荏開津広×渡辺志保のラップ詞談義 混沌の時代に響くリリック

コロナウイルスにより、世界に大きな変化が訪れた。人々の生活も、経済状況も大きな変化が求められている。さらに、ミネアポリスでのジョージ・フロイド事件を受け、ますます混迷を極める現代に、どんな言葉が届くのだろう。

世界の音楽シーンに精通するライター渡辺志保と、多彩なカルチャーに横断的な視点を向ける荏開津広による対談の第5回は、「今の時代に響くラップ詞」という視点で、ラップのリリックを語り合う。

ラップとは「自身の美学を歌う音楽」だと思いました。(渡辺)

―ラップが「メッセージ性が強い音楽」というイメージで語られる理由は、どんな点にあると思いますか?

荏開津:やっぱりパブリック・エナミー(Public Enemy)が大きいと思います。ただ、私自身はその前からラップを聴いていて。そのときはイングリッシュネイティブの友人にも、ラップを「歌詞に意味がない」「幼稚だ」といわれていましたね。もちろん、いい曲もあるけど、その多くは「女の子とデートする」「俺はこんなにモテて」「金稼ぐ」みたいなリリックだから、意味がないよね、と。そのあとでパブリック・エナミーが出てきてすごいもてはやされたんです。

パブリック・エナミーって、まずロックリスナーやロックジャーナリズムがすごく持ち上げたんですよね。“Fight The Power”のMVもデモを模していてインパクトがあるから、今でもよくイメージに使われるけど、実は私自身は色々疑問があってインタビューの際に質問したことがあります。

『This is Public Enemy』プレイリストを聴く(Spotifyを開く

―それはなぜなんでしょう?

荏開津:当時美大生でグラフィックデザインを勉強していたチャックDは大学でラジオ局をやっていて、公民権運動や特にブラック・パンサーのイメージとラップを結びつけたのは歴史に残るイノベーションであり、彼らが重要であることは疑いありません。ただ、個人的にはそれまでの「街のお兄さんお姉さん」がやっていたラップの方向性とは異なるもので、そこに違和感があって直接質問したんですが、「アフリカン・アメリカンの歴史を知っているのか?」と詰められました。今ではTwitter相互フォローしてもらって、勝手に許されたことにしていますが、とても恥ずかしいですね。

渡辺:教育とエンターテイメントを融合させた<エデュテインメント>を啓蒙していたKRS・ワンという大きな存在もいますが、彼が所属していたブギ・ダウン・プロダクションズ(Boogie Down Productions)とパブリック・エナミーは、全然異なる聴かれ方だったんですか? 荏開津さん世代の方の話を聞いていると、みなさんが割と(パブリック・エナミーより)KRS・ワンに強い共感を抱いている印象があります。

荏開津:私もBDPがより好きでした。どちらも共通してマルコムXや公民権運動のようなトピックを取り入れてるけど、よりストリートの香りが漂ってきます。ただ、当時のロック・ジャーナリズムはパブリック・エナミーを「これこそがラップなんだ」といった持ち上げ方をしていたんです。だから不思議だったんです。でも今振り返れば分かります。現在のブラック・ライブズ・マターとも繋がりますが、P.E.はロックから聞くとその核にあった「運動」的な側面と親和性があったんですよね。

『This Is Boogie Down Productions』プレイリストを聴く(Spotifyを開く

荏開津広(えがいつ ひろし)
執筆 / DJ / 京都精華大学、東京藝術大学非常勤講師、東京生まれ。東京の黎明期のクラブ、P.PICASSO、MIX、YELLOWなどでDJを、以後主にストリート・カルチャーの領域で国内外にて活動。2010年以後はキュレーション・ワークも手がける。

渡辺:荏開津さんがおっしゃったように、本来ラップは街のお兄さんお姉さんのもので、パーティーが主体となるものだったはずですよね。でも、私たち日本人はその点にポジティブな印象を抱きにくいのかもしれません。ほかに、荏開津さんが同時代に好きだったラッパーは誰だったんですか?

