柴田聡子を紐解く5通の手紙。音楽も詩も、子どもが戯れるように

柴田聡子を紐解く5通の手紙。音楽も詩も、子どもが戯れるように

インタビュー・テキスト
村尾泰郎
撮影:南 阿沙美 編集:山元翔一(CINRA.NET編集部)

柴田聡子

最後は高校時代からの朋友・ラミ子。ふたりの現在に至る青春物語

―では、最後にラミ子さんからの手紙です。読み応え充分の大作ですよ。

柴田:恐~い! なんか最近、ラミ子に嫌われている気がするんですよ。去年、ラミ子が温泉に行くっていうから、「私も行きたい!」って一緒に行っちゃったんですけど、本当はひとりでリラックスしたかったんじゃないかなって思ってて。……嫌われてたらどうしよう、ヤバい、恐い、はあ~。

聡子へ

私たちの出会いといえば高校3年生、美大受験予備校時代にまで遡りますね。 全く覚えてないのですが、聡子が初めて声をかけて来た時、私は小生意気な表情で一度頷いただけだったみたいで。自分だったらそんな奴二度と関わりたくないと思うけど、まさかその後10年以上に渡って交流が続くことになるなんてほんとびっくりだよね。

予備校時代は特に仲が良かった記憶はないんだけど、聡子が横尾忠則のパクリみたいなデザインを確立させて受験に臨んでいたことは覚えています。あと色んな鉛筆でグラデーションの表をせっせと作っていたことも。

で、結局二人とも志望校に落ちて一浪しちゃうんだよね。浪人中も特別仲良くなった訳ではなかったんだけど、二人の仲を深める重要な出来事が起こります。そう、ラジオです。当時私は爆笑問題カーボーイという深夜ラジオにハマっていて、次第にそれをMDに録音したいと思うようになります。しかし、自分のコンポの性能ではそれができず、誰かに録音してもらう必要がありました。そこで狙ったのが、同じ予備校の柴田さんです。他にもっと仲の良い友達がいたのになんで聡子をそそのかしたのかは本当に謎なんだけど、まんまとハマってくれてそれ以来、毎週MDを受け渡し合う謎の関係になるんだよね。当時爆発的な人気を誇っていた「ドスケ弁」という下ネタ満載のコーナーに夢中になり、朝から二人で爆笑していたことを今でもよく覚えています。最高だったよね、ドスケ弁。

当時の私は秋葉原にいそうな顔面ということで、痛いアイドルキャラみたいなかんじで周りからイジられたりしていました。そしたら予備校の謝恩会が開かれた時、急に聴かせてくれたのが、「ラミ子のテーマ」という曲だったんだよね。もう一人の音楽好きの友達と作られたその曲はめっちゃ可愛くて、「すげー、この人たち、ギター弾いて作曲とかできるんだー。」と思いました。

ラミ子提供写真「一人で頑張る柴田」
ラミ子提供写真「一人で頑張る柴田」

そんなこんなで無事に受験に合格して同じ大学に入るんだけど、学科が全然違うからそんなに遊んだりとかはしてなかったよね。だけど、ここでも二人の仲を深める重要な出来事が起こります。そう、「その男凶棒に突き♡」との出会いです。数人の友達とグループ展をやることになって、私と聡子は大きな鼻のオブジェを作る係になったんだよね。夜の大学のゴミ捨て場からでかい発泡スチロールを運んできて、私のアパートでひたすら削りまくる春休み。ほんと何やってたんだってかんじです。その作業の間中、ずーっと無限リピートしていたのが友達から借りていたDVD、「その男凶棒に突き♡」だったんだよね。同じ発音の北野監督の作品とは一切関係のない内容、汁刑事というパワーワード、そして何より我々の心をガッチリ掴んで離さなかったのが山本剛史演じる奇怪な男、尾崎の存在だったね。

私たちは完全に尾崎の虜でした。もっかい再生していい?って聞くまでもなく終わり次第始めから再生して、台詞はもちろん細かい所作まで覚えちゃって、普段の会話にも尾崎が混じっていたよね。あの日々の出来事が今の関係性にも大きく影響している気がします。

そうやって毎日毎日発泡スチロールを削りながら雑談を繰り返して、なんか面白いことしたいねって言って始めたのがラミ子活動だったね。私は楽器が弾けないどころか、音楽もそんなに聴かずに育ったので、作詞作曲演奏など全て聡子に任せてたよね。一方、聡子が作る曲は最初から完璧でめちゃくちゃ良くて最高で、初めて聴いた時は衝撃的だったし、新曲を聴くたびに「うわーこいつ天才じゃん」って思っていました。でも本当に残念なことに、ボーカルの私が救いようのない程の音痴だったんだよね。おかげで誰からも全く注目されなかったんだけど、あの時聡子が一人で活動を始めたり、他のもっと音楽好きの誰かと組んだりしていたら今とは違った形でブレイクしていたんじゃないかなーと思ったりします。

