモチーフや衣装を取り入れたりすると、アフリカン・アメリカンのあいだでも揶揄の対象にされることがあったと思います。でも、公民権運動、ブラックパンサー党から、自分たちらしさをヘア・スタイルやファッションから見せていたエリカ・バドゥなどを経て、若者の世代でもファッションとしてそれらを楽しむし、新しアイデンティティを探ることととしてもつながっていくんだと思います。
Goldlink『Diaspora』を聴く(Spotifyを開く)
渡辺:マーカス・ガーベイ(ラスタファリ運動にも大きな影響を与えた、アフリカ回帰運動の指導者、1940年逝去)の唱えるアフリカ回帰とは別の、アフリカのルーツをもっと知ろう、もっと触れようという姿勢は感じられますよね。
そしてまさに今、オプラ・ウィンフリー(アメリカでトップクラスに人気のある司会者、俳優)が出資して、『1619』というプロジェクトが進行中と言われています。もともとは『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』の企画だったもので、それを映像化すると。「1619」というのは、奴隷貿易が始まった年ですね。私もブラック・ライブズ・マターを通じて、もっとアメリカの歴史に目を向けないといけないと思ったんですけど、アフリカン・アメリカンの中ではさらにルーツとなるアフリカに目を向けようとする雰囲気があるのかもしれません。
―日本にも目を向けると、日本のポップミュージックも、アフリカン・アメリカンが生んだ文化を土台にして、つまり搾取して成熟してきた側面があります。そうした歴史を持つ日本人として、この問題と今後どう向き合うべきだと思いますか。
渡辺:それは本当に私も考えに考えているんですが、結論としては「Educate Myself」、つまり知識を得て、学ぶことに尽きると思っています。音楽ジャンルとしてのヒップホップやジャズ、ブルースなどは彼らの歴史から生まれたものの輸入文化であるわけですが、時間が経てば経つほど、歴史から切り離されて独り歩きしていってしまうものです。
もちろん、荏開津さんが先ほどおっしゃっていたように、それはみんながポップカルチャーとして楽しめるものとして、よい側面もあります。ただ、アフリカン・アメリカンというのは、ほかの民族が経験していない背景や歴史を背負った民族でもあるので、その人々から生まれた文化を愛するのであれば、その歴史を知らねばならないと思っています。音楽なりダンスなり、彼らの文化に触れ、さらにそれを商売にするのであれば、彼らへリスペクトを示すことは当然だと思いますし、これまで足りていなかったのはそういう部分かなとも思います。
荏開津:私はもっとギャングスタ・ラップを聴かなければならないと思います。もちろん道徳的には、ギャングスタ・ラップは正しいばかりではないですが、どう発展してきたかという歴史を考えると、ヒップホップはギャングスタの人たちが始めた音楽なんですよね。アメリカ社会の中で理不尽な目に合った人たちがいて、その歴史の中でギャングスタの人たちが始めたのがヒップホップなのだから、そうした歴史を辿ることで新しく見えてくることがあると思うのです。
また、今の日本に特権階級の作ったカルチャーってあるんでしょうか? ならばますます、人種や階級で差別される側の人々が作ってきた、特権階級以外のアウトサイダーのカルチャーについて少しづつでも知りたいです。私たちみんなの未来と深く関係があると思うんです。「なんでそんな風に思うのか?」と言われたら、まだ子どもの頃にラップを聞いて、その歌詞を読んで感動したからかも知れない、と答えます。
『Black Lives Matter』プレイリストを聴く(Spotifyを開く)
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・無料プラン
5000万を超える楽曲と30億以上のプレイリストすべてにアクセス・フル尺再生できます・プレミアムプラン(月額¥980 / 学割プランは最大50%オフ)
- プロフィール
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- 荏開津広 (えがいつ ひろし)
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執筆 / DJ / 京都精華大学、東京藝術大学非常勤講師、RealTokyoボードメンバー。東京生まれ。東京の黎明期のクラブ、P.PICASSO、MIX、YELLOWなどでDJを、以後主にストリート・カルチャーの領域で国内外にて活動。2010年以後はキュレーション・ワークも手がけ、2013年『SIDECORE 身体/媒体/グラフィティ』より、ポンピドゥー・センター発の実験映像祭オールピスト京都ディレクター、日本初のラップの展覧会『RAP MUSEUM』(市原湖畔美術館、2017年)にて企画協力、Port Bの『ワーグーナー・プロジェクト』(演出:高山明、音楽監修:荏開津広 2017年10月初演)は2019年にフランクフルト公演好評のうちに終了。翻訳書『サウンド・アート』(フィルムアート社、2010年)、『ヤーディ』(TWJ、2010年)。オンラインで日本のヒップホップの歴史『東京ブロンクスHIPHOP』連載中。
- 渡辺志保 (わたなべ しほ)
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音楽ライター。広島市出身。主にヒップホップ関連の文筆や歌詞対訳に携わる。これまでにケンドリック・ラマー、A$AP・ロッキー、ニッキー・ミナージュ、ジェイデン・スミスらへのインタヴュー経験も。共著に『ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門」(NHK出版)などがある。block.fm「INSIDE OUT」などをはじめ、ラジオMCとしても活動中。