荏開津:ア・トライブ・コールド・クエスト(A Tribe Called Quest、以下「ATCQ」)やジャングル・ブラザーズ(Jungle Brothers)、MFドゥームがいたKMD、初期のN.W.A.、スクーリー・D(Schoolly D)……なんでも好きでした。ATCQはヒップホップ史の偉大なグループという感じですが、"Check The Rhyme"は<リンデン通りでいつもライムをキックしてた>で始まってて、リリックを聞きながら考えると「ただの近所の地名?」とか思ったり、あと「レコード会社と軋轢があったけど……」みたいに、自分の身に起きた生活のことをラップしていて等身大のスタンスだな、と。

音楽好きの仲間内のジョークのようなものや「P.T.A.」についてラップに乗せているグループもいたり、日本人でもアメリカ人でも関係なく入っていけるような気がしました。私は学校にいた頃からDJをしていましたが、逆にギャングスタラップはリスナーとしては好きでも、あまり上手くDJのプレイに取り入れられませんでした。トゥー・ショート(Too $hort)とか大好きだからプレイしたりするけど、セット全体にはまらなかった。

リリックの意味をなるべく繋げてプレイするようにしていたというのもありますが、考え過ぎなだけだったのかもしれないと、これも思い出すと恥ずかしいです。

『This Is A Tribe Called Quest』プレイリストを聴く(Spotifyを開く

―渡辺さんは、ラップを聴き始めたときのリリック世界の印象はいかがでしたか?

渡辺:私が「ラップ」として初めて聴いたのは、2パック(2Pac)の『All Eyez On Me』で。まさに荏開津さんが躊躇されていたギャングスタラップですね。私は当時、中学生なのでなにを語っているか、詳細まではキャッチできなかったんですけど、アートワークを含め、彼らの「美学」みたいなものはビンビンに感じたんです。そこでラップとは「自身の美学を歌う音楽」だと思いました。

2Pac『All Eyez On Me』を聴く(Spotifyを開く

渡辺:そのあとすぐにリル・キム(Lil' Kim)やミッシー・エリオット(Missy Elliott)がブレイクした時期が重なるんですけど、「女性がこんなことを歌っていいんだ」と驚きましたね。それが自身の原体験としてあります。当時、J-POPのヒットソングといえばほとんど恋愛の曲で。しかも、多くの場合、謳われているのは受け身の女性像でした。失恋してメソメソしていたり、片思いで相手が振り向くのを待ち続けていたり。もちろん、私自身も安室奈美恵さんなど好きなアーティストがいたり、J-POPも好きな曲がたくさんあったりします。ただ、その感覚でミッシーやリル・キムのCDに入っていた対訳を読むとビックリしたんですよね。

男性のラッパーと同じように、セクシャルなことを堂々と歌っていて、その主導権を彼女たち自身が握ってるんです。自分の好きな男の条件を挙げて、それに見合わない男はもう願い下げ、みたいな。「ほかはどうあれ、私は私だ」という主張もあって、アメリカと日本で女性アーティストの歌詞の違いをありありと感じました。

渡辺志保(わたなべ しほ)
音楽ライター。広島市出身。主にヒップホップ関連の文筆や歌詞対訳に携わる。これまでにケンドリック・ラマー、A$AP・ロッキー、ニッキー・ミナージュ、ジェイデン・スミスらへのインタヴュー経験も。共著に『ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門」(NHK出版)などがある。block.fm「INSIDE OUT」などをはじめ、ラジオMCとしても活動中。

荏開津:『ギャングスタラップの歴史』という本がありますよね。その表紙に「偉大なアメリカン・アートフォームの登場」と書かれていますけど、1990年代半ばから、そうしたジェンダー、セックスについての感覚は、ギャングスタラップへの受け止め方と共に劇的に変わったなと思います。

2パックが出てきたくらいで変わりましたが、それまでのギャングスタラップはポップソングという感覚ではなかったと思います。言葉が汚いし、警察を嘲るでしょう? 眉をひそめていた人も多かったと思います。たとえばゲトー・ボーイズ(Geto Boys)ってヒップホップの歴史からするとすごく重要なグループですけど、出てきた当時に日本ですごく評価していたラッパーやDJは亡くなったECDさんとあと少数だったのではないでしょうか?