ていうか当時の私も、この人自分がせっかく作った良い曲を別の下手くそで大してやる気もない奴に台無しにされて嫌じゃないのかなぁと思っていました。顔がガッキーみたいに可愛いとかだったらまだしも、別に普通のブスだし。曲を作ってきても、私の感想は「なんか暗い。。」とかで具体的にどうしたらいいとか言わないし、あの時の聡子は音楽の話ができる人が周りにいなくて窮屈そうだったね。私も私で、音楽の才能は一切ないという自覚がありながらどうしてダラダラ続けていたのか不思議です。

ラミ子提供写真「学校から発泡スチロールを運ぶ柴田」
ラミ子提供写真「学校から発泡スチロールを運ぶ柴田」

ある日、ミドリのライブ映像をYouTubeで見せられて、「こういう風に、自分の中にある熱いものを表現して欲しいんだけど。私は自分の激しい感情とかを外に発散させたい気持ちがあるんだけどラミ子はないの?」って言われた時もあんまピンとこなくて、「特にないし、あったとしてもそれを誰かに見せたいとは思わないなぁ。こりゃもう人種が違うな。」と思って、とりあえず「はぁ。」って答えた気がします。今まで真面目なサブカル女だと思ってたのにそんなパッションがあるなんて驚きでした。いやでも実家で激しくエアギターをしてたとか言ってたし、後日エアギターの大会に出て優勝したりしてたし、課題に対しても情熱的で、「今からガストで徹夜してアイディアが出なかったら退学する」とか言ってたし結構パッション溢れてたかも。課題の発表で、ひとしきりパフォーマンスした後に水を張った洗面器に顔を突っ込んで何かを叫んでた時はさすがに意味が分からなかったけど。

そんなこんなで卒業が近づいてくる頃には、ラミ子活動もライブハウスに呼ばれた時だけやるみたいなかんじになってたし、会う機会もどんどん減って友情も自然消滅する勢いだったよね。そして聡子が芸大の院に行きだした頃、久しぶりに会った時にくれたのが柴田聡子のデモCDでした。「へー。ありがとう。」とか言ったけど、実は面倒くさいからずーっと聴かないまま放置してたんだ。

でもその後、聡子がライブ活動をしだしたことを知った私はある日こっそり見に行ってみることにしました。今はなき池袋のミュージックオルグです。そこでのライブは衝撃的でした。世界観が謎すぎる。妙な山の歌とか歌っている。ラミ子の時はあんなにポップで可愛らしい曲作ってたじゃん!本来の音楽性はこっちなのか、と、聡子の持つ計り知れない振れ幅に驚いたものです。でもライブの帰り道、私はとても嬉しい気分でした。よかった。やっと聡子が歌い始めた。私のような音痴のバカと一緒じゃなくて、自分の作った歌を自分で歌っている。ちょっと世界観は謎だけど。私しか知らなかった聡子の音楽がこれからもっと沢山の人に届くかもしれない。そう思うととても嬉しい気分でした。家に帰って、そういえば前にデモCD貰ってたな、と思ってその時初めて聴いてみました。めっちゃ良かったです。

ラミ子提供写真「初めて見たライブ後に聴いてめっちゃよかったデモ」
ラミ子提供写真「初めて見たライブ後に聴いてめっちゃよかったデモ」

そして案の定、聡子の活動はどんどん増えてきて、ライブするところも大きくなってきて、アルバムも出来てタワレコで聡子のコーナーができたりしてたよね。吉祥寺のキチムでやったワンマンも良くて、「わーすごいなぁ。今は5メートルくらいの距離にいるけど、これからどんどん遠くなっていくんだろうなぁ。」などとしみじみ思ったりしました。その後も一ファンとしてCDを買ったりこっそりライブに行ったりする活動を続け、タイミングの合う時はライブ後にお茶をしたり、たまに物販を手伝ったりもしていました。そんなユルい関係が続いて数年、事件が起きます。ある時聡子から、「新しいアルバムを作ってるから、ちょっと参加して欲しい」と連絡が入ります。ここまでは大丈夫。あーはいはい、ちょっとフッフッって言ったりするくらいですよね、いいですよ~。という軽い気持ちでOKし、録音も無事に終わりアルバムを楽しみにしていたところ、再び聡子から連絡が入ります。