アメリカから海外にもそのよさを「美学」として伝えられるようになったのは2パックたちの活躍が大きいと思います。たとえば2パックの「T.H.U.G.ライフ」のタトゥーが実は「The Hate U Give Little Infants Fucks Everyone(幼な子へのお前の憎悪がみなをぶち壊す)」という意味という話ですし、2パックの名づけ親のアサータ・シャクールはブラック・パンサー党の有名な活動家で、2パック自身もギャングスタというかフッドの暮らしと、そうした政治的な背景を結びつけ「美学」にしました。

『This Is Geto Boys』プレイリストを聴く(Spotifyを開く

元気がないときこそ、ギャングスタ・ラップが効くのかなと思います。(荏開津)

―今回のテーマは「リリック」ですが、今でこそ重要だと思うリリックをお教えください。

荏開津:ラップはトラックと言葉からできているので面白かったり興味深いリリックの曲は数え入れないほどあるのですが、ヒップホップを世界に広げた曲と、ヒップホップの世界自体を変えた曲として、初期ではグランドマスター・フラッシュ(Grandmaster Flash)“Message”があります。この曲はニューヨークでも抑圧された暮らしの様子を巧みに叙述していて、今のラップより簡単なので年配の方はカラオケにお勧めです(笑)。

この曲のフックに<押さないでくれ、自分は崖っぷちにいる、頭がもげないようにするのに必死なんだ>という箇所があります。ラップしているメリー・メルは見た目や他の曲の多くはマッチョという言葉が現実になったような人ですが、このリリックはマチズモと断言できない調子が興味深い。

Afrika Bambaataa『Planet Rock』を聴く(Spotifyを開く

Grandmaster Flash“The Message”を聴く(Spotifyを開く

荏開津:そして、2000年にリリースされたデッドプレズ(Dead Prez)“Hip Hop”。<それはヒップホップ(註:という掛け声)より大きい>というフックですが、それまで多くのラッパーはヒップホップシーンという枠の話を長い間していたと思うんですよね。私もそこになるべくいようとしていました。でもその外側にアメリカという国の人種や権力の構造があって、そこにフッドもある、アフリカン・アメリカンのジェンダーの問題も交錯する、そうした複雑に捻れた風景を見せてくれるリリックとMVには当時本当に驚きました。

Dead Prez“Hip Hop”を聴く(Spotifyを開く

荏開津:あと、カニエ・ウェスト(Kanye West)の“Jesus Walks”。もちろん、この曲以前からクリスチャンのラッパーはいましたしトピックとしてもありましたが、ここまでクリスチャニティーを前面に押し出してヒットさせたのも驚きました。ヒップホップは公民権運動の後からやって来た世代が作って、その誕生からマルコムXなどムスリムと深い繋がりがあります。ここで、ひとつ世界を変えたし、彼はクリスチャンの使徒として大統領選に出るという構想があるんですよね。

カニエ・ウェスト“Jesus Walks”を聴く(Spotifyを開く

―渡辺さんはいかがでしょうか?

渡辺:私はまず、ラプソディー(Rapsody)の『Laila's Wisdom』を挙げたいですね。本作は彼女にとって2枚目のアルバムで、当時『グラミー賞』にノミネートされるくらい、高い評価を得ました。ラプソディーは、ジェイ・Zのロック・ネイションにも所属していて、私が45年以上のヒップホップの歴史で最も才能のある女性ラッパーだと思うのは、このラプソディーなんですよ。『Laila's Wisdom』の「Laila」はおばあちゃんの名前なんですね。なので、自分のおばあちゃんからの教え、先代からの知恵を注ぎ込んだというアルバムなんです。

彼女の曲はどれも説教臭さがなく、みんなにポジティブなメッセージを与える曲が多いんです。アルバムタイトルにもなった“Laila's Wisdom”には、<友人を失ってしまうことがあるかもしれないけど、あなたがいるサークルは、オーバルよりまし>というリリックがあります。Ovallというのは、楕円形、という意味もありますが、大統領の執務室を表す言葉でもある。なので、「トランプ政権が動かす世界よりも、あなたたちの生活しているサークルのほうがよい場所だから」というリリックがあって。

ラプソディー『Laila's Wisdom』を聴く(Spotifyを開く

渡辺:このリリックを改めて見返すと、今の状況にもフィットする部分がありますし、なによりこういうことを歌うラプソディーに慈愛を感じます。昨年『Eve』というアルバムも出ましたけど、曲のタイトルがすべて偉大な黒人女性の名前になってるんです。私が好きな曲は、オプラ・ウィンフリーをモチーフにして、同じ女性ラッパーのレイケリ47(Leikeli47)と共にラップする“Oprah”。『Eve』の最後は“Afeni”という曲で締め括られていて、これは2パックの母親の名前なんです。誰もが安心感を抱くような包容力のある作品になっています。同じ毛色でいうと、定番ですがローリン・ヒル(Lauryn Hill)の『The Miseducation Of Lauryn Hill』。この1枚の中で、愛や生活について、宗教心について歌ったりしています。フラストレーションをみんなが感じている中で、前向きになれるようなメッセージを発信していると思います。

ラプソディー『Eve』を聴く(Spotifyを開く

ローリン・ヒル『The Miseducation Of Lauryn Hill』を聴く(Spotifyを開く

荏開津:ラプソディーは、素晴らしいですよね。扱うトピック自体は1990年代のアーティストと変わらないけれど、やり方が新鮮だなと思います。

渡辺:そうですね。クイーン・ラティファが今、ラップしていたらラプソディーのような感じかもしれないですね。プロデューサーの9thワンダーの手腕も大きいかもしれません。

次に聴いてもらいたいのは、カーディ・B(Cardi B)などの「女性が稼ぐ曲」ですね! 今、経済的にもそれぞれ大変な時期だと思います。私自身も、もらえる仕事は全部もらって稼がなきゃって感じなので、自分で自分を奮い起こそうと思って、そうした曲を聴いていますね。ヒップホップの歴史を振り返っても、メイクマネーしてハッスルするという曲を歌うのは、かつて男性が中心でした。でも、女性もハッスルしないといけないし、女性には女性の労働歌があるんです。

そういう意味も込めて、女性ラッパーばかりが悪態をつくプレイリストを以前、作りました。それは、私も「元気にいくぞ」「金を稼ぎに行くぞ」と気合を入れるときに聴きますね。その1曲目がリル・キムの“Suck My Dick”って曲なんですよ。

渡辺志保の作成した『THE LADIES DO RUN THIS MF』プレイリストを聴く(Spotifyを開く

荏開津:(笑)。さきほど、ギャングスタラップに当時はコミットできなかった話をしましたが、一方でなぜギャングスタラップは元気が出るのか、ってずっと考えているんですよね。

渡辺:ギャングスタラップが好きですが、もちろん自分の生活にはピンプ業も存在しませんし、銃もクラックもありません。でも、極端なものに触れてかっこいいと思う人も多いと思います。例えばスプラッター映画でも、とことんエグいものに惹かれることもある。突き抜けたつくり手の美学みたいなものが、そこにはあると思いますね。そこに、元気をもらうというか。

荏開津:たしかにそうですね。ソニック・ユース(Sonic Youth)のキム・ゴードンには、あるエピソードがあって。彼女が大変な鬱になったときに集中的に聴いたのがギャングスタラップだったらしく「ギャングスタラップは鬱にいいからみんなにオススメ」とインタビューで答えていました。これをいつも思い出します。

『This is Sonic Youth』プレイリストを聴く(Spotifyを開く

ラップミュージックにメッセージ性が宿るのはなぜかと考えていたんです。(渡辺)

―クラシック音楽好きの私の友人も、学生時代に鬱になったとき、ギャングスタラップを聴いて、元気が出たことがありました。友人は、「自己肯定感が高まる」といっていましたね。

渡辺:たしかにそれはありそうですね。アメリカでも、ジェイ・Zのハスラーとしての美学や名言はすごく重宝され、共有されています。街角のドラッグディーラーだった少年が、アメリカを代表するビリオネアになって、大統領と会食するまでの地位に上り詰めた。アメリカン・ドリームにおける理想的なロールモデルともいえますよね。