「今度のレコ発ワンマンでコーラスやって欲しいんだけど。」は?いやいやいや。レコーディングは何度も録り直せるし出番も少なかったからどうにかなったけど、ライブは無理でしょ。ていうか私が歌えないの知ってますよね?全然ギターに合わせて歌えなくてイラッとしてたじゃん。私あの時から1ミリも上達してませんけど。順調に売れてるんだからギャラも払えるだろうし、ちゃんとした人にお願いすればいいのに。大体他のメンバーはみんなちゃんとしたプロじゃん。おかしくない?しかも会場は渋谷クアトロ?急に?無力無善寺とかそういうかんじのところでしかライブしたことないんですけど。反論は無限にあったけど、結局やることになったんだよね。最初のバンドでのリハ緊張したなー。マジで浜くんとダバス(現Coff)ぽかーんとしてたからね。「え、なんかすごい音痴なブスが来たけど柴田さん正気?」みたいな顔してたよ。私もだめだこりゃ~って思ってたし。そんな中、聡子が一人だけ感動してたんだよね。「ラミ子完璧じゃん!私泣きそうなんだけど。」とか言って。他三人は黙って立ち尽くしてて、あの時の空気感忘れられないなぁ。

そんなライブもなんとか乗り切り、一夏の思い出ができたと思ってたら次のライブもやることになり、更に次のライブもやることになり、一年が経ち、現在に至るね。こんなことある?ってかんじ。聡子のいるステージとの距離がどんどん離れていくかと思いきや、すぐ後ろでコーラスをすることになるなんて。

こんな大人になるなんて思ってなかったわー。振り返ってみて思ったけど、10年前とやってること変わってないもんね。こないだ“結婚しました”のMV用の絵を夜通し描いたけど、あれなんてでかい鼻のオブジェ作ってる時と一緒だし。いまだに爆笑問題カーボーイ聴いてるし。

ラミ子提供写真「鼻のオブジェを作る柴田」
ラミ子提供写真「鼻のオブジェを作る柴田」

でも聡子の活動が広がって、思う存分音楽の話ができる人に沢山会えてよかったねって思います。私は何も音楽的な話とかできなかったけど、今は他のバンドメンバーもいるし、リハの時とかツアー行く時の車内とかで音楽の話してるのが本当に楽しそう。私はみんなが何の話をしてるのか全然わからなかったりするんだけど、やーよかったよかったって思ってます。こんなんだからそのうちコーラスクビになるかもしれないけど、そしたらまた普通にライブ見に行くんで引き続きよろしく。今度また久しぶりに「その男凶棒に突き♡」見よう。じゃ。

ところで編集部からのリクエストは柴田さんの人柄に着目して欲しいとのことだったんだけど、聡子の人柄とかよくわかんないんで、インタビューの際は尾崎について熱く語ってくれたらいいなーと思います。よろしく。

ラミ子提供写真「鼻の時と大して変わってない現在」
ラミ子提供写真「鼻の時と大して変わってない現在」

柴田:あ~、面白かった。ラミ子、文章がうまい! いい話ですね。泣きそう。家で泣こうかな。いや、泣かない! 泣かないぞ。

―温泉のことは書かれていませんが、ふたりの青春時代のいい話が満載ですね。エアギター大会で優勝した話は初めて知りました。

柴田:岡田さんの「メンバーに言いそびれた話」って、これでいいかもしれないですね。私、東京大会で優勝したんですよ。ユーミンの“紙ヒコーキ”でエアギターしたんです。みんなメタルばっかりのなかで、私だけまさかのユーミン(笑)。審査員だった『ぴあ』の編集長に絶賛されました。『サマソニ』でやる全国大会に出られるはずだったんですけど、大会の日と北海道に帰省する予定の日が重なってしまって。飛行機のチケットをとっていたので泣く泣く諦めました。

―名誉よりお金をとった(笑)。

柴田:当時は学生でしたからね。いま、『サマソニ』に死ぬほど出たいのに(笑)。

柴田聡子

―ラミ子さんの手紙を読むと、芸大時代は創作に打ち込んでいたみたいですね。

柴田:若いときは、めっちゃ情熱的だったみたいですね。友達にそう言われることが多いんですけど全然記憶になくて。美大に入って美大生特有の「何か作りたい!」っていう病いや自意識に悩まされていました。

―そんななかで、どういうきっかけで音楽をはじめることになったんですか。

柴田:私が所属してたゼミで、プレゼンテーションイベントをすることになったんです。みんな普段からやってることとか、興味あることとかをプレゼンしようとなって。私はどうしようかなと考えていたら、講師に来ていたメディアアーティストの中嶋興さんが「お前は歌か踊りだろう」って(笑)。それで他に何も思いつかなかったのでギターを弾いて歌うことにしたんです。私のゼミはクリストフ・シャルルっていうめちゃめちゃ有名な方が教授で、その方と何人かの学生と知らない人の前で歌いました。

―そのときはどんな歌を歌ったんですか?