私なりにラップミュージックになぜメッセージ性が宿るのか、考えていたんです。それは楽器がなくても成立する音楽、つまり言葉がないと成立しない音楽なので歌詞のメッセージにウェイトが乗ってくるのは当然のことなんだろうと思います。さらにいえば、ラップで人生を切り拓いた男女の言葉に強い共感を人々が抱くのは、至極当然のことだよなとも思います。

『This Is JAY-Z』プレイリストを聴く(Spotifyを開く

荏開津:もちろん例外はあるでしょうが、かつてのポップソングの基準では、ボーカルは「歌がうまいか下手か」ですよね。魅力的な声があって、歌がうまいか。しかも職業作家の人が歌詞を書いて、どうすれば売れるかというマーケティングの視点で歌詞をあて込んでいくわけですよね。

プロテストフォークやロックが登場して、「下手でもいいから自分の思いを歌にしよう」という動きが出てきた。ただし、それは革命思想というか、スチューデント・パワーに共鳴していた人々がやっていたわけです。

そうした政治の時代のあと、1980年代になるとレーガノミックスとかで、経済がある程度豊かになりますが、ラップが生まれたコミュニティーは、アメリカ社会のどん底。ラップは、そこから上を見たところからスタートした音楽というか遊びです。だから自身で歌詞を書くことと相性がいいですよね。そして一番上にトランプ・タワーがあったとして、ラッパーはみんな下からの視点でリリックを書き始めたと思うんですよ。低所得者用住宅の窓から見える風景が内面化されたリリックです。自分がクイーンズに住むロクサーヌ・シャンテだったらそのはずです。そうなると、どうしたって元気を出さざるをえないし、歌詞にかかるウェイトが大きくなると思います。

渡辺:日本はよくも悪くも清貧主義で、お金に対して意地汚くなるのが品がないとされますよね。ただ、アメリカ社会のゲトーで生きている人にとっては、「今日、食べていけるか」「明日、寝る場所があるか」というのは逼迫した問題です。さらに人種による階層もありますから、実際にアメリカに行ってそうした人たちと話すと、お金を稼ぐことに対する意欲の高さ、エネルギーは私たちとは比べ物にならないなと思うことが多いです。ラップでヒット曲を作ることに命を掛けている若者が、本当にたくさんいる。それがラップミュージック、もしくはギャングスタラップの持つエネルギーに一気に集約されていると思います。

もともとギャングスタのみなさんは「錬金術」に長けた人たちで、商売とはなにか、ということを熟知している。そういう環境だからこそ、ジェイ・Zやドクター・ドレー(Dr. Dre)といった人材が生まれてきたのかもしれません。彼らのビジネスマンとしての側面に、白人男性すらもリスペクトを送らざるを得ない、という点には、ダイナミックさを感じます。逆に私は、身近にそんなダイナミックな人がいないということもあって、彼らの生き方やリリックをある種のフィクションやファンタジーのような感覚で受け止めているというところもあるんです。

荏開津:そうですよね。実際、すべてが事実だったり、隣り合わせの出来事ではないですからね。うまく事実とフィクションを混ぜている部分がいいところというか、「ゲトー」からのラップが全てドキュメントであるべきだというのは、所得や階級が低い人には想像力がないという思い込みや誤解がもしかしたらあるからなのでしょうか。

渡辺:Netflixの『デヴィッド・レターマン: 今日のゲストは大スター』でジェイ・Z自身が「自分の曲もエミネムの曲も、すべてが事実ではない」といっていますからね。

『This Is Dr. Dre』を聴く(Spotifyを開く

本来は詩とパフォーミング・アーツとラップは近いはずです。(荏開津)

―そもそも、ラップのリリックの魅力はどんなところに感じられていますか?

荏開津:アメリカのラップは、文学の詩の形式からきています。文学の詩も韻を踏むし、ラップも韻を踏みます。ただし最初は頭韻、脚韻で踏んでいただけなのが、韻の踏み方がすごく複雑になってきたのがラップの歴史で。そして、それがビートと絡み合うことでよりユニークになっています。ただし、本質的にやってることは文学の詩と変わらない。というか、最初の世代がラップをするのに参考にしたのはラスト・ポエッツ(The Last Poets)やギル・スコット・ヘロン(Gil Scott Heron)といった政治的なポエトリー・リーディングの人たちです。それをティーンや、ドラッグディーラーのそれまで「声を持たなかった人々」がやっているのが面白いんですね。

渡辺:アメリカはラップと詩の朗読、つまりポエトリー・リーディングの境目がいい意味で曖昧ですよね。ジル・スコット(Jill Scott)やノーネーム(Noname)といった、ポエトリー・リーディング出身のミュージシャンも数多くいます。「スラム」と呼ばれるアメリカのポエトリー・リーディングのバトルの動画を見ると、まさにラップバトルのように盛り上がっていることもあって。それくらい2つの表現が近い場所にある。アメリカだとパフォーミング・アーツに対する敷居が低いからなのか、ラップ・詩・演劇の世界がすごく近くていいなって思っていたんですよ。それこそ、ジル・スコットは女優としても開花しているし。私は現代詩や演劇には全く詳しくないのですが、そこがうまく組み合わさると、日本のヒップホップ・シーンにもまた新しい地平が開けていきそうな気がします。

『This Is Noname』を聴く(Spotifyを開く

荏開津:ドナルド・グローヴァーとかも、そういう視点でみると面白いと思うんです。日本だと演劇は演劇、ラップはラップと、交わらない世界なんですよね。ただし、本来は詩とパフォーミング・アーツとラップは近いはずです。ドナルド・グローヴァーはもともとニューヨーク大学の頃から学生コメディアン兼脚本家で、ラップはあとから「コメディアン / 脚本家がやってみました」みたいなテンションがスタートだと思います。“This is America”だけを取り出して、ラップの良心派みたいな誤解が日本で広まってしまった気がします。同時に『アトランタ』は今までなかったような形でフッドとそうではない人々を結びつけたし、そこがドラマという限界を超えて興味深いです。

『This Is Childish Gambino』を聴く(Spotifyを開く

渡辺:そうですね。もともとは演劇畑の人で、ラップの内容もシニカルなものが中心でしたから。

ほかに、ニッキー・ミナージュ(Nicki Minaj)も、もともとはアル・パチーノらを輩出したラガーディア芸術高校という名門芸術学校出身で、演劇に対する下地は十分にある。それもあってか、彼女は、自分の声色を変えてどんどんラップするんですよね。いまの芸風は変わってしまったんですが、もともとは3人のオルターエゴを作って、声色を使い分けてラップしていました。そうした複雑な表現も、パフォーミング・アーツとラップの距離の近さを感じる部分ではあります。

ケンドリック・ラマーの『TPAB』を聴いたときにも、私は長いモノローグを聴いてるみたいだなと思ったんです。劇場の中で、彼の一人芝居を見てるようだなって。それほど表現力に富んだラッパーはまだまだ日本では数少ないですよね。

『This Is Nicki Minaj』を聴く(Spotifyを開く

荏開津:それはこれからの課題というか、一人ひとりの才能の問題というよりも、アメリカは演劇・詩・ラップの距離が近いから、すべてに少しずつコミットしながら自分の才能を開花させていける。ラップはラップだけ、演劇は演劇だけというと、個人でそこをクロスするには限界があると思います。

―韻の踏み方の複雑化は、フロウにも影響を与えた話もされていましたね。

渡辺:ラップの韻の踏み方、ビートに対するアプローチの仕方の変化はこの20年くらいでググッと変化したところだと思うんですよね。「リリシスト」としてではなく、ビートと遊べるラッパーが成功をおさめる傾向が強くなりました。そういう傾向は、リル・ウェイン(Lil Wayne)の存在が大きかったのかなと思います。