柴田:その頃、北朝鮮がミサイルを発射したんですよ。で、同じ北海道出身の子とご飯とか食べながら、「どうする? 地元に帰る?」っていう話をしてたんですけど、そのことを歌にしました。それを聴いたシャルルさんが、「バンドをやりましょう!」って言ってくれたんです。何かいいことがこれからはじまるような気がして、人生最高の瞬間でした。

柴田聡子

「私は音楽に人生を教えてもらっているんです(笑)」

―いま、学生時代に知り合ったラミ子さんとバンドをやっているというのも運命的ですよね。そもそも、なぜ彼女と一緒にやりたいと思ったんですか?

柴田:ラミ子ってマイケル・ジャクソンと松田聖子が大好きなんです。その他の音楽はそこまで興味がなくて、そんななかでそのふたりが好きならセンス的に間違いない! と思ったんです。あと、声も超可愛いし、パフォーマンス能力も半端ない。しかも、イチローと同じ誕生日なんですよね。

―いろいろ最強なんですね(笑)。ライブ盤でも歌われている“ラミ子とシバッチャンの仲良しソング”はどういった経緯で作られたんですか?

柴田:あれはラミ子が曲名だけ送ってきたんです。「これで曲を作って!」って。

―ラミ子さんからお題が出た。

柴田:そのやり方で2曲作ったんですけど、全然できるんですよね。ラミ子に関してはインスピレーションが湧きまくるので。

―そういう存在が身近にいるとありがたいですね。バンドメンバーと柴田さんは、互いにインスピレーションを与え合う関係みたいですが、今回、みんなの手紙を読んでどんな感想を持たれましたか?

柴田:みんなそれぞれにバンドをやることを楽しんでくれているみたいで、すごくありがたかったです。同じ方向を向きながら、それぞれ自由に楽しんでいる。人類の理想型みたいな気がしますね。これまで、何度かバンドをやってきたんですけど、そのときにはまだ、一緒にやってくれている人に対して自分が変わりきれなかったんです。でも、いまはいろんなものが噛み合ってきて、これまでで一番楽しんでバンドをやれている。そういうことがライブアルバムにはナチュラルに反映されていると思います。

―ビジネス書ではなく、音楽を通じてグローイングアップしてきたわけですね。

柴田:そうそう。本当に、私は音楽に人生を教えてもらっているんです(笑)。

柴田聡子

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リリース情報

柴田聡子『SATOKO SHIBATA TOUR 2019 “GANBARE! MELODY” FINAL at LIQUIDROOM』
柴田聡子
『SATOKO SHIBATA TOUR 2019 “GANBARE! MELODY” FINAL at LIQUIDROOM』(CD)

2019年10月23日(水)発売
価格:2,500円(税込)
PCD-18869

1. 結婚しました
2. アニマルフィーリング
3. 佐野岬
4. すこやかさ
5. 遊んで暮らして
6. 忘れたい
7. ばら
8. いきすぎた友達
9. 海へ行こうか
10. いい人
11. 東京メロンウィーク
12. 心の中の猫
13. セパタクローの奥義
14. 後悔
15. ラッキーカラー
16. ワンコロメーター
17. 涙
18. 捧げます
19. ラミ子とシバッチャンの仲良しソング ~Let's shake hands with me~
20. ジョイフル・コメリ・ホーマック

イベント情報

『柴田聡子inFIRE ホール公演「晩秋」』

2019年11月9日(土)
会場:東京都 神田明神ホール

2019年11月21日(木)
会場:京都府 ロームシアター京都 ノースホール

料金:各公演 前売4,200円

プロフィール

柴田聡子(しばた さとこ)

1986年札幌市生まれ。大学時代の恩師の一言をきっかけに、2010年より都内を中心に活動を始める。最新作『がんばれ!メロディー』まで、5枚のアルバムをリリースしている。2016年に上梓した初の詩集『さばーく』が第5回エルスール財団新人賞<現代詩部門>を受賞。現在、雑誌『文學界』でコラムを連載しており、文芸誌への寄稿も多数。歌詞だけにとどまらず、独特な言葉の力にも注目を集めている。2019年10月、初のバンドツアーの千秋楽公演を収録したライブアルバム『SATOKO SHIBATA TOUR 2019 “GANBARE! MELODY” FINAL at LIQUIDROOM』をリリースした。

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