荏開津:僕は、リル・ウェインの重要性に気づくのが少し遅かったんですよね。

渡辺:私はまさにリル・ウェインが神のような、ど真ん中の世代なんですよ! リル・ウェインのリリックの凄さは、まざまざと体験してきて。たとえば、彼が脈々とリリースし続けている『Carter』シリーズ。インパクトとしては、1週間で100万枚ヒットという凄まじいセールスを記録した『Tha Carter III』が最も大きのではないかと思うのですが、4作目となる『Tha Carter IV』に収録されている“6 foot 7 foot”という曲が、本当にすごい歌詞なんですよね。リル・ウェインのキャリアに置いて最も有名な「ラザニアのライン」というものがあって。<俺はリアルなGだから ラザニアのように静かに動く>。これだけ聴くと、「なにいってるんだ?」と思うんですよ。でも、もともとイタリア語であるラザニアのスペルは「Lasagna」。真ん中に「g」が入ってるんですけど、このgは発音されないサイレントな「g」なんです。そして、ラップの世界でgというと、ギャングスタという意味を持つ。だから、「俺はラザニアの中に入ってるgみたいに、余計なことをいわず、黙って自分のことをやるぜ」っていう意味なんですよ。

同じ曲に、<俺はラッパーたちを殺して、そのあとミンクを着るんだ>っていうラインもあって。私も最初、「なんでだろう?」と思ったんです。みんなを殺して手にした金で、ミンクを着るのかなと思ったんです。でも、みんなを殺して、ラッパーたちの剥いだ皮でミンクを仕立てるって意味で。リル・ウェインのリリックは、なぞなぞみたいになっていて、オチの部分をリスナーに考えさせるようなリリックなんですね。彼はそうした余白を作るのが天才的にうまい。

さらに彼がすごいのは、ビートに対して一つひとつの単語をドロップするようなフロウで柔軟にラップをしていて。このフロウがなかったらフューチャー(Future)もヤング・サグ(Young Thug)も出てこなかったと思いますから、2000年代後半のラップ界における発明として、リル・ウェインのフロウとワードプレイは逸品だと思います。

リル・ウェイン『Tha Carter IV』を聴く(Spotifyを開く

荏開津:仰ったラザニアのラインは、知る限り古いものではブギ・ダウン・プロダクションズの1988年"Stop The Violence"という曲の<本当に悪い奴らは静かに動く(cause real bad boys move in silence)>というリリックを思い出します。次にノトーリアス・B.I.G.(The Notorious B.I.G.)が"Ten Crack Commandments"で引用して、それをラザニアにうまく変換したものだと私たちの世代は解釈して聴いてぐっとくる。ラップは過去のものをどんどん進化させていくから、ずっと聴いていると面白いことはいっぱい起きますね。

渡辺:まさにそうですね。みんな、パクリではなく、リスペクトとイノベイティブな気持ちを持って引用している。その面白さは長く聴いていると感じるものだと思います。

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プロフィール
荏開津広 (えがいつ ひろし)

執筆 / DJ / 京都精華大学、東京藝術大学非常勤講師、RealTokyoボードメンバー。東京生まれ。東京の黎明期のクラブ、P.PICASSO、MIX、YELLOWなどでDJを、以後主にストリート・カルチャーの領域で国内外にて活動。2010年以後はキュレーション・ワークも手がけ、2013年『SIDECORE 身体/媒体/グラフィティ』より、ポンピドゥー・センター発の実験映像祭オールピスト京都ディレクター、日本初のラップの展覧会『RAP MUSEUM』(市原湖畔美術館、2017年)にて企画協力、Port Bの『ワーグーナー・プロジェクト』(演出:高山明、音楽監修:荏開津広 2017年10月初演)は2019年にフランクフルト公演好評のうちに終了。翻訳書『サウンド・アート』(フィルムアート社、2010年)、『ヤーディ』(TWJ、2010年)。オンラインで日本のヒップホップの歴史『東京ブロンクスHIPHOP』連載中。

渡辺志保 (わたなべ しほ)

音楽ライター。広島市出身。主にヒップホップ関連の文筆や歌詞対訳に携わる。これまでにケンドリック・ラマー、A$AP・ロッキー、ニッキー・ミナージュ、ジェイデン・スミスらへのインタヴュー経験も。共著に『ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門」(NHK出版)などがある。block.fm「INSIDE OUT」などをはじめ、ラジオMCとしても活動中。



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